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2019年11月

2019年11月28日 (木)

「京都・奈良の旅’19」-6(修学院離宮その2)

修学院離宮のハイライトというべき上離宮である。

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上は御成門。
ここを入って石段を上がって行く。いきなり上離宮のハイライト「隣雲亭(りんうんてい)」だ。

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「隣雲亭」から浴龍池を望む。池に出ている島は万松塢(ばんしょうう)。左の直線部分が西浜。この部分は堰堤で、石垣を築いて土留めしている由。北を見ていて、遠方に霞む山稜は鞍馬山方面だろう。

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雄滝。隣雲亭を反対側に下りきった辺りにある。
落差6mだそうで、雄壮。

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千歳橋。窮邃亭(きゅうすいてい)がある中島と万松塢を結ぶ。石積みのの橋台が目立つ特異な形状をしている。

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楓橋(かえでばし)。紅葉はまだ先のようである。先に見えているのが窮邃亭。

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窮邃亭の内部。一間のみで、上は上段を見ている。

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土橋。中島と北岸に架けられている。

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土橋を渡った北岸から見た浴龍池。右の屋根組みは「御舟宿(おふなやどり)」。

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御舟宿から進んで、西浜の起点辺りからの浴龍池。右が千歳橋、左は土橋。

広範にわたり、移動時間も取られ、限られた参観時間では説明も簡略化されざるを得ない。昨年の桂離宮はその点、行き届いた説明だったことを思い出した。

我々の回は日本人のみだったが、ゲストハウスで次の参観者と顔を合わせたが、外国人が多かった。隣り合わせたので、声を掛けてみた。会話は英語で行った。相手は男性でドイツのフランクフルト・アム・マイン在住。音楽が趣味でドイツ音楽が好きだと言うと、誰が好みかというので、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスと答えた。モーツァルトは?というので、勿論好きだと言った。ドイツを旅したことはあるかと問われ、ないと言うと是非行って下さい、と勧められた。
する内、後発グループの出発時間が来て、「Have a nice TRIP!!」と別れを告げた。

永年の念願だった桂離宮、修学院離宮を2年越しで参観することができ、充実感、達成感を得られ、満足している。
(続く)

2019年11月25日 (月)

「京都・奈良の旅’19」-5(修学院離宮その1)

地下鉄烏丸線で終点「国際会館」まで行き、市バスに乗り換えて「修学院離宮道」下車、そこから徒歩10分強で参観入口となっている表総門へ到着した。午後1時前だが既に受付を待つ参観者が10数名門前に据えられた椅子を占めていた。
昨年に行った桂離宮(リンク→2018年12月10日 ) は、我々が参観した直後から有料化されたが、修学院離宮の方は無料である。
ゲストハウスは桂離宮より大分手狭で粗末だ。ここで離宮の概要をビデオで見てから、ガイドの引率で参観が始まった。

修学院離宮は後水尾天皇の晩年、上皇時代の築造になる別荘である。
桂離宮との関係性も深い物があるので、覚え書き風に年代を整理してみる。

1611~29 後水尾天皇(後陽成天皇第3皇子)
1615   ・桂離宮古書院造立(八条宮智仁(としひと)親王(後陽成天皇の弟)
      ・幕府「禁中並公家諸法度」(禁中=皇室)
1620   東福門院和子入内(2代将軍秀忠の娘、後水尾天皇の正室)
1641   桂離宮中書院増築(八条宮智忠(としただ)親王)
1655~9   修学院離宮造営(後水尾上皇)
1658   後水尾上皇桂離宮行幸(お忍び)
1662   桂離宮新御殿、楽器の間増築(八条宮智忠親王)
1663   ・後水尾上皇桂離宮行幸(春、秋。八条宮穏仁(やすひと)親王=後水尾上皇第十一皇子)
      ・   〃   修学院離宮で八条宮智忠、穏仁親王をお振舞
1668   「楽只軒(らくしけん)」が朱宮(あけのみや=後水尾上皇の第八皇女光子内親王)御所として建てられる。     
1680    8月後水尾上皇崩御。
       10月朱宮、林丘寺門跡となる。

