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2015年2月

2015年2月28日 (土)

夏目漱石「三四郎」を読む-3

4 その他
(1)三浦雅士「漱石 母に愛されなかった子」岩波新書
2,008年に出版され、当時は漱石から離れていたので読んでも深く理解できなかった。
漱石の出自を踏まえて、全作品を視野に入れて制作年代に従って作品にメスを入れて行く書き下ろしの労作。

今回は「三四郎」に関わる部分を拾い読みしてみた。
三四郎は鈍感で、度胸がなく、極度の緊張症でもあり、美禰子に翻弄され、最後は失恋に終るのも当然の報いだと、かなり三四郎に辛辣だ。

従来評価の低かった「坑夫」に対しても評価をしていたり、著者のユニークな分析が魅力的だ。
独自の視点から漱石作品を論じた本書はもう一度通読してみたい。

(2)池澤夏樹「日本文学全集」
共に個人編集の「世界文学全集」では20世紀後半に絞って作品が選ばれたのに対して、こちらは「古事記」「万葉集」「源氏物語」等々古代から始まり、現代日本文学に至る。

全30巻の内、明治期の小説作品に充てられたのは1巻のみ。
作家は夏目漱石、森鴎外、樋口一葉の3人の各1作品ずつ。
そして漱石はと云うと「三四郎」が選ばれている。
パンフレットのコメントは、「明治は若者の時代、清新な時代」とあり、「三四郎」が選ばれた理由(わけ)がうなずける。

ちなみに明治以降で1巻を単独で占めているのは谷崎潤一郎、大岡昇平、吉田健一、大江健三郎、中上健次、石牟礼道子、須賀敦子の7名。

(3)吉田博、ふじをの事
2月19日の新聞連載のコラム「三四郎つれづれ」は、1月30日の第82回(八の八)に三四郎と美禰子が展覧会で見る「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画」についてがテーマ。
挿画にふじをの「ベニス」が紹介されている。緻密でしっかりした造形の魅力的な作品。

「三四郎」第82回では適確に鑑賞する美禰子に対し、まるで要領を得ない三四郎が対照的だ。
漱石が吉田博、ふじをの絵を見ていたとは、感慨深い。

朝日新聞は購読の希望者へ毎月2枚ずつ12回シリーズで吉田博の木版画を配布しており、第3回が「ヴェニスの運河」で、1,925(大正14)年の制作だが解説を見るとふじをが同行した旅行の際のスケッチが元になっているようだ。
'03(明治36)年から'07(明治40)年まで二人は欧米旅行をし、帰国の年'07年に結婚した由。

第2回「根津正直八百屋」のモデルがふじをだそうで、解説に「三四郎」に二人の事が出てくる旨が記されていた。
吉田博は吉田家へ養子に入り、ふじをはそこの4人姉妹の3女。
吉田博の木版画制作は'20(大正9)年44歳からで、漱石の没後になる。
当初洋画家として地位を確立していた時期の作品を漱石は見ていたわけだ。

吉田博が木版画を始めたのは版元の渡辺庄三郎のすすめからとのことだが、この人物は川瀬巴水の版元でもあったようだ。
二人はほぼ同時代に生き(吉田が7歳年長)、しかも同じ版元から作品を出していたことからも何らかの接点はあっただろう。

共に写実的でしっかりしたデッサンの元で制作されているが、吉田の方が即興的、川瀬の方はより緻密である。

以上覚書風に綴って来たが、日々の連載では細部の発見、文庫では大筋の流れを追い、併行しながら2度読みをしたことになる。
20代で2度読んで以来、60代になっての3度目の正直だが、新鮮な気持ちで読むことができた。
三浦氏は三四郎に対して手厳しいが、私はむしろ三四郎の優しさに魅かれる。
美禰子は、何を考えているのかはっきりしない。
漱石は意図して敢えてそういう書き方をしたのだろうが、奥歯にものが挟まっているような違和感が残っている。

とまれ、充実したひと時をもたらしてくれた漱石に感謝だ!

夏目漱石「三四郎」を読む-2

2 珠玉のエピソードの数々
三四郎と美禰子の関係を本線とすると、与次郎が画策する広田先生の帝大教授ポストの運動は併行して進むサブストーリーと云える。
団子坂の菊人形見物、学生会館での集会、上野精養軒の会等広田先生に絡んだエピソードは多い。

この運動はスキャンダルになって、広田先生が帝大教授になったかどうかは小説では明らかにされぬままスキャンダルへの広田先生の達観と少女に関する不思議な夢の話(「夢十夜」を想わせる)を三四郎へ語るところで広田先生の話は終わる。

