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2018年4月25日 (水)

夏目漱石「明暗」を読む-4(最終回)

前回記したように水村美苗「続明暗」は、漱石の「明暗」を見事に補完している。
その際に触れた「人生の贈りもの」によれば、水村は自作品に触発されて様々な「続明暗」が出て来ることを予想していたようだが、今日に至るまで水村版以外は出ていない。
また水村は、「作家の意図より書かれたものを重視するという、学生時代に学んだ文学理論(*)に助けられ、漱石がどう「明暗」を終えようとしていたかより、すでに書かれたテキストの流れを大事にさえすればよいと」考えた。「漱石なら少し違う展開になったでしょうね。古い時代の男性だから。私は女だから、女性に精いっぱい花を持たせてしまいました。」
自尊心を粉々に破壊され、自身の存在意義を見失うまでにボロボロになったお延が、山の頂上から朝日に輝く眺望を目にして、自然の平等性を体感し透明無私の境地へ達する。水村が言う「女性に精いっぱい花を持たせた」と言うのはこのことだろうか。
ただ「すでに書かれたテキストの流れを大事にさえすればよい」という点では、原作で温泉へ出発する前に津田が小林と会いに出かけるところでのお延の
「何時か一度此のお肚(なか)の中に有(も)ってる勇気を、外へ出さなくちゃならない日が来るに違いないって」「近いうちなの。もう少ししたらの何時か一度なの」「貴方のためによ。夫のために出す勇気だって」(154)
という勝ち気で、積極的な性格を象徴する発言が置き去りになっている事がわかる。
水村版では、現地へ乗り込みはしたが、為す術もなく押しつぶされてしまう、か弱いお延となっている。この点も含め様々な展開があり得ると言うことなのだろう。

(*)第3回ではご夫君との出会いやら、イエール大での文学履修の話、武満徹との出会い、加藤周一と柄谷行人への師事とか(!!!)20代の頃の濃密な学業が語られている。

2で記したとおり津田は共感出来る人格ではないが、救済されるというと受動的だが、前回触れたように水村版では津田にも最終盤でお延との絆が強まり、精神的更生を予感させる書きぶりが認められる。江藤淳のように津田は罰せられ死をもって報われると云う結末は流石にないだろう。津田はまだ若干30歳という若さなのだ。

清子について大岡昇平「「明暗」の結末について」は、「(清子の)創造はその場の即興で作り出され」たというユニークな解釈を示している。(*2)根拠を「書きはじめ一ヵ月前と推定される不可解な断片」(*3)に置き、お延との真の和合を究極のテーマとしつつ、「立ち去った女との姦通」のモチーフを加えた、という大胆な推理を加えている。
(*2)「小説家夏目漱石」P.414-5 この本が出た1988年は奇しくも大岡の没年となった。享年79歳。本は5月が初版第1刷で、私のは第6刷で8月のもの。「「明暗」の結末について」は1976(昭和51)年5月早稲田大学での講演に手を加えたとある。その当時で大岡は67才、丁度私と同じ年齢だったのが感慨深い。この本には江藤淳と朝日新聞紙上でやり合った(という表現がぴったりの)江藤の博士論文「漱石とアーサー王伝説」を巡る論争の大岡部分も納められている。こちらは1975年で大岡66才、江藤の方は42才、当時20代だった私は、はらはらしつつ両大家の言い合いをリアルタイムで読んだ事を思い出す。
(*3)旧全集第13巻「日記及断片」P.835-6

そして清子を入れた事で、サスペンスは増大したが、筋は不自然、煩瑣になってしまったといっている。
大岡も清子をサブキャラクターと見ており、水村版は津田と清子の交渉を「続明暗」のハイライトシーンとしつつ、大岡の指摘をも盛り込み、見事に模範的に描写したと云ってよいだろう。

水村版を読んでいて気付かされたのは、随所に漱石の表現をパロディー的に引用していることである。
・「(つれない素振りの清子に)津田の舌は上顎へ密着(ひっつい)て仕舞ったやうに自由を失った儘だった。」(244)これは「三四郎」終結部で教会から出て来た美禰子と対した三四郎の印象的な場面だ。
・「(清子と馬車の幌の中で)津田はいつしか(清子の)微かな香を眼の眩(ま)う程強く感じてゐた。さうして嗅覚の刺激のうちに一種の幸(ブリス)を覺えていた。」(238)
「それから」の代助が三千代を迎えるにあたり百合をあしらい、その香りが充満する中で感じた幸(ブリス)を思い出す。
・「(宿に着いて風呂の中で我を忘れた津田が自分を取り戻し)何処かで聞いた事のある父母未生以前の己れといふ言葉が津田の胸に思ひ起こされた。」(246)
これは「門」で参禅した宗助に課された公案「父母未生以前本来の面目は何か」が連想される。
というように漱石作品を自在に駆使しているあたり、水村の上品な遊び心を感じる。

