2019年9月 9日 (月)

台風15号

台風15号が首都圏を通過した。
昨夜から未明にかけて強い風雨。強度は最近頻繁に襲うごく短時間のゲリラ豪雨と同程度だが継続時間が長かったことに加えて、現在からさかのぼって記憶する限りなかった停電が発生した。
私が子供の頃は電力事情も良くなく、台風が来ると停電はよくあったが、最近は瞬停ですら珍しい位電力供給の安定度は優良だっただけに短時間だったとはいえ、停電はちょっとした事件といえる。

自宅はそれで済んだのだが、一夜明けて台風一過私の地元は大変なことになっていた。木更津市は瞬間最大風速49mという観測史上最高を記録したそうで、道路の交差点の信号機のランプが消えていて車は譲り合いながら横断している。これも停電のためで、広域的な停電が昨夜来続いている地域のコンビニ、スーパー、レストラン・・・は軒並み休業という事態になっていた。

結局終日停電は続いて、この日のゴミ収集も行われず市の放送で当面各戸保存するようにとの通知は説明がないのでわからないが、停電が原因で余程の支障が出ているのだろう。

夕方のNHKニュースによると、東京電力は記者会見で広域停電は君津市の高さ50mの送電鉄塔2本が倒れたことが原因で、10万戸が停電中で、9日中に5万戸、翌10日に残る5万戸の復旧を図るべく計画中だと説明していた。

2019年6月29日 (土)

炭焼きステーキ「照葉樹」

6月28日(金)木更津のステーキレストラン「照葉樹(しょうようじゅ)」で夕食を摂った。
今回初めて利用した。感想はと言うと、素晴らしいの一言である。
素材、調理法全般の細かいところまでこだわり、出された料理の一品々々がしっかりした味なのは勿論、見た目にも風格を感じた。
我々がいただいたのは3コースの内、Aコース(セミフルコース)。

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先ずはオードブル2品。燻蒸を施した鮭(皮付き)。海老のアボカド和え。
鮭自体が上質なのと、燻蒸の香りが口の中に漂い形容が難しい味わい。

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スープ(ガスパチョ)。コース外だが、シェフの勧めによりいただくことにした。
トマトベースの冷製スープ。トウモロコシ、ズッキーニ、赤、黄パプリカ、松の実。表面にオリーブオイルをふりかけ。

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パン2種。

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サラダ(自家製ポテト(赤カブ、胡瓜、人参)、地元かずさ(富津)産野菜(サラダ菜、紫玉葱etc.)

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メインのステーキ。宮崎牛で「イチボ(Hボーン)」という部位だそうだ。人参、じゃが芋、ブロッコリー添え。
備長炭で表面を焼き、遠赤外線で内部を加熱する調理法だそうで、焼き具合は「ミディアムレア」だそうだ。塩胡椒のみを使用している由。

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ステーキ用に出された調味料3種(左からサワークリーム、醤油、マスタード)。
ステーキだけで十分美味しいが、それぞれも新たな味わいを楽しむことができた。

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コーヒー、紅茶またはアイスクリームをチョイス。我々は共にコーヒーをいただいた。
(終わり)

2019年6月14日 (金)

横浜ホテルニューグランド

6月1日(土)神奈川県立近代文学館の帰途、山下公園通り沿いのホテルニューグランドで夕食を摂った。
このホテルは創業が昭和2年だそうで、まだ100年には満たないが堂々たる老舗ホテルなのは自他共に認めるところ。戦後GHQに接収された苦難の時代を乗り越え、2代目総料理長だった入江茂忠が考案したスパゲティー・ナポリタンやプリン・ア・ラ・モードなどニューグランド発祥メニューが「ザ・カフェ」でいただけるというので行ってみた。

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18時近い頃ホテルニューグランドへたどり着いた。赤の出窓屋根が並ぶ箇所が「ザ・カフェ」。この建物は本館で、コーナー部上方の装飾部分には「AD1927」と創業年が入っている。

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本館エントランス。回転ドアになっている。
歩道上の屋根には、「祝 横浜開港160周年」とあり、1859(安政6)年の開港以来、節目の年であることが分かる。

ロビーは手狭だが歴史を感じさせる風格がある。順番待ちの人が何組か座っていた。
丁度今日から「初夏のフェア」がスタートしていて、簡易なコースで手頃な価格だったのでその肉料理コースをいただくことにした。

