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2017年10月29日 (日)

「武満徹・音楽創造への旅」-7

前回まで武満徹の初期の軌跡を見てきたが、今回はまとめとして武満の音楽観、武満作品の一断面を見て、次回にギターに関連することを書いてみたい。

立花隆「音楽創造への旅」第13章に、武満が立花のインタビューへ答えて、「無数の具体音で充満された音の河が、・・・滔々と流れている。・・・音の河の中から、聞くべき音をつかみ出してくることが作曲するということだ」、と述べる件がある(P.219)。
同じページの下段には、武満の第1エッセイ集「音、沈黙と測りあえるほどに」から「自然と音楽」で「音の河」へ言及する箇所が引用されている。
「音の河」は、武満の音楽創造の根底を成す重要な概念だと思う。

第6回でも引用した吉田秀和「武満徹と静謐の美学について」の中で吉田は、
「彼には<音>は自然の中にすでに存在しているものであり、私には、彼の創作は、もっぱら、そこから不要のものを削りとることに集約されているかのように見える」。
と書き、あくまでも「リング」系列の作品(‘58~61年)に対して述べた見解であるが、上の武満の考え方と符合していることに驚かされる。

やはり今夏、福岡伸一の「新版動的平衡」(小学館新書)を読んでいて、武満の「音の河」を思い出した。
「そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私達の身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。」(P.261)
生命体としての個体には、目に見えるほどの早い変化はないが、分子レベルでは外界からやって来る物質とひたすら置き換わり、再び外界へ流れていくプロセスの中に生命が位置付けられている。福岡は流れの中で一定の状態を保つ動的平衡が生命の本質だという。

また武満は、「死の巡り」(「音楽の余白から」)という’70年代の文章で、死に対する考察を行っている。
「私たちは身近な死の汀(みぎわ)から想像を絶する遙かな死の涯までを満たしているものの、滴り(したたり)のひとつに過ぎないのだと謂うことを知るとき、はじめて生の意味を把握できるにちがいない。」
武満40代の文章だが、幼少期、青年期から死を切実なものとして受け止めて来たからこそ抱くことができる死生観であり、またそれは、あくまで謙虚というか、淡々としたものだということが伝わってくる。どこか「音の河」に通じる捉え方であり、これも武満の音楽観の基礎を成していると思う。

「遠い呼び声の彼方へ」(武満の第五エッセイ集)に、「普遍的な卵(ユニヴァーサル・エッグ)」という講演録が収められている。
また、その前(エッセイ集冒頭)の「東の音・西の音」の中では、「宇宙的卵(コスミック・エッグ)」という言葉が出て来る。
「卵」という語が象徴するように、未形成ではあるが音楽はやがて東西の区別が取り払われ、グローバルな形で孵化していくべき方向性があるという考え方だ。

どこか空想的で、理想主義的な印象があるが、第3回で触れた「美術手帳」座談会での瀧口修造の発言に見られるような瀧口から受けた薫陶、邦楽器を含む自作品の作曲経験、’72-3年のインドネシア、バリ島でのガムラン音楽体験、’80年8月のオーストラリア北端のグルート島でのアボリジニ音楽の体験等を通して武満の中で徐々に醸成されていったのだろう。

この考え方は以前このブログでも触れた池澤夏樹の「現代文学」のグローバル化、文学は或る特定の言語で書かれているが、翻訳によっても充分享受できるという考え方、また入江昭のグローバル史観、’90年代以降の歴史研究がグローバル・ヒストリー(NOT=世界史(World History))という観点が主流となっているという指摘が思い出された。(→'15.2/17

また武満は、西洋古典派音楽で完成を見たソナタ形式に否定的で、起承転結がはっきりした構成へ異和感を唱える一方で、邦楽の一音に込められている奥深さに魅かれ、独自の境地から作曲をしてきた。

武満作品を聴いて、気付いたことを箇条書きすると、
・長い作品がない。
・作品名にユニークなものが多い。作品名と作品の中身は深い関係性がある。
「地平線のドーリア」、「鳥は星形の庭に降りる」、「遠い呼び声の彼方へ!」etc.枚挙に暇がない。
・起承転結が曖昧。終わりらしい終わりがない。
・追悼作品を多数書いている。
・シリーズでグループ化出来る作品が多い。