最後に漱石の原作の方で気付いた事を記したい。
・第5回で津田が二階の書斎へ上がり机上の洋書を開くところ。
今回は手元の旧全集で読んだが、図書館から定本版を借りて来て、たまたまこの箇所の違いに気付いた。
旧全集:結婚後三四ヶ月目から読み始めた。それから二ヶ月以上になるが三分の二にも達していない。
定本版: 〃 二ヶ月目   〃       〃 三  〃        〃
定本版は原稿、旧全集版は初版本に拠っている訳だが、こうして比較してみると結構違いが目立つ。ここは津田夫婦の結婚後の経過時間を示唆するもので、いずれも概ね半年前後となる。
ちなみに初出(5)では単に「比較的大きな洋書」となっているが、(39)では「経済学の独逸書」とあり、大岡は「これがマルクスであろう、という拡大解釈があります」と疑義を挟みつつも紹介している。長山靖生氏も「漱石研究」(*4)に寄せた論文で他者の意見とした上で、これがマルクスの「資本論」との見解があることに触れている。両者とも確定的とするには根拠が乏しいが、面白い見解だということで敢えて取り上げたようだ。漱石全集の蔵書目録(付記3:6)にあたってみたら、マルクスの「資本論」はあったが英訳版だった。ちなみに余白への書き込みはない(模様)。
(*4)「不可視と不在の「明暗」」(付記3:9)

・パート1第5日のお延の観劇。漱石は「芝居」と書き、「劇場」とも記すが、歌舞伎とは書いていない。水村は当然のように「歌舞伎」と明示している。((203) P.58)大岡も「「明暗」の結末について」で同じく当然のように「歌舞伎」と書いている。これが私には引っかかっていたが、最近読み始めた古川隆久「昭和史」(付記3:15)で(尤もこちらは大正から昭和へ変わる頃での記述だが)、「演劇で人気だったのはなんといっても歌舞伎である」という箇所を読み、大正初年もほぼ同様だったであろう事から納得することが出来た。

・第150回の「事前の夫婦は、もう事後の夫婦ではなかった。」というイレギュラーなセンテンス。
しばらく受け入れ難かった部分だ。
何故「事後の夫婦は、もう事前の夫婦ではなかった。」でないのか?
津田とお延は、津田が申し出た妥協をお延が受け入れる事で「何時の間にか我知らず相互の関係を変えてゐた。」
そして大岡が言うような「理屈っぽ」いテキストが以下長々と続く。理詰めで、決してわかりやすく書かれてはいないこの箇所は正直読むのがつらい。
どうにか理解できるようにも思うが、いまだにこのセンテンスは釈然としない。

谷崎から与えられた宿題は力及ばず白黒を付けるには至らず、結論を今後へ積み残す事となってしまった。「明暗」、「続明暗」とセットで読んでみて言えるのは、水村版として完結を見て、読者としてカタルシスは覚えることができた。
谷崎の「芸術一家言」が発表された1920(大正9)年、谷崎は若干34才、既に旺盛な作家活動をしていた。「明暗」は1916(大正5)年5月26日から東京、大阪朝日新聞に同時掲載で始まったが、その前の連載小説が谷崎作品だったというのも面白い符号である。(*5)

(*5)「鬼の面」。1月15日から5月25日までの116回。東京朝日新聞へ掲載。谷崎の朝日への第1作。(以上は、荒正人「漱石研究年表」(付記3:7)による。)「明暗」はその翌日からだ。(*6)
「面白い符号」という点で、序でにいうと水村は「谷崎潤一郎は漱石と並んで尊敬する小説家である。」(*7)と書き、「決定版谷崎全集」(中央公論社)のパンフレットには推薦のことばを寄せている。
今回の私のブログは奇しくも漱石―谷崎―水村の3者が絡んだが、水村が漱石と谷崎を殊更に愛読する人であることに、我が意を得た。
(*6)中央公論社版旧谷崎潤一郎全集第3巻所収の「鬼の面」タイトルページ裏面には「大正5年1月-4月東京朝日新聞」と誤記載されている。
(*7)水村美苗「谷崎潤一郎の「転換期」―「春琴抄」をめぐって」(付記3:10)
(終わり)

