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2016年4月21日 (木)

鴎外記念館行(東京散歩3)

4月1日(金)文京区立森鴎外記念館へ行って来た。
神奈川近代文学館の「富士川英郎展」(富士川英郎展)により、富士川の著作に触れ、富士川の鴎外への思い入れの深さを認識して、鴎外との関わりにおける資料閲覧、コピーをするべく記念館行を思い立った次第。

先ず休館日でない事を確認するため電話した。
そして、資料の有無等を問い合わせた。
一旦電話が切れ、先方から返事が来てわかったのは、かつての「文京区立鴎外記念本郷図書館」は、文京区立本郷図書館とかつての鴎外記念室が森鴎外記念館とに分離され、図書館は近隣の別の場所へ移り、記念館の方が観潮楼跡の鴎外ゆかりのこれまでの場所に設置されることとなったという事だ。
記念館の電話番号を教えてもらい、改めて電話し直し、目指す資料のある事を確認して・・・と電話の遣り取りで手間取ってしまい、自宅を出るのが大幅に遅くなってしまった。

よって昼食は地元で済ます事にし、駅近くの「浜長」(お気に入りの店-2)で天丼を食べた。
内房線で千葉から総武快速に乗り、錦糸町で中央線へ乗換え、お茶の水から千代田線で千駄木下車、団子坂を上りきった辺りが記念館だ。

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表通り側から見た記念館のアプローチ。最奥右手が入口。
無機質で暖か味に欠けるデザインだが、これはこれで悪くはないと思う。
奥に見える銀杏の木は鴎外の頃からのものだそうで、その左手が当時の正門で観潮楼跡のプレートが据えられ、見ると鴎外生誕150年を記念して平成24(2,012)年に完成した由。また旧鴎外記念本郷図書館は、昭和37(1,962)年、生誕100年の年に建設されたとある。
私は今回が2度目で、旧鴎外記念本郷図書館時代の平成14年11月に来て以来14年振りになる。

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入口と反対側に設置されている案内板。

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案内板の右端は文学散歩図で上はその部分図だが、左の方に茶色の字で「ファーブル昆虫館(虫の詩人の館)」が!!奥本大三郎先生の私設博物館ではないか。今回は時間がないので行けなかったが、これで次回の楽しみができた。

記念館では企画展開催中で、受付で観覧料300円を支払うも、展示は後にして2Fの図書室へ直行する。

岩波版第1次、第2次鴎外全集月報閲覧を申し込む。共にハードカバーがあしらわれ立派に製本されて、前回とは様変わりしていた。
第1次はコピー元自体がコピーで、判読は出来るが精細度に欠ける。第2次の方はB6の見開きで小さく、しかも糸綴じされているので中央部分が充分開かず、片側1行分コピーに入らなかったので止むを得ず筆写した。
今回コピーを取ったのは以下のとおり。
第1次月報
NO.2(昭和11年7月)「森先生の伊澤蘭軒を読む」(永井荷風)のみ
NO.26(昭和13年12月)(富士川英郎「鴎外とリルケ」所収)
NO.29(昭和14年3月)(富士川英郎「独墺の小説家」所収)
NO.30(昭和14年4月)

NO.26の富士川の文章は、NO.25の馬場久治「森鴎外とライネル・マリア・リルケ」が契機となって草されたもので、全集編集部への投書だとの付記がある。鴎外の小品でリルケの小品に触発されたと考えられる作品について、その根拠となる確証を全集所収の鴎外日記を読んでいて得た事とか、昭和5、6年頃東大独文の学生時代に図書館で見たリルケの著作は悉く旧鴎外蔵書だった事(*1)とかが述べられていて、全集の一読者の立場から書かれたものではあるが、リルケを専門とする独文学者の熱心かつ真率な文章なので例外的に月報へ採用される事となったのだろう。
NO.29の方は「鴎外全集」所収の鴎外が翻訳した19、20世紀初頭の独墺の小説の作者の概略説明と主要作品が列挙されるだけのもので、私が名前を知っているのは「牡猫ムルの人生観」のホフマンのみだった。

(*1)「森鴎外記念会」機関誌の「鴎外」創刊号(昭和40年10月)の森於菟「砂に書かれた記録」第3章に鴎外蔵書を東大図書館へ寄付する事とした内面の経緯が記されている。寄付された時期は大正末~昭和初年頃と思われる。したがって富士川は寄付されて間もない鴎外蔵書を手にしていたわけだ。森於菟は鴎外の長男。この文章は長文で、鴎外の思い出とか、遺品は本郷の記念館と津和野の郷土館へ一部が寄贈された事とか、本郷の記念館設立に関する事等、大変興味深い内容である。また現在記念館で見られる展示品はこれらの遺品である事を思うと感慨深い。

第2次月報
今回のテーマは富士川英郎関係の記事で、第1次月報のような図書館作成の目録がないので、号毎の目次を順に見て行った。結果第2次には、富士川執筆の記事はなかった。
そこで、「富士川英郎展」で名前を記憶していた寺田透が寄稿している号と、荷風の第1次と同タイトルの文章が出ている号とをコピーした。
NO.10(昭和27年3月)(寺田透「鴎外全集三・四巻」所収)
NO.16(昭和27年9月)(荷風「森先生の伊澤蘭軒を読む」所収)