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幸い窓際の席へ就くことができた。

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コールドチキンコンソメスープ。さっぱりした中にしっかりした手応えを感じさせる。
これが出て来たのは18時20分頃。

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私はパンをチョイス。ほぼ同時に出て来た。バゲット。とても美味しくお替わりをした。

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イベリコ豚のソテー、しょうがの香るプチトマトのソース。添え物は、万願寺唐辛子、オクラ、新じゃがとクレソン。万願寺唐辛子は京野菜、旬を迎えた希少な食材はうれしい。

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妻はライス。もちもちした食感で美味しかったそうだ。

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デザート。ほうじ茶と黒糖のケーキとほうじ茶味のアイス。
盛り付けも洗練されており、大変美味だったそうだ。

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私はプリン・ア・ラ・モードをチョイス。ホテルニューグランドの発祥メニューなので。
GHQ接収時代の産物のようで、ヴォリュームたっぷり、との触れ込みだったが左程でもなかった。
カスタード・プリンとヴァニラ・アイスとフルーツ(オレンジ、キウイ、桜桃、飾り林檎(ウサギを模している)、ナツメ)

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コーヒー

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妻は紅茶。19時7分頃。
(終わり)

2019年6月13日 (木)

江藤淳展・記念講演(上野千鶴子)

6月1日(土)神奈川県立近代文学館の企画展「没後20年 江藤淳展」の上野千鶴子記念講演「戦後批評の正嫡 江藤淳」を聴いた。

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講演チラシ

4月26日の「松本清張展」以来だから1ヶ月強ぶりでの再訪である。

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上:案内看板、下:文学館入り口

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上野千鶴子の講演は、妻も是非聴きたいとの希望で、たしか4月末にローソンチケットでGETしたのだったが、それから1週間くらいで売り切れとなる人気振りだった。
会場は2Fホールでほぼ満席に近い盛況、定員220人とのことなので200人前後が入ったわけだ。若い人はほとんど見かけず中高年が大多数だった。男女比は分からないが、大きく偏ってはいなかったように思う。

上野千鶴子の「セクシイ・ギャルの大研究」と栗本慎一郎の「パンツをはいたサル」は私が30代半ばの当時、セットで評判となった記憶があり、その後も「スカートの下の劇場」という本を題名に釣られて買ったりしている。
その後「おひとりさまの老後」を出して、これは今回をきっかけに「上野千鶴子が文学を社会学する」と共に地元図書館から借りてきて現在読書中である。

朝日新聞土曜版の人生相談「悩みのるつぼ」の回答は、上野千鶴子と姜尚中のものを欠かさず読んでいる。上野はお茶目な中にも相談者を鋭く分析、回答は決して妥協することがなく、かつユニークなのが魅力的で、一方の姜氏は相談に真っ向から向き合い、野球で云えば変化球なしの直球勝負というタイプで、その武骨で実直なところが彼の人間的魅力で、上野とは対照的。

これまで上野へは好感は抱いていたものの、軽めの息抜き的存在だったが、この講演で少し見直したというか上野への認識が変わった。これまでは上野を文学に括ることは思いも寄らず、まして江藤淳と上野が結び付くとは想像外だった。

上野も江藤淳との関わりから話を始めた。やや低めだが明瞭な発声、早口ではないが淀みなく話を進める。70代でなお頭脳明晰だ。
江藤の「成熟と喪失」(1967)での小島信夫「抱擁家族」(1965)への批評に啓発されて書かれた、上野の共著「男流文学論」での江藤評が契機となって「成熟と喪失」文庫版解説を江藤直々の指名で執筆(1993)、1995年には「群像」誌上対談もしていて、この対談は後述するムック本で読み、二人はお互いに好感を抱き、意気投合していることがよく分かった。

この日のレジュメは大変に手間が掛かっていて、資料としても貴重なものだ。漱石関係以外は、「小林秀雄」、荷風に関するエッセイ「紅茶のあとさき」、あとは「一族再会」を読んだ程度で、江藤の全貌を知るには足りない部分がどこか、レジュメでよく分かった。

