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2018年4月21日 (土)

夏目漱石「明暗」を読む-3(「続明暗」をめぐって)

水村美苗「続明暗」は、今回の「明暗」を読むにあたりセットで読もうと思っていた。
通して読んでみての率直なところは、「続明暗」の方への賛嘆の念である。

「続明暗」は創作ではあるが、「明暗」を前提としているところが通常の作品と異なる点で、発表から28年経過しており、最近余り話題になることはないかも知れない。
初版帯には「漱石諸作品からの引用をちりばめながら、漱石そっくりの文体、言い回し、用語を駆使して完結」とあり、当時読書界にセンセーションを興したと記憶している。

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先ず何よりも読んで面白い。筋の進行に無駄はなく、前後の脈絡、漱石の原作は勿論のこと、「続明暗」の中においても見事に前後の脈絡が付いていて、読んでいて唸るしかない。
文体は漱石に確かに似ているが、漱石の方がねちねちしているというか、「続明暗」の方はよりサラサラしている印象で、漱石との違いを感じた。
構成もまた見事で、漱石の新聞連載番号を引き継ぎ、一回分がほぼ同じ分量で綴られ、丁度100回分で終わらせている。
「明暗」最終回(188)は温泉行第2日目になり、「続明暗」はここから始まるが、大団円となるのが第7日で6日間という時間が流れる。津田の視点が多いがお延の部分も見事に織り込まれ、まさに柄谷行人が示す「多声的な世界」が表現されていると思う。
時代考証も怠りなくされているようである。
例えば(211)でお延が温泉の津田へ電話しようとする場面、当時の電話システムでは過疎地へは自動電話ではつながらず郵便局まで交換手を通した電話をしに行くところとか、(230)で安永夫妻を送って津田と清子が軽便鉄道に乗る場面とか、(235)で当時の横浜伊勢崎町の盛況が語られる場面(電気館、又楽館、オデオン座etc.)とか大正初年の風俗を描くにはやはり下調べは必要だろう。

「続明暗」は平成2(1990)年9月発行で私は30日の初版第2刷を持っている。今回繙くと中に新聞切り抜きがあった。同じ平成2年10月30日付け長崎新聞の「続明暗」評(付記1:次回参照)である。評者名は記されておらず、学芸担当の記者の手になるものと思われるが、短い字数の中で的確に要点が書かれているところに端倪すべからざるものがある。

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大岡昇平「明暗の結末について」への言及とか、水村が柄谷行人へ師事したことがあるということをこの書評で教えられたりとか、多々勉強になった。

「続明暗」は全編が印象的描写なので、ここでは特に心に残った場面を記す。

第4日。津田の留守宅。寒さが日増しに募る日の午後、二階の津田の書斎でガラス越しの暖かい日射しの中、岡本の小切手で買った反物の仕立ての準備を始めるお延と、庭で隣家の椎の落葉焚きをする下女のお時の平穏な描写。ほのぼのしていて好きなところだ。
それを破る吉川夫人の来訪。日曜(第7日)の継子の再見合いへの立ち会いの要請だった。また津田の温泉行についての虚偽を吹き込まれたお延の心は千々に乱れ、居ても立っても居られなくなり1泊での温泉行きを決意する。
前後の描写の対照が鮮やかだ。
第5日。前日夕刻夫人から翌朝の来訪を促され、津田の温泉行が清子を追っての事だったことを悪意をもって夫人の口から聞かされ、その帰途降りしきる冷たい雨の中を不図思い立って小林宅へと足を運ぶ場面。
打ちのめされてはいるが、こうと思ったら遮二無二突き進むお延がよく描かれている。
特に小林が不在で電車通りへ戻る道中、ラビリンスのような脇道を雨中泥水にまみれ、堂々巡りして中々元来た大通りに戻れないくだりは、お延の絶望的な心理を象徴しており、見事な表現力に唸らされる。
そして帰宅すると小林が来訪していた。そして小林により、津田が入院中に「来るな」というお延宛ての手紙をくれた時に吉川夫人が訪れていた事を知るに至る。