1885(明治18) 林丘寺から寺域の半分が宮内省へ返還され、中(なか)離宮となる。

年表で分かるとおり、後水尾天皇は江戸時代最初期の在位で、譲位後も上皇として明正(めいしょう)、後光明、後西(ごさい)、霊元の4代の天皇(何れも実子)の時期に仙洞御所で院政を行った。

また今回の旅(その1)で記した白川橋道標の建立は、1678(延宝6)年と霊元天皇の御代で後水尾上皇も存命中のことだ。この年は東福門院和子の崩御の年でもある。

修学院離宮は、上(かみ)、中(なか)、下(しも)の各離宮が連絡路である松並木で繋がるという、ある意味特殊な構成と言える。実際玉砂利を敷き詰めた松並木は足を取られやすく、距離も結構あるので、歩きながら目に入る田園風景は捨てがたい魅力があるにしても、少々身体への負担を感じた。

先ず下離宮から参観した。各離宮の入口には門があって、その前は広場がある。
広場でガイドは参観者の人数確認を取ってから引率をスタートさせていた。
下離宮の入口は御幸門で、入ってすぐ中門を抜けると「御輿寄(おこしよせ)」が見えてくる。

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上は御輿寄。それを左にして進めば庭園(苑池(えんち))が見えてくる。正面の石段の先に見える屋根は「寿月観(じゅげつかん)」。

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寿月観。後水尾上皇の行幸の際の御座所。扁額は上皇の宸筆(しんぴつ)。命名も上皇の由。

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寿月観一の間。上段の脇に飾り棚と床の間がある。

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白糸の滝。落ちる水が幾筋かに分かれ、上に置かれた石が富士を模していることから命名されたらしいが、後世に手を加えたものの由。水源は上離宮の浴龍池(よくりゅうち)で、松並木沿いに水路を設けている。下離宮の苑池へ流れている。

石段を上がったところに東門があり、これが下離宮の出口。下離宮自体高低があるが、上離宮は遙かに高い位置にあって、下離宮との高低差は40mだそうだ。

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上は上、中離宮への分岐点。のどかな田園風景。山並みは比叡山。
進路を右に、中離宮を目指す。松並木はおよそ250m位か?参観者の歩行ペースがまちまちなので、長い列ができた。中離宮表門前で、人数確認をして入る。石段を上りきって、中門への新たな石段の反対側に林丘寺旧表総門があった。苑池を通って「客殿」から参観した。

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「客殿」は東福門院の女院御所の奥対面所で、没後こちらへ移築された由。

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一の間西の畳縁突き当たりの杉戸の祇園祭の山鉾。右が放下(ほうか)鉾、左が岩戸山とのこと。

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一の間の霞棚。左は床の間。壁の意匠は襖と同じ。

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「楽只軒(らくしけん)」一の間のふすま絵。狩野探信の吉野山の桜。

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「楽只軒」一の間の扁額と二の間。写真に見えるのはふすま絵ではないようだが、やはり探信か?
扁額はこれも後水尾上皇の宸筆。
(続く)

2019年11月22日 (金)

「京都・奈良の旅’19」-4(ホテルグランヴィア京都)

初日の宿泊はホテルグランヴィア京都。北ウイングの部屋は今回が初めてである。
11Fで京都タワービュー、スーペリアツイン(34m2)のリニューアルルーム。機能的でスペース的にもゆったりしていて快適である。

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窓から京都タワーが目の前に見えて、ライトアップが美しい。(深夜零時まで)

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ソファコーナー

新聞のサービスがあり、いつも京都新聞にしている。この日夕刊と翌日の朝刊共にトップニュースは緒方貞子さんの死去のニュースだった。

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一夜明けて朝の京都タワー。

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駅前のバスターミナル。

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東山方面。霊山観音(りょうぜんかんのん)、八坂の塔(法観寺)が見える。

