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2014年9月15日 (月)

吉田秀和のホロヴィッツ来日公演評

一昨日に捜し物をしていて偶然ホロヴィッツ来日公演とFM音楽手帳の「音楽家訪問/武満徹」のFMエアチェックテープが出て来た。
ホロヴィッツの方は逝去の追悼番組として放送されたもので、放送日はわからないが、コンサートは'86年6月28日昭和女子大人見記念講堂のもの。
武満徹の方も放送日の記載がなく、いつの録音か不明だが、’80年代であるのは間違いないところだろう。
武満自ら作品、音楽の傾向、日常について語っていて、今となっては両方ともとびきりのお宝カセットだ。

ここでは、ホロヴィッツのテープから派生したことを記したい。
すぐ頭に浮かんだのは昨年のEテレ「吉田秀和の軌跡」で取り上げられていたホロヴィッツ来日公演への吉田の酷評のことだったが、いざテープを聴いてみると確かに全盛時の水も漏らさない研ぎ澄まされた演奏には及ばないにしても、切れ味よく、みずみずしさが溢れ、推進力もあって、技巧の冴えは驚くほどで、非常な快演と言うべき内容で、これを酷評することはあり得ないというのが正直な感想だった。

話が噛み合わないので再度録画を見た。
対象となっていたのは’83年の来日公演だった。
ショパンの「英雄ポロネーズ」の演奏がほんのさわりで紹介されていて、音は外すは、テンポは安定しないは、演奏への集中力が欠けているようなのと・・・等々確かに往年のヴィルトゥオーソの見る影もない、という感じだ。
当時連載されていた朝日新聞夕刊の「音楽展望」’83年6月17日に「ひびの入った骨董品」と書いたことを番組で吉田は回想している。

以上から新たな疑問が湧いた。
2度目の来日のFMテープを聴く限り、初来日の演奏(自分は知らないのだが)と一線を画すものであることは間違いないところだろう。
吉田秀和はきっと再来日に対しても取り上げているに違いないと思い、全集を持っていないので図書館へ照会したところ、新聞縮刷版でバックナンバーがあることがわかり、確認したところ、’86年7月3日の「音楽展望」で書いていて、’83年6月17日のものともどもコピーを取ってきた。

1img_3927
1,983年6月17日

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1,986年7月3日

読んでみると’86年はA,Bのプログラムで、吉田秀和は初日のプロに基ずいて書きすすめている。
それによれば、スカルラッティ、シューマン(「クライス・レリアーナ」)、シューベルト、モーツァルト、そしてショパンが演奏されている。

テープの方は、したがってBプロということになり、スカルラッティ、モーツァルト(「ソナタハ長調K.330」)、そしてショパン(「マズルカ」op.30-4,op.63-3,「スケルツォNO.1」op.20)がAと同じようだ。
ただしAプロでは「英雄ポロネーズ」が演奏されていて、初来日との比較という意味ではAプロの方を聴いてみたいと思った。

Bの方ではラフマニノフのプレリュードop.32-5,12、スクリャービン「エチュードop.8-12」、シューマン「アラベスクop.18」、リスト「シューベルトによるワルツ・カプリス第6番「ウィーンの夜会」他」が演奏されている。
いずれも愛奏曲ともいうべき作品でスクリャービンのop.8-12、シューマンop.18はA、B共通のスカルラッティ「ソナタK.380」ともども’69年だったか、カーネギーホールでのTV中継されたリサイタルの実況録音LP「ホロヴィッツ・オン・テレヴィジョン」にも収められている曲でこのアルバムの絶妙な演奏により、自分はホロヴィッツに傾倒するようになった。

ホロヴィッツの生年は正確には不明のようで、一応1,904年が定説で’89年に没している。2度目の来日は亡くなる3年前になるわけだ。
’86年はロシア、ドイツへの演奏旅行があって、日本は当初予定にはなかったが、本人のたっての希望で2度目の来日公演となったようだ。
初来日の吉田秀和の批評をホロヴィッツは目にするか、耳にして、本人も不出来の自覚があったのだろう、日本のファンに対しいつの日かリベンジを期して再来日に臨んだようだ。
彼が如何に純粋で誠実な人間だったかを物語っているエピソードだ。

そう言われれば、’86年の演奏は彼の日々の精進を如実に物語っているものであることが分かる。
技術的な破たんが余り目立たず、音も粒が揃い、艶もあり、しっかり出ている。

そのことを吉田秀和は冒頭「三年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が、その演奏は私たちの期待を満たすにほど遠く、苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼は一人のピアノをひく人間として来た。」と書き出す。
何気なく書いていて、先へ読み進めてしまうところだが、吉田秀和の文章がすみずみまで手を抜くことなく吟味されて書かれていることを示しているところだ。
「こんどの彼は一人のピアノをひく人間として来た。」とは何という至言だろう。
過去の栄光、名声をかなぐり捨て、ひたすら無心に鍵盤に向かうホロヴィッツが目に浮かぶようだ。

スクリャービン、ラフマニノフでは「彼はこれをいちばん自然な手つきで扱いながら、微妙にとびちる光で、私たちを眩惑する美しい小さな宝石として提出した。」
「ピアノという楽器の究極の響きを堀あてとり出すのに成功したのは、結局リストだったということを知るものにとって、・・・ホロヴィッツこそ真のピアノをきわめた名手だという疑いようのない証拠になる。」
スカルラッティで「音と、目の前でピアノから作り出す作業に従事する人間の姿とに感応し魅了されてゆく過程と・・・が一致してつくる時、彼が与える最上の陶酔ではあるまいか。」
と共感的に記している。
一方シューマン、ショパン「英雄ポロネーズ」、モーツァルト等においては、演奏における問題点をきびしく指摘することも忘れない。

「捲土重来、はるばる再訪してくれたことに心から感謝せずにいられない。」と結ぶ直前の部分、「聴衆の大歓呼の中で突然どこかで鋭い騒音がした途端、彼は大急ぎで両耳を塞ぎ背中を向けた。・・・彼がどんなに傷つき易く安定を失いやすい精神と神経の持ち主かようくわかった。」と書く。

ホロヴィッツはその生涯で何度か活動を休止している。
1.’35~8
2.’53~’65(レコーディングは実施。’53は米滞在25周年記念コンサート(カーネギーH)を実施。)

それも彼の資質に深く結び付いたことなのだろう。
2の方は休止の始めと終わりに重要なコンサートを行っているのも象徴的だ。
’65年の復帰演奏会(ヒストリカル・リターン)も歴史的名演だったとの呼び声が高い。

これを機に、ホロヴィッツを手元のソースで折に触れ聴いて行きたいと思った。
また、吉田秀和の著作も。

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