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2016年10月

2016年10月17日 (月)

私の履歴書(中原誠十六世名人)

秋が深まりつつある。先週から朝晩の冷え込みが身に沁みるようになった。

日没も目に見えて早まり、午後5時を過ぎればもう薄暗くなる。
15日から将棋の竜王戦が始まった。今年は前代未聞の事態となった。挑戦者に決まっていた三浦九段がスマホの将棋ソフトを不正使用したのではないかという疑いで、日本将棋連盟は年内の三浦九段の出場を停止する処分を12日に出した。
真相の程はわからないが、やりきれない思いが残る事件だ。代わりに挑戦者となったのは丸山九段。私の地元木更津市出身の棋士である。
第1局は渡辺竜王が先勝した。これから竜王戦が佳境に入って行くにつれて、季節は冬支度を整えて行く。

将棋界では、春以降夏に至るまで、ここ数年来タイトル戦は羽生の季節である。今年の羽生は名人位を失冠したが、続く棋聖戦、王位戦はフルセットで辛うじて防衛し、9月から始まった王座戦はストレートで防衛を果たし、通算タイトル獲得数を97と自身の記録を更新した。羽生のタイトル戦への出番は当分ないが、コンピュータソフトとプロ棋士が対戦する電王戦のプロ代表を決める叡王戦が進行中で、羽生は勝ち残っているようなので、羽生とコンピュータソフトとの対局を是非見てみたいと思う。

王座戦の第1局が行われた9月6日、対局会場の控室に中原名誉王座が現われ、検討に加わった模様が、ネットの中継ブログに出ていた。そこには5月の日本経済新聞の「私の履歴書」の連載の事も記されていた。
「将棋世界」7、8月号でも渡辺明竜王との対談形式で「いまこそ”自然流”-現代将棋が忘れたもの-」という中原の特集記事が掲載された。昭和40年代から60年代にかけて大山十五世名人、米長永世棋聖、加藤一二三九段、そして谷川九段(十七世名人)といった棋士達との名勝負の数々が棋譜とともに回想されている。

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中原名人は私より3歳年長で同世代の人であり、私が将棋の魅力にはまった十代後半頃から華々しく活躍し始め、以来リアルタイムでつぶさに活躍を見つめて来た人だけに、中原名人(*)へは格別の念を抱いている。

(*)上の「中原名誉王座」は、中原が持つ永世称号の中から王座戦にちなむ称号を使用しているわけだが、「中原名人」と呼ぶのが個人的には一番しっくり来る。ちなみに上の「将棋世界」特集では「中原十六世名人」で、現在これがもっとも一般的だろう。

日経の「私の履歴書」は是非読みたいと思い、地元の図書館へ行ってコピーを取って来た。

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5月1日から31日まで、6日の新聞休刊日を除く毎日掲載され、全30回である。近況に始まり、生い立ちから将棋との出会い、少年時代の修行、プロ入り後のめざましい活躍、盤上以外のエピソード、特に26回では書きにくかったと思うが、自身のスキャンダルへも率直に触れ、将棋と共に歩んだ人生を中原名人らしいバランスの良さでまとめた貴重な文章である。

以下、特に印象深い箇所を「将棋世界」誌を参照しつつ綴ってみたい。

「履歴書」14回にある中原が初の名人位を獲得した'71年の31期名人戦の最終局の棋譜は印象に残る一つだ。後手の中原の中飛車に対し、大山の4六金戦法の指し回しが忘れられない。中原自ら14回で書いているように「開き直り」の振り飛車を第6、7局と連採した異様さと、模範的な居飛車を指しながら最終局で敗れ名人位を失冠し、以後大山は復位することなく、中原の名人9連覇のスタートとなった名人戦である。

「将棋世界」の方は7月号で31期名人戦の棋譜を第1、2、7局と3局も取り上げている。7月号では対談の相手の渡辺竜王が、将棋連盟のデータベースは「昭和50年代以前の棋譜はほとんどない」と述べているが、手元に昭和56年に将棋連盟が発行した「大山、中原激闘123番」という実戦集がある。

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写真は昭和54年の王位戦第1局。立会人席右に内藤九段、中原の右に故森安九段がいるので対局会場は関西方面か。

2人の初手合いの昭和42年の第11期棋聖戦本選に始まり、昭和55年の第28期王座戦に至る棋譜が収められている今となっては大変貴重な本だ。目次を見るとこの殆んどが名人戦、王将戦、十段戦、王位戦、棋聖戦の当時の5大タイトル戦の番勝負だ。

大山、中原は、この実戦集以降も31期王将戦(昭和57年)、44期名人戦(昭和61年)等のタイトル戦を含む棋譜を残している。

米長永世棋聖との数々の名勝負も棋史に残るものだ。18回で37期名人戦第4局を取り上げている。7月号でも渡辺竜王がこの将棋で出て来る先手「5七銀」を「奇跡の一手」と讃えている。この棋譜を含め7月号には米長との棋譜が3局入っている。