朝食は「浮橋」で。今年8月にリニューアルオープンしている。我々は「おくの間」の窓際のテーブル。
ここの「京の朝ごはん」は本当に美味しい。

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抹茶ジュース。祇園辻利の抹茶を使用。豆乳、はちみつを加えている。

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手前左から、御飯(妻はお粥)京の老舗「八代目儀兵衛」の米を使用、味噌汁(ナメコ、若布、小葱)、ちりめん山椒とはりはり大根、出汁巻玉子と花ハス、大根おろし、焼魚(鮭)、漬物(柴漬け、大根、すぐき、牛蒡、ぎおん川勝)、小松菜、湯葉、ゴマ麩、じゃが芋まんじゅう、味付け海苔。


二日目は午後1時30分から修学院離宮の参観である。
移動に小1時間かかるが、時間に余裕があるので朝食後はチェックアウトを先に済ませて部屋へ戻りゆっくりした。

11時45分頃荷物をベルデスクへ預け、出発。
地下街「ポルタ}へ降り、地下鉄改札口近くの「小川珈琲」で豆をGET。豆は「オリジナルブレンド」で100g2パックにしてくれた。あとドリップバッグで「スペシャルティコーヒーブレンド」と「オーガニックハウスブレンド」各7ヶ入りを1パックずつ。
ホテルグランヴィア京都客室でサービスとして小川珈琲のドリップバッグが提供されており、それがよかったのでフロントで直近の店舗の所在を聴いた次第。

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真ん中がホテルグランヴィア京都の部屋のドリップバッグで店舗では販売されていない。

(続く)

2019年11月19日 (火)

「京都・奈良の旅’19」-3(美濃吉本店竹茂楼)

美濃吉本店竹茂楼を目指す。
白川沿いに歩き、三条通へ出て東へ向かいすぐ、路地へ入り込む。金剛院の前を通って三条北裏通りを歩き神宮道へぶつかり、目の前には阿含宗関西本部が見えている。神宮道沿いのショップで道順を教えてもらい、阿含宗本部北沿いの道を東進、美濃吉本社前を過ぎ、ぶつかった岡崎通りの角が竹茂楼だった。
地図で見ると3年前に行った瓢亭(ひょうてい)と至近にある。(リンク→2016年12月14日

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竹茂楼入口。
サービスしてくれた仲居さんによると、現在の建物は建築して27年になるそうで、それを期に「竹茂楼」と命名した由。創業者一族の姓「佐竹」に因んで、明治期の貴族院議員巌谷一六が「竹茂楼」と揮毫した書によっているのだそうだ。

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室内。床の間を入れて十畳(だと思う)。

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床柱へ活けられた花。桔梗ほか秋の七草。大女将によるそうで、草月流とのこと。ご本人も活花同様キリッとした印象だった。

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庭。竹のライトアップが鮮やか。

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梅昆布茶、左は竹茂楼特製の膝掛け

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先付け:左から銀杏味噌和え(左上の笹が乗った竹かごに入って出された)、烏賊のこの綿、その上に烏賊の細切り、そのまた上セロリの極細切り、食前酒「國生みの雫」淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮に因む純米酒(大女将の出身が淡路

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先付け2:くみ湯葉の上に秋茄子、針万願寺、生姜あん

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碗物:名残鱧の葛打ち、松茸、柚子(松葉切り)、ほうれん草の軸

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向こう付け:戻り鰹、炙り鰆(お造りの下に山芋の拍子切り)、浜ぼうふう、塩、土佐醤油
ここで大女将が登場。年の頃還暦前後くらいだろうか?

