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2016年6月

2016年6月21日 (火)

谷崎潤一郎「吉野葛」、「蘆刈」を読む

谷崎潤一郎の「吉野葛」と「蘆刈」を読んだ。読み終えて一月以上過ぎているので細部の記憶が飛んでしまっているが、どうしても書きとめておきたい気持ちが強く、取り留めないものになるのは承知で綴ってみる事にした。

池澤夏樹個人編集の河出版「日本文学全集」Vol.15(2,016年2月)を図書館で目にして、池澤氏の解説に興味を覚えて借りる事にして、序でと言っては何だが「吉野葛」を読み、更に序でに「蘆刈」も読んでおこうという事で読んだ次第。

この2作品は「吉野葛」が昭和6(1,931)年、「蘆刈」が昭和7(1,932)年と谷崎が40代半ばの同時期に発表されていて、作品の構造、テーマに共通するものがあり、セットで読んだのは半ば偶然とはいえ貴重な体験だった。

2作品とも筋を進行させるのは「私」という作者の化身のような人物だ。それが冒頭魅力的なモチーフを提示する。それがまた悠久の過去の歴史の悲劇であり、それが展開される舞台となった土地へ「私」の足を運ばせ、土地の委細を過去現在を織り交ぜて興味深く巧みに語って読者の興味を逸らせない。
それに加えて谷崎の古典、伝統芸能への造詣の深さが遺憾なく作品に発揮されている。

そうして読み進めて行くと、やがて作品の真のテーマが現われて来る。2作品に共通しているが、それは「母性」への追慕の念である。そしてその「母性」を求めて止まないのは「私」ではなく、対になるもう一人の登場人物なのだ。

導入部分の魅力的な語り口に一気に作品へ引き込まれたのに、連れて行かれる処はそれとは別の世界。豊饒なエピソードに満ちてはいるが、いささか肩すかしを喰ったような妙な気分にさせられる。
そして落ちというかラストはそれまでの重厚とも言ってよい作品進行に較べれば余りに呆気ないというか、煙に巻かれるようなエンディングである処も共通している。

以下覚書
「吉野葛」
1.作品の時点
・「私」が回想しているのを作品が発表された昭和6年とすると、旧制高校の学友津村との吉野行は20年前の明治末~大正初年頃になる。
2.引用される伝統芸能
・「妹背山婦女庭訓(おんなていきん)」(歌舞伎)
・「二人静」(謡曲)
・「義経千本桜」(歌舞伎)
・「孤噲(こんかい)」(箏曲)
・「葛の葉」(人形芝居)
3.「母性」の対象
・幼くして死別した津村の母←津村
・今回の旅に先立つ津村単独の旅で母の実家を訪れ、おりと婆さん(伯母)の孫娘を見染め、津村の今回の旅の真の目的はお和佐という親戚筋にあたる娘をもらい受けることだった。
「蘆刈」
1.作品の時点
・「私」が回想しているのは作品が発表された昭和7年だろう。冒頭「おかもとに住んでいたじぶん」とあり、「私」の山崎行は谷崎が岡本(現神戸市灘区)へ居を構えていた昭和3('28)~6('31)年のいずれかの年の九月だろう。
2.作品の舞台
・水無瀬の宮(後鳥羽院の離宮)跡を訪ねるべく、阪急、新京阪を乗り継ぎ山崎へ降り立つ。山崎は山城(京都)、摂津(大阪)の境にあり、淀川を挟んで対岸への渡船があり、うどん屋で熱燗をあつらえ、ほろ酔いの興に委せて「私」が渡船で渡った淀川の中州が舞台で、そこで不思議な男と出会う。
・山崎は戦国時代の山崎の戦いの地であり、サントリーのウイスキー工場の地でもある。解説で池澤氏は「中州は新幹線の線路から一キロも離れていない。」と述べていて、確かに天王山、男山、水無瀬の離宮跡の八幡神社等が迫る所を新幹線が通っている。
3.「母性」の対象
・伏見の「巨椋(おぐら)の池」の御殿へ満月の秋の日に毎年男(息子)を連れて通う父(芹橋慎之助)。父が娶ったのはお静で、御殿の主「お遊」の妹。父が想いを寄せるのは「お遊」だが、「お遊」は子がある若後家で、妹のお静と結婚する。
父と「お遊」、お静の間は対立は一切ない妙な三角関係ともいうべきもの。男の語る過去において対象は「お遊」←父だが、男は父が亡くなってからも単独で御殿参りを重ねている点では「お遊」←男という関係も出来ている。
4.その他
・かなを多用し、句点がほとんど使われていない独特な文体。ワンセンテンスが極めて長く、改行もほとんどない。同一の固有名詞へ、ある箇所では仮名、別の箇所では漢字が用いられ、統一されていない。
この文体が幽玄な作品世界を醸し出す一助となっている。

