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2017年4月20日 (木)

夏目漱石「吾輩は猫である」-2

「猫」は全体の密度にむらこそあれ、文章は歯切れが良く、気取りがなくてテンポ良く読める小説だ。
章毎に惜しげもなく出て来る知的エピソードの数々には、漱石の和漢洋に亘る教養の深さ、広さを思い知らされる。

これも第1章のやはり迷亭の「ニコラス・ニックルべーがギボンに忠告し彼の・・・仏国革命史を仏語で書くのを・・・英文で出版・・・」と云う下り。
すぐ後に「ハリソンの歴史小説セオファーノ・・・」と云う冗談話も出て来て後者は私には言及する資格がないが、「ローマ帝国衰亡史」という著作があるギボンは知っていたので、ここに目が止まり「衰亡史」が当初仏語で書かれようとされたのを他者の助言により英語で書かれたというエピソードを仏国革命史へ置き換えているいたずらが面白いと思った。
仏国革命史は漱石が心酔したカーライルの著作の由で、先の「ハリソンの・・・」共々サラッと書き付けるところは漱石の凄みを感じさせる部分だ。

上のギボンのエピソードのところは、平成5(‘93)年改訂新版第1巻月報の安藤文人(定本注解者の一人)の「名の無い猫の生涯と意見」に深い考察が述べられていて興味深かった。
曰く「猫」構想段階の明治37,8年断片七では「ニコラス・ニックルべー」が「トリストラムシやンデー」となっている事、また「猫」七の「トイフェルスドレック」の解説に及び、ホフマンの「牡猫ムル」と「猫」との相関についての読み解きに至っている。

「トイフェルスドレック」はカーライル「衣装哲学」という小説の主人公で、伊藤氏も簡単に触れているが、大岡昇平「小説家夏目漱石」に収められている「「猫」と「塔」と「館」と―作家漱石の発車―」に詳しい言及がある。
そして大岡は「猫」の着想は「衣装哲学」から得たのではないかと推測している。

共に慧眼と云うべきで、「トリストラムシャンデー」、「衣装哲学」の原題は何と以下の通り!
The Life and Opinions of Tristram Shandy,Gentleman
・Sartor Resartus,The Life and Opinions of Herr Teufelsdröckh

また大岡はここで、「猫」が書かれた明治38,9年に併行して書かれている他系列作品も視野へ入れて漱石の最初期の作家活動を論じている。
この時期を大岡は「堰を切ったように溢れ出た文才は文学上の奇跡」と最上級の賛辞を送っている。
それは質量を兼ね備えた意味でのもので、小宮豊隆の全集解説もそれに触れている。
そのスピードが「恐るべく早」い例として「猫」七、八が明治38年12月12~17日の6日で書き上げられたこと、当時漱石は帝大と一高で教えていた傍らの仕事だった事に触れている。
以下に整理してみる。

明治38(1,905)年
  1月 「吾輩は猫である」1(ホトトギス 1/1)    「倫敦塔」(帝国文学 1/10)①
                                  「カーライル博物館」(学燈 1/15)②
  2月 「吾輩は猫である」2(ホトトギス 2/10)
  4月 「吾輩は猫である」3(ホトトギス 4/1)    「幻影の盾」(ホトトギス 4/1)③
  5月                             「琴のそら音」(七人 5/1)④
  6月 「吾輩は猫である」4(ホトトギス 6/10)
  7月 「吾輩は猫である」5(ホトトギス 7/1)
    9月                             「一夜」(中央公論 9/1)⑤
  10月 「吾輩は猫である」6(ホトトギス 10/10)         「吾輩は猫である」(大倉書店・服部書店 10/6)1~5
    11月                            「薤露行」(中央公論 11/1)⑥
明治39(1,906)年
  1月 「吾輩は猫である」7,8(ホトトギス 1/1)  「趣味の遺伝」(帝国文学 1/10)⑦
  3月 「吾輩は猫である」9(ホトトギス 3/10)
  4月 「吾輩は猫である」10(ホトトギス 4/1)    「坊ちゃん」(ホトトギス 4/1)⑧
  5月                                   「漾虚集」(大倉書店・服部書店 5/17)①~⑦
  8月 「吾輩は猫である」11(ホトトギス 8/1)
    9月                            「草枕」(新小説 9/1)⑨
    10月                            「二百十日」(中央公論 10/1)⑩
    11月                              「吾輩は猫である」中編(大倉書店・服部書店 11/4)6~9
明治40(1,907)年
    1月                               「鶉籠」(春陽堂 1/1)⑧~⑩
    5月                                 「吾輩は猫である」下編(大倉書店・服部書店 5/19)10~11

上で明らかなとおり、「猫」ともう一方をバランス良く書いている。
森まゆみ「千駄木の漱石」に明治38年4月27日付け漱石書簡が引用され(*)、「盾は礼服、塔は袴、猫は平常服の喩、尤も吾意を得」と先方の指摘に賛意を示している様子で、漱石の本音と思う。 
また、( )内の数字は発行日。大岡に拠れば「今と違って、正直に発行日を記し」ている由。
森まゆみ同上書の記述はそれを誤解している節がある。(*2)曰く「「猫」の第四編を書いたのは・・・四、五月ととんで、六月号に掲載されているから・・・四月上旬であろうか。」としているが、上の表に照らせば5月上旬と考える方が自然だ。
(*)「泥棒ようこそ御入来」P.233
(*2)「食牛会あるいは太平の逸民」P.220

ロンドン留学から帰国した明治36年の4月に一高の英語嘱託(20時間/月)、東京帝大文科大学講師(2時間×3/週)の辞令を受け、翌37年からは明治大学高等予科講師も毎土曜掛け持ちするようになって、明治40年3月にそれらを辞し、朝日新聞入社を決意し、早くも5月から「虞美人草」の連載が東京、大阪朝日新聞で始まっている。「三四郎」(2,015/2/28)、は41年、「それから」(2,015/8/282,015/9/22,015/9/13)は42年だ。
上の通りで、当初二足のわらじでスタートした作家生活から、息つく暇も無く朝日での連載を次々とこなす専業の作家生活へなだれ込み、大正5(1,916)年に至る10年で数々の傑作を残したわけだ。
(続く)

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