19回は昭和57年の40期名人戦。挑戦者は加藤一二三十段(当時)。千日手2局、持将棋1局を含むフルセットのべ10局に及んだ歴史的なシリーズでやはり私の記憶に刻まれている。「将棋世界」8月号に中原が10連覇を阻まれ、名人が交替した歴史的な第8局の棋譜が入っている。

24回に駒音コンサートの事が記されている。私は'95年の駒音コンサートを妻と聴きに行った(イイノホール)。12月22日で、当時毎年観戦していた東京国際ギターコンクールの2次予選と同じ日だった。まだ当時ははしごをする元気があった。
この時も中原名人は出演しており、山本直純が出題するベートーヴェンの作品に関するクイズをやはりクラシック通という河口俊彦六段(当時)と回答していた。
神吉五段(当時)が、オーケストラをバックに「乾杯の歌」を原語、暗譜で朗々と歌ったのが忘れられない。
その他、これまた歌唱力プロ級の長沢千和子(ちかこ)女流三段(当時)、田中寅彦九段(井上陽水「傘がない」)、谷川浩司王将(当時)(「Merry Christmas to You」)etc盛り沢山でいい思い出になっている。

コンサート後にロビーで出会った谷川王将、森下卓八段(当時(多分))、囲碁の武宮正樹九段(これも多分(^^;)へお願いして快く記念写真を撮らせていただいた事と、観戦記者の東公平さん(「氏」というべきだが、こう記したい流れなので・・・(*2))が森下卓八段と連れだってタクシーへ乗り込もうとしているところを脇で見ていた事とが、昨日の事のようにまぶたに浮かぶ。

(*2)名人戦が朝日新聞の独占掲載だった'70年代、将棋欄の観戦記は「紅」の東公平氏(1,933~)と「龍」の田村孝雄氏(1,931~1,990)の二人が交代で執筆していた。田村氏は囲碁欄も「竜騎兵」と名を変えて担当していた。東氏はその後名人戦が毎日新聞へ移った時期、穴埋めに将棋欄へ「坂田三吉物語」をたしか連載していた。私の持っている東氏の著作はA級順位戦における升田幸三九段の観戦記「熱局集」上下、「升田幸三物語」(平成15年角川文庫)。

29回には引退の経緯とその後の闘病生活に触れている。発端となった将棋会館での木村一基八段との対局の事は「将棋世界」8月号でも記されており、これが中原の最後の対局となり、棋譜も収められている。

現在はリハビリを繰り返す毎日との事だが(1回、30回)、8月号でも冒頭出て来るが、囲碁に励んでいる様子。そして棋力が向上している由。

これは私にとって大変励みになる話で、この歳で将棋に少しづつ本腰を入れつつある。強い人の自宅道場へ月2回宛て通うようになり、かれこれ2年。最近はNHKのTV講座、NHK杯トーナメントは欠かさず視聴、「将棋世界」の付録や新聞の詰将棋へも取り組んでいる。
目に見えるまでにはなかなか至らないが、歳も歳なので功を焦ることなく、楽しむ事を念頭に気長に取り組もうと思っている。

最終回(30回)では、囲碁の他、クラシック音楽、読書にも親しむ毎日である事が書かれている。そこでは「老子」を2年余りかけてアーサー・ウェイレーの英訳で読破した事が記されていて、大変印象深かった。駒音コンサートについて触れている24回へは、毎日のようにモーツァルト、ベートーベン、ブラームス、またピアノ曲特にシューマンのそれetcを愛聴する日々、と記している。

大病後の日々を正に名人の風格で前向きに有意義に過ごされていて、深い感動を覚えると共に、中原名人の棋士人生をリアルタイムで見守って来た者として、親しみと懐かしさを持って「履歴書」と「将棋世界」を読んだのは貴重な時間だった。

2016年10月15日 (土)

題名のない音楽会「武満徹特集」の補足など

先般報告した表題について、その後確認した事などを追加したい。

1.鈴木大介が「ヘイ・ジュード」を演奏中に画面下へテロップで流れた武満のコメントについて
その後、鈴木の武満作品集のCDを聴き、ブックレットの解説を見てみた。

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他の収録曲についても同じだが、映画音楽のように他者による編曲の手が入ったもの以外、すべて武満自身のコメントで構成されている。
読んでみると放送のテロップは、ここにある武満のコメントを元に要約、というか部分引用したものであることがわかる。
序でに、といっては何だが、福田進一の武満作品のアルバムも久し振りに聴いてみた。福田は武満のメモリアルアルバムを2枚出しており、武満のギター作品は勿論、例えばブローウェルによる追悼曲をはじめ、武満にちなむ作品をも収めた意欲作だ。