2016年6月12日 (日)

箱根・熱海行(その5・最終回)

熱海起雲閣へ行く。大正時代に実業家の別荘として建設され、昭和初年には別の実業家の所有となり増築され、戦後、さらに所有が変わって平成に廃業されるまで高級旅館として営業され、現在は熱海市有形文化財として市が管理し文化施設として一般公開されている。

歴史を感じさせる和風、洋風の建物内の造作が見ものだが、私が一番感じ入ったのは熱海、起雲閣にゆかりの文学者の展示部分だった。
展示されている作家は、武田泰淳、舟橋聖一、三島由紀夫、太宰治etcさまざまで、関わりの度合いは濃淡があり、三島のように新婚旅行で宿泊しただけというものから、執筆のため逗留した作家でも武田泰淳のような一度きりの人から、舟橋聖一のように熱海、起雲閣を愛し、繰り返し、かつ長期に滞在して執筆した作家もいたようだ。
展示品も舟橋聖一でいえば、原稿、愛用のパーカー万年筆、「花の生涯」の色紙etc大変充実している。

展示を見てわかったが、熱海と正真正銘最も深い関係にある文学者は坪内逍遥(1,859~1,935)だろう。面白かったのは坪内が学生時代だった明治12(1,879)年に「ふと」訪れた頃は、鉄道は「神奈川(横浜のことか?)」止まり、小田原までは人力車、その先は山かごという交通手段だったということ。神奈川、小田原そして熱海までを人力車と山かごを乗り継いで移動したというのはその隔世の感に驚かされるが、これは庶民とは住む世界が違うのかな、という感じもする。川端康成の「伊豆の踊子」を連想するが、これは高等学校の学生が、伊豆大島から出稼ぎに来ている旅芸人の一行と修善寺から下田までの道行きを共にする小説で、主人公の学生は全行程を徒歩で通していたはず。こちらは大正末年の作品だ。

坪内はその後も折に触れ熱海を訪れ、やがて別荘を構えて冬を熱海で過ごすようになる。晩年(大正9(1,920)年~昭和10(1,935)年)は熱海に居を構え(双柿舎(そうししゃ))、シェークスピアの全翻訳を成し遂げ、この地に没した由。また大正12(1,923)年に熱海町歌を作詞(作曲は弘田龍太郎)、市となった現在も市歌として歌われているようである。

別荘といえば谷崎潤一郎は晩年に熱海へ別荘を持った。谷崎は昭和17(1,942)年に初めて熱海へ別荘を持ち、「細雪」執筆にあたり、戦後も昭和20年代は避暑、避寒のため京都と熱海を行き来していたそうで、「源氏物語新訳」等の重要な仕事が熱海で為されている事を思えば、谷崎もまた熱海との関わりは浅からぬものがある。
また谷崎は生涯を通して引っ切り無しに転居を続けており、熱海に限っても5回も居を変えている(*)。こういう人もめずらしいのでは?

(*)芸術新潮2,015年12月号「谷崎特集」P.76-7。これを見ると谷崎は生涯で43回引っ越ししていて、享年79歳なので平均2年弱のペースで住まいを変えていたことになる。

そしてここ起雲閣にも足跡を残していて(下写真)、昭和23(1,948)年3月15日に志賀直哉と共に起雲閣を訪れ、滞在中の山本有三と会談した際の写真が展示されている。
昭和23年という年は、谷崎はこの時期熱海へ滞在して「細雪」の完結に追われていて、志賀もこの年から7年間熱海に別荘を構えていた。
下写真の小机左側は昭和56(1,981)年西武百貨店での日本近代文学館「志賀直哉展」の図録で、熱海別荘における志賀の写真の頁が開かれている。同右は谷崎の中央公論社「源氏物語新訳」。全12巻のはずだが、数えると13冊ある。その右端の小さめの本は「志賀直哉全集」。昭和30(1,955)年から翌年にかけて岩波書店から出版された新書版全集か(全17巻)?左から17,15,14,12巻の4冊。
これらの書籍は(財)神奈川文学振興会が寄贈したものだそうだ。

