« 静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-3(最終回) | トップページ | 元旦の富士 »

2015年12月30日 (水)

望陀布について

第67回正倉院展-京都、奈良行(4)」で、妻の奈良国立博物館への望陀布に関する質問から派生したエピソードについて記したが、その後の経過をここに報告したい。

妻は正倉院展第62回図録NO43解説に出て来る「続日本紀」(1)の該当箇所を確認したいと希望した。
地元市立図書館で岩波版新日本古典文学大系vol.13「続日本紀」2を借りて来た。ちなみに「続日本紀」は、このシリーズでは5分冊と別巻1冊という大部から成っている。
見開きの右ページに原文である漢文、左に読み下し文、左ページ上には段落ごとのサマリー、下に脚注、巻末に補注があり、見ると殆んど単語ごとに注が付いている。

1img_5304
上は該当箇所の左ページ

これと前後して、新聞折り込みの地域情報誌に地元市立博物館主宰の講座受講募集が載り、第1回が「望陀布」だったので、これも妻の希望で申し込んだ。
募集記事にあった「千葉県史」に妻が興味を示し、やはり図書館で確認したところ、千葉県資料研究財団編纂の「千葉県の歴史」(2)の事で、該当箇所は「通史編古代2」(平成13年3月25日)であることがわかった。
こちらは貸出不可なので、該当部分をコピーした。

1img_5303
上は該当箇所(第2編第5章第1節「上総の望陀布」

以上を予習した上で12月12日の講座へ臨んだ。
講師の方は地元の県立高校の日本史の元教諭で、妻が終了後に聞いたところによれば古代史が専門の由。
演題は「望陀布の品質と使途」(3)。

1img_5305
上は配布されたテキスト。

望陀布についてあれこれ勉強している時にタイムリーに開かれて、幸運だった。

奈良時代の律令制度が津々浦々に至るまで厳格に機能していたことに驚く。
調として貢納される布は、種別ごとに一人(丁)あたりの分量が定められていた。
それを定めていたのが「養老賦役令調絹絁(あしぎぬ)条」(a)。
これは、何度か改訂されたようで(3)に養老元年(717)12月の「令集解」調絹絁条の古記が紹介されている。
(1)の該当文は「聖武天皇の天平8年(736)5月12日」で、やはり調庸布の規格改訂の記述。「上総望陀細貲」(かみつふさのまくたのさよみのぬの)」他は対象外とある。

また「延喜式」(927)主計上(b)から上総の国の調布の規定も紹介されている。
両者は200年の隔たりがあるが、基本的に貢納の条件は同じで律令制度が膨大な時間機能し続けていたことに(3)は触れている。

今回わかったのは、
・調布で固有名詞を持っているのは「望陀布」以外は「美濃の絁」のみであること!(絁(あしぎぬ)=「悪し絹(あしきぬ)」でランクの低い絹織物)
・一口に調布と云っても絹、(麻)布に分かれ、上総地方は絁と布を貢納していたが布は細布、貲布、望陀布に大別されることetc.

また正倉院に残されている全国の調布を分析すると、上総の貲布(望陀郡のものは残されていない。(1)の補注を見ると「周准郡」の貲布があると書かれている。)の織り密度は他国の3~5倍と高いが、正倉院文書(「造寺雑物請用帳」)の売買価格から比較すると望陀布が破格な安さだったことになるという新解釈を(3)の講師は示した。

(a)、(b)とも(1)の「上総望陀細貲」という語は出て来ない。
(a)は「望陀布」、(b)では「望陀布」、「望陀貲布」と云う語がある。
(3)では「望陀布」、「望陀貲布」の品質は同等と判断しており、第62回図録NO43解説の解釈(=市原郡の貲布は「望陀布」と同等である。)は妥当であろう。

「望陀布」の用途について、(3)は正倉院文書、延喜式から読み解いて、(2)よりも完全な形で述べている。

我が郷土にちなむテーマについて、妻の主導で思わぬ勉強をすることが出来た。

« 静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-3(最終回) | トップページ | 元旦の富士 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 望陀布について:

« 静嘉堂文庫美術館「金銀の系譜」-3(最終回) | トップページ | 元旦の富士 »