2019年5月 1日 (水)

松本清張展

令和時代が始まった。戦後3つ目の元号となり、これからどんな歴史が刻まれていくのか、期待と不安が入り混じっている。
個人的にはこれまで同様、日々有意義な時間が持てるよう努力を重ねて行くだけだが・・・

4月26日(金)に県立神奈川近代文学館へ特別展「巨星・松本清張」を見に行ってきた。
この日は天気予報通り午前は雨で寒く、横浜まで行くことを躊躇したものの、次第に雨も小降りになり、GW前にとの当初の予定を実行した。

2016年4月の漱石展以来丁度3年振りだ。
前回同様高速バスを利用。

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ベイブリッジからのみなとみらいの高層ビル群。

これもいつも通り、フランス山から入ったが、通常の入り口は工事中なのか閉鎖されていて谷戸坂を少し登り始める辺りの通用口みたいなところから入った。
一気の登りで急な階段を2段づつ上がるのが今回は少々きつく感じられた。

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大佛次郎記念館を過ぎた辺りの近代文学館の案内看板。

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連絡橋を渡ると文学館にたどり着く。

午後2時少し前の入館で、館内アナウンスで2時から2階ホールでギャラリートークがあることを知り、タイミングがよいので聴講した。
今年は清張生誕110年だそうだ。

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上は図録。清張71才の書斎でのショット。随分と幸せそうな表情をしている。後方の書架に並ぶのは恐らく岩波の「日本古典文学大系」。

清張は我々世代には流行作家の代名詞みたいな存在で、大概作品の一つや二つは読んでいる。
自分もあまり読んでいないが、それでも初期の「西郷札」、「小倉日記伝」、「断碑」や「点と線」、「ゼロの焦点」や「砂の器」といった推理小説、また「昭和史発掘」をほんの少しだけかじったり、「両像森鴎外」を読んだりした。

今回の展示は全生涯をバランス良く紹介していて、大変勉強になった。
改めて驚くのは、40才過ぎの作家として遅いスタートだったにも関わらず、その膨大な著述には目を瞠るものがある。
それと絵が上手い(と云うか素人離れしている(実際作家になる前はプロだったわけだが・・・))!!!
図録の10頁(几帳面な中に絵心を感じさせる魅力的な絵)、45頁(平山郁夫ばりの、画家としても看板が張れる力量を感じる)。

日本地図に清張作品がプロットされていて、それがバランス良く各地へ散らばっているのに感心した。
千葉県を見ると3作品がプロットされていた(「Dの複合」(成田)、「遠い接近(黒の図説)」(佐倉)、「十万分の一の偶然」(鹿野山))

「昭和史発掘」は2.26事件に最も注力したそうだが、清張が参照した関連資料として「田中義一日記」上下、「真崎甚三郎日記」1~3(皇道派(2.26事件実行グループが信奉した派閥)リーダーの一人),「北一輝著作集」Vol.2、そして副産物として清張編「二.二六事件=研究資料」1~3(文藝春秋社、‘76(S 5 1).3月、’86.2月、‘93.2月)が展示されていた。
昭和史研究へ深く沈潜した清張へ、半藤一利は親しく交流するという貴重極まる体験を巻頭言で述べている。冒頭では坂口安吾から得た清張評を披露もしている。

新聞連載の挿絵原画も素晴らしく、「砂の器」(読売、‘60(S35).5/17~’61.4/20)は朝倉摂で大変見応えがあり、「火の回路」(朝日、‘73(S48).6/16~’74.10/13、単行本は「火の路」と改題)の方は利根山光人。この人はNHKFM「日曜喫茶室」でたしか‘79年に「ギターと絵筆、テキーラの旅」と題してギタリストの中林淳真とゲスト出演して、メキシコ滞在経験を披露していたのを記憶している。

展示のラストは小倉(清張の生地で前半生を過ごした)の松本清張記念館で展示されている杉並区上高井戸の清張邸の再現書斎、書庫の映像で、書斎のカーペットには数カ所に煙草の焦げ跡、書庫はたしかⅠ~Ⅷと8室に及び、記念館の模型で配置を確認させながら書架に並ぶ蔵書群を映し出していた。
中々圧巻で、一度記念館で直接見てみたいと思った。

また第1展示室の常設展示(「神奈川の風光と文学」)も改めて見応えを感じた。漱石はもとより、谷崎、中島敦、有島武郎、三島・・・神奈川ゆかりの作家の多さよ。
横浜市街地の模型から神奈川近代文学館の至近に谷崎潤一郎の横浜時代の邸宅があったことを知った。

2019年4月12日 (金)

カフェ「仕立屋」のランチ

春爛漫の4月9日(火)、カフェ「仕立屋」へ行って来た。
千葉県木更津市有吉に昨年11月にオープンした田園の中のカフェだ。

妻の友人が営むお店で、1月中旬に初めて行き今回は2回目。
やはり妻のお友達であるSさんを誘い、3人で素敵なランチをいただいた。

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お店の外観

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店内。おしゃれで落ち着いた雰囲気だ。

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陶芸を趣味とされているママさんの友人の作品などを飾り付けしているコーナー。

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東向きの大きな窓から臨むことが出来るのどかな田園風景。心が和んできた。

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そしてランチ。盛り付けを見ているだけで幸せになってくる。

有機米ご飯から反時計回りに、人参スープ、鶏肉の味噌和え、厚焼き玉子と蕗の水晶煮ともやしのナムル、ゴマ豆腐、カボチャと彩り野菜のサラダ、人参のスティックフライとサツマイモの素揚げに春菊のサラダ、黒豆とジャスミンゼリーのみつ豆

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食後のコーヒー。カップはママさんの友人作だそうで、3人ともが異なるデザインだった。

Sさんは大変な読書家で以前は源氏物語を読書中とのことだったが、この日はM.プルースト「見出された時」の最後の部分に竹馬の喩えが出て来る話をされた。ちなみに「失われた時を求めて」は6回読んだそうだ!!!
J.ジョイス「ユリシーズ」についての話とか、音楽についても話が出て、大変楽しい時間を持つことが出来た。

帰途、小櫃川沿いの桜並木を歩いて、遅めの花見もして来た。

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また別れ際に、吉田秀和の「永遠の故郷」(CD版)をいただいた。

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吉田のエッセイ集「永遠の故郷」全4巻で取り上げている歌曲を、吉田秀和のセレクションによる演奏でCD5枚に収めて、エッセイ集と併せ立体的に「永遠の故郷」の世界を味わうことが出来る。
これまで歌曲にはあまり親しんでこなかったので、収録作品はほとんどが初めて聴く曲である。

翌日地元の図書館から始めの2冊、「夜」と「薄明」を借りて来た。

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第1章「月の光」はG.フォーレの曲。詩はヴェルレーヌで、この詩はドビッシーの「ベルガマスク組曲」命名の由来となっている事を知った。ドビッシーの「月の光」しか知らず、フォーレの方は今度が初めてである。

