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2017年10月29日 (日)

「武満徹・音楽創造への旅」-6「リング(環)」続き

前回触れた「リング」および武満にとっての「第4回現代音楽祭」の意義、また「リング」の武満作品全体における位置付けについて書いてみたい。

吉田秀和は「武満徹と静謐の美学について」(吉田秀和全集第3巻)で述べているように、「リング」の底流に漂う「静謐の美と、浄福(Seligkeit)とでも呼びたい静かで浄らかな光」を感じ取った。

上の吉田の見解は、私には理解しうるものではないが、「リング」の間奏部分で採用している不確定性の音楽は、奏者の演奏の自由度が大きいため、究極的には演奏毎に異なる演奏が出現することとなって、聴き手にとっても据わりが悪いことになりかねないように思う。
また、この種の音楽をCD等の媒体で固定してしまうことが無意味になってしまう様にも考えられる。

以上の私の感想に対して吉田は、
「いわゆる抽象楽譜による書法は演奏家のイニシアティヴを尊重し自発的な即興を刺激することを通じて、音楽家の創造の自由を拡大してゆく点で大きな意味をもつ。・・・けれども人間には、くり返しを求めるという、本然の要求がある。・・・そのくり返しが、芸術を惰性化し形骸化する危険をもっていることは事実だし、一度しか味わえないものの魅力も貴重なものだというのも本当である。しかし、一度きかれ、そうして消えていったものは二度ときかれることはないということには、私は不満―というよりも、音楽の中からかけがえのないものが欠けてしまうのではないか。」(「能と現代音楽」(吉田秀和全集第3巻))
と述べ、また、
「これまできいた限りでは、私の共感は、ケージ流に全面的にこれ(「偶然性の技法」)によった作品よりも、それを部分的に適用した武満の方にある。」(「武満徹「フリュート、ギター、リュートのための環」」(吉田秀和全集第3巻))
とも言い、上の私の感想があながち見当違いではないことを裏付けてくれている。
それにしても、吉田の感覚の鋭さと一貫性、曖昧模糊とした対象への分析力の高さ、更には読む者へ的確にそれを伝える文章表現力には驚かされる。
この吉田の叙述は、下に述べるように武満の音楽の方向性と一致している。

「第4回現代音楽祭」が武満にとり大きな意義を持つのは、この時彼がジョン・ケージの音楽を初めて耳にしたという事実である。
しかもこの時武満が聴いたケージの作品は、「ピアノとオーケストラのためのコンサート」(*)で、ピアノを一柳慧が務め、指揮は黛敏郎だった(立花P.413)。一柳は米国留学から帰国したばかりで、留学当初の’58年にケージと出会い、その頃作曲されたばかりのこの作品を知って、ケージへ傾倒するようになった当の作品を紹介したわけだ。

*:脂がのりきった壮年期に書かれたケージの最高傑作だと一柳は言っている。不確定性音楽で、ピアノパートは84種類のグラフィック・スコアとなっている由(第2回で触れたNHKFM「ケージとメシアンの音楽」での一柳慧の発言(→第2回)。

全集Vol.2書籍巻末の船山隆「武満徹の音楽詩学」は、武満作品へ船山が長年傾注してきたことを実感させるものだが、あれれ、と思う部分があったのでここに記しておく。
それは、「(3)武満の「歌」」というセクションで(P.291)、
「1965年、谷川俊太郎の詩「死んだ男の残したものは」を歌詞に作曲・・・同年、武満は磁気テープのための<水の曲>、不確定性を持つ<環>を作曲している。彼は実際、一柳慧を通じて、ジョン・ケージの音楽について正確に知ったのである。」
と記しているが、<水の曲>は’60年、<環>は’61年の誤りだ。
また「彼は実際、一柳慧を通じて・・・」という箇所も、文脈上<環>があたかもその過程で作曲されたように受け取れる書き方だが、一柳は帰国したばかりなので、<環>は「一柳慧を通じて」ではなく、不確定性の技法を武満が独自に取り入れて作曲したものと考えるべきだろう。

ケージとの出会いは、以降の武満の作曲活動へ深い影響を与えることになる。(立花P.376)。
立花隆のインタヴューで、武満はケージから受けた影響について率直に語っている。(29、31章)
それは、以下のように2点へ要約することができる。
1. 既存の音楽を破壊し、作曲する上ではすべてが許されるという、絶対的肯定者の立場を取ったケージの音楽観へ共感した。
2. 日本の音楽へ目を開かれた。
ケージの自由な音楽観への共感が、以後の武満の作曲の指標となった。
ケージとは生涯にわたり親しく交友するようになるが、二人はあらゆる束縛から音楽は自由であるという基本的姿勢において一致するも、作品の具体的内容においては全く方向性が違っていた。
またケージにより日本の音楽を再認識したことが、「ノヴェンバー・ステップス」の誕生の遠因となった意義は大きい(直接的には小澤征爾の貢献も無視できない)。
武満は、演奏者の自由に委ねる不確定性音楽よりも、作曲家の意図を厳密に書き込む記譜法へ回帰し、やがて不確定性音楽から離れて行く。
そして終生作品を構築する論理の探求を続けて行くこととなる。
(続く)

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