もう一つ、演題の中の「正嫡」という用語について。
「正嫡」を目にした当初の何とも言えない異和感、言葉自体が死語のようで、旧制度(家父長制)を象徴するような、封建的なニュアンスがあり、上野千鶴子らしからぬ用語である。
それは措いて、江藤を戦後批評の「正嫡」と位置付けることが妥当なのか否かも私にはまだ理解できていない。
レジュメにも記されている「正嫡」の系譜、「夏目漱石→小林秀雄→江藤淳」がどうもしっくり受け止められない。

とはいえ私は、この3人へは取り分け親しんで来だのも事実である。漱石は勿論、小林の新潮文庫で出ているものはほとんど読んだし、江藤は上に記したとおりで、殊に「漱石とその時代」は単行本化の際にリアルタイムで読んで来たし、また「小林秀雄」も小林理解の手引き的に読んだ。

上野はほぼ定刻に喋り終えてから、おもむろに腕時計を見て、「1時間31分!時間通りだわ!」と快哉を叫んだ。無駄なく語り終えた自分に心から満足しているようで、その飾りのなさに大変好感を持った。

それから展示を見たので、時間不足でじっくり見ることができなかった。
講演受講者の大半は展示を見ずに帰ってしまったのかも知れない。全員がなだれ込んでくれば展示室は収拾が付かなくなっていただろうから。

「江藤淳展」は第2展示室のみだったが、展示は充実していた。
面白いと思ったのは多いが、メモを元に点描的に記してみる。
(1) 日比谷高校時代の活発な校内活動を跡付ける、2年次の校内演奏会で自作を指揮(「小交響曲」第2楽章「葬送」。これには驚き!!)。
(2) 慶応大時代の講義ノート(井筒俊彦「言語学概論」)、卒論草稿(「故ローレンス・スターン師の生活と意見」1956)。
(3) 在学中著わした「夏目漱石」の草稿と「三田文学」の掲載号(*)、同単行本初版(1956年11月、東京ライフ社)

(*)「夏目漱石」上 1955(昭和30)年11月号
   「続夏目漱石」上 1956年7月号
   「続夏目漱石」下 1956年8月号

(4)「小林秀雄」執筆に際し、大岡昇平は小林の未発表手稿を江藤へ提供するなど惜しみない支援をした―後年朝日紙上で漱石関係の論戦を交わした二人だが、そういうこともあったかというエピソードである。
(5)プリンストン大学で2年半の研究生活(1962~64年秋)後に体験をベースに綴った「アメリカと私」の初出連載(朝日ジャーナル1964.9/6~11/8)
(6)吉田秀和の江藤宛書簡(1965.3/5付け)文芸時評で加藤周一の小説を批判したことへ長文の書簡で抗議―吉田に「長文」を書かしめたのが、どういう経緯だったか興味深い。
(7)武満徹と隣合わせに座っているパネル写真があった。

第3展示室は常設展「文学の森へ 神奈川と作家達」第2部芥川龍之介から中島敦まで」だったが、時間切れで流し見になってしまった。荷風、谷崎、川端、横光、西脇順三郎、中也、小林秀雄、堀辰雄と盛り沢山。西脇を見たかった。

展示室を出ると販売コーナー。
上野千鶴子が講演中盛んにPRしていた平山周吉「江藤淳は甦る」の見本を手にする。700頁を越える大部でいずれ読むことになるかも知れない。
ここではムック本「江藤淳」(河出書房新社)GET。

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ムック本の表紙

サブタイトルは「終わる平成から昭和の保守を問う」ではあるが、発行は令和に入った2019年5月30日。監修が平山と中島岳志なのも注目点。くだんの「江藤×上野対談」も入っていて(後段がカットされている)、監修の二人の巻頭対談は示唆に富んでおり、特に最後で平山が江藤のプランは漱石の次の仕事を谷崎潤一郎と決めていたと言っているのにはびっくり!!
このムック本も現在読書中。

2019年6月 4日 (火)

箱根・富士宮(その6・富士宮の世界遺産を巡る)

白糸の滝は休暇村富士から約10kmに位置している。近傍に音止めの滝があり、ともに国指定の名勝および天然記念物に指定されているが、世界遺産富士山の構成資産に入っているのは白糸の滝の方である。
白糸の滝は富士山の伏流水が水源なのに対し、音止めの滝は芝川の本流であることによる。( 2018年6月7日

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滝は150mの範囲に分散していて私のカメラでは1枚に収めきれない。