吉田最晩年の遺言のようなエッセイ集を繙いた幸せを噛みしめている。

2019年4月 1日 (月)

平野啓一郎「ある男」

平野啓一郎の「ある男」を読んだ。

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前作「マチネの終わりに」は偶然と必然が複雑に絡み合い、結ばれるべく出会った男女が理不尽な別離を遂げ、本来敷かれていたはずのレールから外れて、それぞれ別のコースへと逸れていく不条理な(あくまで私の主観だが)展開だった。

「ある男」も方向性は違うが、主要人物が災厄に見舞われる点で「マチネの終わりに」と同じ構造である。
作品に盛り込まれたエピソードは豊富で、面白く、また推理小説的でもあり、最後まで引き込まれつつ読み進めた。

その最たるポイントは、「戸籍交換」という現代社会ではあり得ないのではとしか私などには思えない突飛なアイデアだ。マネーロンダリングのように複数回(本作では2回だが)行い、そのくだりは周到に描写されている。

主要人物は複数で、主人公はというと作者が云うように弁護士の城戸という事になるかも知れないが、この小説で最も魅力を感じたのは、出だし部分の中心人物である谷口里枝である。
そこそこ清楚可憐ながら、運命に翻弄されて初婚時の次男を病気で失い、その治療への対応が元で離婚を経験、故郷へ帰ってからも常人では経験し得ない運命が彼女を待っている。
それらを淡々と受け止め、健気に歩を進める里枝に共感しつつ読み進んだ。

里枝は帰郷してから「谷口大祐」と出会い再婚、4年に満たず「大祐」は事故死、その1年後に夫が「谷口大祐」ではない事がわかる。夫だった男は最後まで「谷口大祐」として里枝に対した。

「谷口大祐」=「X」が描いたスケッチブックの絵を契機に、二人の魂が交感する第2章の描写は、牧歌的、超俗的で、素直に共感できる場面であり、全編中で最大の見せ場と云ってよいと思う。

読みながら感じた素朴な疑問は以下のとおり。
1.第2章での里枝との交流は、虚飾を排した純朴な「X」が前面にあったとはいえ、「谷口大祐」として「X」は虚偽の過去をもって里枝に対した。
真の愛を感じている相手に、何故真の自己をさらけ出さなかったのだろうか?
2.里枝の依頼で「X」の身元調査に乗り出した城戸は、何故ペイし得ない調査を1年以上の長期に亘って続けたのだろうか?

1は作中第7章末尾で城戸の疑問としてほぼ同じ内容で投げかけられている。
1、2ともにストーリー自体が回答となっていると云えば云えるが、特に1は根の深い問題なので、数学の解のように一義的には行かないだろう。
誰しも相手に秘密の一つや二つは持っているのがむしろ普通で、作者は真の魂の交流に必ずしも真の過去が付随する必要はないと云いたいのだろう。
「X」は不慮の事故で死亡してしまうが、このまま里枝との結婚が続いたとして果たして「谷口大祐」を通していたか否か、興味のある処であり、矢張り「X」の振る舞いには釈然としないものが残る。

前作「マチネの終わりに」と同じく、巻末に参考文献と本文へ引用されている文学作品を明示している。作者が広く現代社会へ関心を持ちつつ、過去の文学へも目配りしている事が分かる。

取り分け、芥川龍之介「浅草公園」(第11章)と梶井基次郎「城のある町にて」(第21章)は、本作によって知った。
芥川の方はネットの青空文庫で読んだ。
奇妙で不可思議だが、印象的な作品である。
梶井の方は作中では城戸の幸福感を表現するために引用され、作品名は明記されていない。こちらも当初は青空文庫を参照するも、画面を見続けるのがちょっとつらくて、図書館から昭和文学全集(第7巻、小学館)を借りて来た。
昔読んだ「檸檬」も読んでみた。「冬の蠅」とか「桜の樹の下には」とか、覚えている名前がある中、「城のある町にて」は記憶が全くない。
また、「檸檬」を読み、出て来る丸善が京都のそれである事を今回認識。(^^;

脱線序でに・・・
第7巻には中島敦も入っており、以前から読みたかった「山月記」と「李陵」も読んだ。
梶井といい、中島敦と云い、昭和初期の作家だが(共に病気により夭折)、文章の新鮮さに打たれた。
「李陵」により司馬遷の宮刑が李陵擁護に起因する事を知った。(^^;
これに触発されて現在は武田泰淳「司馬遷」を読書中。(^^)

以上、平野啓一郎によって、前作と同様有意義な時間を持つ事が出来た。

2019年3月27日 (水)

ギターコンサート2題

3月23日(土)と24日(日)にギターコンサートへ行って来た。

23日は千葉市生涯学習センター2階ホールでギターサークル和弦の「春のコンサート」。
前日はそれに相応しい暖かさだったが、この日は冬に逆行したかのような寒さで、朝方は雨も降っていた。
和弦は一昨年から毎年聴いている。(→2017年1月10日 )毎回アンサンブルの選曲、そして編曲に主張があり、メンバーも力のある人が何人かいて、聴きがいがあるグループである。
今回はアストル・ピアソラ特集で、初期から晩年に至る6作品をリーダー鈴木勝氏のトークを交えて聴かせた。
研究振りを窺わせるトークだった。
ピアソラ作品のプログラムは以下のとおり。
・孤独(Soledad)
・メディタンゴ(Meditango)
・オブリビオン(Oblivion)
・ブエノスアイレスの冬(Invierno Porteño)
・タンティ・アンニ・プリマ(Tanti Anni Prima)
・ミケランジェロ70(Michelangelo70)
また二重奏で弾かれたH.ヴィラ=ロボスの「トリストローザ」(鈴木勝編)は、なかなか佳曲で初めて聴いた。ヴィラ=ロボス初期のピアノ曲のようである。

アンコールはバッハ「羊は安らかに草を食み」(鈴木勝編)。バッハの世俗カンタータ(BWV208)だ。
今回は千葉市の友人、妻と並んで聴いた。
毎回会場で顔を合わせる木更津市のY氏は今回も夫人と来ていた。
終演後楽屋へ行って鈴木氏外のメンバーと言葉を交わして帰途に就いた。

翌24日は木更津市のかずさアカデミアホール201A会議室で「ギターデュオコンサート」。

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ダヴィデ・ジョヴァンニ・トマシ(Davide Giovanni Tomasi、1991年生)、マルコ・ムッソ(Marco Musso、1992年生)の若いイタリア人チームで、2016年に結成している。
ネットで調べると二人とも数々のコンクールで入賞を重ねており、ソロ活動もしている。現在は、共にオーストリアのグラーツ音楽大学でPaolo Pegoraroに師事しているようだ。
ダヴィデは第59回東京国際ギターコンクール(2016年)で1位を取っている。

