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2019年6月13日 (木)

江藤淳展・記念講演(上野千鶴子)

6月1日(土)神奈川県立近代文学館の企画展「没後20年 江藤淳展」の上野千鶴子記念講演「戦後批評の正嫡 江藤淳」を聴いた。

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講演チラシ

4月26日の「松本清張展」以来だから1ヶ月強ぶりでの再訪である。

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上:案内看板、下:文学館入り口

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上野千鶴子の講演は、妻も是非聴きたいとの希望で、たしか4月末にローソンチケットでGETしたのだったが、それから1週間くらいで売り切れとなる人気振りだった。
会場は2Fホールでほぼ満席に近い盛況、定員220人とのことなので200人前後が入ったわけだ。若い人はほとんど見かけず中高年が大多数だった。男女比は分からないが、大きく偏ってはいなかったように思う。

上野千鶴子の「セクシイ・ギャルの大研究」と栗本慎一郎の「パンツをはいたサル」は私が30代半ばの当時、セットで評判となった記憶があり、その後も「スカートの下の劇場」という本を題名に釣られて買ったりしている。
その後「おひとりさまの老後」を出して、これは今回をきっかけに「上野千鶴子が文学を社会学する」と共に地元図書館から借りてきて現在読書中である。

朝日新聞土曜版の人生相談「悩みのるつぼ」の回答は、上野千鶴子と姜尚中のものを欠かさず読んでいる。上野はお茶目な中にも相談者を鋭く分析、回答は決して妥協することがなく、かつユニークなのが魅力的で、一方の姜氏は相談に真っ向から向き合い、野球で云えば変化球なしの直球勝負というタイプで、その武骨で実直なところが彼の人間的魅力で、上野とは対照的。

これまで上野へは好感は抱いていたものの、軽めの息抜き的存在だったが、この講演で少し見直したというか上野への認識が変わった。これまでは上野を文学に括ることは思いも寄らず、まして江藤淳と上野が結び付くとは想像外だった。

上野も江藤淳との関わりから話を始めた。やや低めだが明瞭な発声、早口ではないが淀みなく話を進める。70代でなお頭脳明晰だ。
江藤の「成熟と喪失」(1967)での小島信夫「抱擁家族」(1965)への批評に啓発されて書かれた、上野の共著「男流文学論」での江藤評が契機となって「成熟と喪失」文庫版解説を江藤直々の指名で執筆(1993)、1995年には「群像」誌上対談もしていて、この対談は後述するムック本で読み、二人はお互いに好感を抱き、意気投合していることがよく分かった。

この日のレジュメは大変に手間が掛かっていて、資料としても貴重なものだ。漱石関係以外は、「小林秀雄」、荷風に関するエッセイ「紅茶のあとさき」、あとは「一族再会」を読んだ程度で、江藤の全貌を知るには足りない部分がどこか、レジュメでよく分かった。

もう一つ、演題の中の「正嫡」という用語について。
「正嫡」を目にした当初の何とも言えない異和感、言葉自体が死語のようで、旧制度(家父長制)を象徴するような、封建的なニュアンスがあり、上野千鶴子らしからぬ用語である。
それは措いて、江藤を戦後批評の「正嫡」と位置付けることが妥当なのか否かも私にはまだ理解できていない。
レジュメにも記されている「正嫡」の系譜、「夏目漱石→小林秀雄→江藤淳」がどうもしっくり受け止められない。

とはいえ私は、この3人へは取り分け親しんで来だのも事実である。漱石は勿論、小林の新潮文庫で出ているものはほとんど読んだし、江藤は上に記したとおりで、殊に「漱石とその時代」は単行本化の際にリアルタイムで読んで来たし、また「小林秀雄」も小林理解の手引き的に読んだ。

上野はほぼ定刻に喋り終えてから、おもむろに腕時計を見て、「1時間31分!時間通りだわ!」と快哉を叫んだ。無駄なく語り終えた自分に心から満足しているようで、その飾りのなさに大変好感を持った。

それから展示を見たので、時間不足でじっくり見ることができなかった。
講演受講者の大半は展示を見ずに帰ってしまったのかも知れない。全員がなだれ込んでくれば展示室は収拾が付かなくなっていただろうから。

「江藤淳展」は第2展示室のみだったが、展示は充実していた。
面白いと思ったのは多いが、メモを元に点描的に記してみる。
(1) 日比谷高校時代の活発な校内活動を跡付ける、2年次の校内演奏会で自作を指揮(「小交響曲」第2楽章「葬送」。これには驚き!!)。
(2) 慶応大時代の講義ノート(井筒俊彦「言語学概論」)、卒論草稿(「故ローレンス・スターン師の生活と意見」1956)。
(3) 在学中著わした「夏目漱石」の草稿と「三田文学」の掲載号(*)、同単行本初版(1956年11月、東京ライフ社)

(*)「夏目漱石」上 1955(昭和30)年11月号
   「続夏目漱石」上 1956年7月号
   「続夏目漱石」下 1956年8月号

(4)「小林秀雄」執筆に際し、大岡昇平は小林の未発表手稿を江藤へ提供するなど惜しみない支援をした―後年朝日紙上で漱石関係の論戦を交わした二人だが、そういうこともあったかというエピソードである。
(5)プリンストン大学で2年半の研究生活(1962~64年秋)後に体験をベースに綴った「アメリカと私」の初出連載(朝日ジャーナル1964.9/6~11/8)
(6)吉田秀和の江藤宛書簡(1965.3/5付け)文芸時評で加藤周一の小説を批判したことへ長文の書簡で抗議―吉田に「長文」を書かしめたのが、どういう経緯だったか興味深い。
(7)武満徹と隣合わせに座っているパネル写真があった。

第3展示室は常設展「文学の森へ 神奈川と作家達」第2部芥川龍之介から中島敦まで」だったが、時間切れで流し見になってしまった。荷風、谷崎、川端、横光、西脇順三郎、中也、小林秀雄、堀辰雄と盛り沢山。西脇を見たかった。

展示室を出ると販売コーナー。
上野千鶴子が講演中盛んにPRしていた平山周吉「江藤淳は甦る」の見本を手にする。700頁を越える大部でいずれ読むことになるかも知れない。
ここではムック本「江藤淳」(河出書房新社)GET。

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ムック本の表紙

サブタイトルは「終わる平成から昭和の保守を問う」ではあるが、発行は令和に入った2019年5月30日。監修が平山と中島岳志なのも注目点。くだんの「江藤×上野対談」も入っていて(後段がカットされている)、監修の二人の巻頭対談は示唆に富んでおり、特に最後で平山が江藤のプランは漱石の次の仕事を谷崎潤一郎と決めていたと言っているのにはびっくり!!
このムック本も現在読書中。

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