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2016年3月19日 (土)

谷崎潤一郎「饒舌録」他を読む

中央公論社版「谷崎潤一郎全集」第20巻(昭和43年刊)から評論数編を読んだ。
はじめは「「門」を評す」(漱石「「門」を読む-3('16.2/26))を読むため図書館から借りて来たのだが、「饒舌録」に芥川龍之介との論争を見出し、「芸術一家言」の漱石「明暗」評、そして「「つゆのあとさき」を読む」と読み、大変勉強になった。

「饒舌録」は芥川との論争のみならず、東洋と西洋の文学、文明比較論、また論は演劇にも及び、歌舞伎、就中6代目菊五郎、人形浄瑠璃、戯曲論と守備範囲の広い所を見せ、最後は露伴論で終わる。
芥川との論争は芥川の「文芸的な、余りに文芸的な」と併せ読んだが、印象を一言で云えば谷崎の方が堂々とした論調であるのに対し、芥川の方は読んでいて何かこせこせした感じを受けた事だ。
谷崎は「饒舌録」に芥川自殺後の所感も記しており、曰く「故人の死に方は筋のない小説であった。」「芥川君は小説家ではなかった。小説」「には不向き」「だった。」芥川に欠けているのは見識ではなく、それを発表しようとする勇気である。・・・「何と云う傷ましい人であることか。」と慨嘆している。
概して谷崎の文章には、行間におおらかさ、豪放磊落な人間性を感じる。

「芸術一家言」(大正9年「改造」4、5、7、10月号)では漱石の「明暗」を論じる。事件、人物に伏線が張られても、瑣末的な事が紆余曲折してだらだら続き、本筋が出て来ない。人物相互でくだらない事で腹の探り合いをする場面が長すぎる、とし、漱石は「東洋芸術の精神に傾倒する詩人で、新しい意味の近代の小説家ではない」と断じる。
「明暗」は通俗小説であり、だらだら書かれた低級な作品である、と酷評している。
大正9年といえば「明暗」発表後4年目であり、世評が高かった中での批判には勇気を要したと思う。現在に至るまで「明暗」は漱石の到達点として高い評価を受けている。江藤淳も「夏目漱石」の中で「近代小説の誕生」というサブタイトルを付して「明暗」を論じている。
もう一度「明暗」を読み直し、自分の頭で判断しなければならないと思った。「芸術一家言」は私に大きな宿題を与えた。

「「つゆのあとさき」を読む」(昭和6年「改造」)は、谷崎の荷風文学への深い理解を物語る評論だ。のみならず紅葉を明治中期文学の最高峰と位置付け、続く自然主義文学を硯友社のマンネリズム打破の通過点とみなし、何らかの形で鴎外、漱石、荷風へも影響が及んでいるとするなど、視野の広さをも示している。
衝撃的だったのは「雨瀟瀟」(あめしょうしょう)に荷風の陰惨孤独な境涯を見出している件りだ。「雨瀟瀟」は大正10年、荷風42歳の作品だが谷崎は、老境に入り、創作熱の衰え、芸術的感興が枯渇してしまうみじめさに思いを致している。
その末に「つゆのあとさき」を位置付け、青年期の夢、情熱が消え、人生を冷やかに見る視点を得て、淫蕩なストーリーを脱俗的に叙述し、難しい理屈をこねずに東洋の文人らしく淡々と綴る事で得られた境地の作品と捉える。
また末尾の注へ「改造」掲載時にこれを読んだ荷風からの書簡が抜粋で掲載されている。内容は本論への荷風の全面的な賛辞で、谷崎としても忌憚なく論じた「つゆのあとさき」論が荷風自身から支持されて、意を強くしたことの反映だろう。

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