2016年11月にこの会場で聴いたザビエル・ジャラ(第58回東京国際1位)(→2016年12月4日 )も素晴らしかったが、この二人もすごい実力を備えている。

実は当初このコンサートは予定しておらず、チケットはY氏から譲り受けたもの。
前日千葉から帰って来て、夜Y氏から電話があり急用で行けなくなったのでどうか、と言われて一も二もなくいただくことにした。そして24日の朝にY氏と会ってチケットを手にしたのだった。

プログラムは以下のとおり。
前半
・2つの前奏曲とフーガ(平均律クラヴィーア曲集第1巻第1、2番)/J.S.バッハ
・3つの前奏曲とフーガ(平均律ギター曲集第4、5、24番)/M.C-テデスコ
後半
・ソナチネ/M.ラヴェル
(Ⅰ:Modéré、Ⅱ:Mouvement de Menuet、Ⅲ:Animé)
・マ・メール・ロア(Ma Mère l‘Oye(*))/M.ラヴェル
(Ⅰ:眠れる森の美女のパヴァーヌ、Ⅱ:親指小僧、Ⅲ:パゴダの女王のレドロネット、Ⅳ:美女と野獣の対話、Ⅴ:妖精の園)

(*)Ma=私の Mère=母 Oye=Oie=鵞鳥 英語だとMother Goose

アンコールは2曲でC.ドビッシーの前奏曲集から、
・ヒースの茂る荒れ地(第2巻NO.5)
・途絶えたセレナード(第1巻NO.9)
以上テデスコ以外は鍵盤作品からのトマシ・ムッソ・デュオのtranscription。
なお当日のプログラムにはバッハは「2」ではなく「3」となっていたが、彼等は2曲しか演奏しなかった。
終演後彼等にそれを質問してみると、3曲は我々の手に余るので云々、と煙に巻かれてしまった。
アンコールの曲目も直接聞いて、マルコの方が書いてくれた。
「途絶えたセレナード」は、ファリャの「三角帽子」からの引用と思われる奏句があり、聴いている時はファリャ作品かと思っていた。

全曲暗譜演奏だった!! 二人とも足台を使用。
トマシがファースト。
演奏の完成度が高い。音はピュアでいかなるポジションでもふくよかに鳴っていた。
指板上の左手の運動が美しい。

以上で彼等の演奏へ付け加える言葉がない。
暗譜だったことが鮮烈な印象で、コンサートのソリストでも時に楽譜使用は珍しくない。
辻井伸行のことが思い出されるが(千葉県少年少女オーケストラも)、譜面を出さないのはすごいことだ。

テデスコの第4番は、プレスティ&ラゴヤがレコーディングしている。帰ってから、それとデュオ・テデスコ(*2)で聴いてみたが、どうもトマシ・ムッソに軍配が上がるのではと思う。

(*2)プレスティ&ラゴヤ/PHILIPS YMCD-1001~3
    Duo Tedesco/KOCH 3-1224-2 Y7、1996

会場でダヴィデのCD(*3)が販売されていたので、Y氏へ贈ろうとの妻の提案で購入した。(Duoの方は昨年録音済みのようだが未発売)スペインのレーベルで、ホセ・トーマス国際ギターコンクール2017年第1位入賞により制作されたようだ。

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CDのジャケット。左に二人のサインをもらった。

(*3)「TO THE EDGE OF DREAM」(*4)
    Jsm Guitar Records JSM 6.011 2018
(*4)このタイトルは武満のギター協奏曲の作品名。アルバムのテーマである夢と沈黙、共に死の寓意を示唆しているとライナー・ノーツ冒頭にある。(*5)
(*5)ざっと目を通したが、ダヴィデ自身によるもののようだ。作品への深い理解、音楽全般への研究の程が窺える。

収録曲は、
・J.ケージ/Dream
・武満徹/エキノクス
     すべては薄明かりの中で
・B.ブリテン/ノクターナル
で時間はトータル42分11秒と短い。
非常に骨太で構築感のあるダイナミックな演奏が繰り広げられる。
またケージはピアノ作品の編曲で、偶然性の音楽でないので、ケージの作品としては保守的に聞こえる。
(了)

2019年3月18日 (月)

「新・北斎展」と「小原古邨」展

3月8日、9日に表記の展覧会へ行って来た。

浮世絵といえば私的には小学生時代(何とかれこれ60年前!!)に空前絶後の大ブームだった切手と結びついている。
切手趣味週間の歌麿、写楽、春信といった美人画・役者絵、国際文通週間の広重「五十三次」、北斎「冨嶽三十六景」というように切手を通じて浮世絵(版画)を知ったのだった。

2年前の秋の千葉市美術館での「ボストン美術館浮世絵名品展・鈴木春信」、あべのハルカス美術館での「北斎-富士を越えて-」(大英博物館とのコラボレーション企画。大英博物館所蔵品をメインとしていた。といってもこの展覧会は会場まで行きながら、時間的やりくりが付かなくて入場を諦めた。)、2012(平成24)年2月千葉県鋸南町の菱川師宣記念館での特別展「元禄繚乱(フリーア美術館「江戸風俗図屏風」(複製)里帰り」(鋸南町は師宣の出生地)というように、名だたる浮世絵の名品は海外におびただしく散逸している。

今回の「新・北斎展」(森アーツセンターギャラリー)は永田生慈(せいじ)という北斎研究家のコレクション(「永田コレクション」)を中核として国内で所蔵されている作品で構成されている。永田氏自ら準備を進められていたそうだが、昨年2月に病没され、「永田コレクション」は彼の郷里にある島根県立美術館へ寄贈されて今回が都内での見納めになる由。

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「新・北斎展」出品目録。

出品NO.462「弘法大師修法図」(末尾の(追補)参照)の発見、460「雨中の虎図」と461「雲龍図」が対の作であることetc永田氏は北斎に関する重要な発見をして来ている由。氏は460の所蔵先である太田記念美術館に長く在籍されていたそうだが、ここは「小原古邨」展の会場である。

全479点が展示されたが、前期・後期、更に作品によっては前期のA期間・B期間、後期のA期間・B期間、もちろん通期展示もあるが細かく割り振られ全出品作を目にするのは至難の業だ。
ちなみに私が煎った8日は後期B期間にあたる。

以下「冨嶽三十六景」について覚え書き風に記す。
あべのハルカス美術館「北斎」展の「冨嶽三十六景」は24点(大英博物館18、メトロポリタン美術館4、太田記念美術館2(共に校合摺り))。
それに対し今回の「新・北斎展」は26点(「神奈川沖浪裏」は2点。島根県立美術館23(内新庄コレクション13、永田コレクション2(校合摺り))、日本浮世絵博物館3)
なお双方に共通する作品は14点である。

