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2017年4月26日 (水)

夏目漱石「吾輩は猫である」-4

その1に書いたように今回は第九から定本版で読んだ。偶々図書館の書架で目にした事が定本版で読むきっかけだったが、為に以下のような体験が出来た。
第十の出だし、或休日の苦沙弥家の朝、散々妻君から催促されてようやく寝床から起き出し、洗面所から茶の間に苦沙弥が座を占める件り。このすぐ後に三人の女の子達(とん子、すん子、坊ば)のドタバタが始まる直前の場面で以下の記述に遭遇した。
「長火鉢と云ふと欅の如輪木か、銅の総落しで、洗髪の姉御が立膝で、長烟管を黒柿の縁へ叩きつける様を想見する諸君もないとも限らないが。わが苦沙弥先生の長火鉢に至っては決して、そんな意気なものではない。」
(定本版P.420 l.11~13)
上の通り2センテンスに分れているが、中間の句点を読点として1センテンスとするのが普通なのではないかと読んでいて思った。念のため手元の旧版の当該箇所へあたってみると、こちらは読点となっている。朝日の連載(岩波文庫版)も読点である。
定本版の巻末の校異表を見てみると、「420 12 が。わが (単)が、わが」と拾われている。最初が定本版に採用されたテキスト、後の(単)とは単行本初版(ここでは下編)の事である。
以降定本版で読み進めて、同様に気が付いた箇所を以下に整理してみた。

   章      定本版              旧版         連載 校異表 定本版の底本 テキスト
1 第十   P.420 l.12              P.397 l.15(最終行)  172   有    ホトトギス    上の箇所
2  〃     P.464 l.14(最終行から2行目) P.440 l.1          188   無    ホトトギス     下の2
3  〃     P.470 l.2               P.444 l.15(最終行)  189   無    ホトトギス    下の3
4 第十一  P.534 l.11               P.506 l.11            212    無    原稿          下の4

テキスト(上:定本版、下:旧版、連載(岩波文庫版))
2「女は中々利口だ、考へに筋道が立って居る苟も人間に生まれる以上は・・・」
 「女は中々利口だ、考へに筋道が立って居る。苟も人間に生まれる以上は・・・」
3「傍にあった読売新聞の上に・・・」
 「傍にあった讀売新聞の上に・・・」(旧版)
 「傍にあった『読売新聞』の上に・・・」(連載(岩波文庫版))
4「だから貧時には貧に縛せられ。富時には富に縛せられ。憂時には憂に縛せられ。喜時には喜に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ。苦沙弥君の様な・・・」
 「だから貧時には貧に縛せられ、富時には富に縛せられ、憂時には憂に縛せられ、喜時には喜に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ、苦沙弥君の様な・・・」

あと、その3で触れた第八の「三帀」(定本版)と「三匝」(旧版、連載(岩波文庫版))という漢字の違い。
1,2,4共に句点と読点の選択及び句点を入れるか否かの違いで、これらに限れば、私はすべて定本版でない方を取りたい。
3は読売新聞に括弧が付くか否かで、全集版は新旧共に付かない。また定本版は新字体を採用している。
何故定本版が不自然としか思えないテキストを選択したのか、素朴な疑問を覚えるが、それについては巻末の後記にテキスト確定の方針が記されている。
優先順位として、まず自筆資料(原稿)、次に初出資料(「猫」の場合は「ホトトギス」)に拠った由。
ただ「猫」は参看できる原稿が少なかったようで(ほとんどの原稿が現存しないか否かの記述は曖昧)、ほとんどは「ホトトギス」に拠っているわけだ。
上の比較で明らかなとおり、校異表にあったのは1のみである。後記によると定本版テキストとの校異は、自筆原稿、「ホトトギス」、初版本、上編第六版のみを対象としている。
また、そもそも校異表は第一義的には底本を修正した場合にその内容を示すためのものだと明記されている。
以上から2、4の箇所は、定本版テキスト、原稿、「ホトトギス」、初版本に違いがないと解釈できる。

Img_6669
上は「猫」初版本表紙カバー(朝日新聞平成28年3月19日から)

下は上、中、下編のそれぞれ左からカバー、表紙、扉絵、そして捜画(同上)

Img_6670

とすると、旧版全集は何に拠ったのだろう?まさかテキストを勝手に変更してしまったのではあるまい。あるいは校異表の不備か?

それはともかく、そもそも定本版のテキスト確定の方針自体が特殊だと思う。普通は原稿よりは初出誌、「猫」の様な連載は更に単行本化された書籍、更に幾次にも亘る全集がある訳だから過去の全集、と云う具合に後ほど優先度が上がるのではないかと思うのだが、定本版の方針は逆である。

とまれ、定本版を通して貴重な体験が出来たと思っている。
(続く)

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