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下は麒麟の間からガラス越しに見た庭園。格子の枠組が味わい深い。ここで囲碁の呉清源と岩本薫(当時は本因坊薫和)の十番碁の第10局が昭和24(1,949)年2月23、4日に打たれたそうだ。
別棟の「孔雀」では将棋第5期竜王戦第6局が谷川竜王(当時)と羽生王座によって平成4(1,992)年12月23、4日に戦われている。

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下は麒麟の間の上階の「大鳳」からやはりガラス越しに見た庭園。
この部屋は太宰治が昭和23年3月18、9日に愛人の山崎富江と宿泊した由。

太宰は3月7日~31日まで別の場所にあった起雲閣別館へ滞在し、「人間失格」の執筆にあたったそうで、上の谷崎、志賀等の会談と同時期だったのは大変感慨深いものがある。
太宰はこの3カ月後に山崎富江と玉川上水へ入水した。

この大鳳の間に掛かっていたのが「霊峰飛鶴」という山本観月の軸装の日本画。どこかで見た気がして調べてみると、横山大観「富嶽飛翔」の構図と酷似していることがわかった。私は切手('67年の「国際観光年」)で大観の絵をおぼろ気に記憶していて、誰の作品なのか管理者へ質問したところ予期しない作家の名だったので、帰ってから確認した次第。
とまれここに富士の絵が飾られているのは太宰に「富嶽百景」があるからか。

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下は昭和になって増築された「玉姫」のサンルームの天井。ステンドグラスになっている。
谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三が会談したのは隣の「玉渓」だった由。

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下は尾崎紅葉展示室にあった「尾崎紅葉生誕100年記念四大文豪展」図録。

開かれた頁には、紅葉はじめ正岡子規、幸田露伴、夏目漱石の写真が出ている。どのような展覧会だったのか興味を覚えたが展示室には説明が一切なかった。帰って日本近代文学館の成田での「近代文学の至宝 永遠のいのちを刻む」展図録('16.5/10「夏目漱石」展)をあたると、展覧会の記録に昭和41(1,966)年に「生誕100年記念 四大文豪展 紅葉・露伴・子規・漱石」展を松坂屋で開催した記録があった。名称が違うが、起雲閣の図録は多分これだろう。ただ近代文学館の展覧会の開催年は1,966年で、百年前は1,866年。紅葉1,868年、露伴・子規・漱石は皆1,867年と誰も1,866年生れではないのが疑問点である。

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とまれ尾崎紅葉の「金色夜叉」により熱海が全国の注目を集めることとなった事を記念して海岸には「お宮の松」と貫一、お宮のブロンズ像がある。

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起雲閣では「池田満寿夫展」、地元写真愛好会の発表展示会も開催されていて、庭園の散策とかもしたりして、思わず滞在が約3時間半と長時間になった。

2016年6月 5日 (日)

福田進一のバッハチクルスの事など

ギターに関係する話題をほとんど取り上げていないのでふさわしくないブログ名になりつつあるが、ここにクラシックギターの話題を記しておきたい。

 

遅まきながらネットで福田進一のバッハチクルスの新譜が出た事を知り、早速ネット注文したのは2週間前の日曜だった。某マンモスネット通販会社としては珍しい事に注文から届くまで5日かかった。それまでほぼ1年のペースでリリースされていた福田のシリーズだったが、今回なかなか出ない事にどうしたのか心配していたが(*)、こうして第5集を手にして紙に作品リストを書き出してみたが(**)、まだ未完とはいえ福田が成し遂げつつある偉業に対し畏敬の念を禁じ得なかった。
無伴奏ヴァイオリンソナタ、パルティータ、無伴奏チェロ組曲、リュート作品それぞれの全曲プラスαという途方もないプロジェクトが、残すところヴァイオリンソナタ第1番、パルティータ第2番だけになっている。

 

なのだが、かねて私が疑問に思っていた事はパルティータ第2番の終曲であるシャコンヌを何故第1集で単独で収録したのかという事である。また今回の第5集に収録されたフーガBWV1000はソナタ第1番のフーガと同一曲である。こちらはたしかリュート用の方が数小節多く、全く同じではないので改めてソナタ第1番として別個に入れても違和感はないが、シャコンヌの取り扱いをどうするのか今に至っても疑問が氷解していない。
とまれシリーズ完結は真近である事を実感させてくれる新譜だ。

 