私は後期なのでその内13点を見た。「神奈川沖浪裏」、「山下白雨」、「尾州不二見原」、「隅田川関屋の里」等々であるが、到底全貌に迫るには足りない。
あべのハルカス美術館の図録解説に大変示唆に富むものがあるので、ここに梗概を記す。
出だしの1期から4期までは5点ずつ摺られ、始めは当時人気だったベロ藍単色で摺られた。
夜明けのモノクロームな世界が、陽が昇ると共に色彩が多様になっていき、やがて昇りきって豊かな色の世界が出現して、とシリーズの進行に連れ色調が変化して行き、最後の方では陽光がもたらす様々な色彩の効果が追求されている、というもの。
因みに西村屋という版元から出版されたのは全46図になる由。

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ギャラリーのある52Fからの眺望。

9日(土)。「小原古邨」展の会場である太田記念美術館へ。今回は3回目で久し振りだ。前はJR山手線の原宿からだったが今度はメトロ千代田線の「神宮前」から行った。

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表通りから折れてすぐの閑静な場所にある。

小原古邨(おはらこそん:1877(明治10)―1945(昭和20))はNHK日曜美術館で昨秋茅ヶ崎市美術館での展覧会の模様が紹介されて魅了されたが、美術館へは行きそびれてしまい残念に思っていたところ、今回の企画を新聞で知り一も二もなく見に行こうと決めていた。
茅ヶ崎の方は中外産業の「原安三郎コレクション」230点が展示されていた。
今回の太田記念美術館は個人蔵を主体とした茅ヶ崎とは異なる150点を前、後期各75点に分けて展示した。私が見たのは後期の方である。
古邨は明治末から昭和10年代半ば迄活動し昭和期は「祥邨(しょうそん)」と号して、渡邊庄三郎の元から「新版画」の制作も行い、川瀬巴水(1883(明治16)-1957(昭和32))や吉田博(1876(明治9)―1950(昭和25))と同時期に同じ版元へ所属していたことは瞠目すべきである。
巴水の風景画、吉田の山水画に対し古邨は花鳥画を手がけ、作品は500点以上に上るそうだ。
恩地孝四郎を含め、皆海外での評価が高く、特に古邨は日本国内ではほとんど忘れられた存在となっていたようだ。

この日14時から小池満紀子さんによる特別講演会があった。小池さんは中外産業原安三郎コレクションの担当者で、偶然倉庫に眠っていた古邨作品を発見された由。
日曜美術館でも古邨版画の高度且つ精細な技法について話されていたが、今回は浮世絵版画の伝統を踏まえて独自の境地へ達した古邨版画について、「雨」の表現、「光」(月、星)の表現という側面から歌川広重と対比しつつ話された。

小池さんが配布したのは「有明月と木菟(みみずく)」の擂りの異なる3点をプリントしたA4一枚だった。
木菟の色付け、止まっている枝の濃淡、背景の陰影の付け方、月周辺の濃淡と擂り方が違い、その中の一点には「忠」印がある由。(優良なものに押されているとのこと。小池さんは何処に押されているか話されていたと思うが、今ペーパーを見ても判別できない。)
今回の展示では「月に木菟」(NO.29)として前期に展示されたようだが、比較すると上の何れとも違っている。
版画は擂りの工程が複雑な程この様に個々の刷り上がりは千差万別になるのだろう。
そこが版画の面白さであり、奥が深い処でもあると感じた。

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「古邨」展図録

改めて図録を見ると「祥邨」落款の作品より「古邨」期の方が色調は渋く落ち着いていて格調が高く、私は好きだ。
後期展示ではない「蓮に雀」(NO.2)、今回の展示作品ではないが図録で紹介されている「柳に油蝉」、「花菖蒲に翡翠(かわせみ)」(共に原安三郎コレクション)は典雅で美しく、高い境地に達したものとして魅力を覚える。

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「蓮に雀」のポストカード

(追補)16日(土)のTV東京「美の巨人達」で、「弘法大師修法図」(太字:色)について静嘉堂文庫美術館長の河野元昭氏の解釈が大変参考になったのでここに概要を記す。
木に巻き付く犬は、婆娑羅大将(金剛力士(仁王))の化身。十二神将(薬師如来の守護神)の戌に該当している。
木は疫病に苦しむ人間の暗喩。びっしり生える茸は「カワラタケ(植物病原菌)」で、寄生した樹木を徹底的に枯死させてしまう。犬(婆娑羅大将)は木(瀕死の病人)を迫り来る鬼(病魔)から決死の覚悟で守ろうとしている。
空海も木(病人)の脇で経巻を手に一心に祈祷することで鬼に対峙しているというもの。

またナレーションで述べていた「神奈川沖浪裏」との構図上のアナロジーは、卓見である。
いわく、「修法図」は遠近法により立体感が創出されている。
最前景の左の鬼(グレート・ウエーブ)、右手前の犬と木(波に翻弄される舟)、そして最奥でどっしり構える空海(冨士)という対比である。
(了)

2019年1月19日 (土)

「ウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2019」番外編+α

新しい年がスタートして早や半月が過ぎた。
ニューイヤー・コンサートの番外編+αということで、手元にある過去のニューイヤー・コンサートの中で最も古い2005年の録画-第1部がなくて不完全なのが玉に瑕なのだが-についてと、その他のあれこれを思いつく儘に取り上げることにする。

2005年のニューイヤー・コンサートは見所がいくつかあり、大変興味深かった。
指揮はロリン・マゼール(1930~2014)。武満徹と生年が同じである。この時75才で、ニューイヤー・コンサートの指揮は何と11回目だった。
コンサートマスターはヴェルナー・ヒンク
マゼールの指揮はあまり見たことがなく、ティーレマンの今年との比較で云うと粗雑な感じがした。

ところで大晦日のEテレ「クラシックハイライト2018」は楽しめた。司会の宮本亜門が素晴らしく、アシスタント役は「ブラタモリ」の林田アナ、そして解説者が片山杜秀で、その博識振りに再た々々舌を巻いた。
2018年のハイライトだけでなく、過去の貴重映像の数々も流れて、取り分け「第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本」での武満徹「セレモニアル」(平成4年(1992)9月5日)は得難い映像体験だった。指揮は小澤征爾。演奏が終わり、客席から武満が舞台へ上がり小澤と握手、会場へ返礼する場面は文字通りのお宝映像だ。

年が明けて、1983年元旦にNHKFMで放送された「日本の管弦楽作品」(N響)というエアチェックテープが出て来た。山田耕筰、伊福部昭、小倉朗等7名の邦人作品中に早坂文雄「左方の舞と右方の舞」(1942年3月3日初演)があった。早坂は修業時代の武満の恩人(師)にあたる(立花隆「武満徹音楽創造の旅」および →2017年10月25日参照)。早坂と武満との関係を思いつつ、感慨深く聴いた。
36年も前の正月番組が正月に出て来たというのも新年早々縁起がよい。

