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2015年12月

2015年12月30日 (水)

望陀布について

第67回正倉院展-京都、奈良行(4)」で、妻の奈良国立博物館への望陀布に関する質問から派生したエピソードについて記したが、その後の経過をここに報告したい。

妻は正倉院展第62回図録NO43解説に出て来る「続日本紀」(1)の該当箇所を確認したいと希望した。
地元市立図書館で岩波版新日本古典文学大系vol.13「続日本紀」2を借りて来た。ちなみに「続日本紀」は、このシリーズでは5分冊と別巻1冊という大部から成っている。
見開きの右ページに原文である漢文、左に読み下し文、左ページ上には段落ごとのサマリー、下に脚注、巻末に補注があり、見ると殆んど単語ごとに注が付いている。

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上は該当箇所の左ページ

これと前後して、新聞折り込みの地域情報誌に地元市立博物館主宰の講座受講募集が載り、第1回が「望陀布」だったので、これも妻の希望で申し込んだ。
募集記事にあった「千葉県史」に妻が興味を示し、やはり図書館で確認したところ、千葉県資料研究財団編纂の「千葉県の歴史」(2)の事で、該当箇所は「通史編古代2」(平成13年3月25日)であることがわかった。
こちらは貸出不可なので、該当部分をコピーした。

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上は該当箇所(第2編第5章第1節「上総の望陀布」

以上を予習した上で12月12日の講座へ臨んだ。
講師の方は地元の県立高校の日本史の元教諭で、妻が終了後に聞いたところによれば古代史が専門の由。
演題は「望陀布の品質と使途」(3)。

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上は配布されたテキスト。

望陀布についてあれこれ勉強している時にタイムリーに開かれて、幸運だった。

奈良時代の律令制度が津々浦々に至るまで厳格に機能していたことに驚く。
調として貢納される布は、種別ごとに一人(丁)あたりの分量が定められていた。
それを定めていたのが「養老賦役令調絹絁(あしぎぬ)条」(a)。
これは、何度か改訂されたようで(3)に養老元年(717)12月の「令集解」調絹絁条の古記が紹介されている。
(1)の該当文は「聖武天皇の天平8年(736)5月12日」で、やはり調庸布の規格改訂の記述。「上総望陀細貲」(かみつふさのまくたのさよみのぬの)」他は対象外とある。

また「延喜式」(927)主計上(b)から上総の国の調布の規定も紹介されている。
両者は200年の隔たりがあるが、基本的に貢納の条件は同じで律令制度が膨大な時間機能し続けていたことに(3)は触れている。

今回わかったのは、
・調布で固有名詞を持っているのは「望陀布」以外は「美濃の絁」のみであること!(絁(あしぎぬ)=「悪し絹(あしきぬ)」でランクの低い絹織物)
・一口に調布と云っても絹、(麻)布に分かれ、上総地方は絁と布を貢納していたが布は細布、貲布、望陀布に大別されることetc.

また正倉院に残されている全国の調布を分析すると、上総の貲布(望陀郡のものは残されていない。(1)の補注を見ると「周准郡」の貲布があると書かれている。)の織り密度は他国の3~5倍と高いが、正倉院文書(「造寺雑物請用帳」)の売買価格から比較すると望陀布が破格な安さだったことになるという新解釈を(3)の講師は示した。

(a)、(b)とも(1)の「上総望陀細貲」という語は出て来ない。
(a)は「望陀布」、(b)では「望陀布」、「望陀貲布」と云う語がある。
(3)では「望陀布」、「望陀貲布」の品質は同等と判断しており、第62回図録NO43解説の解釈(=市原郡の貲布は「望陀布」と同等である。)は妥当であろう。

「望陀布」の用途について、(3)は正倉院文書、延喜式から読み解いて、(2)よりも完全な形で述べている。

我が郷土にちなむテーマについて、妻の主導で思わぬ勉強をすることが出来た。

2015年12月26日 (土)

静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-3(最終回)

また谷崎「蓼喰う虫」について。
淡路浄瑠璃行の9~11章に続き、12章は神戸山手Mrsブレントの家の馴染の娼婦ルイズとの関係が描かれるが、ここも唐突な感が否めず、前後の脈絡が希薄だ。
そして最後の13,14章は離婚話で京都の義父宅を夫婦で訪問する顛末だが、義父は娘の美佐子を料亭に連れ出し娘夫婦の撚りを戻そうと尽力する一方で、夫の要は義父宅に残り、入浴、食事、蚊帳の中での小憩と、淡々とお久の給仕を受けるという、小説から離れて改めて見てみると、やや尋常でない感のある展開が続くところで、すべて未解決のまま小説は幕を閉じる。