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落差20mに及ぶ滝がこれだけの幅に連なっているのは壮観である。

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河原へ下りて主瀑に近付いて撮影。水しぶきが飛んできた。
水の勢いは昨年よりあった。

11時17分白糸の滝を出発、次の構成資産の富士山本宮浅間大社を目指した。
往路のR139で富士宮市街を目指すつもりだったが、R414の上井出交差点でうっかりR72へ曲がり損ねてしまい、R414を走り続けることとなった。が、結果的にこれは正解だった。
間もなく富士宮市街へ入り、R76との交差点に「浅間大社」の案内標識を認め左折、しばらくして浅間大社駐車場の標識を左折直進し無事浅間大社に到着。意外に早く、所要時間は30分弱だった。

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楼門。扁額に「冨士山本宮」とあり、裳階下に新天皇即位を奉祝する提灯、入り口の左右に「令和」改元を奉祝する幟が設置されていた。

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拝殿。その屋根のほぼ真ん中上方に見える屋根が本殿。
拝殿左側の社務所で御守りを求めた。

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境内にある特別天然記念物「湧玉池(わくたまいけ)」。ここも富士山の伏流水が湧き出ているそうで、コンスタントに毎秒3.6m3とのこと。可成りの水量だ。

ここの主祭神は「木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)」(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))の由。

箱根神社も同じだった。改めて箱根神社のホームページで確認したら、御祭神は「箱根大神(はこねのおおかみ)」で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の3神を総称して「箱根大神」という由。「このはなのさくやひめ」の用字、読みが異なっている。

浅間大社は約30分滞在し、続いて「静岡県富士山世界遺産センター」へ行った。

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「富士山世界遺産センター」の外観。富士ヒノキの木格子の逆円錐形が目を惹く。

平成29年末のオープンだから真新しさを感じた。山梨県富士吉田市には「ふじさんミュージアム」があり、こちらは沿革をたどると昭和50年代へさかのぼるようだが、平成27年にリニューアルオープンしたようなので、ほぼ期を一にしている。

「富士山世界遺産センター」は、らせんのスロープを壁に映し出される映像を見ながら上ることで、富士登山を疑似体験しつつ、各所の展示スペースで富士山の自然、歴史、文化、特に富士信仰について学べるようになっている。

富士信仰の展示から富士本宮浅間大社の祭神に関して、メモを元に整理してみた。
江戸期までは神仏習合思想によって神社は仏教思想と融合し、富士信仰においても富士山は大日如来(仏教)が浅間大菩薩=浅間大神(あさまのおおかみ)として現われた、と考えられていた。
また富士信仰(伝説)には、かぐや姫が富士山へ登り、浅間大菩薩となったという、この地域ならではのユニークな話もある。
よって、木花之佐久夜毘売命は浅間大神であり、その本地は大日如来ということになるわけだ。

ちなみに「コノハナノサクヤビメ」は「古事記」(*)上巻の末尾に登場する神話の神。
箱根の大神の他の構成神、瓊瓊杵尊は「コノハナノサクヤビメ」の夫で、天照大神の孫であり、彦火火出見尊は「コノハナノサクヤビメ」の子で「山佐知毘古(ヤマサチビコ)」となる神。

(*)「日本文学全集01」(池澤夏樹訳、河出書房新社、2014年12月2刷)

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5F展示ホールからの富士。

2Fの映像シアターの映像を見たり、ここは3時間以上滞在した。

受付でスタッフの女性にR76からR139へ入る道順を教えてもらい、帰途に就いた。
15時55分「富士山世界遺産センター」を出発。
17時26分海老名SA着。休憩及び軽く食事とお土産のGET。(~19時)
程なく横浜町田ICに到着したはよいが、ここで大ちょんぼをしてしまう。
何と、反対方向の八王子方面に入ってしまった!しばらく道なりに走行していたが、間もなく大和市街へ入る分岐点があって、ここで下りると上手い具合に横浜方面への進入路があった。この間約15分。(^^;
それ以降は順調で保土ヶ谷バイパスを横浜方面へひた走り、19時40分狩場IC、同47分湾岸線に乗り、59分アクアラインへ入った。20時10分アクアライン金田出口へ到達。
20時28分無事自宅へ帰還した。
(終わり)

2019年6月 3日 (月)