(*)第4集がリリースされた('14.3.25)と第5集の('16.4.25)の間にブリテン「ノクターナル」他のイギリス音楽集を('15.4.25)にリリースしていた。このアルバムも福田ならではの選曲、名演が展開された魅力的なdiscだ。ライナー・ノーツを見るとブリームが「ノクターナル」の初録音(1,967)で用いたホセ・ルビオと同タイプの楽器を入手したのが録音の動機だったそうだが、彼は同じルビオを今度の第5集でも使用している。また今回、A=415Hzと低いチューニングをしていることも興味深い。
(**)福田の偉業を実感するには作品リストを見る必要があるので、以下に記す。作品名、BWV番号、ローマ数字は作品集通番、()内リリース年月日、その次は録音日、そのまた次が使用楽器で、最後に2曲のみギリア編、ラッセル編とある以外はすべて福田自身の版。

 

・無伴奏ヴァイオリン作品
ソナタ第2番      1003 Ⅲ ('13.11.25)   Feb.1,Sept.27.'13 H.ハウザー1世('47) 
    第3番       1005 Ⅴ ('16.4.25)   Feb.3~5.'16     ホセ・ルビオ('66)
パルティータ第1番 1002 Ⅱ('12.6.25) Jan.23~25.'12     H.ハウザー1世('47)
         第3番 1006 Ⅲ                        〃
シャコンヌ     1004 Ⅰ('11.9.24)     Feb.1~3.'11       データに明記がないがジャケット写真からして桜井正樹か?

 

・無伴奏チェロ作品
組曲第1番        1007 Ⅳ('14.3.25)     Jan.20,30,31.'14   桜井正樹(2,010)
   第2番        1008 Ⅳ                          〃 
   第3番        1009 Ⅰ                          〃?
   第4番        1010 Ⅲ                        イグナシオ・フレタ・エ・イーホス('98) 
   第5番        1011 Ⅱ                       H.ハウザー1世('47) 
   第6番        1012 Ⅰ                      桜井正樹(2,010)?

 

・リュート作品
組曲第3番          995 Ⅱ(チェロ5番と同録音)             H.ハウザー1世('47)
   第1番          996 Ⅳ                                          桜井正樹(2,010)
パルティータ(組曲第2番)        997 Ⅴ                         ホセ・ルビオ('66)
プレリュード、フーガ、アレグロ 998 Ⅱ                         H.ハウザー1世('47) O.ギリア編
小プレリュード    999   Ⅴ                                          ホセ・ルビオ('66)
フーガ               1000  Ⅴ                                                  〃
組曲第4番        1006a Ⅲ(Vnパルティータ3番と同録音)  H.ハウザー1世('47)

 

・アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖から6つの小品 Anh.114,115,124,132,122,126 Ⅳ 桜井正樹(2,010)

 

・アルバム・アンコールピース
主よ人の望みの喜びよ 147 Ⅱ                  H.ハウザー1世('47) D.ラッセル編
エア(G線上のアリア)  1068 Ⅲ                                              〃
シンフォニア         156 Ⅳ                  桜井正樹(2,010)
コラール・プレリュード「目覚めよと呼ぶ声あり」 645 Ⅴ    ホセ・ルビオ('66)
   

 

もう一つは、久し振りに現代ギターを、しかも地元でGET(6月号。NO.631)!
福田進一・平野啓一郎の対談、そしてジョン・ウィリアムズのロング・インタビューが載っていたので。

 

平野啓一郎が毎日新聞へ連載していた小説「マチネの終わりに」完結を記念し、渋谷のイヴェント・スペースでの福田との公開トークを記事にしたものだ。
平野の小説は芥川賞受賞以来関心を持ち「葬送」あたりまではフォローしていたが、「氷解」を雑誌連載はじめの数回で見切りを付けてから、彼とは離れていた。

 

旅行先のホテルの客室へ朝届けられた新聞で、たしか「マチネの終わりに」を見た事はあったが、その回ではクラシックギタリストが主人公の小説であることがわからなかった(と記憶している)。「マチネの終わりに」は福田のアドヴァイスが反映された小説とのことなので読んでみたいと思っている。GGの記事を見ると、小説中に折り込まれたギター曲(それだけではないが)、それもマニア向けの作品名が全編あまねくこれでもかという位出て来るようで、どのように小説が構成されているのか、それも好奇心を刺激される。

 