唐突な終わり方で、それは読者の自由な想像力に委ねる事ともなるので奥深い感じもあるが、読み終えて全編を振り返ってみると全体の構成に難があるようだ。
要夫婦の帰着する先が明示されていないが、多分老人の努力は実を結ばないこととなるのだろう。
ただ、その先要はどこに行くのかが漠然としている。これも多分お久への思いが募って行く事が絡んで来るのではないだろうか。
そして重要なモチーフである人形浄瑠璃は要にどう作用して行くのか。

すべて材料が並べられたところで中途半端に終わってしまった感があり、読者として大変な欲求不満状態へ追いやられてしまった。そもそも「蓼喰う虫」の「蓼」は誰で、「虫」は誰なのか?読み終えてもストレートには判然としない。

水村美苗は「続明暗」を書いたが、出来得れば「続蓼喰う虫」を書く人を待望したい。

閑話休題。

展示場を出てエントランス・ホールにある売店へ。
図録はないようだ。その代わりと言っては何だが、受付で貰ったパンフレットが置いてある。
絵葉書と一番奥にあった「東京人」」12月号の静嘉堂特集号を買った。

静嘉堂の命名の由来や、前、新静嘉堂文庫館長の中根千枝、河野元昭他の鼎談で沿革、コレクション紹介、オーナーの岩崎彌之助、小彌太親子のエピソードの披露、主要収蔵品のグラビア等々、ちょっとした静嘉堂ハンドブックだ。

鼎談で中根が小彌太の時代の文庫長の諸橋轍次について述べている。
この人は箱根の小彌太の別荘「見南山荘」の命名者だ。
現在山のホテルとなり、小彌太が造園したつつじ園、石楠花園は今やホテルの代名詞となっているが、つつじ園の中に「見南山荘記」という石碑がある。

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末尾に「昭和巳卯春日 文學博士諸橋轍次撰書」とあり、巳卯すなわち昭和14年(1,939)に書かれたものと分かる。

当時のつつじ園の様子はホテルのロビーに掲示されている川瀬巴水の版画で偲ぶ事が出来る。

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ロビーでは4作品を見ることが出来るが、これはその中の1点「ベランダより見るつつじ庭」。
着物姿の女性が画面左中央に見える芦ノ湖の方を向いている。

巴水は小彌太の委嘱により、昭和10年(1,935)6月に見南山荘を訪れ、夏には全6点が完成したようだ。
千葉市美術館の「巴水展」('13~'14)で全点展示された。

昭和10年の谷崎潤一郎は、2番目の夫人丁未子と1月に離婚、4月に根津松子と挙式している。また、9月に「源氏物語」の現代語訳を開始、昭和14年に中央公論社から刊行が始まっている。
この時の校閲者が山田孝雄(やまだよしお)で、諸橋轍次といい、碩学はいるものだと感じ入った次第。

時代はすでに満州事変が起き、日本は国際連盟を脱退していて、翌昭和11年には2.26事件、そして昭和14年には英仏がドイツへ宣戦布告している(第2次世界大戦)。
また地元の市民文化ホールにあった音楽情報誌「ぶらあぼ」2,016年1月号に小澤征爾のインタビューが載っていて、プロフィールを見ると小澤は昭和10年に生れている。
すでに80年の時間が経過したわけだ。

静嘉堂文庫の設立は明治25年(1,892)蔵書数和漢古典籍20万冊、美術館は平成4年(1,992)開館、3年前に20年目を迎え、収蔵庫のリニューアルに着手したとのこと。
美術品6,500件(内国宝7、重要文化財83、重要美術品79)。

これまでに訪れた事のあるところと比較してみると、
藤田美術館(大阪)は昭和29年(1,954)開館、美術品2,111件(内国宝9、重要文化財52)。
大倉集古館(東京)は大正6年(1,917)開館で私設としては日本最古、美術品2,500件(内国宝3、重要文化財13、重要美術品44)、蔵書数3万5千冊。
ということになる。
共通点は、コレクションが東洋古美術であること。ただし大倉集古館は明治期以降の大観、玉堂、春草等の日本画のコレクションを有している。