箱根・富士宮(その5・休暇村富士)

休暇村富士に18時前にチェックイン。部屋は昨年と同じ最上階の5Fの洋室。
全室田貫湖越しの富士山ビューになっている。昨年はあいにく見ることが叶わなかったが、今回はここでも富士を堪能することができた。

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部屋から見た富士。

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湖畔の展望デッキからの富士。湖面に綺麗な逆さ富士が映っている。
頂上右から垂直に立ち上っているのは飛行機雲か?3月に六本木ヒルズの森アーツセンターの「新・北斎展」で見た北斎晩年の傑作「富士越竜図」を連想した。今この作品を改めて見てみると頂上の形からして静岡側から見たもののようである。

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これも展望デッキからズームアップしたショット。大沢崩れがより鮮明に分かる。昨年受講した自然塾で知ったが日々崩落しており、日量300tに上るそうだ。
それにしても富士は位置により様々な表情を見せてくれることを改めて感じた。
休暇村富士は間近に富士と合い対すことが出来、また障害物がないので裾野の末端まで目にでき、それがとても長いのが分かる。

18時30分頃で日はまだ高かったが、気温は冷え込んできていて半袖の肌へ寒さが応えつつあった。
夕食は19時過ぎに2Fレストランでいただいた。和洋のバイキングだったが、和食のみいただく。
刺身(鮪、甘海老)、牛サイコロステーキ、天ぷら(海老、タラの芽)、竹の子ご飯、鰯つみれ汁etc.を美味しくいただいた。
部屋へ戻り、しばらく休憩の後4F大浴場へ。22時を過ぎていて外は真っ暗だ。温泉で「富士山恵みの湯」という。

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翌11日5時10分頃。前日より雲が多い。日の出の時刻は過ぎているが、太陽は頂上付近に隠れている。

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同じく6時30分頃。太陽は富士の上にあるだろうことが湖面の映り込み具合で分かる。
朝の大浴場へ。窓越しに富士が見えている。太陽がまだ低く、視界に入ってしまうので頭の上にタオルをのせサンバイザー代わりにした。お湯が快い。
朝食はやや遅めの8時過ぎに2Fレストランでいただいた。窓際のテーブルで日射しが強くカーテンが下りていたが、日も高くなってきてスタッフにお願いして少し上げてもらい、富士を見ながら食事をするという贅沢が出来た。

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バイキングで始め和食をいただき、上はそれからの洋食メニュー。パンが美味しかった。種類が多かったが、胚芽パン、クロワッサン、白パンをいただく。殻付きの卵は朝霧高原の地鶏の温泉卵。

10時過ぎに休暇村冨士を出発した。
昨日のR414をさかのぼり、白糸の滝を目指す。
(続く)

2019年5月30日 (木)

箱根・富士宮(その4・ラリック美術館)

5月10日12時に山のホテルを出発し、芦ノ湖沿いにR75を仙石原まで走り、ラリック美術館へ。
ラリック美術館は2度目で、前回(11年前)は「Le Train(ル・トラン)」を見たため、展示室をじっくり見る事が出来なくなってしまい、是非もう一度見たいと思っていた。

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入館チケット。左:ペンダント/ブローチ「冬景色」、右:ベッドサイドランプ「日本の林檎の木」

ルネ・ラリック(1860~1945)はフランスの工芸家で、前半生はアール・ヌーヴォー様式の金細工、宝飾デザインの製作、20C以降後半生はガラス工芸を手がけた。

展示はラリックの生涯を概ね反映するもので、19C末のアール・ヌーヴォー様式の七宝技術(エマイユ、プリカジュールetc.)に基づく宝飾品、20Cアール・デコ様式のガラス工芸、コティの香水瓶とか花器、テーブルウェアデザイン、また室内装飾(シャンデリアなど)、「ル・トラン」の内装等幅広く手掛けたことが紹介されている。自動車のフロントのガラス製のマスコットも多数製作しており、美術館とレストランを連絡する通路の一角にラリックのマスコットを付けたクラシックカーが置かれていて、この美術館のトレードマークになっている。(トレードマークは、「ル・トラン」か)(^^;

またジャポニスムにも無縁ではなく、「蝶の女(Butterfly Woman)」(*)(ブロンズ、1899-1900)がたしか「ジャポニスムとその時代」コーナーのメイン展示だった。
「蝶の女」とジャポニスムとの関係性を理解しているわけでなく、この記述はひょっとすると誤りかも知れない。

(*)ラリック美術館のホームページによると、1900年のパリ万博のラリックブースのショーケースの装飾柵に使用されたものだという。

昨年ポーラ美術館で見たエミール・ガレより世代的には若く、ラリックがガラス工芸を手掛けるに至った頃にはガレは世を去っている。ので、二人の接触はどうだったのか?