ジョン・ウィリアムズのインタビューの方も、記事の趣旨はジョンの生誕75年を記念して発売されたCDボックスセットの話題につきるが、リストが載っていてCD57枚、DVD1枚という規模だが、私はLP、CD、ヴィデオで所有していて、今回の形に換算するとCD29枚、DVD1枚分になり、ほぼ半分である。

 

また最初期のジョンの他レーベルへの録音は今回には当然ながら入っておらず、私が持っているのはLPでスペイン物(トローバ「ソナチネ」、ポンセ「主題、変奏と終曲」他)とソルのいわゆるセゴヴィア編「20のエチュード」の2枚(現物が今手元に出て来ないので自信がないが、元レーベルはウエストミンスター?)とDECCAの「Recital de Guitare Vol.2」で、デュアルテ編のバッハ「チェロ組曲1番」、ソル「魔笛」、グラナドス「ゴヤの美女」他が入ったアルバム(1,972年のフランス発売版)である。
それと2,008年リリースの「FROM A BIRD」というアルバム、これもソニークラシカルではないので今回のセットには入っていない。

 

現代ギターを置いている書店は少なく、最近までは東京駅丸の内北口の丸善とかへ行った際に目にする程度だったが、昨年地元書店の雑誌棚で目にした時はうれしかった。今回は真鍋理一郎氏の追悼記事が載った2,015年5月号(NO.617)以来の購入になる。

 

 

箱根・熱海行(その4)

5月13日(金)午後2時前に山のホテルを出発し、十国峠を目指す。
箱根峠で国道1号から熱海箱根峠線へ入り、2時20分に到着、ケーブルカーで頂上へ。前々回UPしたようにここでも富士を堪能した。

十国峠の名の由来は安房、上総、下総、武蔵、甲斐、信濃、相模、伊豆、駿河、遠江の十国を見渡せる事に拠る。まだ目にした事はないが伊豆大島など伊豆諸島や東京スカイツリーも見る事ができるそうだ。
ここ十国峠は伊豆半島にあるが、この近辺でユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピンプレートが交わっていて、また十国峠のすぐ脇を伊豆半島を縦に割るように丹名断層が走っている。伊豆半島は日本で唯一フィリピンプレートに位置している陸地だそうで、箱根を含めこの一帯は地質学的には大変重要な地域だ。

午後4時すぎ十国峠を出発し、熱海を目指す。というかここまで来れば熱海に来たようなものだった。距離が短いだけに急な下りを注意しつつ下りて行った。
宿泊のかんぽの宿熱海に約30分で到着。高台の立地なので部屋からの眺望は大変良い。

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部屋のベランダからの眺望。こうして見ると背後に山が迫り、狭小な土地に発達した温泉地というのがわかる。水平線に棒のように突き出ているのが真鶴半島。

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これは翌朝7時半前。海水面に陽光が反射している。

夕食を1Fレストランでいただく。

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先付けの車海老と蛸のしゃぶしゃぶ。

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お造りの6種盛り合わせ。

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伊豆半島限定のサッポロ黒ラベル。

5時半からの早い夕食だったが、ビールが利いてしまい、部屋のベッドに横になって目覚めたのは11時。ぎりぎりで温泉に入った。湯に浸かったら酔いも飛んで、心身共にさっぱりとした気分になった。

翌朝は朝食前と食後の2回温泉を堪能した。

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朝食会場も夕食と同じ1Fレストランのビュッフェ。
大変おいしくて上の写真以外にも、スクランブルド・エッグ、ウインナ・ソーセージ、ポテト・サラダ、プチ・トマト、梅干し、ホワイト・アスパラガス、ベーコンと青菜の炒め物、かまぼこ、わさび漬け、岩ノリ、しらす大根、冷奴、グレープ・フルーツ、ライチ、牛乳、オレンジ・ジュース、緑茶、コーヒーetc
とご飯をおかわりしつつ、楽しくいただいた。

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11時にチェックアウト。上は2Fフロント・フロアのロビーの様子。図書室の新聞を拡げたが、地元の熱海新聞に明治神宮の森で伊豆半島固有種であるカミキリが発見されたという記事があって、明治神宮を建立する際に伊豆から運ばれた用材に紛れ込んで行ったのではという推論が示されていたが、ユニークな記事を載せる新聞だなと、これを記していて改めて思った。

箱根・熱海行(その3)

山のホテルの楽しみは、この時期のつつじ、しゃくなげ庭園と、レストランでの食事、そして大浴場の温泉だ。
この日(5月12日)はディナーまで時間に余裕があったので、庭園から戻ってから大浴場へ行った。