静嘉堂文庫の規模が圧倒的であることがわかるが、その割に他の2館に比して展示スペースは狭小である。

(おわり)

2015年12月22日 (火)

静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-2

早や冬至である。
雲は多いが寒さは左程でもない。陽光にも恵まれ、過ごし易い日だったと云えよう。
朝日新聞に連載中の漱石「門」から一時離れ、谷崎潤一郎の「蓼喰う虫」を新潮文庫で読んでいる。
中盤から終盤の入りあたり、要(かなめ)が義父とその妾のお久と共に淡路島へ渡り、島の人形浄瑠璃小屋へ見物に行く件り。

9~11章にあたる部分だが谷崎の筆が自在、奔放で筵で覆われた仮設小屋の喧騒が活写されていて、読んでいて感じた楽しさはこれまで経験した事のないものだった。
浄瑠璃には不案内の身なので巻末の大変丁寧な解説を頼りにしながら読み進めたが、出し物の名がこれでもかと言うほど列挙されているのも、永井荷風が「西遊日誌抄」の中でニューヨークのメトロポリタン歌劇場他へ夜毎通い詰め、ヴェルディ、プッチーニ等のオペラを浴びるように観ていた件りが思い出された。

閑話休題。

受付で料金を払うとチケットではなくパンフレットを渡された。

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ロッカーへバッグとコートを入れ、展覧会の紹介映像を見た。
トイレは地下、と云うより多分美術館が斜面へ建てられているのでロビーが2階みたいな気がした。

正直、内部を見た印象はリニューアルされた感じがしない。

ロビースペースに並ぶように「曜変天目茶碗」(国宝)と「油滴天目茶碗」(重要文化財)がケースに収められて展示されている。
いきなりと云う感じで、粋なサプライズだ。

ここは窓外からは下界が展望でき、好天だったので暖かい陽光が室内に一杯に射し込んで来ていて素晴らしい空間だ。

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「曜変天目」の方は小ぶりで、藤田美術館のものと斑紋が大分異なっている。
甲乙付けがたいというのが正直な処だが茶碗の大きさは藤田美術館のものに慣れた目で見るとやや物足りなさを感じる。

「油滴天目」の方も器の形は自分の好みではなかった。

展示室へ入る。
入口に展示品目録が置かれていた。最近行った展覧会ではめずらしく英語版の目録も置かれていた。

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目録掲載点数は40品目。すべて静嘉堂所蔵で、展示期間が前後期に限定されたものがあるので目にしたのはこの日34点だった。
展示場はあまり広くない2室だけなので、自ずから点数は限られて来る訳だが、どれも見ごたえのある佳品揃いで、時間もかからず、疲れないで鑑賞出来た事は或る意味よかったと思う。

目玉の宗達「源氏物語関屋・澪標図屏風」(国宝)

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右隻の源氏十六帖「関屋」
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左隻の源氏十四帖「澪標」

パンフレットを見ると修復に3年を要し、亀裂、絵具の剥れ等の修理や縁に隠れていた部分が現れるなどの成果があった由。
画題の選定、画面構成や意味する処の深さ等、奥深い作品であるが、大画面で近ずいて見ると散漫な感じがした。
遠くから全体を把握しつつ見ると、構図の緻密さ、金地に緑の対比が鮮やかで秀逸な作品であると思った。

印象に残ったのは第2室にあった抱一の「波図屏風」。こちらは銀地に墨で波頭を荒々しく描き、抱一のイメージにない作風だが、見るほどに魅力の虜になって来る不思議な作品だ。
千葉市美術館の4年前の「江戸琳派」展の図録を見るとMIHO MUSEUMの「波図屏風」があった。(NO79)
前者は文化期、後者は文政後期で抱一晩年の作との事だが、作風は異なるものの共に光琳の「波濤図屏風}(メトロポリタン美術館)に触発されたものの由。

光琳の作品は3点。
「鶴鹿図屏風」がエントランス(前室)を飾る。金地に桜と楓が装飾的にデフォルメされて描かれ、この作は伝光琳とされているが、光琳らしい華やかな作品である。
第2室にあった「住之江蒔絵硯箱」(重要文化財、後期展示)。
京都博でも見た「舟橋蒔絵硯箱」(国宝)をモデルとしているとの事だが、光悦に比して地味で渋い作りだ。