今回は「サラ・ベルナールの世界展」が2F企画展示室で開催中だった。サラ・ベルナールの名はプルーストの「失われた時を求めて」でも再三出て来るので記憶しているが、サラはラリック作品を愛好していたようだ。
ラリック美術館の1Fには「サラ・ベルナールの部屋」がある。

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「サラ・ベルナールの部屋」から見える池。モネのジヴェルニーの邸宅の池を連想させる。

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同上。

鑑賞後にレストランで遅い昼食を摂った。

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テーブルから庭を見る。

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ランチ。上左から牛バラ肉のブランケット、バターライス、下同メカジキのグリル、ラタトゥイユそれに別プレートの前菜、パンが付いた。

16時にラリック美術館を出発、箱根に別れを告げ休暇村冨士を目指した。
R138~R401経由で御殿場インターから東名へ乗る。程なく御殿場JCから新東名へ入り、駿河湾沼津SAで小憩後、新富士IC~R139上井出IC~R72~R414を経て17時48分田貫湖着。
渋滞もなく快適なドライブだった。この間富士は常に顔を見せていた。
(続く)

2019年5月28日 (火)

箱根・富士宮(その3・山のホテルの食事)

例年似た様なことを記すことになってしまうのは仕方がないが、恵まれた自然の中で非日常の贅沢を味わう幸せに感謝しつつ、今回の山のホテルのホテルライフを書き留めておきたい。

山のホテルの魅力を高めている要素の一つに大浴場「つつじの湯」がある。温泉で広い浴槽が内と外にあって、湯に浸かっていると虚心になってくる。特に朝の露天風呂で外気を感じながら入っている時の解放感がよい。
今回は夕食後(22時40分~)、朝食後(10時30分~)の2回利用した。
これも毎回の事ながら、ここでしか手に入らないものをショップで購入するのも楽しみの一つである。山のホテルブランドのコーヒー2種の内スペシャルブレンド、マンゴーアップルジャム、フレーバー・ティー(緑茶)のお試しセットをGET。今回は外に妻の方がお土産も含め雑多な買い物をした。(クグロフ、クリスピー・チョコ、レトルトのカレーとビーフシチュー、バターカステラ、ふき味噌など)

そして食事である。
今回も順番が逆になるがテラスでの朝食から記す。

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コーヒー。随時お替わり可能。

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フルーツは苺。2個だったが、この時1個はすでに胃の中(^^;
たしか甘いジュレ状のものがコーティングされていた。

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プレーンオムレツ。粗挽きのポークウインナ。フレッシュジュースはパインアップル。

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妻のチョイス、味噌漬けベーコン添え。

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クロワッサン。妻共々お替わりをした(^^)
外にミルクパンが出た。

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左の小皿はバター。トレーの3つのカップは左からカシス、ニューサマーオレンジ(伊豆の特産)のジャム、ケチャップ。

そして前夜のディナー。「Vert Bois(緑の森)」のフランス料理を今年もいただく。
19時15分からで、昨年は一番奥の窓際のテーブルだったが、今回はその一つ手前の席だった。

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一口オードブル(芦ノ湖のワカサギのフリッター、レモン添え。人参のムース、クルミのロースト乗せ)

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前菜(鯛のマリネと春野菜キャラウェイ風味)
鯛は軽く火を通して、アワビとキャビアが添えられている。野菜の方はベースのゆでキャベツにハマグリ、アスパラガス、ミニトマトなどが乗せられている。キャラウェイは香辛料。

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パンが供される。これは胡桃入りパン。

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前菜2品目(コンソメのエミュルション、レンズ豆と山菜を添えて)
エミュルションとは何かスタッフに聞いたところ、「乳化」のことであるとの答え。写真を見るとコンソメというよりポタージュのようで、泡立ちも見られる。山菜はタラの芽で、フリットされている。フォアグラが入っており、塩味が強めだった。