露悪的で徹底的に嫌らしい人物として造形されていた小林を水村は真摯で人間味ある好漢へ変貌させ、特にラストでは重要な役割を与えている。

いわく、お延がお時へ指示した岡本家への仮病による見合いの欠席の電話。その電話で継子が見舞いに訪れたことで嘘が発覚し、岡本の知るところとなり、お時からお延が出発前に小林と会っていた事を聞き、相談に訪れた藤井宅に居合わせていた小林へお秀に同行する形で現地への出向を依頼。という風に漱石の原作のエピソードを前半で取り入れ、それを最後に有機的に関係付ける綿密な筋が用意された。
最終節(288)の「奥さん、人間は人から笑われても、生きてゐる方が可(い)いものなんですよ」(87)という小林の言葉を反芻するお延の描写。漱石の原作の小林の言を引用しているが、このシチュエーションではしみじみと心に沁みる名言として聞こえて来る。

一方吉川夫人には徹底的に卑劣な役回りを与えている。お延へのあしらいはとても感情教育を踏まえたものとは言えず、悪意以外の何物でもない。津田は滝の前での清子とのやり取りで吉川夫人の底に潜む悪意を思い知り、岡本からの電話へ出ようとするお秀へ「吉川夫人の媒介する話は廃(よ)した方が可(い)い」(285)と言うように指示する。ここは津田が汚名を挽回する小気味よい場面だ。

お延が東京で悪戦苦闘していた第5日、軽便鉄道の終点(国府津)の料亭で津田と清子が安永夫妻を送別する会食をする場面。磊落な安永の宴席向きの話題で盛り上がる座と、水商売上がり風の妻君の手慣れた応接、この場面も心に残っている。(*)

(*)2014(平成26)念8月朝日新聞夕刊「人生の贈りもの」で水村さんご本人が「漱石は物語を離れた細部がとてもいい」と言われているが、(232)~(236)のここは正にそんな箇所である。とても印象的な場面だ。

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会食中から降り始めた雨は強まり、津田と清子は幌付きの馬車で宿へ帰る。津田と清子の交渉は夜が更けるに伴いクライマックスへ向かい、一方夕刻の遅い出発となったお延へも雨が伴い、やがて大暴風雨となって進行の波乱を象徴するが、常套手段とはいえその手腕は見事と言うほかはない。

馬車の中で津田は医院で関と会った話(17)をする。そして関が「公には云い難い疾に罹っ」ていた事を話してしまう。「性(セックス)と愛(ラヴ)に就いて六づかしい議論をした」ことについても津田の回想の形で具体的に展開し、享楽的だった関に清子を奪われた理不尽から、清子へ卑怯な態度を取っている津田の矛盾と、刹那主義者の関へ走ったことによる清子の聖性の喪失をここは象徴しているのだろうか。(239)~(241)

大団円はお延の精神が昇華されて終わる。津田の人格に絶望し、自死を決断して滝へ向かうも朝日にきらめく滝の奔流を見て思いとどまり、山へ入り頂上からの美しい眺望に、「自然の全くの無関心が」お延の心を打つ。(287)
津田はと言うと、連日の疲労がたたり出血の苦痛に呻き、お延を追いつめてしまった痛恨の思いと、吉川夫人への絶縁宣言。
小林の津田への「事実其物に戒飭(かいちょく)される方が遙かに覿面(てきめん)で切実でいいだろう」(167)という予言がここに成就している。また出血をいとわずお延を追って起き上がった時点で、津田の精神的再生は約束されたと読める。
見逃せないのは(261)である。滝の前の津田と清子にお延が忽然と現われる。清子は面倒はご免とばかりさっさとその場を去って行く。そして津田は残されたお延が清子と姿格好がそっくりなのに気付く。(P.269)
ここは重要で、津田の深層で清子からお延への遷移が為されたと私は解釈した。
お延はと言うと、これは紛れもない「則天去私」の境地そのものと言えるだろう。
旧漱石全集の小宮豊隆の解説が言うところの、「より高きイデー」=「則天去私」の世界が水村美苗版「明暗」の到達点だった。
また小宮は「明暗」の最重要な鍵は、「倫理的にして始めて芸術的なり。真に芸術的なるものは必ず倫理的なり。」(「日記及断片」大正5年5月(旧全集第13巻P.839))であることをも指摘している。
未完の漱石の原作では、必ずしも反映されているとは言い難いこの命題が、「続明暗」においては見事に達成されている。
(続く)

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