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2017年4月20日 (木)

夏目漱石「吾輩は猫である」-1

漱石の「吾輩は猫である」を読んだ。

朝日新聞は平成26(2,014)年4月20日から「こころ」を皮切りに漱石作品を連載して来て、その都度私は感想をこのブログへアップしており、今回もその一環として書いている。
「猫」は昨年4月1日にスタートして3月28日で終了した。丸3年続いた漱石作品の連載も「猫」をもって終わりを告げた。

周知のように「猫」は「ホトトギス」へ連載された小説である。朝日が何故この小説を選んだのかは不明だが、漱石の処女作であり、以降の全作品の要素が既に何らかの形でこの小説の中に内包されている事を今回読んで感じ、漱石のメモリアル連載を「猫」で終えるのも深いものがあるように思った。

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上は:連載第1回、下は最終回

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紙面へは日々目を通して来たが、翌日には前日の内容がリセットされてしまい、全体把握が出来なかったので改めて手元の岩波全集版ではじめから読み直した。
これまでは連載が終わるまでにはアップして、今回もそのつもりだったが、雑用に紛れて中々はかどらない上に、3月中旬には少々季節外れ気味だったが風邪を引いてしまって臥床2~3日に及んだりもし、大きく遅れてしまった。(^^;

とまれ、ここに感想というか「猫」及び関連書を含めた今回の読書体験を綴ってみたい。

私が初めて「猫」を読んだのは昭和49(1,974)年で、何ともう43年前の事になる。その年初1~3月にかけて新潮文庫で読んだ。
その時はとりあえず通読したという感じで、ただの滑稽小説ではない深さを持った作品である事は理解し、それ以来脳裏には再読すべき作品だという意識はありながらも今日に至り、今度の朝日連載を契機として、やっとそれを果たした次第だ。

「猫」を読んだ昭和49年は、他にも9月末~10月初に「道草」、11月初に「明暗」をそれぞれ5日、9日をかけて読んでいる。

あと春から夏頃には、小宮豊隆の「漱石の芸術」、年末には「夏目漱石」の二を読んだのだった。
「夏目漱石」は新書版で3巻に分かれているが、一だけはいまだに読んでいない。

そしてその年、漱石の命日である12月9日から漱石全集の刊行がスタートしたのだった。
第1回配本が第1巻の「猫」だったが、上のとおり全集により「猫」のページを開くのは今回が初めてになる。

全集は8章までを所蔵の旧版で読み、9章からは昨年12月にスタートした最新の「定本漱石全集」を地元図書館から借りて来て読んだ。

定本版はデザインが一新され、新鮮な印象を受けた。
まず、これまで一貫していた表紙、背の「漱石全集」の書体が変わった。
平成14(2,002)年の二次刊行(平成5(1,993)年の新版に対してだと思うが)までは変わらなかった表紙が、中国古代の石鼓文の拓本である事は同じだが、文字部分の色が今回から変わった。

図書館の貸出には函が付かないが、新聞の広告(*)を見るとこれも一新されている事がわかる。

下は:定本版全集見本

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(*)2,016年12月11日付け朝日新聞掲載の岩波書店広告

見返しも、これまでの「こころ」初版のものから「断片」等に書き込まれた漱石自筆の図式になった。そして扉裏には、これも「こころ」初版の扉と向き合う見返し裏に付けられた漱石自らが彫った「ars longa , vita brevis.」(芸術は永し、人生は短し。)の朱印が刷られ、「猫」執筆当時の千駄木宅書斎の漱石の口絵写真と向き合っている。

下は:定本版の見返し

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本文は平成5年版と変わらず、今回読んでみて旧版よりはるかに読みやすいと感じた。
旧版は総ルビで、菊判、小説の活字は10ポイントとあり、紙型、活字とも今の私には大きい(その内丁度良くなるかも知れないが(^^;)
ただし新版は総ルビでないところは五月蠅くなくていいが、漢字は新字体を採用しているところが気に入らない。
なお朝日連載の方は岩波文庫に拠っており、すべて現代表記となっている。1行の字数が少ない上、5段組で一段あたりの行数も多く、それが心理的負担になり読みずらかった。

新旧で私が感じた大きな違いは、新版では小宮豊隆の解説がないことである。旧版全巻に付されたこの解説は懇切を極め、私はそれと知らず全集購入前に「漱石の芸術」として一冊の形で読んでいた。
尤も鴎外にしろ、荷風にしろ、個人全集で解説があったのは漱石全集位でむしろ旧版が例外的だったのかも知れないが、私なぞは小宮解説が「漱石全集」と不即不離のように思っていただけにそれがないと物足りなさを感じてしまう。

注釈は旧版に比べ質量共に可成り充実している。
例えば冒頭早々出て来る「アンドレア・デル・サルト」の旧版の注は「バロック様式を発展させた」と私にもわかる誤りを記している。新版の方は美術史上の位置付け、同時代の画家との関連等が記され、長短は明白だ。
森まゆみ「千駄木の漱石」は示唆に富む好著だが、その「我等猫族」でデル・サルトをマニエリスムの画家と断言しているが、果たしてどうなのか?
因みにアンドレア・デル・サルトの名を知ったのは、他ならぬこの「猫」を初読した時の事だ。
(続く)

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