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解説は福田自身によるもので、「ギターのための12の歌」を見ると武満のコメントも全文が引用されていて、その出典が「初版の楽譜」であることを明示している。
全音楽譜出版社の全音ギターピースがそれで(下写真)、裏側に「編曲ノオト」として掲載されている。

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「クラシック・ギター(特に日本で)の世界が、・・・閉ざされた状況にあるのは、限られたレパートリーを・・・上手に演奏するだけの趣味に陥ったからだろうと思います。・・・その地点に停まるものであれば、音楽はけっして生きたものとはなりえません。」と1,977年に書いた武満に対し、武満が逝った1,996年に録音されたアルバムの「12の歌」のライナーノーツにおいて福田は「私たちギタリストは武満さんの希望どおり“生きた音楽”をするように進歩しただろうか?」と述懐している。
少なくも私には現在の日本のギター界は、世界レベルのトップギタリストを擁し、世界のギター界をけん引する一端を担うまでに成長して来ていると思える。充分に武満を満足させるに足る“生きた音楽”を奏でているのではないだろうか。

2.「らららクラシック」で紹介されたスナップショットについて
前回ブログを書いた時点では八ヶ岳か軽井沢かのいずれかわからなかったが、これもその後、辻井伸行のカーネギーホールデビューを控えた時期のドキュメント('11.12/30放送のNHKスペシャル「旋律よ’殿堂’に響け~ピアニスト辻井伸行 自作曲に挑む~」)の中に出て来て、八ヶ岳高原音楽堂であることがわかった。ここでは辻井の自作品のみによるコンサート('11.8/5)の模様が紹介されていた。

3.付け足し-「森の中で」をめぐって
鈴木大介の武満作品集は、「森の中で」を冒頭に据え、ソロ全作品を収録する意欲作だ。

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福田進一は武満メモリアルアルバムvol.1を'97年にリリースして実に11年後の'08年にvol.2を発表したが、やはり「森の中で」を冒頭に据え、この作品を録音するのに満を持した理由を深い思い入れと含蓄に富んだ解説に記している。

「森の中で」は3曲から構成されるギター独奏曲で、その第1曲「ウェインスコット・ポンド」には唯一副題が付せられていて、曰く、「コーネリア・フォスの絵画から」とある。
「(アメリカの)友人から送られて来た絵葉書に印刷された美しい風景画の下に、小さな活字で、Wainscot Pondとあった。」と武満自身が解説している。

これについて、興味深い情報を以下に記したい(*)。
「友人」は、アメリカのルーカス・フォスというベルリン生まれの作曲家、ピアニスト、指揮者だった人で、コーネリアはその夫人でやはりベルリン生まれの画家だった。
夫妻はロス・アンジェルス在住時の1,956年にグレン・グールドと知り合い、親交を重ねて行ったが、やがてグールドとコーネリアは恋愛関係に陥り、1,967年から二人はトロントで実質的な婚姻関係の生活に入った。1,972年にコーネリアは関係にピリオドを打ってルーカスの許へ戻る、というもの。

(*)「グレン・グールドの秘密の生活」(「音楽の友」'07年10、11月号)から

本記事(*)の訳注に「ウェインスコット・ポンド」の由来が記されているが、「森の中で」をピアノ作品と誤記している。
また武満の'96年のグレン・グールド賞受賞へも触れ、武満~「森の中で」~コーネリア・フォス~グールドという円環に感慨を覚えている。
武満が受賞した'96年のグレン・グールド賞は第4回にあたり、創設されたグールドの死の翌'83年の第1回から13年目になる。武満は当時4人目の受賞者となったが、発表の2月6日の丁度2週間後の2月20日に他界したのだった。
そしてこの年9月25日トロント・カナダ放送センターのグレン・グールド・スタジオで授賞記念コンサートが催されている(*2)。

(*2)翌'97年8月31日にNHKFMで「グレン・グールド国際音楽賞の武満徹」としてオンエア。90分カセットテープ2本にエア・チェックした。

コンサート会場となった放送センターのグレン・グールド・スタジオという施設名に奇異な感を受けるが、演奏後の聴衆の拍手の響きからして通常の大ホールのようだ。グールドは'64年4月10日のロスでのコンサートを最後に以降録音、放送のみで演奏活動した人だが、授賞記念コンサートは通常の形態で行っている。
ギター作品も入っており、「12の歌」から「サマータイム」、「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」の2曲を地元カナダの女流レイチェル・ゴークが演奏している。

今年は武満が没して20年の記念の年。光陰矢の如し。

2016年10月 4日 (火)