それと交代するように広田先生の友人の画家原口が登場し(7章~)、終盤は絵画をベースにしたエピソードが絡み、大団円へ向かう流れが急になって行く。

ここでは中でも最も印象に残っている学生会館での集会のくだりを取り上げてみたい。
この集会は与次郎が運動の一環として企画したものだが、まず学生達は集会所の料理にありつく。
洋食で、肉刀(ナイフ)、肉叉(フォーク)を使用する本格的なものだ。
また麦酒(ビール)も出る。締めには珈琲(コーヒー)が饗される。

明治41年当時で既に現代と変わらぬ食事作法であることがこれでわかる。
「三四郎」では他にも「ライスカレー」、「競馬」という言葉も出てくるから驚く。

食事が終り、幹事学生の演説が始まる。
主張が明確で、理路整然とした非の打ちどころのない演説だ。
最後に与次郎が「ダーターファブラ」(後述)のフレーズで洒落の効いた一言と祝杯(乾杯)の音頭を取って集会はお開きとなる。

もっと価値の高い箇所は他にあるわけだが、不思議にこの部分が印象深い。
学生達の若さ、活気、旺盛な食欲と生命力といったものがほとばしっている。

「三四郎」を読んでいて感じたのは、エピソードの豊饒なことだ。次から次へ様々なエピソードが繰り出されてくる贅沢な作品と云えよう。

3 漱石の深い学識
全編至る処に味わい深い箇所がちりばめられ、作品の価値を高めている。
(1)図書館蔵書の落書き(3章)
帝大の新学期が9月に始まり、三四郎は生真面目に教室へ行くがはじめの内は講義がなかなか始まらない。
やがて講義は始まるが、律儀に聴講しても今ひとつ充実感を得ることができない三四郎は与次郎のadviceで図書館へ通い始める。
蔵書の一つのページ余白に記された落書きが披露されるが、それがヘーゲルのベルリン大学での哲学の講義についての批評。
これが含蓄のある文章。
岩波版全集の注を見ると元と思われる部分が漱石の書簡中にあるらしい。英国留学した漱石が畑違いのネタを使っているのに凄みを感じる。
(2)サザーン 'Pity's akin to love'(4章)
広田先生の引っ越しの手伝いで美禰子が持参したバスケットのサンドイッチを食べながら、広田先生の蔵書についての話からアフラ・ベーンと云う17世紀のイギリスの閨秀作家の話が始まる。「オルノーコ」という作品を戯曲化したサザーンの脚本の一節 'Pity's akin to love'をどう訳すかで盛り上がる。
漱石は東京帝大で「十八世紀英国文学」の講義を行い、全集に「文学評論」として講義録が収録されている。
このくだりは正に漱石の専門に入るわけだ。
漱石が英文学を学んだのは19世紀だったので、18世紀文学はまだまだ新鮮味があったわけで、よって17世紀は手が届く感じだったのでは。
今の目で見ると流石に古色蒼然という感じで相当ニュアンスが違ってくる。
(3)「ダーターファブラ」(6章)
上の学生集会で与次郎が相手に話しかける際に枕詞のように使った言葉。
注を見るとラテン語で古代ローマの詩人ホラティウスの作品に出てくる由。
これを話す与次郎を見た学生の一人がフランス語で'Il a le diable au corps'(悪魔が乗り移っている)と言うくだりもちょっとギョッとする。
覚えている限り漱石がフランス語を使っているのは他にないように思う。
(4)「ハイドリオタフフィア」(10章)
三四郎が広田先生から借りた本の名。Hydriotaphia。やはり17世紀の書物で優れた文章で知られていた著作の由。
とりわけ名文で知られた箇所の文語調の訳(当然漱石自身のものだろう)が記されている。
三四郎の感想という形でその文章の批評が記される。
三四郎が借りたのは原書だろうが、それを読みながら美禰子をモデルに「森の女」の制作に励む原口のアトリエへ向う。

夏目漱石「三四郎」を読む-1

漱石の「三四郎」を読んだ。
昨年10月から朝日新聞に連載がスタートして、現在10章に入っており3月下旬に完結の予定である。
1,908年(明治41年)当時の紙面構成そのままで、表記は岩波文庫版に拠っている。

漱石は好きな作家なので新聞連載を機に新聞と並行して手元の新潮文庫で読んだ。
今回が3回目で、38年振りの読書になる。
新聞で読むと瑣末な処に目が行ってしまい、かつ日が変わることで前日の記憶が飛んでしまい、脈絡の把握がしにくく感じた。
一方文庫で読むとその逆で、細かな処は結構いい加減に読み進めてしまって、精密な読書がしずらいが、反面大きな筋の流れの把握はできることを感じた。

今回の「三四郎」の読書で感じたのは、単なる青春恋愛小説なぞでなく、エピソードが豊饒を極め、また漱石の学識の高さが全編に窺われ、一筋縄では行かない奥行きのある作品だということである。

