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2015年8月28日 (金)

漱石「それから」-1

漱石「それから」を読了した。
漱石作品は「こころ」の次に読んだのが「それから」で、高校2年の時だった。
今回が4回目になる。

当初、高校生の時に読んだ角川文庫で読んでいたが、老眼には活字が小さく、また注釈が付いておらず、細かい処を気にしなければ(*1)支障ないと思うが、ルーペを離せないのに閉口し、途中から岩波版全集に切り替えた。
全集版は逆に活字が大きく、総ルビで、老眼の今となっては読み易い事この上ないが、初めて高校の図書館で目にした時は、2段組み、3段組みの文学全集の版型に慣れていたので余計、何故こんな無駄な組み方をするのか不思議でならなかった事を覚えている。

(*1)2-5 nil admirariや14-9 arbiter elegantiarum などは解説が必要である。

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また現在朝日新聞朝刊に連載中で、明治42年当時と同じ区切りで載っているので(タイトル部分のカットもそのまま)、当時の雰囲気を味わう事ができる。
が、文章は現岩波文庫版の新かな使いだ。
今回に限らないが、新聞連載で読むのはディテールへの目配りは利くが、日が改まると前の筋を忘れてしまい(年の所為?)、全体把握するには章単位で読める本の方がよい。

「それから」は「三四郎」と比較して構成が緊密な印象だ。
「三四郎」は豊富なエピソードが随処にちりばめられ、豪華なご馳走を食べているような感じがするが、「それから」は構成に無駄がないと感じた。

今回「それから」を読んで感じたのは漱石の圧倒的な力量である。
手書き原稿で、日々締め切りに追われる新聞連載でこれだけの完成度を誇るのは驚異的だ。
文体と云った皮相的なレベルでなく、全体の構成と細部の緻密さのバランスが取れ、記述される内容そのものの密度が圧倒的だ。

作品が綴られる裏には想像を絶する推敲の過程が在ったものと思われる。
宿阿の胃潰瘍に苦しんだのも無理からぬことと思う。

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