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2015年4月27日 (月)

谷崎潤一郎展

4月22日、神奈川近代文学館「谷崎潤一郎展」に行った。

没後50年を記念した展覧会で、1,998(平成10)年秋以来17年振り2回目の谷崎展だ。
谷崎の生涯を辿る点では前回と同じだが、今回は3人目の妻松子との往復書簡が公になった背景の元、松子への書簡へスポットを当て、谷崎の創作活動にとり松子の存在が如何に大きかったかを実感できるようになっている。

下は大仏次郎記念館を過ぎてすぐ、神奈川近代文学館の案内標識へ掲示された「谷崎潤一郎展」のポスター。

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これは文学館入口の看板。
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昨年5月の「太宰治展」以来、約1年振りになる。
毎回のことだが、ここは周到な準備の元に丁寧な展示で、期待に胸を高鳴らせて臨み、そして裏切られたことがない。
今回もそれは守られた。

たまたま地元書店店頭で目に止まり購入した角川ソフィア文庫「陰翳礼讃」を読んでいて、端倪すべからざる谷崎の芸術観の一端がうかがえる大袈裟かもしれないが畏怖すべきエッセイである。(注1)
1,933(昭和8)年谷崎47歳の作品で、80年前のものであるにも係わらず今でも全く違和感なく読むことができることに驚かされる。

この年は傑作「春琴抄」も発表されている。

私生活では2番目の妻丁未子と事実上の離婚状態となった年である。

'30(昭和5)最初の妻千代と離婚、千代は佐藤春夫と再婚した。
'31(昭和6)古川丁未子と2回目の結婚。
'32(昭和7)根津松子と恋愛に落ちる。
'34(昭和9)根津松子と同居。
'35(昭和10)丁未子と離婚。松子と結婚。

と、私生活においては目まぐるしい限りの転変を遂げている。
こうした混乱の坩堝の中で「春琴抄」が誕生しているのは、谷崎のたくましさを証明していると思う。

「春琴抄」の水も漏らさぬ完璧な作品世界、構成の妙によって谷崎に深く魅了させられたのだった。

目まぐるしいのは女性遍歴のみでなく、生涯を通して所在が転々とする点だ。

谷崎にとり大きな転機となったのは関東大震災により横浜の自宅が被災し、関西へ移住したことだ。
それがなければ松子との出会いもなかったわけで、畢生の傑作の数々も生れることはなかったわけだ。

戦時疎開で岡山県勝山の知人の元に身を寄せ、昭和20年8月14、15両日はやはり疎開で岡山に来ていた永井荷風の訪問を受け、手厚く接待している。荷風は「断腸亭日乗」にその顛末を記している。
荷風とはそれ以前から書簡の遣り取り等、緊密な関係が交わされていたようだ。
そもそもは「三田文学」誌上で荷風は谷崎を絶賛する文章を載せ、谷崎の文壇での出世に貢献して以来の交流のようだ。

戦後は京都に居を構え、晩年は熱海に移っている。

以前から感じていて今回も展示を見ていて思ったことは、書簡中の幾つかその他美しい筆跡のものもあるが、晩年に近付くほど毛筆による作品原稿は見た目がひどく悪い。ひたすら丹念に、愚直に書き連ねられた原稿を見ると、これでよくぞ緻密、精緻な作品を構築できるものだと感嘆させられる。

それに引替え、常設展示室の漱石の「門」原稿は大変美しい。好きな方を貰えるとすれば、ためらわず漱石を取るだろう。

が、活字になった谷崎の作品は、原稿の印象とは打って変わり華麗、耽美的な作品世界に相応しい見た目の非常な美しさを放っている。また、文体の豪華絢爛な点では知る限り谷崎の右に出る作家はいないかもしれない。三島はおろか、荷風をも凌駕していると思う。

展示室出口にさり気なく、この5月に刊行がスタートする中央公論新社の創業130年記念出版「全集」の見本として第1巻が置かれていた。
26巻平均600頁全冊を揃えようとは思わないが、今回の展示を見て先ず「蓼喰う虫」の再読、そして「細雪」は改めて是非とも読もうとの思いを強くし、又いずれは谷崎訳「源氏物語」を読みたいと思った。(注2)

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