また正月には「京都の漱石句碑」(→2018年12月27日)で取り上げた「谷崎潤一郎全集16巻」で気になった文章を読んだが、その3編中の2つが新年号への掲載だった。(*)

(*)「潺湲亭(せんかんてい)のことその他」(昭和22(1947)年1月号「中央公論」)
   「月と狂言師」(昭和24(1949)年1月号「中央公論」)
   「同窓の人々」(昭和21(1946)年12月号「新潮」)

どれも「磯田多佳女のこと」(昭和21(1946)年)と同時期の文章で、戦争が終わり、京都へ居を定めて間もない時期の文章である。当時は谷崎60代の前半で、「(先の)潺湲亭」に居を定め、近くの南禅寺、永観堂、若王子そして平安神宮といった名跡に囲まれ、上田秋成はじめ近縁のゆかりの先人達に思いを馳せ、能・狂言、仕舞、地唄等を趣味とする近隣の人達との交流を綴っている。
そうした満たされた日々を綴っているにしては、文中谷崎自身も記すとおり一所に長く留まらないのが谷崎たる所以で、昭和24年4月には同じ京都の「(後の)潺湲亭」へと転居している。

福田進一のツイッターブログ1月3日に「正月三が日は、バッハのソナタBWV1001とパルティータ1004の編曲を浄書して過ごした」とあった。
これは、懸案のバッハチクルスのレコーディングを示唆しているようだ。(→2016年6月5日
実現すれば偉業達成となる。期待したい。

松の内が明けてから知ったことだが、「ぶらあぼ」2019年1月号にウイーン・フィル楽団長のダニエル・フロシャウアーへのインタビューが載っていた。
といっても「若林暢(のぶ)」という女性ヴァイオリニストのCDのPRが目的の記事だが、読んで面白いと思ったのは彼がジュリアードへ留学したという事実だ。
また彼の使用楽器はストラディバリウス「Ex Benvenuti、ex Halphen」(1727年)とのこと。
これも意外で、昨年のニューイヤー・コンサートでも書いたが、団員が使用しているのはウイーン製の楽器で、ストラディバリウスはコンサートマスターのみに付与されているものと思っていた。

さて2005年の番外編に入りたい。
「見所」が何だったかを先に記しておく。
1. マゼール関係
・「ピチカート・ポルカ」を団員のヴァイオリンを借りて弾き振り。
・「ウイーンの森の物語」では、通常ツィターが用いられる前奏、後奏の部分を見事な美音でヴァイオリンで弾いた。
・アンコールの「美しき青きドナウ」に入る前、通常指揮者の主導でウイーン・フィルのメンバーの新年の挨拶に代えて、マゼールが長目のメッセージを述べて、自身が日本語、中国語を含む数カ国語で新年の挨拶を述べた。
2. 2部の1曲目の後に楽団長(当時)のクレメンス・ヘルスベルクがWHO事務局長のイ・ジョンウクと共にステージ中央へ立ち、異例のスピーチをした。
前年暮れのアジアの自然災害(*2)への見舞いの言葉と、ウイーン・フィルからWHOを通じ被災地へ飲料水の寄付、恒例の「ラデツキー行進曲」をこの年は控える旨を表明した。
というように、この年は異例ずくめだったことがわかる。

(*2)2004年12月26日のスマトラ沖地震(津波発生 死者行方不明約22万7千余名)

NHKの司会は中川緑アナウンサー、ゲスト錦織健。1991-2年にウイーン留学中もTVでニューイヤー・コンサートを視聴したそうだ(指揮者はカルロス・クライバー)。

以下プログラムのメモを記す。

◎映像挿入
△バレエ映像

第2部
1. フランツ・フォン・スッペ : 喜歌劇「美しきガラテア」序曲

ここで楽団長のスピーチ

2.ヨハン・シュトラウス : クリップ・クラップ・ギャロップop.466
「クリップ・クラップ」は擬音語で「カタカタ」いう音のこと。
打楽器奏者がバチで拍子木のような木片を叩いて出していた。
3.ヨハン・シュトラウス : 北海の絵op.390
今年と唯一の同一曲。この曲を聴き較べてみると、ティーレマンが丁寧な曲造りをしているのに対して、マゼールはあっさり流してしまう演奏で、そう言っては何だが底の浅い感じだ。
ヨハン・シュトラウスが滞在したフェール島を地図で探してみた。デンマーク国境近くのシュレスウィヒ・ホルシュタイン地方の北海に浮かぶ北フリージア諸島の中心へ位置している。従ってウイーンからは可成り離れた処だ。
また今年は「北海の風景」とされていた。
4.ヨハン・シュトラウス : いなかのポルカ
「Bauern Polka」 ウイーン・フィルメンバー、歌いながら演奏。
5.ヨハン・シュトラウス :  ポルカ・マズルカ「蜃気楼」op.330△
6.ヨハン・シュトラウス :  ポルカ「観光列車」op.281 2016(ヤンソンス)
7.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : ポルカ「ウイーン風に」◎
2005年はヘルメスベルガー生誕150年だった。
映像はウイーン風アップルパイ(ウイーン名物?)を主婦が作る過程を流す。
8.ヨハン・シュトラウス : ロシア風マーチ・ファンタジー
9.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・マズルカ「心と魂」op.323△ 2010(プレートル)
バレエ映像:コーブルグ宮殿。
10.ヨハン、ヨーゼフ・シュトラウス : ピチカート・ポルカ
allピチカートの曲。マゼールの弾き振り。
11.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「ウイーンの森の物語」op.325◎
映像:ウイーン近郊の森
またしてもマゼールのヴァイオリン、今度は弓を使う。なかなかの美音。
2016(ヤンソンス)、2018(ムーティ) この作品も採用率が高い。
12.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ「電撃」
ここでマゼールに花束。

アンコール
1.ヨハン・シュトラウス:ポルカ「狩」 2010(プレートル)、2016(ヤンソンス)
2.ヨハン・シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314△
演奏の前にマゼールの長目のメッセージと新年の挨拶。
バレエ映像:ベルベデーレ宮殿

2019年1月12日 (土)

「ウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2019」

2019年の元旦の夕べにウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを視聴した喜びを噛みしめている。
今年は60代最後の年にあたり、この1年を無事過ごすことが出来て来年もまたニューイヤー・コンサートを聴くことができるよう祈念しつつ視聴した。