最後のシリーズ化について、武満は「音とことばの多層性」(「音楽を呼びさますもの」(‘85年12月))で、「・・・作曲する時、「夢(ドリーム)」、「数(ナンバー)」、「水(ウオーター)」に強く影響されている。」と述べ、不定形である「夢」と定形の「数」を対立するものと捉え、それを統合するものとして「水」を位置付けているという。
そして「夢」と「数」シリーズ、「水」シリーズの系列作品を例示している。
また、二つのシリーズが合流する作品として、「遠い呼び声の彼方へ」を挙げている。

以下シリーズ毎の系列作品を示すと、
1.水シリーズ
「波」(’76)
「ウオーターウエイズ」(’77-8)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80) 弦楽カルテット作品 以上室内楽作品
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)
「I hear the Water Dreaming」(’87)
2.夢と数シリーズ
「カトレーン」(’75)
「鳥は星形の庭に降りる」(’77)
「ドリームタイム」(’81)  オーストリア原住民アボリジニの神話から想を得た。
「夢の縁へ」(’83) ギター協奏曲。「虹へ向かって、パルマ」(’84) (やはりギター(とオーボエ・ダモーレ)協奏曲)と対を成す作品(武満)。
「夢の引用」(’91) 以上管弦楽作品
3.星座シリーズ(武満自身による)
「アステリズム」(’68)
「カシオペア」(’71)
「ジェモー」(’71-86)
「オリオンとプレアデス」(’84)  以上管弦楽作品
4.E.ディキンソンの詩に触発された作品
「夢の引用」(’91) 上の夢と数シリーズへ位置付けられる作品。副題(Say sea , take me!)はディキンソンの詩の一節。(武満自身による)
「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」(’91) 作品名はディキンソンの詩の一節。(武満自身による)
「そして、それが風であることを知った」(’92) 同上
「スペクトラル・カンティクル」(‘’95) 同上。ヴァイオリン、ギターと管弦楽の協奏曲。管弦楽は日本の回遊式庭園から着想した一種の変奏曲で、ソロ(ヴァイオリン、ギター)は、庭園の鑑賞者という位置付けとのこと。(これも武満自身による) 以上管弦楽作品
5.J.ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」からから想を得た作品 
「遠い呼び声の彼方へ!」(‘80)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80)  本作品のみ室内楽作品
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)  以上二作品は水シリーズに入る。(武満自身による)
「riverrun」(’84)  「フィネガン」出だしの言葉だ。柳瀬尚紀が「川走(せんそう)」と訳した部分。
6.「海」の音列(E♭=ES=S、E、A すなわちSea)が用いられている作品
「遠い呼び声の彼方へ!」(‘80)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80
「海へ」(‘81) アルト・フルートとギター
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)
「海へⅡ」(‘81) アルト・フルート、ハープと弦楽オーケストラ
「海へⅢ」(‘88) アルト・フルートとハープ
7.絵画からインスピレーションを得た作品
「マージナリア」(’76)  クレーの作品から。(→第3回)。
「閉じた眼」(’79) ルドンの同名作品からの印象による。本作は瀧口修造への追悼曲。
「閉じた眼Ⅱ」(’88) 同上
「すべては薄明かりの中で」(’87) クレーの同名作品から。ギター独奏作品。
「エキノクス」(’93) ミロの同名作品から。ギター独奏作品。
「森の中で」(’95) 第一曲「ウエインスコットポンド」は、知人である画家コーネリア・フォスの絵画の印象から。ギター独奏作品。(→'16.10/15
以下は管弦楽作品
「夢の縁へ」(’83) ベルギーの画家ポール・デルヴォーへのオマージュ
「虹へ向かって、パルマ」(’84) ミロへのオマージュ
「I hear the Water Dreaming」(’87) オーストリア原住民アボリジニ絵画に触発される。
「ヴィジョンズ」(’90) ルドンの絵画作品名を各楽章名としている。

以上のように複数の要素を併せ持つ作品も多く、文学・美術的モチーフから音楽を着想する傾向があることが分かる。
第4エッセイ集「音楽を呼びさますもの」(’85年12月)の後記で武満は以下のように記す。
「・・・身裡にある曖昧な感情を見きわめ、明確にするために、どうしてもことばに頼らざるを得ない。そうして見えてきたものを、さらに、ことばが撹拌し波立たせる。その繰り返しの中で、音楽への機は熟す。・・・ことばは、ことばを超えて、音楽を呼びさますものの実質に私を近づける。」
音楽のイメージを言語で鮮明にして行く武満の方法が語られている。
(続く)

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