光琳の実家は京都の老舗呉服商「雁金屋」で後水尾天皇の后、東福門院和子の御用達、とパンフレットにある。
後水尾天皇といえば修学院離宮を建造し、また桂離宮にも深く関わる人物である。
光琳の育った時代、環境が偲ばれる。

光悦の作品は「草木摺絵新古今和歌巻」。宗達の金銀泥下絵の上にしたためている。
京博で観た「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(重文)を思い出した。
光悦は寛永の三筆の一人で、今回の展覧会は残る二人、松花堂昭乗、近衛信尹(のぶただ)の書も揃って見ることが出来た。

第2室出口のそばに鈴木其一「雨中桜花紅楓図」。
千葉市美術館の「江戸琳派」展図録に同類型の作品が載っている。(雨中菜花楓図(NO231)。こちらの方が手が込んでいて、枝に雨に耐える蓑虫、落葉する楓も入っている。雨線は静嘉堂が右からに対し、こちらは左から、角度が異なる雨足があり、雨が細い線で構成されている。)
作品から受ける印象はどちらも同じで静謐なものだ。

其一と云うと、京博でも観た「夏秋渓流図屏風」(根津美術館)が素晴らしい。
これも千葉市美術館の図録に載っている。(NO209)

原羊遊斎の作も2点。
1点は、前室でもある出口右側にさり気なく置かれていて印象的だった。(片輪車蒔絵入子広蓋)
(つづく)

2015年12月13日 (日)

静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-1

12月9日(水)静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」展へ行って来た。
リニューアルオープンを記念した企画の第1弾で来年には第2、3弾が計画されている。

木更津から行くのは、ちょっと大変で総武横須賀線快速で品川まで行き、京浜東北線に乗り換え大井町で東急大井町線で二子玉川まで電車利用。
木更津発10時29分で二子玉川にはおおよそ13時に着いた。
以前五島美術館へ行った時は下車駅の上野毛が急行停車駅でないので大井町から普通電車に乗り、随分時間がかかったが、今回は急行で停車駅も多くなくあっと言う間に着いてしまった感じだ。

二子玉川駅から徒歩で行った。
途中砧線という路面電車が走っていた道を通る。

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道幅はあまり広くないが、歩道をたっぷり確保している。
しばらく歩いて右折して突き当たった道を左へ曲がりパークコートというマンションに差し掛かったあたりに「歴史と文化の散歩道」という案内標識が歩道に設置されていた。

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見ると都下23のコースが地図と共に紹介されている。その中の13番「世田谷コース」は、渋谷駅から二子玉川駅までの区間が線引きされている。
ここは「世田谷コース」の中のひとつで、「静嘉堂わき水散歩」として周辺の散策マップが掲示されている。

岡本静嘉堂文庫を中心に、なるほど小河川の多いのがわかる。
静嘉堂文庫の北を流れる谷戸川が丸子川に入り、丸子川は仙川から分岐し、多摩川と平行して東へ流れ、仙川は野川へ合流し、多摩川へ注ぐ。
右のパネルには「国分寺崖線」とあり、あとで調べてみると多摩川により形成された河岸段丘で、「はけ」とも言われている由。

「はけ」といえば大岡昇平「武蔵野夫人」を思い出すが、これは中央線小金井周辺が舞台で、そこから二子玉川まで約30kmだそうで、それぞれ武蔵野台地の西、東の果てになるわけだ。

大蔵通りに入り、やがて勾配を左へカーブすると静嘉堂文庫の正門がある。

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敷地内は広大で、岡本静嘉堂緑地といい、谷戸川と丸子川に囲まれるように公園になっていて、自由に散策を楽しめるように整備されている。
緩やかな上り坂を登りつめると静嘉堂文庫が見えて来る。

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上は静嘉堂文庫
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丘の頂上は台地になっていて、文庫と並ぶように美術館がある。

2015年12月 5日 (土)

九十九里行2

時間の経過の早さに今更ながら驚いている。
桜花爛漫のうららかな春がつい昨日のような気がするが、先月末に冷たい雨が降り、また昨日12月4日は一昨夜来台風のような強風が吹いて、私が利用する鉄道の運行が大きく乱れて通勤の足へ影響を与えた。気候の変化に伴い、先週から冬物の背広に変え、かつ下にヴェストを着、昨日はコートを着た。
いまや銀杏の黄葉も盛期を過ぎようとしている。

