« 東京散歩4 | トップページ | 箱根・熱海行(その1) »

2016年5月10日 (火)

「夏目漱石」展

4月26日(火)神奈川近代文学館の「100年目に出会う 夏目漱石展」へ行って来た。初夏のような暑い日で、3月18日の「富士川英郎展」から1月ちょっとというのに随分気候が変わったのに今更に驚かされる。

1img_5626
上は高速バスがベイブリッジに差し掛かった時のみなとみらい新都心。
いつものようにフランス山から港の見える丘公園を横切り、文学館へ。

1img_5634
上は大仏次郎記念館を過ぎ、すぐにある案内看板。
下は文学館入口の看板。サツキが咲き始めている。

1img_5636
今回は神奈川近代文学館として3度目の漱石展で、漱石の没後100年を記念するもの。私は2,002年の前回も見たが、その時は遺族からの遺品の受贈を記念した展覧会だった。

今回の図録は何版というのか前回のB5より幅が3cm弱広くなった。写真図版を大きく載せていて、大変見やすい。

1img_5654
前回は「文学論」の原稿の夥しい漱石の訂正の赤インクに圧倒された。これは、以後常設展示室の漱石コーナーへ置かれ、訪れる度に目にするのが楽しみの一つになっている。今回も展示されていた。

過去の漱石展は2,007年の江戸東京博物館の「文豪・夏目漱石」展へ行っている。この展覧会は東北大創立100年、漱石朝日入社100年、江戸東京博物館15周年を記念したものだった。「公式ガイドブック」の巻末に「漱石文庫について」というページがあり、漱石の蔵書、日記、断片等が戦時下東京の空襲を逃れるため、小宮豊隆、阿部次郎の尽力により東北大付属図書館へ収められる事となった経緯が紹介されている。
今回も、東北大収蔵資料は重要な位置を占めており、英文詩稿、断片、日記、書簡、そして漱石蔵書等が展示されていた。

2,007年は漱石展ではないが、千葉県成田市に日本近代文学館成田分館の開館に併せて開催された記念展覧会「近代文学の至宝・永遠(とわ)のいのちを刻む」展(成田山書道美術館)があり、一葉、芥川、志賀直哉、鴎外、露伴、藤村をはじめ数多の作家達の原稿が一堂に会した見応えのあるものだったが、図録を見ると巻頭を飾っているのは漱石と二葉亭四迷で、漱石の方は「明暗」冒頭部である。これは今回の漱石展でも展示されていた。

今回の展示で印象深かったのは、岩波茂雄宛て書簡へ添えられた「ars longa, vita brevis」(芸術は長く、人生は短し)の朱に白抜きの「心」見開きページのデザイン。漱石自身の手彫りとの事だが、味わいがあると改めて感じた。
また各セクションの始めに解説文がパネルで置かれていたがすべて奥泉光氏のもの。これらはすべて図録にもそのまま収録されている。
示唆を受けたのは「明暗」に三人称多元の手法が用いられていると述べている点だ。「明暗」はいずれ再読すべき小説だとの思いを改めて強くした。

留学中、後の漱石の精神の病と家族へスポットを当てているのも今回の特徴だが、鏡子の漱石宛て書簡を見るのは初めてで貴重な体験だった。

それと東京都心図へ「それから」、「門」、「三四郎」といった作品の主人公達の行動軌跡をプロットした展示は大変インパクトがあった。
また今回の収穫の最大のものと言っても良いのは、出口脇にある販売カウンターにあった「漱石と歩く東京」(雪嶺叢書、北野豊著)だ。

1img_5651
最近読んだ「それから」、「門」について展示を見ると、「門」では宗助宅の最寄りの電車の終点を江戸川橋とし、崖下の家は早稲田大付近としている。「それから」の代助の実家の青山から練兵場を経由して四谷までと、それから三千代宅(たしか大曲とあったと思う)までのルート(「それから」14章)が示されていた。

これを北野氏の本で参照すると、「門」の書かれた明治43(1,910)年は、終点は江戸川橋ではなく大曲で、北野氏の地図で見ると早稲田大は隅に入ってはいるが、宗助宅付近とは言い難い。
「それから」の三千代宅を大曲とするのも北野氏の地図では伝通院直近となっていて、大曲からは大分離れている。(先に書いたように私が展示を誤解したかもしれない)

北野氏の地図では大曲近傍に江戸川に架かる中之橋脇にトッパン小石川ビルが示されている。トッパンホールがある場所だ。飯田橋駅から歩いた事があるが、15分はかかる。宗助宅と早稲田大は、それ以上の隔たりがある(別図ではあるが同スケールのようなので)。

「三四郎」で団子坂の菊人形見物で美禰子と三四郎が谷方面の小川へ行くくだり。川は藍染川といい、石橋はびわ橋だそうで、本郷周辺図に示されている。これを見ると三四郎の下宿はおろか野々宮の下宿や広田先生宅も東、西片町と示されていて、本当に作品から割り出せるのだろうかと驚かされてしまった。
最近漱石作品を読んでいて、地理的位置が知りたくなる事が多かったので正に欲しいと思っていたものに出会えたのは幸運だった。

前回の図録を見ていて「もう一つのvastness」というリービ秀雄のコラム・エッセイが目に留まった。前回の時点ではリービ秀雄という人は知らなかった。その後「千々にくだけて」他が収められた文庫を読み、母語が英語でありながら日本語で小説を書くという特異な人で、しかも同年であることもあり、この人の名は記憶に刻まれ、図録の頁を繰っている際に目に止まったのだ。
彼は江藤淳「夏目漱石」第1部第3章冒頭で引用されている漱石が英国留学へ向かう船上で記された明治33年10月の英文断片の冒頭部分(The sea is lazily calm and I am dull to the core,lying in my long chair on deck.・・・)を対象にして、英語を母語としない人間の文章とは思えない不思議さを書いている。

ただ前段でこの文章に対して「ぼう大な空虚をつづった」としているのには疑問を感じた。'vastness'、'emptiness'、'aethereal'といった言葉から「不思議な感触」を受けたというが、原文を見ると'emptiness'という語は使われていない。

'emptiness'ではなく、漱石は'vacancy'と'nothingness'を併記している。察するにリービ秀雄はこのエッセイを記憶を元にして書き上げているのだと思う。それだけ血肉化しているということなのだろう。
私の英語力ではこの漱石の文章は難解で、一読のみでは自信がないが、印象としては空虚というより、茫漠とした大洋の中に存って空と海が混然一体となった自然から受ける心的悠久感を表現しているように感じる。

漱石は'aethereal'を'aesthereal'と誤記している。
また全集13巻(昭和40年版2刷)のこの断片へ付された注解は、「夢十夜」第1夜へ反映されたとあるが、これは第7夜の誤りだろう。

1img_5642
帰途、港の見える丘公園展望デッキで見かけた猫。毛並みも良く、堂々としていた。
下は元町入口バス停に掛かっていた朝日新聞の広告。猫がユーモラスで可愛い。

1img_5646

« 東京散歩4 | トップページ | 箱根・熱海行(その1) »

読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/591235/63608355

この記事へのトラックバック一覧です: 「夏目漱石」展:

« 東京散歩4 | トップページ | 箱根・熱海行(その1) »