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2015年9月 2日 (水)

漱石「それから」-2

1 長井代助
漱石作品の主人公中、これ程丹念に造形描写された人物はいない。
風貌、人生観等細かく叙述されているが、読んでいると随処に納得し難い記述や、矛盾した内容の箇所があり、漱石の書きぶりに乱れが感じられる。
(1)美丈夫
第1章が始まってすぐ、「歯並び」良く、「皮膚には濃かな」「光沢(つや)があ」り、「香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に」「局所の脂肪が薄く漲って見える。」「黒い髪を分けた。油を塗(つ)けないでも面白い程自由になる。」「彼は」「肉体に誇を置く人である。」
また第11章の始めでも「人の羨む程光沢(つや)の好い皮膚と、」「柔かな筋肉を有」ち、「生れて以来、」「大病」「を経験しなかった位、健康に」「幸福を享けていた。」
といった様に外見上は一点のきずも無い美丈夫として描かれている。
(2)思想
以上のように理想的な肉体の所有者である代助だが、その精神は健全と云えるかとなると疑問符が付く。
ⅰ 高等遊民
第2章で代助宅を訪れた親友平岡との会話で、代助は「処世上の経験程愚なものはない。苦痛がある丈ぢゃないか」とか「麺麭(ぱん)に関係した経験は切実かも知れないが劣等だ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。」と、正に「処世上の経験」で悪戦苦闘している平岡の神経を逆撫でする事を云う。
代助は親の経済援助で生計を営み、やりたい事をやるだけという結構な身分である。
代助の父が軽蔑的に言った「遊民」という語に対して、代助は職業で汚されない充実した時間を有する上等人種という認識を持っている。(岩波版全集(1,974年)第4巻P.345)
唯、彼の精神は積極性に欠けていて、平岡との会話中で派生した疑問についても、敢えて追求しようしない。
これを漱石はnil admirari(ラテン語「何にも驚かない。」ホラティウスの詩に出て来る語。)と表現して代助の感受性の鈍磨、溌剌さの欠如をほのめかしている。
ⅱ 論理の矛盾
(a)労働観
第6章で平岡宅を訪問し、酒を酌み交わしながらの会話で、代助が働かない理由について議論になる。
代助は、屁理屈を捏ね、社会の疲弊が人々の精神の困憊、道徳の退廃を招き、働く意欲を削いでいる、と訳のわからない事を云う。
平岡に、生活に困らないからそんな呑気な事を言っていられるんだ、と云われ、「あらゆる神聖な労力は麺麭を離れている。生活の為の労力は、労力のための労力ではない」。とうそぶく。
平岡は「君の様な身分でなくっちゃ、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢゃ益々」働かねばならない、と遣り込められる。
ここは平岡の云う通り、代助の理屈は働かない立場を自ら否定する循環に陥っているようだ。
(b)結婚観
第3章で父ゆかりの資産家の娘との縁談に乗り気でない代助は、「先祖の拵えた因縁より、自分の拵えた因縁で貰う方がいい」と暗示的な事を云う。
第7章後半で結婚に消極的な代助の姿勢が記される。その理由として、
・性格が一図に集中できない
・頭が鋭敏で、幻像(イリュージョン)打破へ向ってしまう。
・経済的に恵まれ、ある種の女を多く知っている。
としている。
これは、代助ではなく作者の漱石の分析として文中に出ている。
印象として、勝手気ままであると共に、上の2つは意味がよくわからない。
代助自身は結婚に興味がないから、積極的に動こうとしないと漱石は明解に書いているが、親の経済援助のもとで独身生活を続けている代助の精神には甘さがあると言わざるを得ない。
また第11章末尾で、代助が固定的な愛(結婚)に否定的な考察を展開しつつも、突然三千代をイメージするくだり。
「すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的なものに過ぎなくなった。」
徐々に三千代への思いを募らせて行く傍ら、冷めた思考を展開する代助を漱石は表現しようとしているのだろうが、この辺り、漱石の叙述には論理の飛躍というか、代助の思考内容は三千代への愛を否定するものとなってしまっており、叙述が分裂していて説得的とは言えない。
(c)人生観
第11章冒頭、代助は初夏の街へ散歩に出るが、目的もなく歩いているのが馬鹿々々しくなってくる。
漱石は代助がアンニュイに襲われたと記すが、これは代助が一種のうつ状態に陥っているということなのだろうか?
帰宅した代助は人生の目的について考察する。先に述べたⅰ、ⅱaにおいても展開された理論では、目的のある行為は堕落となるので、代助は自己の欲求の赴く処に従い行動して来た(無目的が行為の目的となる)。
唯、アンニュイ状態になると、その行為自体の意義に疑念が生じて来る。
この辺り、心理分析、哲学的思考の展開に精神病理的想念がミックスされて、よく理解できない部分だ。
精神の閉塞状態に陥った代助は、「やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可ん」と、啓示を受けた如く目の前が開ける。

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