一転、今日12月5日は快晴、風無し、目の覚めるような好天である。

先週来富士の見える日が多くなった。

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上は今朝の富士。

閑話休題。

昨年に続き今年も九十九里へ行って来た。
ここの魅力は広大な九十九里浜から望む太平洋のご来光だ。

11月21日(土)。
圏央道を通って、約60km、1時間余りで行けるようになったのもよい。
サンライズ九十九里にチェックイン。
510号室で、昨年は507号室だった。ややセンター寄りである。

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部屋から見た海。青空に雲がかかり始めたような空模様だが、ダイナミックな空と海の広大さが日頃のストレスを吹き飛ばしてくれたような感じがした。

夕食は2階レストランで。昨年同様ビールを取った。サッポロ黒ラベルの中ビンである。
昨年は部屋へ戻ってから酔いと疲労が重なり、横になったら寝入ってしまい入浴を失した苦い経験をしているが、今年はしっかり4Fの大浴場へ行った。

翌朝、日の出は6時20分頃と聞いていたが、あいにくの曇り空で残念ながら今回はご来光を見ることは叶わなかった。
その代わりにガラス戸を開けると鳥の鳴き声が聞こえて来た。

「チイチイチイ」と千恵子抄のシロチドリの鳴き声で、それを今年は聞く事が出来た。

朝食も2階レストラン。
ビュッフェ形式で、パン、スクランブルエッグ、ウインナソーセージ、ジュース、牛乳の洋食系と鮭塩焼き、明太子、笹かまぼこ、納豆、肉じゃが、しらす大根、梅干し、焼き海苔、味噌汁etcの和食系と2回いただき、食後にコーヒーを2杯飲んだ。

10時にチェックアウトし、浜辺を散歩した。
途中通過するサンライズの庭にはなんと水仙につぼみが膨らみ始めていた。

タンポポやクローバーは花を付けている!

昨年見た千恵子抄碑の側を通るのだが今回は素通り。
波は穏やかな感じだったが、数人のサーファーが波に遊んでいた。

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浜辺から見たサンライズ九十九里。どんよりとした雲が空を覆っている。

「千葉県の歴史散歩」(山川出版社。1,997年)に出ているのだが、「武家屋敷門」(幕末の老中本田美濃守の表門。東大赤門、東京国立博物館内旧因州池田屋敷門と並ぶ武家3大門の一つに数えられるとの事)が九十九里町に移築されていて、見てみようと思っていたが、サンライズ九十九里のフロントで聞くと現在は一般公開はしていないとの事で、あきらめざるを得なかった(ちなみにこの本の表紙を飾っているのは九十九里浜のカラー写真で、中央に作田川と片貝漁港が見える)。

そこでまず望月定子美術館へ行った。

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館長は養女にあたる方で、館内は望月定子への愛情に満ち溢れていた。
個人経営であり、望月定子作品のみの個人美術館というユニークで貴重な存在である。

驚いたのは望月定子が62歳から絵を始めたという事。ほとんどが油彩で、郷土九十九里をテーマに絵具を塗るというよりキャンバスへ厚く盛り上げる、大変エネルギッシュで生命力の旺盛な作風だ。
館内のそここにお弟子さんがまとめられた望月定子が折々に語った絵画哲学がパネルで掲示されていて、読むと望月定子の感覚の鋭敏さ、含蓄のある洞察、魅力的な人間性が感じられ、感銘を受けた。

2Fも展示室で、全部で1,2F合わせ40数点くらいだったが、100号以上の大作が並んでいた。年2回(4、10月)展示替えしているとのこと。
個人的には1F第1室入口に展示されていた自画像がよかった。

伊能忠敬を生んだ九十九里の地に、晩年に意欲的な人生を送った望月定子のような人が出たのも何かの因縁かも知れない。
このような人が存在したことを知り、非常に元気をもらった気がしている。

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上は洒落た感じのエントランス・アプローチ。

次に行ったのは「海の駅九十九里」。
片貝漁港直近にあり、今年4月にオープンしたばかりのようで、日曜とあってにぎわっていた。

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入ってすぐこの水槽があり、泳いでいるのはいわし。いわし資料館もあり、歴史やさまざまないわしに因む情報が展示されていて勉強になった。