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赤飯、醤油いくら乗せ(我々の結婚記念の晩餐への心づくし)大変結構な味だった。

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焼物:子持ち鮎塩焼き2尾、かぼす、木胡椒(きごしょう=葉唐辛子佃煮)

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進肴(すすめざかな):味わいしゃぶ(京都産松茸、黒毛和牛、小かぶら、淡路島産玉葱、小松菜、刻み葱、酢立)

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進肴を板前さんが目の前で調理。

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強肴(しいざかな):天ぷら(海老芋芥子の実揚、栗、蓮根煎餅、隠元、赤万願寺、塩
ここで若女将が登場。若女将は二人だそうで、この時の若女将は次男(竹茂楼の料理長)の奥さんだそうだ。

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御飯:こしひかり、名物鰻かば焼(山椒の実の佃煮乗せ)
香の物:大根、水菜、奈良漬
ほうじ茶

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水物:梨、柿、ぶどう(巨峰)、ザクロの実、ジュレ

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水物2:ぜんざい、珈琲アイス乗せ(コーヒーの香りが濃厚に染み込んだオリジナルのアイスクリーム)

最後に煎茶。

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帰り際にお土産が出た。
純米酒「國生みの雫」(大女将の出身地淡路島の銘酒。食前酒で振る舞われた。)、瓦煎餅(神戸の亀の井亀井堂本家。煎餅は「竹茂楼」の焼き印入り。旅行から帰ってからいただいたが、中々の味だ。)
(続く)

2019年11月15日 (金)

映画「マチネの終わりに」

12日(火)に地元のUSシネマで「マチネの終わりに」を見た。
全編BGMでギターが流れる。冒頭の主人公のリサイタルでバリオスの「大聖堂」が奏でられるシーン。
クラシックギターを愛好する身からか、目頭が熱くなってしまう。
以降上映時間2時間強があっという間に過ぎていった。

思いつく儘に感想を記したい。
映画を思いながら、ざっと今回原作を拾い読みして感じたのは、映画と原作は似て非なる作品であるということ。
そして原作の緻密さが際立っている。
ただ映画では文章では絶対不可能なビジュアル化と音の提示ができる。
2時間強という時間は決して短くないが、原作の豊富なエピソード、微妙なニュアンス表現を10%も出せていない。

キャスティングは唯一石田ゆり子の演技に「ありかな・・・」と感じさせられた。
福山雅治は限りなく適役とは思うが、私の原作の蒔野のイメージとはズレている。
もう一人、蒔野のマネージャーでやがて彼と結婚する三谷早苗役の桜井ユキも熱演だがやはり私のイメージとは違う。
ストーリーは略ね原作に沿っているが、細かいところで大分改変されている。
例えば、早苗が小峰洋子に蒔野へなりすましのメールを送った件。
原作は聡明な洋子が言葉の流れから早苗の仕業であることを察するのだが、映画では早苗がスマホに件のメールを提示しながら告白している。
また原作は聖書のマルタとマリアのエピソードを絡めて二人の会話をより深いものにしている。

蒔野のギターの師である祖父江誠一は原作では死亡しない(はず)が、映画では死亡してしまう。
古谷一行が演じているのだが、面白いと思ったのは、原作にはない楽屋での腕の温水浴。
これは後の場面で蒔野もやっていた。
ギタリストがケアすべきは手指ではないかと思うのだが?
また祖父江の演奏シーン。オスカー・キレゾッティー編のイタリア・ルネサンス作品だが、古谷一行の演奏フォームは名人のそれだ。
古谷一行の妻君は、かつて故渡辺範彦、菊池真知子他へギターを指導した久坂晴夫(故人)という先生の娘さんであることを昔久坂先生ご本人から聞いたことを思い出した。古谷が祖父江を演じたのはギターとの数奇な縁であり、また古谷はギターへの若干の素養があるのかも知れない。

演奏フォームというと福山もかなりなものだ。
バリオスの「大聖堂」の運指はほぼごまかしなし!!
「大聖堂」は、かつて発表会で演奏したこともある個人的に思い出深い曲でもある。
そして原作との大きな違いの一つで作品全体へも大きく影響しているのが、この「大聖堂」を多用していることである。
冒頭の国内でのリサイタル、中間のマドリードでのコンサート、そして掉尾を飾るニューヨークでのリサイタルと都合3回出て来る。
原作はマドリードのフェスティバル後にパリのプライベートコンサートで演奏して途中で止まってしまうというショッキングな成り行きとなっている。原作はこの場面のみだ。
印象に残るのは、マドリードとニューヨークのホール、殊にステージから見た聴衆で埋まる美しいホールが素晴らしかった。

