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2017年10月26日 (木)

「武満徹・音楽創造への旅」-5「リング(環)」

小学館版「武満徹全集」Vol.1(管弦楽作品集)、Vol.2(器楽曲、合唱曲)とVol.5のテープ音楽(ミュージック・コンクレート)(*)により、武満作品の芸術音楽(?)の全貌に触れることが出来たのは貴重な体験だった。
最初期から晩年へ至る作風の変化は感じ取れるものの、短期集中的だったので明確な理解を得るまでは至っていないが。

*:雑誌の対談で武満は、「ミュージック・コンクレートはデッサンに過ぎず、作品とは言わない。」と述べている。(立花隆「音楽創造への旅」P.427~8)

今回の武満体験により、自分が音楽を何もわかっていないことを思い知らされた。
音楽の奥深さ、厳しさを武満作品、著作により痛切に感じている。

「弦楽のためのレクイエム」発表の翌1,958年武満は「ソン・カリグラフィ(Le Son Calligraphie)」を作曲した。この作品はこの年8月の二十世紀音楽研究所第2回現代音楽祭第2日の作曲コンクールへ応募するために作曲され、一位を獲得している。松下真一という人と分け合う形で、予選通過者6名には実験工房時代の仲間である福島和夫も残っていた。

「ソン・カリグラフィ」(’Son’は「音」、’Calligraphie’は「習字」もしくは「書」の意。)は、「レクイエム」のアンチテーゼとして構想され、以降この時期の武満作品は「叙情の拒否、ストイシズム、沈黙といった要素」(立花P.326)を帯びていく。

翌1,959年の第3回現代音楽祭では「マスク」というフルート2本のための作品を発表した。

二十世紀音楽研究所は吉田秀和を所長として、柴田南雄、入野義朗、黛敏郎、諸井誠等により1,957年に組織され、現代音楽祭の開催を行っていた。
長木誠司は、二十世紀音楽研究所を「’50年代の日本音楽界最大の事件」と言っている。
吉田秀和は、二十世紀音楽研究所が発足した’57年に「二十世紀音楽研究所にふれながら」(吉田秀和全集第3巻)で、’53~4年にかけての米・欧行でのドナウエッシンゲン音楽祭(現代音楽の祭典)の体験に触れたあと、大都市のコンサートの聴衆が孤独な個人の集合体となっていることの分析と、二十世紀(当時の現代)音楽の意義についての示唆に富む考察をしている。
吉田をはじめ、黛、諸井等も海外の現代音楽祭を目の当たりにして、現代音楽祭の開催により、最先端の作品を紹介すると共に、新しい才能の発掘を通して日本の音楽界の発展を期していた。

また1,958年に設立され、当時の前衛芸術の拠点だった草月アートセンターと連携した「作曲家集団」が1,960年に発足した。芥川也寸志、黛敏郎、三善晃、諸井誠他で、武満も同人として名を連ねている。
この年4月の「作曲家集団」の発表会で武満は「個展」で新作4曲を含む5作品を発表した。(「武満徹の世界」(集英社、1,997年)の年譜(秋山邦晴編)から)
新作の4曲は「ランドスケープ」(弦楽四重奏曲)、「ソン・カリグラフィⅢ」(4Vn,2Vla,2Cello 第2回現代音楽祭受賞曲はⅠで、同年更にⅡが作曲されている。楽器編成はすべて同じ。)、「水の曲」(テープ音楽)、「マスクⅢ」(第3回現代音楽祭で発表されたのはⅠ、Ⅱ)。

翌1,961年4月「作曲家集団 group exhibition 1」で、武満の「ピアノ・ディスタンス」が高橋悠治によって初演される(全集作品ガイドによる)。「音楽創造への旅」で立花が「六十一年四月、草月ホールで開かれた高橋悠治のはじめてのリサイタルのために書かれた」(P.18)とあるのは誤りだろう(演奏場所は正しく、また献呈されたのは高橋だが)。

そしてこの年8月、第4回現代音楽祭で「リング(環)」が初演された。
吉田秀和「武満徹と静謐の美学について」(吉田秀和全集第3巻)によると、武満の「リング」は二日目で、一日目は黛敏郎と一柳慧の構成による「アメリカ前衛の夕べ」だった。