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パン第2弾。全粒粉パンとバゲット。
パンが美味しくて、3種類すべてをお替わりした。

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オマール海老のスープ。焼きポロ葱と天使の海老添え。

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魚料理(スズキのソテー、アオヤギ、ズワイガニ)。
スズキは明日葉の上に盛り付け。右端は紫玉葱のソース。ラタトゥイユ添え。これも塩味が強め。

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肉料理は3択。私はサーロインのグリル、ピノ・ノワール風味のマスタード添え(皿の右端の黒っぽいピース)。
ボリュームもそこそこあって、食べ応えを感じた。

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妻は仔牛ロースと茸のフリカッセ、雑穀米ともち米ヘンプシードのピラフ添え。
写真で分かるが、添え物のピラフが抜けていて、妻の申し出により大分時間が経過してから後付けで供された。理解に苦しむミスである。

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デザートは4択。私は、タルト・フロマージュ、日向夏のソルベとフルーツ(ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、オレンジ、パイナップル)、マカロンなど
現在の料理長の盛り付けの「幾何学的センス?」が良く出ている。

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妻の方。お花畑に見立てたフレッシュフルーツと杏仁のブラン・マンジェ。
フルーツ(ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、オレンジ、パイナップル、甘夏、キュウイ)と日向夏のソルベ。そして真ん中のブラン・マンジェ。フランス語で「blanc manger=白い食べ物」という意味。

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食後のコーヒー。

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妻はハーブティー。蜂蜜付き。

いつもながら大変食べ応えのあるメニューだった。
食事を終えたのは21時40分頃。我々が最後のようだった。
(続く)

2019年5月24日 (金)

箱根・富士宮(その2・山のホテルの庭園)

5月9日(木)17時30分山のホテルへチェックイン。昨年と同じ315号室だった。
しばらく部屋で気息を整えてから18時頃庭園へ行った。暮色が広がりつつあったが、まだ明るい。空気の方は大分ひんやりしていた。今回はそれに加えて翌日朝と朝食後と、都合3回庭園を散策した。

この時期の箱根へ来るそもそもは山のホテルの庭園の見事なつつじに魅せられているから。園芸作物とはいえ、その年々の気候が影響して見頃の予測が難しい。通常は5月中旬頃らしいが、昨年は既に見頃を終えていたので、今回は早めの時期としてみたが案に相違して5分咲きだった。

翌朝は大快晴。一点の雲もない。部屋のカーテンを開け、外界を目にした時の驚きと喜びは何物にも代えがたい。

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6時45分頃部屋から見た富士。
地元から見る富士は「優美」という表現がぴったりだが、箱根の富士は「勇壮」でかつ清潔感がある。

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7時50分頃庭園から見た富士。この写真をズームアップしても徴候らしいものが辛うじて認められる(ような気がする)が、右側の山際の冠雪の末端部分に定間隔で構造物らしきものが見えていた。形状が人工的で規則的に一定区間に並んでいた。一体あれは何だったのか?

さて、山のホテルの庭園の先ずはつつじ園から。

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昨年もこのアングルからのショットをブログへ載せた。較べると今年の方が花は鮮やかである。

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これは9日だが、株によって頃合いが違うのがよく分かる。

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10日8時頃、同様に開花時期の違いがわかる。

昨年講演を聴いたツツジ・シャクナゲの研究者の倉重祐二氏の監修によると思われる銘板が今年初めて各所に見られたので、目に付いたものを以下に示す。

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「八重げら」(江戸キリシマ)希少種。
山のホテルの庭園で最大の株。昨年はこの穂木の苗木を講演受講記念にもらって、すでに満開となって楽しませてくれたが、親の株の方は上のとおりこの時点で3分~5分位だった。いただいた方の花の色合いはもう少し薄い朱色という感じである。

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「キリシマツツジ’ムラサキミノ‘」これは古い方の銘板。

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「小紫」(オオヤマツツジ系)希少種。
見るとおり蕾で、これから開花という状態。

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「紫琉球」(リュウキュウ系)希少種。
ほとんど白だが、銘板によれば薄紫色で斑点(ブロッチと云うそうだ)が濃い紫。

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「飛鳥川」(オオヤマツツジ系)希少種。
というように、上に見たつつじはほとんどが希少種。