指揮はクリスティアン・ティーレマン。1959年生まれで今年60歳となるドイツ人。ティーレマンの指揮を見るのは今回のニューイヤー・コンサートが初めてである。ポランスキーの「戦場のピアニスト」で主人公シュピルマンの潜む廃墟へ食料を運ぶドイツ軍将校役の俳優を彷彿とさせる端正な顔立ち。
ウイーン・フィルとの共演は実に120回を数えるそうで、ティーレマンへ寄せる信頼は厚く、満を持してのニューイヤー・コンサート初登場のようだ。
楽団長のダニエル・フロシャウアーによると、昨夏1ヶ月をかけてティーレマンとプログラムを検討した由。ティーレマンには「マジック・モーメント」、マエストロ・カラヤンやクライバーのような至高の指揮を期待すると言っていた。

コンサートマスターはライナー・ホーネック、次席にはアルベナ・ダナイローヴァ、総勢70名の陣容。
ウイーン・フィルは年間30~40回の公演、年50~70回の海外ツアー、そしてウイーン国立歌劇場での演奏(オペラ)が年320回!!だという。コンサートマスターはたしか4人いて、オーケストラも2~3グループはあるのだろうが、相当過密なスケジュールだ。

今回初登場は2作品のようだが、ヨハン・シュトラウス2世だけでも作品数は500を超えているようで、正倉院展もそうだが当分の間初登場作品が出尽くす事はないだろう。

休憩時間に紹介していたが、王室礼拝堂の日曜日のミサへウイーン宮廷楽団という名称で演奏しているそうだ。これはウイーン・フィルのルーツと云えるもので、15世紀末に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)によって創設されたという。
楽友協会の資料館の映像に18世紀ギターが陳列されていた。サウンドホールは大きめ、14フレット以上の指板は斜めにカットされ高音部のみとなっている。製作者は誰か?(アントン・シュタウフェル?)
あと楽友協会音楽院(現ウイーン国立音楽大学)初の日本人留学生幸田延(こうだのぶ、1870-1946)を紹介していた。東京音楽学校教授として滝廉太郎、山田耕筰を指導したそうだ。

NHKは楽友協会前に特設スタジオを構えて、森田洋平アナ、ゲストに女優の中谷(なかたに)美紀、ウイーン・フィルメンバーのミハエル・ブラデラー(Cバス、事務局長)、へーデンボルグ和樹(第1Vn)、ダニエル・フロシャウアー(同、以上3名は今回のコンサートへ出演)そして元コンサートマスターのライナー・キュッヒル夫妻と大変に豪華な顔ぶれだった。
キュッヒルは16、17年にもゲスト出演していて常連みたいな存在だが、真知子夫人は恐らく初めての登場だと思う。夫人が日本人だということは有名で、私も以前から知っていたが、お顔を拝見したのは初めて。キュッヒルがドイツ語で話していたので夫人が通訳していたが、話しぶりからその内助の功の程が窺え、かつ大変な賢夫人である事がわかった。
へーデンボルグ和樹は2001年にウイーン・フィル入団後2002年の初のニューイヤー・コンサートでの小澤征爾との共演、ウイーン・フィル入団前の初仕事がティーレマンだった事を感慨深げに話していた。

来年の指揮者はアンドリス・ネルソンスという人。1978年ラトヴィア生まれの40才。ボストン響音楽監督、ライプツィヒ・ゲバントハウス管のカペルマイスターという要職に就いている由。
ドゥダメル世代が音楽界の中核を占めつつある事が伝わって来るようで、彼等からするとティーレマンはもう立派な巨匠ということなのだろう。

以下プログラムのメモを記す。
2019年はヨハン・シュトラウスの没後120年、日墺修好通商航海条約締結150年の年。不平等条約ではあったが、以来両国の国交が始まって節目の年を迎えたわけである。

○初登場
◎映像挿入
△バレエ映像

第1部
1. カール・ミヒャエル・ツィーラー : シェーンフェルト行進曲op.422○
シェーンフェルトはツィーラーが所属していた歩兵連隊の上官。
2.ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ「トランスアクツィオン」op.184◎
映像:ウイーンの日本庭園2箇所。19(ドゥブリンク)区にある「世田谷公園」。1992年に作られ、19区の姉妹都市である世田谷区に因んで命名された。それとシェーンブルン宮殿内のもの。
作曲者は「トランスアクツィオン」へ愛する2人の関係を描写する意図を込めたそうだが、日墺の150年に亘る文化交流(トランスアクツィオン)を記念する意味で選曲された由。
3.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : 妖精の踊り
ヨーゼフ・ヘルメスベルガーは、ウイーン・フィルのコンサートマスターを経て1900年から2年間指揮者を務めた人。過去にも度々作品が採り上げられている。
本作はDisneyアニメのBGMのようなファンタジックな曲だ。
4.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル「急行列車」op.311
5.ヨハン・シュトラウス : 北海の風景op.390
1878、9年夏を北海のフェール島に過ごし、その印象を曲にした。
短い序奏、後奏に挟まれ、典雅な旋律が繰り返される。今回最も魅せられた曲だ。
6.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ・シュネル「速達郵便で」op.259
ドイツ語のテロップでは「Galopp」とあった。ポルカ・シュネルとギャロップは別物だと思うが・・・邦訳にあたっての監修者の見識が他にも表われている箇所がある。5の「北海の「風景」」と9の「芸術家の「生活」」だ。それぞれ「Nord-see-bilder」、「Künstler-leben」で「北海の絵」、「芸術家の生涯」と訳されることもある。

第2部
7.ヨハン・シュトラウス: 喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
8.ヨーゼフ・シュトラウス : ポルカ・フランセーズ「踊り子」op.227○
ポルカはチェコ西部ボヘミア地方発祥の2拍子の民族舞踊が基になっている。
9.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「芸術家の生活」op.316△
バレエ映像:ウイーン国立歌劇場。5組のペア。豪華な歌劇場内各所で踊り、ラストは漆黒の奈落から上昇してステージから壮麗な観客席を見る趣向。ダンサー達は客席へ下りて振り返ると豪華な緞帳が下りてきて文字通り幕となった。
日本人ペアがいて、橋本清香(はしもときよか、ウイーン国立バレエ団第1ソリスト)、きもとまさゆの2名。橋本さんは昨年の休憩時間のゲストだったので、すぐ分かった。
2006年(ヤンソンス)の時も 「芸術家の生活」だった。
10.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル 「インドの舞姫」op.351
「インディゴと40人の盗賊」のメロディーをモチーフとしている。
11.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ・フランセーズ「オペラの夕べ」op.162
12.ヨハン・シュトラウス : 歌劇「騎士パスマン」から「エーファ・ワルツ」op.441
13.ヨハン・シュトラウス : 歌劇「騎士パスマン」から「チャールダッシュ」op.441△
Csárdás
バレエ映像:グラフェネック城。ウイーン北西60kmに位置して毎夏音楽祭が開催されている由。
14.ヨハン・シュトラウス : エジプト行進曲op.335
団員の歌声が入った。2014年(バレンボイム)
15.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : 幕間のワルツ
バレエの幕間用に作曲された。
16.ヨハン・シュトラウス : ポルカ「女性賛美」op.315
ドイツ語のテロップは「Polka mazur」。1867年のパリ万博で女性の聴衆に献げられた。
2006年(ヤンソンス)
17.ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ「天体の音楽」op.235◎
雪化粧の山林、山並みの映像。
2009(バレンボイム)、2013(ヴェルザーメスト)、2016(ヤンソンス)と採用率が高い。

