« 神田古本まつり | トップページ | 今年も師走の富士 »

2014年11月22日 (土)

九十九里行

11月12、13日に1泊で九十九里へ行って来た。
同じ千葉県ではあるが今回が初めて。
圏央道の木更津~東金が開通し、アクセスが大変よくなった。小1時間で着いてしまえる。

国民宿舎「サンライズ九十九里」に宿泊。
太平洋に面した部屋からは、海が遥か水平線の彼方まで見渡せる。

翌朝の日の出は6時41分。
妻に促されて目覚め、日の出を拝むことができた。
と言ってもこの日は雲があって、水平線からというわけには行かなかった。

1img_3985

1img_3994_3

上はその模様だが、九十九里の最大の売りとも言うべきご来光が見られただけでも来た甲斐があった。

二日とも天候に恵まれチェックアウト後浜辺に出てみた。
風も弱く、静かな波が打ち寄せていた。

1img_4000_4

浜辺から見たサンライズ九十九里、弧を描いたユニークな形が印象的だ。
浜辺の砂は非常に粒が細かい。
この日も左程風は強くなかったが、海に向かって吹く風に乗った砂があたかも空中に透明なチューブがあってその中を流れているかのように飛んで行く。
砂浜には規則的な幾何学模様の風紋が出来ていた。

1img_4001

サンライズ九十九里の隣接地に「智恵子抄碑」がある。

1img_4010

昭和9年に約7か月療養のため智恵子はこの場所に滞在、光太郎は毎週末東京から通って来た由。
碑の裏側には草野心平筆で「千鳥と遊ぶ智恵子」が彫られている。
素朴で、レトリック、技巧を衒わず、今我々が見て来た浜辺で無心に千鳥と交流する智恵子をありありとイメージさせる詩だ。

もう1か所「伊能忠敬記念公園」へ。「智恵子抄碑」から車で10分程度の処にある。
伊能忠敬の生誕の地に九十九里町が生誕250年を記念して平成8年に造った公園である。

敷地は300坪くらいか、小じんまりした公園だが、幕末の巨人への愛着が感じられる好感の持てる造作だ。

1img_4025

1img_4027_2

忠敬少年期の事跡はよくわかっていないようだが、この公園の碑文を読むと母の病死に伴い、父は実家へ上の2人の子供を連れて戻ってしまう。
忠敬は小関家へ1人残されたわけだが、10歳になると父の元へ引き取られる。
これがわからない。小関家はどうなったのか?

忠敬は隠居後江戸に出て、年来の夢だった天文、暦学を学び、56歳から17年間にわたり日本全国の沿岸測量に従事し、精度の高い日本地図を作った。

普通ならば人生の総括に入る時期に歴史に残る重要な業績を上げるエネルギーには驚くばかりだが、ここで思うのは「昆虫記」のファーブルである。
ファーブルもまた青壮年期は家族を養うために教職に就き、刻苦精励の日々を送り、50代半ばにようやくライフワークである昆虫研究へ専念できるようになって、実に「昆虫記」の刊行を55歳から始め、83歳にして全10巻の出版を終えている。

洋の東西で晩年に端倪すべからざる仕事を成し遂げた人がいた。
そういった対比に思いが及ぶことが出来た今回の旅行は大変意義深いものであった。

« 神田古本まつり | トップページ | 今年も師走の富士 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 九十九里行:

« 神田古本まつり | トップページ | 今年も師走の富士 »