次にシャクナゲ園。
シャクナゲ園入り口にある案内看板によれば、シャクナゲ園には250株の内洋種、日本種が各100株、北米種のカルミアが50株で、5月上旬に見頃となるのは「ヒカゲツツジ」で日本種へ分類されている。
シャクナゲ園は山の北面の鬱蒼とした日陰部分にある。

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上は急斜面を回遊する石畳。

倉重祐二氏の監修によると思われる銘板がシャクナゲ園へも設置されていた。

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「キョウマルシャクナゲ」
日本種で、見頃だったことになる。希少種で、環境省の絶滅危惧種に指定されている由。

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「フォーチュネイ」中国原産で、洋種に分類される。洋種の見頃は5月下旬~6月上旬だそうだが、優美な見事な花を咲かせていた。

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「ノバ・ゼンブラ」洋種の希少種。

その他「マイケル・ウォータラー」、「ステラ・ウォータラー」の銘板があった。共に洋種の希少種だ。開花は見られなかった。
(続く)

2019年5月20日 (月)

箱根・富士宮(その1・彫刻の森美術館)

5月9日(木)~11日(土)の3日間箱根・富士宮方面へドライブ旅行して来た。
この時期の箱根へは2014年以来毎年で6年連続となる。一方富士宮は昨年に続いて2回目である。
走行距離は3日で405km。天候に恵まれ、渋滞もなく快適なドライブを楽しむことが出来た。
加えて今年は、かつてなかったほど富士山を堪能した。
出発してまずアクアラインの橋で富士山を見た。記憶をたどる限りアクアラインで富士を見るのは今回が初めてだ。東名から小田原厚木道路に入ってからも、伊勢原、平塚、そして小田原市へ入り弁天山トンネルを抜けてからと、各所で富士を見たことも今回初めてである。

国道1号に乗って、いよいよ箱根に入った。みずみずしい新緑が目に快い。湯本、塔ノ沢、大平台、宮ノ下と登って、小涌谷から強羅方面へ分岐(R723)し、目指す「彫刻の森美術館」へ到着した。

7万㎡の広大な敷地内に約120点の屋外彫刻が配置され、庭園の緑を賞でつつ鑑賞するという、他所では経験できないユニークで贅沢な美術館で、やはり新緑と相まって心身が癒やされるのを感じた。

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「ネットの森」エリアにあるオシップ・ザッキン作「山野を歩くヴァン・ゴッホ」。

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佐藤忠良作 「カンカン帽」
カフェの2F「緑陰ギャラリー」に展示されていた佐藤忠良「カンカン帽」((‘1975)。
此のギャラリーの展示は撮影可。ポーラ美術館のエントランスにあったブロンズに酷似している。

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「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」内部のステンドグラス。高さ18m、内径8mの巨大な構造物だが、フランスのガブリエル・ロアールの作品。4月2日付け朝日新聞のここのステンドグラスの記事を見て、妻が希望したのが今回彫刻の森美術館へ来た動機だ。

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そのらせん階段を上り詰めて塔の屋上からの眺望がこれ。遠く本館とその背後に箱根外輪山が見える。

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緑陰広場の猪熊玄一郎「音の世界」。芝生にうつ伏せの人の彫像は「密着」(1993)。イギリスのアントニー・ゴームリーという人の作品。銘板を見ると1950年生まれで私と同年!!

本館ギャラリーでピカソ作品が展示されていた。
ピカソ館が工事中ということで、リニューアルオープンする7月末までの暫定的措置のようだったが、小品が主体ながら見るべき作品が多かった。
グアッシュ、鉛筆画、ペン画、版画等の渋い作品が中心だった。とりわけ印象的だったのは、陶芸作品。
詳細は把握しなかったが、彼が陶芸に熱中したのはフランソワーズ・ジローと生活していた1940年代後半頃だったと思うが、傑作という語が陳腐に思われるほどの素晴らしさで、見ていてため息が出て来た。
デイヴィッド・ダグラス・ダンカンのピカソの写真を見て、「ピカソとの生活」(ジローとカールトン・レイクの共著)も写真が豊富だったことを思い出した。

彫刻の森美術館を閉館時刻過ぎの17時10分に出発し、宿泊先である元箱根の山のホテルを目指した。
(続く)

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