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2018年4月18日 (水)

夏目漱石「明暗」を読む-2

「明暗」は二つの部分に分けることが出来る。
津田が入院して退院するまで(1~153)のパート1と、温泉地への転地(154~188)のパート2の二部分である。

2,016年の神奈川近代文学館の「夏目漱石」展の図録解説者奥泉光がいう「三人称多元」の視点人物(*)(→'16.5/10)、具体的には津田とお延になるが、はじめは津田の視点でスタートした小説はやがてお延の視点から叙述され、進むにつれお延から津田、またお延へ、二人の渡り合いの場面では一部作者の視点と、視点が場面で変わりながら進行する。

(*)2月28日付け朝日新聞夕刊に「雪の階(きざはし)」という彼の新作小説が紹介されていた。昭和初年の東京を舞台とした女性が主人公の長編とのことだが、図録解説で述べられている三人称多元の叙述法をこの作品へ採用しているそうである。

引用で知ったのだが(*2)、柄谷行人の新潮文庫版「明暗」への解説で述べられているという「明暗」で実現されている「「多声的な世界」-一つの視点=主題によって”完結“されない世界」」という見方も、恐らくはこの「三人称多元」による展開を基本にしているのだろう。

(*2)高橋修「<終り>をめぐるタイポロジー-「明暗」の結末に向けて」(「漱石研究」Vol.18翰林書房2005)

作中で生起する時間はパート1が11日、パート2は未完に終わってはいるが3日という短い時間の中で小説が展開していく。
パート1の第1日から第4日までは津田、第5日から第8日までは一部津田の部分はあるがお延がそれぞれメインキャラクター(視点人物)として書かれている。
テンポ感としては津田がメインのはじめの部分は快調であると言って良いが、お延へメインが移動する第2部分は叙述が徐々に肥大化し、部分としてみれば精密微細な描写が展開されていると言えるかもしれないが、いわば第2部分のみの限局的なエピソードが延々と詳述される形になってしまっている。

以下にパート1を具体的に整理してみる。
「明暗」パート1に費やされている紙数は以下のとおり。頁は旧全集による。

    連載番号  頁数(旧全集)   主人物   備  考
第1部分
第1日    1~  8   23(P.5~27)     津田    清子の伏線(2)
第2日    9~ 15  20(P.28~47)    津田      〃  (11、13)
第3日  16~ 18    9(P.48~56)    津田      〃  (17)
第4日  19~ 38  64(P.57~120)    津田    藤井家訪問、小林と居酒屋で会談
第5日  39~ 44  21(P.121~141)  津田    津田の手術、入院
第2部分
       45~ 58  46(P.142~187)  お延    お延の観劇、継子の見合い
第6日  59~ 79  70(P.188~257)  お延    お延の岡本家訪問、津田への疑念発生(78)
第7日  80~ 91  41(P.258~298)  お延    小林の来訪    お延の疑念(89)
       92~102  38(P.299~336)  津田    お秀の来訪
             103    3(P.337~339)  お延    お延の疑念+ 清子の伏線
     104~113  37(P.340~376)  津田、お延 津田、お秀へお延が加わる
第8日 114~122前半 32(P.377~408) 津田   小林の来訪
     122後半~130 27(P.409~435) お延    堀宅のお秀への訪問  
     131~142  46(P.436~481)  津田    吉川夫人の来訪
     143~152  38(P.482~519)  お延、津田  
第9~11日 153    4(P.520~523)  津田     津田の退院

以上をまとめると

第1部分 137頁
第2部分 382頁(内お延の部分 187頁(0.49) 津田 〃 120 (0.31) 津田、お延 75 (0.20) )

となり、第2部分/第1部分≒2.8となり、またこの構成表を見ると、第2部分が日を追う毎に膨らんでいることがよくわかる。そしてこの部分の主役がお延であることは、お延の部分が0.49であることからも明らかである。
以上で明らかなように、「明暗」は構成において均衡を大きく欠いていると言える。

また以下に示すとおり、津田の造形には問題が多く、私は読んでいて津田が主人公に値しないのではないかと疑問を感じた。
津田は「利害の論理に抜け目ない機敏さを誇」り(134)、「自己の快楽を主題にして生活」し(141)、父の経済援助の一部返済の約束を履行せず(95)、「畢竟女は慰撫しやすい」(150)とうそぶく非誠実で自己本位の打算家である。
津田は非倫理的で、人間的に共感出来ない人物として描かれている。
また第8日の吉川夫人の半ば言いなりで清子の逗留する温泉行を決意するのは、完全に主体性を失っている。そればかりか、この温泉行がいわばお延への裏切りであり、人妻である清子への接近という背徳行為であることの責任の自覚も欠如している。

対するお延の方は、夫を愛し、夫に自分を愛させることを理想に、日々生活するひたむきさがよく描かれていて、その姿勢に共感もでき、主人公としての魅力を持っている。(*3)
江藤淳は「明暗」において近代小説の重要な構成要件となる女性がよく描けているとし、
「これらの女性達で最も魅力的なのが、・・・お延である」
「お延の魅力は言葉の厳密な意味でのheroineの魅力である。」(*4)
とお延を高く評価する一方、津田を「冷笑的で、自己の保身には敏感な、・・・強い虚栄心を持った」「俗物才子」と切り捨てる。
そして結末を予想して津田は救済されず(津田の死を予想)、よって清子は救世主とはならないと言う。
パート1において構築されたお延の世界が否定されるような結末は有り得ないと云う。
また江藤は上層中産階級の外延に位置する人物として小林に注目し、「明暗」の世界をより相対的にして、超越的自然の視点よりは社会的視点へ重心があり、漱石の視点は小林に同化していると書く。

(*3)飯田祐子「「明暗」の「愛」に関するいくつかの疑問」(「漱石研究」NO.18(2005)、翰林書房)では、お延の「愛」は真実なのかと疑義が提起されている。一例を挙げると、津田の自身への愛を疑い、ついに根拠が瓦解したのに津田への愛が揺るがないというのは不合理である、とか何点かもっともな指摘をしている。
また池上玲子は、「女の「愛」と主体化」(同上)を以下のように締めている。
「「明暗」とは、自己の眼が気づく津田の、結婚生活での個々のノイズを封印し、自己の意志によって自らを夫に従属する主体へと教育していく物語なのである。」
以上はお延に限定された論文だが、大正初年期の状況も踏まえ、女性ならではの洞察が示されていて、大変参考になった。
(*4)江藤淳「夏目漱石」第8章「「明暗」―近代小説の誕生」 これが江藤の慶応在学中の評論であることに改めて驚かされる。

現在残された「明暗」のテキストは、こういう二人の主人公と、更に過去の女性(清子)との関係を絡めて漱石がどういう解決を図ろうとしていたのか、わからないまま未完になっている。

次回以降は、解決の一例ということになる水村美苗「続明暗」を中心に綴ってみたい。
(続く)

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