以下に私の感想というか、覚えというか我ながら明確にできないが、いくつかにポイントを絞って綴ってみたい。

1.三四郎と美禰子の交渉
この小説の最大のテーマはやはり三四郎と美禰子の微妙な男女のさや当てだろう。
読んでいて、三四郎の対応は歯がゆい処無きにしも非ずとは言え、概ね理解しやすいが、美禰子の方は不可解というか、謎めいた感じがつきまとう。

三四郎の方は章を追うごとに美禰子への思いを募らせて行くが、美禰子の方は三四郎への通常以上の感情を思わせるくだりがあるかと思えば素っ気ない態度で三四郎を翻弄するような挙動を見せるなど、気持ちの捉えようがない。

二人の関係を象徴するキー・ワードがいくつかある。
(1)ストレイ・シープ
団子坂の菊人形見物へ行き、小屋の中の人混みで気分を悪くした美禰子は一行と別れ、三四郎と谷中、千駄木の谷間を流れる小川縁で休む。皆が心配しているのでは、との三四郎の言葉を引き取り、迷子を英語では「ストレイ・シープ」と云うのだと意味深なことを言う。
やがて三四郎のもとへ美禰子から2匹の子羊と悪魔が描かれた絵葉書が届く。
最終13章、美禰子がモデルになった「森の女」の前で与次郎に「森の女」という題が悪いと言い、三四郎が口には出さず「ストレイ・シープ」と繰り返すところで小説は終わる。
美禰子に翻弄され、恋に悩む三四郎を象徴するキー・ワードだ。
(2)ヘリオトロープ
母が野々宮の元へ送った仕送りを取りに行く途中に寄った店で偶然美禰子達と出会い、三四郎が無作為に選んだ香水に決めた美禰子。
それがヘリオトロープだった。
12章の最後の部分、教会へ行き、三四郎が美禰子へ金を返した時、美禰子が出したハンカチの香り。それがヘリオトロープの香りだった。
そして三四郎が美禰子の結婚のことを口にすると、嘆息(ためいき)と共に「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」(旧約聖書「詩篇」51篇3行目)と囁くような声で美禰子は言い、二人は別離する。
美禰子を象徴する香水であると共に、不明瞭ではあるが三四郎への無意識の思いを象徴しているキー・ワードだ。
(3)団扇
母の手紙にあった同郷の野々宮の研究室を訪ねた後に寄った池(三四郎池)で美禰子との初の出会い。この時美禰子は和服で団扇を手にしていた。
6章後半、運動会見物に辟易し築山に上がっていて美禰子達と会い、やがて美禰子と二人きりになって池での初めての出会いが話題に上る。
また、10章原口画伯の絵のモデルとなった美禰子はやはり団扇を手にしていた。その帰路の二人の会話で三四郎はほとんど美禰子への恋の告白をする。
絵は二人が池で出会った頃から着手されていた。二人の前に人力車の男(美禰子の婚約者?)が颯爽と現れる。
絵がほとんど完成した今、それは美禰子が三四郎から遠い存在となることを暗示していた。

また、美禰子に関するキー・ワードとして、
(1)voluptuous
広田先生の引っ越し先の掃除に行き、美禰子が現れた時の三四郎の印象を漱石はこの言葉で描写している。
辞書を開いてみると「肉感的」とあり、今風に言えばsexyという感じで、性的ニュアンスが強い語と理解できる。
(2)アンコンシャス・ヒポクリット
これは、本文に出てくる語ではないが、漱石自身の造語。岩波版全集(第4巻)の小宮解説によると、美禰子を描写するにあたり漱石が意識していた概念。
「無意識の偽善家」と日本語を当てているが、漱石自身ヒポクリット=偽善家は適切な訳とは言えない旨断わっているらしい。
その辺の事情は小宮解説に詳しい。
美禰子自身明確な意識なしに結果的に三四郎を翻弄し、悩ませる挙動をしているのは、本編に明らかなところで目からうろこといったキー・ワードと言えるのではなかろうか。

2015年2月17日 (火)

池澤夏樹「現代世界の十大小説」

池澤夏樹「現代世界の十大小説」を読書中。
池澤氏は近年注目している作家の一人で、小説では「氷山の南」、ついこの間「アトミックボックス」を読了した。
また河出書房から個人編集の「世界文学全集」を刊行し、現在は「日本文学全集」の刊行がスタート、自ら現代訳した「古事記」が第1回配本となって、大いに注目を浴びている。

表題書は、たまたま書店で見つけて、即GET。
序章は大げさに言えば衝撃的だった。半ば自分を否定されたような気がした。
私の青年時代に花盛りだった文学全集は、既に過去の遺物となった。今の読者は本当に読みたい作品にしか手を出さない。
よって、出版社も全集物を出さなくなって久しい。
そういった時世に出版社からの「世界文学全集」出版のオファーには乗り気ではなかったが、自分なりに検討を重ねて行く内に独自の視点で作品をセレクトすることで現代にアピールすることができるものと確信を得、実現の運びとなったくだりが記されている。
本書にセレクトされた作品のほとんどは「全集」所収のものとのこと。

