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2019年5月 1日 (水)

松本清張展

令和時代が始まった。戦後3つ目の元号となり、これからどんな歴史が刻まれていくのか、期待と不安が入り混じっている。
個人的にはこれまで同様、日々有意義な時間が持てるよう努力を重ねて行くだけだが・・・

4月26日(金)に県立神奈川近代文学館へ特別展「巨星・松本清張」を見に行ってきた。
この日は天気予報通り午前は雨で寒く、横浜まで行くことを躊躇したものの、次第に雨も小降りになり、GW前にとの当初の予定を実行した。

2016年4月の漱石展以来丁度3年振りだ。
前回同様高速バスを利用。

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ベイブリッジからのみなとみらいの高層ビル群。

これもいつも通り、フランス山から入ったが、通常の入り口は工事中なのか閉鎖されていて谷戸坂を少し登り始める辺りの通用口みたいなところから入った。
一気の登りで急な階段を2段づつ上がるのが今回は少々きつく感じられた。

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大佛次郎記念館を過ぎた辺りの近代文学館の案内看板。

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連絡橋を渡ると文学館にたどり着く。

午後2時少し前の入館で、館内アナウンスで2時から2階ホールでギャラリートークがあることを知り、タイミングがよいので聴講した。
今年は清張生誕110年だそうだ。

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上は図録。清張71才の書斎でのショット。随分と幸せそうな表情をしている。後方の書架に並ぶのは恐らく岩波の「日本古典文学大系」。

清張は我々世代には流行作家の代名詞みたいな存在で、大概作品の一つや二つは読んでいる。
自分もあまり読んでいないが、それでも初期の「西郷札」、「小倉日記伝」、「断碑」や「点と線」、「ゼロの焦点」や「砂の器」といった推理小説、また「昭和史発掘」をほんの少しだけかじったり、「両像森鴎外」を読んだりした。

今回の展示は全生涯をバランス良く紹介していて、大変勉強になった。
改めて驚くのは、40才過ぎの作家として遅いスタートだったにも関わらず、その膨大な著述には目を瞠るものがある。
それと絵が上手い(と云うか素人離れしている(実際作家になる前はプロだったわけだが・・・))!!!
図録の10頁(几帳面な中に絵心を感じさせる魅力的な絵)、45頁(平山郁夫ばりの、画家としても看板が張れる力量を感じる)。

日本地図に清張作品がプロットされていて、それがバランス良く各地へ散らばっているのに感心した。
千葉県を見ると3作品がプロットされていた(「Dの複合」(成田)、「遠い接近(黒の図説)」(佐倉)、「十万分の一の偶然」(鹿野山))

「昭和史発掘」は2.26事件に最も注力したそうだが、清張が参照した関連資料として「田中義一日記」上下、「真崎甚三郎日記」1~3(皇道派(2.26事件実行グループが信奉した派閥)リーダーの一人),「北一輝著作集」Vol.2、そして副産物として清張編「二.二六事件=研究資料」1~3(文藝春秋社、‘76(S 5 1).3月、’86.2月、‘93.2月)が展示されていた。
昭和史研究へ深く沈潜した清張へ、半藤一利は親しく交流するという貴重極まる体験を巻頭言で述べている。冒頭では坂口安吾から得た清張評を披露もしている。

新聞連載の挿絵原画も素晴らしく、「砂の器」(読売、‘60(S35).5/17~’61.4/20)は朝倉摂で大変見応えがあり、「火の回路」(朝日、‘73(S48).6/16~’74.10/13、単行本は「火の路」と改題)の方は利根山光人。この人はNHKFM「日曜喫茶室」でたしか‘79年に「ギターと絵筆、テキーラの旅」と題してギタリストの中林淳真とゲスト出演して、メキシコ滞在経験を披露していたのを記憶している。

展示のラストは小倉(清張の生地で前半生を過ごした)の松本清張記念館で展示されている杉並区上高井戸の清張邸の再現書斎、書庫の映像で、書斎のカーペットには数カ所に煙草の焦げ跡、書庫はたしかⅠ~Ⅷと8室に及び、記念館の模型で配置を確認させながら書架に並ぶ蔵書群を映し出していた。
中々圧巻で、一度記念館で直接見てみたいと思った。

また第1展示室の常設展示(「神奈川の風光と文学」)も改めて見応えを感じた。漱石はもとより、谷崎、中島敦、有島武郎、三島・・・神奈川ゆかりの作家の多さよ。
横浜市街地の模型から神奈川近代文学館の至近に谷崎潤一郎の横浜時代の邸宅があったことを知った。

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