「リング」はフルート、テルツ・ギターとリュートのために書かれ、指揮者を入れている。
初演者は、野口龍(フルート)、伊部晴美(テルツ・ギター)、大橋敏成(リュート)、そして指揮が小澤征爾。

全集のCDを聴くと、左から右へリュート、ギター、フルートの並びであることがわかり、各楽器の音がはっきり分離して立体的な音像がスピーカーから出て来る。
抒情性、ロマンティシズムとは無縁で、無機質で即物的、言うなればシュールリアリスティックな音楽だ。
緊張感のある音が紡ぎ出されていくが、聴いていて私の能力では楽曲の構造を全く把握することが出来ない。
何度か聴き直してみて、ようやく朧気ながら楽章(といって良いのか?)の区切りが分かってきた。

またここまで見てきたとおり、ギターとリュートを主役とした作品を武満が書いたのは「リング」が最初である。
全集の書籍だったと思うが、後年武満は最も好きな楽器はギターであると述べているように、ギターを愛していた。

以前本ブログで記した時はわからなかったが、演奏者も上のように判明した。(→参照)その時はステージの演奏風景を紹介する写真で、右端の人間を打楽器奏者と決めつけてしまったが、これは指揮をした小澤征爾だった。(^^; 他の奏者の位置はCDと同じだ。
武満と小澤は「リング」の初演を通して初めて顔を合わせたそうで、小澤は「リング」のスコアを見て武満の才能の大きさを知り、武満の方もリハーサルから本番までの小澤の振る舞いをつぶさにして、その才能に感嘆を覚えたという(立花P.450~1)。

なお全集CDの演奏者は、フルートとテルツ・ギター:初演者、リュート:濱田三彦、指揮:若杉弘。

「リング」の構造はR(Retrograde=逆行)、I(Inversion=反行)、N(Noise=ノイズ)、G(General Theme=主題)の4部分から成り、それぞれを演奏する順は任意で、各パート間に間奏があって円形の図形楽譜で表現されている。図形楽譜のスタート点、終点、回転方向、テンポはすべて奏者の自由、と不確定性音楽の要素が採用されていた。
全集のCDはR、I、N、Gの順で演奏されている由。

Img_7040

上は{リング}の「R」冒頭部。見ながら聴いていると、確かに「R」から入っていることが分かる。

下は間奏部分の図形楽譜。

Img_7041

武満は以後、ギターもしくはリュートを使用した作品を以下のように書いている。
「サクリファイス」(’62)アルト・フルート、リュート他
「ヴァレリア」(’69)ヴァイオリン、チェロ、ギター他
この作品は当初「ソナント」として、第6回現代音楽祭(’65)で上の楽器以外の編成が違う形で発表されているが、レコーディングにあたり「ヴァレリア」と改作された。
以上が「リング」3部作といわれる。
「スタンザⅠ」(’69)ギター、ピアノ、ハープ、女声(ソプラノ)他。ギターの伊部晴美に献呈されている。全集作品ガイドには、女声のテキストはヴィットゲンスタイン「論理哲学論考」からの引用である旨の記載がある。
「サクリファイス」にギターは入っていないが、その他はすべて初演、全集版の録音で伊部晴美がギターを担当している点が注目される。このギタリストについては別項で改めて触れてみたい。
以上の作品は通常の五線譜で書かれているようだが、「リング」で部分的に採用された図形楽譜による作品は以下のようである(立花P.431)
・全面的に図形楽譜による作品
「ピアニストのためのコロナ」(’62)
「弦楽のためのコロナ」(’62)
「クロッシング」(’62) 立花が挙げているこのピアノ作品は、全集CDには収録されていない。周到な編集によるこの全集から洩れている理由は分からないが、先に引用した秋山邦晴編の作品表へは記載があり、一柳慧が初演している。
ちなみに同名の「クロッシング」(’70)は、管弦楽曲でギターパートがある。この作品の第一部の独奏パートへは、「スタンザⅠ」が使われている由。
・部分的に図形楽譜である作品
「環礁」(’62)
「ピアノと管弦楽のためのアーク第一部」(’63)
以降も若干書かれているようだが、図形楽譜による作品は、’61 - 3年に集中していることが分かる。

(続く)

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