題名のない音楽会「武満徹特集」他

10月2日(日)題名のない音楽会「武満徹の魅力を語る音楽家たち」を見た。
クラシックギターの鈴木大介、ジャズ・ギター(と言ってよいのだったか?)の渡辺香津美、詩人の谷川俊太郎他が出演。
武満徹はギターを大変愛していたようで、ギターにとって貴重なレパートリーを遺したが、ここではメロディアスな作品を取り上げている。
まずは渡辺香津美(1st)、鈴木大介(2nd)で、
1.「小さな空」
子供向け連続ラジオドラマ「ガン・キング」の主題歌を渡辺、鈴木共編のギター・デュオで。
渡辺はアクースティック・ギターというのか(?)弦はスチール、左手はピック主体で低音へは親指をも使用するクラシックでない奏法だが、インプロヴィゼーションは流石な冴え。
クラシカルギターとの合わせもあまり違和感なく聴けた。

次は鈴木のソロ。
2.「ヘイ・ジュード」
云わずと知れたビートルズ・ナンバー。演奏前に鈴木が武満のアレンジの味、演奏至難な事についてコメント。
よく見るとデュオの時と楽器を替えている。その理由だが、楽譜(下参照)を見ると⑤、⑥弦が変則調弦なので、調弦を変えることで弦の音程が狂うことへの対策だと思う。とはいっても、最後の辺ではバスが狂って来ていたようだ。また若干のミスタッチも散見された。
鈴木の演奏は雑音が少ないというか、殆んどない。足台でなくギターレストを使用。

演奏中のテロップで本作の武満のアレンジの動機は「'70年代当時の日本のクラシックギター界の限られたレパートリーしかない閉塞状況を憂えた点にあって、「ギターのための12の歌」が生れた由。「「12の歌」は高度な技巧を要するが、何より柔軟な精神へのエチュードです。」(武満のコメント)
とはいえ当時の日本のギター界を振り返ると、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウイリアムス、オスカー・ギリアといった世界のトップギタリストが来日し、直接その演奏に接し、また渡辺範彦のパリ国際ギターコンクール優勝、荘村清志がスペイン留学から帰国し活発な演奏活動をスタートさせるなど、'70年代は新時代への移行が着実に始まっていた時代だったと思う。

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そして再び渡辺、鈴木共編のギター・デュオで、
3.「どですかでん」
'70年の黒澤明監督作品の主題曲。
パートは入れ替わり鈴木が1st。ここでも見事な渡辺のインプロヴィゼーション。
鈴木との楽器の対話もgood!

最後はカウンターテナーの藤木大地と鈴木のギターで、
4.「死んだ男の残したものは」
ゲストの谷川俊太郎の作詞。谷川自身はこの旋律をあまり好んでいないニュアンスのコメントをしていたが、聴いていて「不良少年」の旋律を連想した。

約1か月前は「らららクラシック」でも「武満徹のギター名曲集」が放送された。(9月1日(再放送))
こちらもスタジオゲストは鈴木大介。
「オーバー・ザ・レインボー」、「イエスタデイ」が演奏された。こちらでも武満の秀逸なアレンジについて加羽沢美濃がレクチャー。
また武満がギター作品を遺すこととなったそもそもの功績者である荘村清志がインタビューでその経緯について、小室等が井上陽水を交えた交友の中で、武満とビートルズについてコメントする貴重な部分もある。

八ヶ岳だか軽井沢での音楽祭の'90年前後頃のスナップショットだろう、武満を中央に右からマヌエル・バルエコ、佐藤紀雄、デイヴィッド・タネンバウム、武満、井上陽水、小室等、荘村清志という錚々たるメンバーが揃っている写真が画面に出た。その当時の「現代ギター」あたりで見たことがある気がする。当然の事ながら皆若い。

荘村のコメントの中で、荘村自身が武満夫人から武満の没後に聴いた言葉、「クラシックの枠に捕われ過ぎず、音楽へより自由にアプローチするよう」アンコールピースとして「オーバー・ザ・レインボー」が荘村へプレゼントされたというエピソードが披露された。上の「12の歌」の作曲意図の原点となった作品だ。

さて鈴木大介はここでも技巧の冴えを遺憾なく発揮、やはり雑音のない秀演を展開している。
使用楽器は「題名」のデュオで使用しているフレタ・エ・イーホス。演奏の出来は「題名」より良い。

この日(10月2日)はEテレ「クラシック音楽館」でも武満作品が登場。
N響1,841回定期('16.9/14サントリーホール)での2作品だ、
1.「ア・ウェイ・ア・ローンⅡ」
2.「ハウ・スロー・ザ・ウインド」
1は弦楽合奏、2は管も加わり、鍵盤も入っていた。
また1,2の間に指揮のパーヴォ・ヤルヴィと武満の長女眞樹との対談が入った。

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