寺田は、鴎外の小説が新しさを失わないことについて考察し、独創性と奇を衒わないことへ帰結させている。また全集三・四巻中の白眉は「妄想」、「雞」(とあるが、第3次全集著作年表明治42年8月の「鶏」か?ちなみに第3次では、2作は各々Vol.8、5所収。)としている。
荷風の文章はタイトルが同じなので、第1次の再録と思ったが、念のため比較すると出だしが違う。ので、同名異文と即断してしまったが、帰宅して改めて比較してみたら始めの7行が第2次ではカットされているのみで、以降は全く同じだった。
この文章は荷風全集に入っていて(岩波版第15巻(昭和38年))、第1次の方で載っている。また「鴎外記念館のこと」という小文もあって、後記を見ると記念館が完成する3年前の昭和34年に書かれていて、これは荷風の歿年でもあり文章に締りがなく、鴎外との思い出を取り留めなく綴り、焦点がぼけて題名にそぐわぬ内容になってしまっている。
第1次月報の荷風の次に掲載されている斎藤茂吉の「「伊澤蘭軒」寸感」の方がインパクトがある。「蘭軒伝」の先駆けとして富士川游(富士川の父)「伊澤蘭軒先生」を鴎外が失念していた件と井伏鱒二の「蘭軒伝」連載中の中学生時代の投書のエピソードの件を紹介している。

今回は的は絞ったが出発が遅れた事と、閲覧、コピーに意外に手間取った事とで他の資料まで目が届かなかった。
鴎外関係書籍は、開架棚に参考になりそうなものがいろいろ並んでいた。
「鴎外」最新号も目に止まった。頁を開くには至らなかったが、帰宅して手元にある「鴎外」を見たら、NO.10(昭和47年1月)に富士川の「「伊澤蘭軒」補遺と正誤」を見出した。
これは第3次全集月報NO.16~26まで11回にわたって連載された「「伊澤蘭軒」標注の母体とも言うべきもので、ここで記述されている「蘭軒伝」各章の記載内容は殆んどそのまま「標注」へも採用されている。月報への連載開始は昭和48年2月と「鴎外」掲載のほぼ1年後だ。富士川自身が「鴎外」に記しているように、「長年耽読し、さまざまの啓発を受けつづけ」た「蘭軒伝」への愛着が感じられる。

展示室は「1,915-16-100年前の鴎外とその時代」展中だった(4月3日まで)。企画展は第2展示室で、第1展示室の方は常設展示。こちらは鴎外の業績を編年で見て行く構成。いずれも貴重な資料が多かったが、時間もなく、広範なものなので充分鑑賞するには至らなかった。
映像室では加賀乙彦、安野光雅、平野啓一郎の鴎外観(感?)が流れていた。安野は津和野出身で鴎外と同郷、「即興詩人」を推奨、平野は鴎外文学の本質を「諦観」に帰して、「鴎外は生涯人間にはどうにもならない事があるという意識があったのでは」としていた。

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鴎外「沙羅の木」の詩碑。鴎外三十三回忌の記念に製作され、荷風が書写、昭和29年7月に森於菟等から文京区へ寄贈された。この経緯も前掲、森於菟「砂に書かれた記録」第46章に記されているが、冒頭「昭和29年」とあるべきを「昭和39年」とあって、これはミスプリントだろう。

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横長の石が「三人冗語の石」。森まゆみ「鴎外の坂」第6章扉に写真があり、左にこの石に座す鴎外、中央に露伴、右に斎藤緑雨の三人が写っている。
「鴎外の坂」第6章は観潮楼が細木香以(*2)のゆかりの地である事に触れ、香以の姪(儔(とも))が芥川龍之介の養母である事にも言及している。「細木香以」には、鴎外は「龍之介さんは儔の生んだ子である。」と記しているが、芥川が面談の上情報提供したにも関わらず、実母と誤解する事があり得るのだろうか?腑に落ちないところである。

(*2)鴎外「細木香以」がある。

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文京区が設置した「藪下通り」の案内板。観潮楼時代の正門が面している通りがそれで、旧正門の道路向かいに立っている。今回は東京散歩と言うにはおこがましいが、記念館を出てこの通りを歩いた。かつては鴎外の散歩ルートだった由。先の「細木香以」第3章に「藪下の道」として紹介されている。

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この日満開だった桜。この桜は崖下に位置する文京第八中学校の敷地内にあった。

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千駄木町57番の漱石住居跡の石碑。「吾輩は猫である」が執筆された家として有名だ。おりしもこの日(4月1日)から朝日新聞で「猫」連載がスタートしている。この家は漱石に先立ち鴎外も住んでいたとの事で、稀有な例だ。前掲、森於菟の文章の第10、11章で藪下通りと漱石住居跡前が彼の小学校、一高、帝大時代の通学路だった事や、家主だった斎藤阿具(一高教授、漱石の学友)からのこの家に絡む書簡の事とか、この家との貴重なエピソードが綴られている。

再び藪下通りに戻り、根津神社境内に入ってお守りでもと思ったが、既に18時を回っていて入手できなかった。神社の正門側へ出ればS坂だったが、寒さも身に沁みて来ていたので裏門坂側へ戻って不忍通りに出て、千代田線の千駄木駅へ向かった。

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