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2017年11月30日 (木)

「京都・奈良・大阪の旅’17」-5(第69回正倉院展)

奈良ホテルから荒池を過ぎ、春日大社の一の鳥居脇の石段を上がり、料理旅館「江戸三」へ立ち寄る。
7月27日付け朝日新聞夕刊の「都ものがたり 奈良」で、小林秀雄が滞在していたという「縁由(えんゆ)の間」を見ておきたかったので。
「江戸三」は奈良公園の中に立地し、鬱蒼とした木立ちに囲まれて起伏のある随所に小屋が点在している。
皆似た造りで、「縁由の間」は斜面の低い位置にあった。

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記事には老朽化で現在は使われていないとあるが、スタッフの休憩所として利用されているようである。
記事によると、1928(昭和3)年東大卒業直後に東京から関西へやって来て、「縁由の間」へ約一年滞在した。当時近くに居を構えていた志賀直哉の支援があったようだ。
この頃を回想している「秋」(1950)とか、「モオツァルト」(1946)の有名な一節、「道頓堀でト短調シンフォニーが鳴った」のもこの時期の事だという。
そして翌1929(昭和4)年に「様々なる意匠」が「改造」懸賞論文の二等賞を取る。
と「江戸三」に滞在した頃が、小林秀雄にとり重要な時期に当たっているのが大変興味深い。

スタッフからもらったパンフレットを見ると、志賀直哉が命名したという「若草鍋」(10~3月)の写真があった。

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春日大社参道を横切り、奈良国立博物館側へ入ったあたりの鹿の群れ。右の並木が参道。

正倉院展はこのところ3年連続来ている。
奈良公園の中の立地、そこここに鹿がいるのがここの特長で、新館前の行列に並んでいると、もう一年が過ぎてしまったのかという感慨が湧いてくる。

正倉院宝物は、宮内庁の所管なので国宝の指定こそされてないが、正倉院展に出陳される宝物の品々はいずれも国宝級のものばかりである。

今回印象に残るのは、「21碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)」。直方体の小箱で、薄い青緑色の地、焦げ茶色の縁取り、鳥と草花、蝶が金、銀色で描かれ、優美な出来栄えに目を奪われる。

「27緑瑠璃十二曲長杯(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)」。深い緑色のガラス製の楕円形の杯。
今回の図録表紙を飾っている。ちなみに今年の表紙の色調は今までで一番良い。

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図録によれば、鉛ガラスで、銅が含まれているので緑色をしている。中国に多く、対してソーダ石灰ガラスは西、中央アジアに多い。一方形状(十二曲長杯)の原形は、ササン朝ペルシア(3~7C)に見られる。
ということで、中国産が濃厚だが、形状は中央アジア方面と不確定で、明治37年に初めて宝物帳に記載され、経緯が不明、と謎に包まれた宝物なのだそうだ。

「5羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」。「6熊鷹臈纈屏風(くまたかろうけちのびょうぶ)」と共に丁度10年前の第59回(2007(平成19)年)に出陳されている。

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「羊木臈纈屏風」は、今年の入場券の図柄に採用されている。
昨年も書いたが、羊は2003年の切手趣味週間の図柄にも採用された。
この宝物は、布(絁(あしぎぬ))が調布であることから国産であるが、巻き角の羊はエキゾチックで、西域のソグド人(中央アジアのイラン系民族)の7世紀頃の都市遺跡、アフラシアブ(ウズベキスタン)の壁画に似たものが見いだせるそうだ(図録130頁)。
上の27共々、中央アジア方面のイスラム、西域文化とシルクロードを通じた中国、果ては日本と、1,300年前の世界のつながりを裏付ける宝物であることは、興味深い。 

聖語蔵(しょうごぞう)の経巻を見るのも楽しみの一つだ。
勿論判読はできないが、整然と記されている文字群に何ともいえない魅力を感じる。
唐代の中国で書かれた経巻が特に優れていると思う。
今回は「56阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつまだいびばしゃろん)巻第七」。
図録によると、インドの説一切有部(せついっさいうぶ)派の根本経典「阿毘達磨発智論(あびだつまほっちろん)」を解釈した全200巻の論書で、唐代に玄奘三蔵により漢訳された。
なお、第57回(2005(平成17)年)に「大毘婆沙論巻第百七十八」を見ている。巻第百七十八は、この年1979(昭和54)年以来26年振りで、あと巻第百七十が1988(昭和63)年に出陳されている由。

今回は久しぶりに本館の仏像を見た。時間がなくて、中央ロビーとその北側、第1~7室までしか廻れなかった。

午後5時夕闇がそろそろ押し寄せようという頃、博物館を後に、再び奈良ホテルへ向かう。

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上は春日大社の一の鳥居を参道から見ている。

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上は荒池越しの奈良ホテル。

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ホテルのラウンジでコーヒーで一息入れた。
タクシーで近鉄奈良駅へ行き、18時の京都行き特急で、再び京都へ。
(続く) 

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コメント

WEB小説「北円堂の秘密」を知ってますか。
グーグルやスマホでヒットし、小一時間で読めます。
その1からラストまで無料です。
少し難解ですが歴史ミステリーとして面白いです。
北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。
読めば歴史探偵の気分を味わえます。

群馬県で世界記憶遺産となった上野三碑の
多胡碑に書かれている右太臣が登場する小説です。

「北円堂の秘密」を読ませていただきました。

まず、作者の古代史への造詣の深さに尊敬の念を覚えました。
この年まで怠惰で先送りし続けてしまった、この時代の参考書へあたりたいと思いました。

京介の夢に登場する大極殿、不比等の部分は正にファンタジックですね。
ただ、それまでの史美や京介によって推理されている内容が、また不比等の口から話されるのは意外性に欠けました。

また奈良市内の知識が相当にお有りな事にも驚かされました。
例えば、奈良ホテルが外国人向けの観光誘致の一環として鉄道省により創設されたとか、登大路県庁脇交差点地下化、近鉄奈良駅側地下化の時期とか大変参考になりました。

ここで素朴な疑問を述べさせていただきます。
先代中華料理店主が戦時下に防空壕を掘った際に発見したという銅板が古代史上の大発見につながる重要な資料とされていますが、そもそも当の不比等が厳重に封印した事蹟の鍵となるものが容易に発見されてしまうというのは、小説の構成上の自家撞着ではないでしょうか?
また当時こういった事蹟を記録するのに銅板を用いることはされていたのでしょうか?

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