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2019年4月 1日 (月)

平野啓一郎「ある男」

平野啓一郎の「ある男」を読んだ。

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前作「マチネの終わりに」は偶然と必然が複雑に絡み合い、結ばれるべく出会った男女が理不尽な別離を遂げ、本来敷かれていたはずのレールから外れて、それぞれ別のコースへと逸れていく不条理な(あくまで私の主観だが)展開だった。

「ある男」も方向性は違うが、主要人物が災厄に見舞われる点で「マチネの終わりに」と同じ構造である。
作品に盛り込まれたエピソードは豊富で、面白く、また推理小説的でもあり、最後まで引き込まれつつ読み進めた。

その最たるポイントは、「戸籍交換」という現代社会ではあり得ないのではとしか私などには思えない突飛なアイデアだ。マネーロンダリングのように複数回(本作では2回だが)行い、そのくだりは周到に描写されている。

主要人物は複数で、主人公はというと作者が云うように弁護士の城戸という事になるかも知れないが、この小説で最も魅力を感じたのは、出だし部分の中心人物である谷口里枝である。
そこそこ清楚可憐ながら、運命に翻弄されて初婚時の次男を病気で失い、その治療への対応が元で離婚を経験、故郷へ帰ってからも常人では経験し得ない運命が彼女を待っている。
それらを淡々と受け止め、健気に歩を進める里枝に共感しつつ読み進んだ。

里枝は帰郷してから「谷口大祐」と出会い再婚、4年に満たず「大祐」は事故死、その1年後に夫が「谷口大祐」ではない事がわかる。夫だった男は最後まで「谷口大祐」として里枝に対した。

「谷口大祐」=「X」が描いたスケッチブックの絵を契機に、二人の魂が交感する第2章の描写は、牧歌的、超俗的で、素直に共感できる場面であり、全編中で最大の見せ場と云ってよいと思う。

読みながら感じた素朴な疑問は以下のとおり。
1.第2章での里枝との交流は、虚飾を排した純朴な「X」が前面にあったとはいえ、「谷口大祐」として「X」は虚偽の過去をもって里枝に対した。
真の愛を感じている相手に、何故真の自己をさらけ出さなかったのだろうか?
2.里枝の依頼で「X」の身元調査に乗り出した城戸は、何故ペイし得ない調査を1年以上の長期に亘って続けたのだろうか?

1は作中第7章末尾で城戸の疑問としてほぼ同じ内容で投げかけられている。
1、2ともにストーリー自体が回答となっていると云えば云えるが、特に1は根の深い問題なので、数学の解のように一義的には行かないだろう。
誰しも相手に秘密の一つや二つは持っているのがむしろ普通で、作者は真の魂の交流に必ずしも真の過去が付随する必要はないと云いたいのだろう。
「X」は不慮の事故で死亡してしまうが、このまま里枝との結婚が続いたとして果たして「谷口大祐」を通していたか否か、興味のある処であり、矢張り「X」の振る舞いには釈然としないものが残る。

前作「マチネの終わりに」と同じく、巻末に参考文献と本文へ引用されている文学作品を明示している。作者が広く現代社会へ関心を持ちつつ、過去の文学へも目配りしている事が分かる。

取り分け、芥川龍之介「浅草公園」(第11章)と梶井基次郎「城のある町にて」(第21章)は、本作によって知った。
芥川の方はネットの青空文庫で読んだ。
奇妙で不可思議だが、印象的な作品である。
梶井の方は作中では城戸の幸福感を表現するために引用され、作品名は明記されていない。こちらも当初は青空文庫を参照するも、画面を見続けるのがちょっとつらくて、図書館から昭和文学全集(第7巻、小学館)を借りて来た。
昔読んだ「檸檬」も読んでみた。「冬の蠅」とか「桜の樹の下には」とか、覚えている名前がある中、「城のある町にて」は記憶が全くない。
また、「檸檬」を読み、出て来る丸善が京都のそれである事を今回認識。(^^;

脱線序でに・・・
第7巻には中島敦も入っており、以前から読みたかった「山月記」と「李陵」も読んだ。
梶井といい、中島敦と云い、昭和初期の作家だが(共に病気により夭折)、文章の新鮮さに打たれた。
「李陵」により司馬遷の宮刑が李陵擁護に起因する事を知った。(^^;
これに触発されて現在は武田泰淳「司馬遷」を読書中。(^^)

以上、平野啓一郎によって、前作と同様有意義な時間を持つ事が出来た。

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