アンコール
1.ヨハン・シュトラウス:突進ポルカop.348
本曲も「インディゴと40人の盗賊」のメロディーをモチーフとしている。フレンチカンカンをポルカ風に味付けしている。
2.ヨハン・シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314◎
例年の如く指揮者の主導でウイーン・フィルが
「新年あけましておめでとうございます」
とテロップが出るが、「Prosit  Neu-jahr!」と聞こえた。
「新年に乾杯!」といった感じか?
映像:ドナウ川ヴァッハウ渓谷へ点在する城の数々と優美なドナウの風景。
(参考)2015年ニューイヤー「美しく青きドナウ」を参照(→2015.1/12
3.ヨハン・シュトラウス(父):「ラデツキー行進曲」op.228

2018年12月31日 (月)

「ムンクとフェルメール展」

あっという間に大晦日が来てしまった。
2018年を無事過ごすことができたことに感謝すると共に、今年も思ったことの10分の1も出来なかった悔いの念を胸に新しい年を迎える。

旧聞もいいところになってしまったが、年の最後のブログとして以下を取り上げたい。

11月21日(水)に上野で開催されている表記の展覧会へ行って来た。共に年明け後しばらく迄の会期だが、年内に行こうと考えていて、旅行を終えてから調べてみたら、「ムンク展」がこの日「シルバーデー」で65才以上は無料入場できると知り、「フェルメール展」の方は20時まで開場しているので、2つをはしごすることにしたのだった。

「フェルメール展」は日時指定入場制を取っており、余裕を見て17:00~18:30の枠にした。入場料は\2,700と高めで、ネットの前売りで購入したので\200割引された。

都内の展覧会は2年半振りで、上野は3年半振りになる。その直近が森アーツセンターギャラリーでの「フェルメールとレンブラント」展だった。

先ず腹ごしらえをすることにして、文化会館2階の精養軒でハヤシライスを久し振りにいただく。

この日の人出はものすごかった。西洋美術館前の広い通路が往来する人波で埋まっていた。
都美術館のロビーもシルバー世代でごった返していた。
横4列に並ばされ、入場口まで30分位だったか、それほどのストレスを感じることもなく会場へ入ることが出来た。

「ムンク展」、副題は「-共鳴する魂の叫び」、英語で「A Retrospective」とある。
総数101点の中では油彩が主体で、リトグラフ等の版画を含む初期から晩年に至る回顧展示である。
私は「叫び」をこの目で見たくてこの「ムンク展」へ来た。

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ムンク作品を見て感じたのは、その色彩感覚の非凡さである。また「叫び」に象徴されるように、作品から醸し出される不安、焦燥、絶望へ対峙する実存主義的な自己といった切迫感に包まれる。

都美術館を17時頃出て、時間に余裕があったので公園内のレストラン「パークサイドカフェ」で食事をした。チキン、野菜付きジンジャーカレーとコーヒー。

まだ18時前だというのにすっかり夜の帳が下りていた。特に上野の森美術館への道は人通りもなく、寂しいことといったらない。
こちらは予想に反して待ち時間ゼロで会場へ入ることが出来た。

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2階から見ていくようになっていて、フェルメール・ルームは1階にある。
可成り広く、ここにフェルメールの作品が8点展示されていた。入り口から正面の長い壁に右から製作年代順に6点(「赤い帽子の娘」と「手紙を書く婦人と召使い」だけは何故か順番が逆)が、右側の壁に「マルタとマリアの家のキリスト」、左側の壁に「牛乳を注ぐ女」が掛けられていた。

フェルメールが8点も一堂に会するというのは相当に贅沢なことで、これはニューヨークのメトロポリタン美術館の5点、フリック・コレクションの3点を合わせた数で、ニューヨークへ行ったとしてもこの2館を渡り歩かなければならない。

「マルタとマリアの家のキリスト」の額下側に銅板があり、「Mr.M.A.COATSコレクションを引き継いだ2人の息子達により1927年に寄贈・・・」という趣旨の英文が刻まれていた。
単眼鏡を持参していたので読めた。絵を単眼鏡で覗くと細部の表現の見事さに絶句させられる。「ワイングラス」の窓のステンドグラスとそれを透かして見える曇りガラスの精密な描写。「牛乳を注ぐ女」の鉢へ注がれるミルクのらせん、壁のピン穴、床に接する壁のタイルの模様・・・単眼鏡で見ているとその精細さに驚かされた。

フェルメールと同時代の17世紀オランダの風俗画39点の展示の方も興味深いものだった。過去の展覧会で見た作品も散見されたが、その中で23エマニュエル・デ・ウイッテ「ゴシック様式のプロテスタントの教会」は森アーツセンターの「フェルメールとレンブラント」展でも見ていて、その際にブログでも触れた。(→2016.4/4

気が付いたら20時の閉館時間が近付いていた。人の山もなく理想的な鑑賞をすることが出来た。

今回の「フェルメール展」は以下の9作品(数字は出品番号、日本初公開=☆、今回初めて見た=★)。
40「マルタとマリアの家のキリスト」
41「取り持ち女」(☆、’19年1月からの展示)
42「牛乳を注ぐ女」
43「ワイングラス」(☆、★)
44「リュートを調弦する女」
45「真珠の首飾りの女」(★)
46「手紙を書く女」
47「赤い帽子の娘」(☆、★、12月20日まで)
49「手紙を書く婦人と召使い」
年明けに「赤い帽子の娘」と入れ替わる「取り持ち女」を私は見ていないが、今のところもう一度見に行こうとは思っていない。まだまだフェルメールオタクを自称するまでになっていない。(^^;

これで私が見たフェルメール作品は22となった。(*)
現存するフェルメール作品は37で、その内2点は真作か否か結論が出ていないようだ。また「合奏」は盗難に遭って行方不明だという。しかも作品は欧米の美術館に分散しているので、全作品を目にするのは大変にむつかしい。

(*)ブログ「フェルメールとレンブラント」展(’16.4/4、上のリンク参照)で18点としたが、これは19が正しい。その時見た「水差しを持つ女」を数えていなかった。(^^;

私が今見たいのは、
・「士官と笑う娘」(フリック・コレクション、ニューヨーク)
・「デルフト眺望」(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)
である。

NHK「100分で名著」12月のスピノザ「エチカ」テキスト口絵にフェルメールの「天文学者」の図版があって、「モデルがスピノザとの説がある」とあった。ちなみにスピノザとフェルメールは同い年で共に1632年生まれだ!
(了)