海の駅で土産を買って、「丸二」という食堂で昼食。
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上はいわしフライ定食。妻はいわし刺身定食をいただいた。
フライはサクサクとして大変美味。キャベツもなかなかいけた。
この日の刺身は背黒いわしとのこと。

それとはまぐりを注文。これもいわしと共に九十九里の名物だそうだ。

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大きなはまぐりが5枚で、火で炙り、あつあつを特製のたれを付けて食べた。

店内は昼食タイムとしては遅めにも係わらず満員状態だったが、店員の女性のみなさんの接客態度は大変好感が持てるもので、お腹のみならず心も満たされた。

そして最後に九十九里ハーブガーデンへ。

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入場は無料。大変広大な敷地に様々なハーブが栽培され、ハーブ畑やビニールハウスがあった。
売店では、ハーブ・ティーの茶葉をはじめ、さまざまなアイデア商品が並んでいた。

曇りで底冷えのする一日だったが、今回も充実した時間を過ごす事が出来た九十九里の休日だった。

望月定子美術館で教えていただいたのだが、私達が行った6日後の11月28日に千葉TV「ウイークリー千葉」で九十九里の特集が放送された。
番組で紹介していたのは、「海の駅九十九里」、「望月定子美術館」そして「丸二」と私達が行ったのと同じ処。
「丸二」ではいわし刺身定食と焼きはまぐりと食べたものまで同じ。

行ってきたばかりだったので、親しく番組を楽しむことが出来た。

2015年12月 2日 (水)

京都、奈良行(8)

京都、奈良紀行も最終回を迎えた。

何と早や師走である。10月末のレポートもだらだら1カ月以上かかってしまった。(^-^;

正倉院展が終わる11月9日位までにアップしたいと思っていたのが、琳派展すら終わってしまった。(^-^; 前置きはこのくらいにして本題へ入ることにする。

京都国立博物館には4時近くまで居て、それから秋季特別公開している妙法院を拝観すべく京博向かいの三十三間堂へ行った。
情報誌の記述からてっきり三十三間堂の中にあるものとばかり思い込んでいたのだ。(^-^;

受付で妙法院は別敷地となる事を聴き、時間切迫していたが、せっかくの機会なので教えてもらった場所へ移動する。
きわどく受付締め切りぎりぎりの4時に間に合った。

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国宝の庫裏、大書院襖絵の伝狩野永徳「花鳥図」(重文)、「唐美人図」と見て行く。偶々西日が襖絵を直射していて、貴重な文化財への対策が必要なのでは?と冷やっとさせられる。
また龍華蔵というミニ博物館のような処に遺宝が陳列されていたが、デジャブ感を持った。
妙法院は初めてだから、これら遺宝の数々を見るのも初めてなのは間違いない。
今思うと、奈良西の京、薬師寺の記憶の為せるわざなのかも知れない。

本尊は普賢菩薩騎象像(重文)。
本堂へ安置され、なかなか立派だった。

連想したのは大倉集古館の普賢菩薩騎象像だ。見た時は1階展示室最奥へ他の展示物に紛れて無造作に置かれていたが、こちらは国宝。
大倉集古館所蔵美術品500選の中でも、何点もの写真が配置されている1ページの中に小さく、やはり無造作に載せられていて妙法院と較べて取り扱いが対照的だ。
国宝なので格は集古館の方が上なのだが、像への待遇が逆なのが何とも皮肉である。

拝観終了の4時半には底冷えする寒さが押し寄せて来ていた。
ハイアットリージェンシー前のバス停まで歩き、バスを待った。待つ人も多かったが、来たバスも超満員。
1台目は見送り、2台目も同じ状況だったが、すぐ3台目が2台目が発車する前に来て、何とか乗る事は出来たが、超満員で身動きが取れない状態だった。

やっとの思いで京都駅に辿り着いた。
ホテルへ預けた荷物を取りに行ったついでにロビーで暫時休憩した。

緑の窓口で帰りの新幹線の特急券をGET。ここでも行列する。
新幹線構内売店で弁当と土産を買う。京漬物と伊勢赤福!

京都発18:18のぞみ144号7号車。
発車間もなく、弁当を食べた。(たん熊北店のもの、新幹線弁当)

食べ終わると旅の疲れがどっと出て来て、お腹が膨れたことも手伝い、2人してうたた寝をしてしまった。
移動中の車内で読もうと持参した文庫本(谷崎「蓼喰う虫」)の出番は今回の旅ではあまりなかった。
(終わり)

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