「はじめに」でサマセット・モーム「世界の十大小説」の10作品リストが紹介されている。

フィールディング「トム・ジョーンズ」
オースティン「高慢と偏見」
スタンダール「赤と黒」
バルザック「ゴリオ爺さん」
ディケンズ「デイビッド・コパフィールド」
フロベール「ボヴァリー夫人」
メルヴィル「白鯨」
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
トルストイ「戦争と平和」
というラインナップ。

今から四半世紀前になるが、篠田一士(はじめ)という人が「二十世紀の十大小説」という本を出している。
ここでも、序章でモームの「十大小説」が引き合いに出されている。
そして池澤氏と同趣旨の理由から選ばれた作品は20世紀文学で

プルースト「失われた時を求めて」
ボルヘス「伝奇集」
カフカ「城」
茅盾(ぼうじゅん)「子夜」
ドス・パソス「U・S・A」
フォークナー「アブサロム、アブサロム」
ガルシア・マルケス「百年の孤独」
ジョイス「ユリシーズ」
ムジール「特性のない男」
島崎藤村「夜明け前」
の10作品。

以上で私が読んでいるのはモーム、篠田リスト共それぞれ5作品。これが、平均レベルに比して多いのか少ないのか知りたいところであるが、個人的にはまあまあかなと思った。
池澤氏のリストの作品はすべて未読。

その池澤氏のリストは略すが、例えば第1章「百年の孤独」(これだけ篠田編と同じ。改めてその章だけ読み直してみたが、篠田氏の方は紙数が多いこともあり、本文引用もふんだんになされ、オーソドックスな印象なのに対し、池澤氏は、作品の本質に鋭く迫る感じ)の注には、ジョイス、プルースト、カフカといった名が出、他の章でもブロンテ姉妹、オースティン、スタンダール、トルストイ、ディケンズ、フォークナーetc枚挙に暇ないほど上記二大リストに上がっている作家たちの名が出てきて、まさに過去の「世界文学全集」に収められた作品は勿論、かなりな古典作品の読書量の上にこれらの作品群が選ばれていることがわかり、旺盛な創作活動の傍ら、池澤氏の測り知れぬ能力に改めて畏敬の念を覚える。

さて衝撃を受けた序章だが、キーになっているのは「世界文学+現代」。
「現代」の特徴はグローバル化、また「世界文学」は原語は当然あるが、それは翻訳によって原文でなくとも作品を享受できる、時に原文でわからなかった発見すらあると云う。
ここで池澤氏が言っていることは、読み終えたばかりの入江昭「歴史家が見る現代世界」(講談社現代新書)で述べられていることと共通している。入江氏の本からも歴史学の最先端の傾向を学び、カルチャーショックを受けたところだ。
言う処、旧来の世界史(World History) Not = Global Historyで'90年代以降の歴史研究は、トランスナショナル(国家間をまたぐ)な視点から歴史をグローバルに捉えようとしているとのこと。

池澤氏も篠田氏同様リストの最後を日本の作品で終える。
石牟礼道子「苦界浄土」である。この作品は是非読んでみたいと強く思う。

しかしまだ自分は池澤氏に完全に洗脳されたわけではない。
やはり、モームのセレクションにも魅力を感じるし、否、自分に残された限られた時間は、むしろ古代、中世、ルネサンスといった時代の古典作品へこそ費やしたいという願望がある。

以上を音楽に当てはめてみるとどうなるだろう?
池澤氏のように20世紀後半に絞り切ることはむつかしいので、篠田氏に倣い「二十世紀の十大名作」を選んでみる。
自分が聴いた範囲での選曲なので、あまり当てにはならないがご愛敬である。(順不同)

1.ストラヴィンスキー「春の祭典」
2.マーラー「交響曲9番」
3.バルトーク「管弦楽の協奏曲」
4.ショスタコーヴィチ「交響曲5番」
5.ラフマニノフ「ピアノ協奏曲3番」
6.ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
7.ラヴェル「ダフニスとクロエ第2組曲」
8.武満徹「ノヴェンバー・ステップス」

あとの2作品が出てこない。
また5のラフマニノフが協奏曲なのが自分で挙げておきながら引っかかる。
できればすべて管弦楽作品で組み上げたいのだが作品が浮かんでこない。

作曲家で言えばプロコフィエフ、メシアン、ブリテン、ベルグその他の名が浮かぶが、あまり聴いていないので、リストアップできない。
取り留めなくなってきたので、リストは未完だがこの辺で話を切り上げたい。

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