2018年12月30日 (日)

「ぱしふぃっく びいなす クルーズ」-3

(11月10日の続き)
午後4時頃停泊中の「ぱしふぃっくびいなす」号へ帰着。
キャビンで今夜のイベントを再確認後、サンドイッチバーへ。

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私はレモンティー。

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妻はアイスカフェオーレ。

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午後5時新宮港を出港した。
岸壁では地元主催による送迎イベントが催され、和太鼓の演奏等で盛大にもてなしてもらった。
デッキからテープを投げたが、風は強くなかったのに上手く飛んで行かなかった。

5時30分からは7階のメインラウンジでビンゴ大会。カードが通常の穴を開けていくタイプでなくてスライド式だった。妻共々ビンゴは強くなく、今回もリーチ止まりに終わった。
その後は「All That JAZZ!!」。セントトロペスバンドというピアノ、フルート(アルトサックス掛け持ち)、ベース、ドラムスと女性ヴォーカルのユニット。
Around the World(Disneyのテーマソング)、You’d be so Nice!位しか曲名を覚えていないが、いずれも馴染みのある曲をジャズ風に演奏していた。女性ヴォーカルは若いだけあってエネルギーがすごい。
メジャー契約クラスではないが、プロの演奏である。

船は外洋に出てから揺れ始めた。前後に大きくうねるように上下する揺れで、周期は長目。
そして夕食となった。ちょっと遅めに会場へ行ったので、テーブルはほぼ埋まっていた。
紀州の旬の食材をふんだんに用いた会席コースで、可もなく不可もないというのが正直なところだ。

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お通しと前菜

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お造り(紀州梅真鯛、海桜鮪)

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お吸い物(和歌山産太刀魚の素麺、紀州南高梅、舞茸、酢橘)

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熊野牛の山椒焼き、椎茸、銀杏、里芋添え。しらすと百合根のかき揚げ。

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栗ご飯、お吸い物、香の物。

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梅餅。

夕食はほぼ9時頃まで続いた。
9時15分からメインイベントというべき麻倉未稀のコンサートがあるので、忙しい。
「Voice of Power」と題しただけあってパワーはすごかった。ソロコンサートでBGMはカラオケ。トークが多めで、それも即興のようだったのでやや冗長な感じがした。
コンサート中も揺れがすごくて、麻倉未稀は途中から椅子へ座って歌っていた。デビューしたての頃の清新なイメージが強く記憶に残っているだけに、現在の彼女の歌唱は私の望む方向とは違っているように感じながら聴いた。

11月11日(日)第3日目
昨夜の揺れは就寝中もずっと続いていた。
一夜明けてみると船は相模灘を航行中で波は静かで揺れは全くない。
昨夜のような揺れは決して快適ではないものの、航海ならではの経験が出来たと思う。

キャビンの窓からご来光を迎えた。日の出前から空は明るく、6時29分頃から太陽が見えてきた。

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この写真は6時31分頃のもの。左に見えるのが三浦半島。太陽の下に微かに見えているのが房総半島。

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7時15分頃にアーリーモーニングティー。この時はコーヒーをいただく。フレンチトーストはgood!

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お茶の後にボートデッキへ。7時26分頃で浦賀水道あたりか?左の陸地は房総半島。

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陸地は横須賀の街並みか?

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8時15分朝食をいただく。

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フードバーから。ハッシュブラウンポテトはまずかった。

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8時40分頃食事中にベイ・ブリッジを通過した。

9時に横浜港大桟橋へ着岸、そしていよいよ下船である。
バスの待機場所までフィリピン人の女性スタッフが荷物を運んでくれた。レストランにしても、キャビン内清掃にしても、船内のベーシックな仕事はすべて外国人だった。
最近はTV、新聞でもニュースになるが、クルーズ船は正に日本社会の縮図のようだ。

途中東京湾アクアライン海ほたるのトイレタイムを経て、無事木更津へ帰着した。
(終わり)

2018年12月29日 (土)

「ぱしふぃっく びいなす クルーズ」-2

11月10日2日目
順調な航海で大きな揺れもなく盛り沢山な船内イヴェントもあって、疲労からぐっすり眠ることが出来た。
カーテンを開けると強烈な光がキャビンへ差し込んでくる。
7時過ぎにボートデッキへ行った。1周336mある。

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左舷側から後方(東)を見ている。夜が明けて間もない頃。波は静かだった。

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航跡が長く続いている。その延長に太陽の光がある

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右舷側。救命ボート。

下は定員25人の救命筏。膨張式のようだ。

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上は救命筏用シューター。

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船首。陸地(紀伊半島)が見えている。

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7階へ下りてアーリーモーニングティーをいただく。このティーサービスのスタッフの女性はすべてヨーロッパ系で、ウクライナ、クロアチア、モンテネグロ出身だそうだ。

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朝食。洋食主体のフードバーもあったが、あまり食欲もなく見合わせた。
正直言ってあまりグレードは高くない。

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フードバーからフルーツとコーヒーだけいただいた。

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予定通り9時に新宮港へ到着した。

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海水がエメラルドグリーン。

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タグボート。

シアターでは9時から「キミサラズ」(2015年)の上映が始まっていた。木更津を舞台に木更津市出身者が中心となって製作された映画と言うことなので見た。独立プロ系の作品だが、観客の共感を得る普遍性を持つ処までは至っていないように感じた。この映画の存在を知ることが出来たのはよかった。
昨夜もそうだったが観客は我々以外に数組だった。

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11時頃モーニングティーへ行く。アイスティーを飲む。

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11時45分メインダイニングで昼食。

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ポークカツカレー

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マンゴープリン

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コーヒー

午後はオプショナルツアー。我々が参加したのは「熊野古道・大門坂と那智の滝」。参加者は30名くらいだったか、大型バス1台でベテランのガイドさんが付いた。

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大門坂。

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ヘアピンカーブの路肩へバスを停車させて一部を歩いた。

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杉並木の間に石段が熊野那智大社まで延々と続く。

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那智の滝入り口。
熊野那智大社の別宮となっていて「飛瀧神社」という。由緒書きに神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)により、大瀧を大穴牟遅神(おおなむちのかみ、大国主命)のご神体として祀ったとある。
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滝見台へ続く石段。

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那智の滝。落差133m、水量毎秒約1トン。約40年振りだ。形が美しく、再た見たいと思い続けてきただけに感無量だった。

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以上で予定箇所は終わりだが、時間が余ってしまったので勝浦港へ行った。

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リアス式の複雑な地形を持った天然の良港。正面遠方はホテル浦島。

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手前の漁船は高知県土佐市から来ている。正面は勝浦湾を囲む半島と島。
漁港周辺には観光客向けの商業施設や足湯もある。

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勝浦の商店街。遠方に見えるのは那智山。
(続く)

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