(付記1)長崎新聞のスクラップ(前回参照)に関しては思い出がある。
1990(平成2)年(もう28年前になる!!)私の地元のギターアンサンブルで共に活動していた友人が帰郷し結婚する事になって、披露宴へ妻共々招待され、はるばる長崎へ行ったのだった。
このスクラップはその時のものである。
友人の父君は長崎市の収入役を務めておられ、当時の市長の本島等氏が列席されていた事を思い出す。私はキャンドルサービスで「アルハンブラの想い出」と、彼の従妹にあたる女性のメゾソプラノへ、シューベルトの「アヴェ・マリア」のギター伴奏をしたのだった。
丁度「長崎旅博覧会」が開かれていた。グラバー邸や平和公園、浦上天主堂も周り、また「山下和仁アートサークル」事務局だった喫茶店「ギタルラ」へ行き、マスターに長崎ギター合奏団のライブ・テープ(たしかベートーヴェンの「運命」第1楽章だった)を聴かせていただいたり、長崎ギター音楽院へ山下亨氏(和仁の父君)を訪問してお話を伺ったりした。その場で山下和仁がマネージャーらしき人と打ち合わせていた事が思い出される。
雲仙温泉へも一泊した。この直後の11月17日に普賢岳が噴火し、翌年2月12日に再噴火があって、その後火口付近に形成された溶岩ドームの崩壊により発生した大規模な火砕流により多数の犠牲者を出す大惨事となったのだった。
(付記2)今回の本文へは取り上げなかったが、2で触れた2,016年の神奈川近代文学館の「夏目漱石」展について書いた私のブログで取り上げた「漱石と歩く東京」の著者北野豊氏のホームページ「勝手に漱石文学館」を最近全く偶然に知る事となった。興味のある方のためにここへリンクを張らせていただく。(→「勝手に漱石文学館」
また「漱石と歩く東京」は、漱石を読む上で必須と言っていい北野氏の労作である。ホームページから購入できるようになっており、文句なく推奨できる私の座右の書である。北野氏から頼まれて記しているわけではなく、このような貴重な情報が満載された本を共有したいという一念からであることをお断わりしておく。
「明暗」を読みながら随時「漱石と歩く東京」を参照し、今度も様々な示唆を本書から受けた。
一つだけ粗探しさせていただく。同書第2章「小石川を歩く」の江戸川橋の項に「明暗」(21)からの引用があり、「・・・彼は残酷に在来の家屋を掻き?って、・・・」と「?」の文字化け(挘(むし)が正しい)を見つけた。(^^)
(付記3)参考書目一覧
1. 漱石全集第7巻「明暗」 昭和50年6月9日 第2刷 岩波書店
2. 定本漱石全集第11巻「明暗」 2017年10月11日 岩波書店
3. 水村美苗「続明暗」 平成2年9月30日 初版第2刷 筑摩書房
4. 谷崎潤一郎全集(没後版)第20巻「芸術一家言」 昭和43年6月25日 中央公論社
5. 漱石全集第13巻「日記及断片」 昭和50年12月9日 第2刷 岩波書店
6. 漱石全集(改訂新版)第27巻「漱石山房蔵書目録」 1997年12月19日 岩波書店
7. 荒正人著、小田切秀雄監修「増補改訂 漱石研究年表」 昭和59年6月20日 第1刷 集英社
8. 大岡昇平「小説家夏目漱石」 1988年8月25日 初版第6刷 筑摩書房
9. 「漱石研究」終刊号(no.18) 特集「明暗」 2005年11月25日 翰林書房
10.「文芸別冊 谷崎潤一郎」 2015年2月25日 初版 河出書房新社
11.図録「100年目に出会う 夏目漱石」 2016年 県立神奈川近代文学館
12.江藤淳「夏目漱石」 昭和51年6月30日 13版 角川文庫
13.長崎新聞「続明暗」評 1990(平成2)年10月30日
14.朝日新聞夕刊「人生の贈り物」2014年8月11日~15日
15.古川隆久「昭和史」 2016年5月10日 第1刷 ちくま新書
16.小宮豊隆「夏目漱石 三」 昭和49年8月30日 第18刷 岩波書店
17.北野豊「漱石と歩く東京」 2016年4月10日 第4刷 雪嶺文学会

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