広々とした浴槽で湯に浸りつつ、この日の疲労を癒す。
ガラス越しに杉の林の斜面が見えるのも、目に優しい。今回はディナー後と翌日の朝食後にも温泉を堪能する事ができた。

Vert Bois(緑の森)のディナー。白ワインの「シャブリ」(2,014年)を1グラス注文した。

1.一口オードブル三種の彩り(スモークサーモンのムース、芦ノ湖産わかさぎのフライ、イベリコ豚の生ハム)

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2.オマール海老とホッキ貝のマリネ、春野菜添え(中央アスパラガスのムース、その上の皿からはみ出しているのが桜海老のせんべい風)

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3.竹の子のスープ(コンソメスープ 浮いている具材は左から竹の子、ホタテ、ラビオリ(海老、ホタテ入り))

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4.魚料理(金目鯛のポアレ、人参、緑・黄のズッキーニ)

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添えられたソースが大胆かつカラフル。

5.肉料理:北海道産仔羊肉のロースト、ソース・ジュ・ダニョ
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妻はシャラン産鴨のロースト、フランボワーズソースをチョイス。

6.デザートは4種からチョイス。私:マスカルポーネの軽いババロワとライチのゼリーフルーツ添え

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下は妻:オレンジのブリュレ、ミルフィーユ仕立て

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最後に飲み物と小菓子が出た。
私はコーヒー、妻はハーブティー(カモミール、ミント、ヒップのブレンド)をチョイス。
小菓子はテイクアウトし、部屋でいただいた。

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上は翌朝(5月13日)のロビー。1Fへ降りる階段越しに見ている。

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1Fのラウンジが見えてくる。階段の踊り場から。
下はVert Bois入口。

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朝食はいつもテラスでいただいている。この日はつつじのみならず富士を見ながらというこの上ない贅沢を味わう事ができた。鶯も盛んに鳴いている。

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コーヒー、フルーツ(メロン、ブルーベリー)、フレッシュジュース(苺)、ケチャップ、ジャム(マーマレード、ブルーベリー)
コーヒーはディナーの時と違うブレンドだ。都合2,3杯お代わりをした。

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パンはクロワッサンともう一種。クロワッサンをお代わりした。
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メインディッシュのプレーンオムレツ、味噌漬けベーコン(妻のチョイス。私はソーセージ。)

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2016年6月 2日 (木)

箱根・熱海行(その2)

早や6月入りだ。先週来湿りがちの空気となって来てじっとして居ればやや肌寒さを感じるのに、少しでも動くと途端にじっとり汗ばむというこれからしばらく続く不快な季節の始まりである。

さて5月の今回の箱根では今までで最高の富士を見る事ができた。これまで十国峠で富士を見る事はなかったのだが、それも叶い永年の宿願を果たす事もできた。
また山のホテルでは4Fの客室だったので、部屋からの芦ノ湖の眺望もよかった。

5月13日(金)早朝5時の部屋の窓からの庭園と大観山方面の芦ノ湖。薄い雲が湖上をたなびき、昇りはじめた陽光が湖面に反射し、明るい中にもまだ夜を引きずっているような気配を感じさせる。

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下は11時すぎに同じく部屋から。陽は高くなって、庭園は明るく、湖面は青く、空は真夏のような入道雲に覆われている。庭園のランドマーク的存在の杉は位置で見える本数が様々に変わるので、当初はこの写真でわかるように7本であることに気付かなかった。昭和初年の荒川のお化け煙突を連想させる杉である。

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朝7時にホテル1Fラウンジのテラスから見た富士。抜けるような青空にくっきりと姿を現わした。冠雪は大分少なくなって来ている。単眼鏡で見ると、8~9合目辺りにジグザグの登山道が見え、頂上は横に幅があるのが分かる。

残雪の左下に大きなえぐれ。宝永噴火口か。

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下は午後1時すぎ芦ノ湖上の富士。モーターボートから撮影。
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下は午後1時30分山のホテル展望塔から。
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そして午後3時、遂に十国峠から富士を望む。すそ野が長い!
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前後するが12日(木)午後5時45分夕方の写真。逆光で地上部分が実際より暗く写っているが肉眼ではまだまだ明るい。日没間際の空の雲が何ともダイナミックなのに対し、富士は静謐な感じで、水平な雲の上に浮かんでいるようだ。
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