もう一つ祖父江誠一のトリビュート・アルバム、これも原作にはない。
面白いと思ったのは、演奏者の面々に蒔野等に混じって福田進一が実名で顔写真をCDジャケットに見せていることだ。細かいところで遊んでいるのがわかり、楽しい(^^。

リンク:→「マチネの終わりに」を読む

(了)

2019年11月13日 (水)

「京都・奈良の旅’19」-2

知恩院の拝観は午後4時まで。
我々が先の日蓮の銅像へたどり着いた時は4時を回っていた。二人とも足に来ていたので、休憩所でひと息入れることとしたのも束の間。従業員から退去の督促を受け、止むを得ず重い腰を上げた。

女坂という男坂に併行するルートを下りて知恩院を出た。
夕食を美濃吉本店竹茂楼へ6時に予約しており、時間があるので先ず知恩院の塔頭の源光院へ行った。
三門前の観光バス駐車場の脇道を入ると塔頭寺院が並んでいて源光院はその一番奥にあった。

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うらぶれたイメージを勝手に抱いていたので、真新しいやや重厚感に欠けた建築物が見えて来た時は、期待を裏切られて我が目を疑ってしまった。

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門には紛れもなく「源光院」の門札が掛けられている。また左の門柱には「浄土宗教化研修会館」の札が掛かっていた。信徒向けなのか、全国の浄土宗僧侶のための研修場所なのか、セミナーハウスとなっているようだ。
昨年の京都旅行で漱石句碑を訪ね、それを契機に読んだ谷崎潤一郎の「磯田多佳女のこと」冒頭に記された多佳女一周忌の会場となった源光院の名は記憶に刻み込まれていたのだが、当時の面影は残っていなかった。(因みに法要が営まれたのは昭和21(1946)年なので無理もない(^^;→リンク:「京都の漱石句碑について」

まだ時間に余裕があるので知恩院に隣接する円山公園へ。
知恩院南門をくぐると何となく空気が変わったような感じがした。
ひょうたん池に面して円山公園の由緒書きがあり、それによると

―鎌倉時代の僧慈円の和歌(新古今集)により有名になり、江戸時代に「慈円山安養寺」の省略形「円山(まるやま)」と呼ばれるようになった。
明治22(1889)年市制施行と共に京都市の管理となり、大正2(1913)年小川治兵衛(*)により現在の形が出来た。

とある。
(*)当時の造園の第一人者だったようで、2年前に宿泊した京都平安ホテルでその名を知った。(リンク:→「京都・奈良・大阪の旅'17」-6(最終回)

それから八坂神社へ。途中、祇園祭山鉾館があった。これも看板によると、ここには以下の10基の山鉾が保存されている由。

木賊山、芦刈山、伯牙山、郭巨山、油天神山、太子山、浄妙山、黒主山、孟宗山、岩戸山

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八坂神社本殿。
祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)、櫛稲田姫命(くし(い)なだひめのみこと)、八柱の御子神(やはしらのみこがみ)の三神。
京都の夏の代名詞とも云うべき祇園祭は八坂神社の祭礼。
我々は平成20(2008)年に宵山、山鉾巡行、そしてホテル内から木屋町通りを行く神幸祭の行列を見たことがある。

本殿には大鈴を鳴らす紐ものが三個並んでいて、我々は妻が中央、私は右の鈴を鳴らした。中央は素戔嗚尊、右は東側なので八王子になるようだ。鈴を鳴らしてから2礼2拍手1礼をしたが、果たして作法に反していなかったかどうか?

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石鳥居越しに南楼門を見る。

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西楼門。

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西楼門の前は四条通である。

予約時間が近づいてきたので美濃吉へ向かう。
東大路通りを上がる。しばらく歩くと知恩院新門、更に行くと白川沿いの道への分岐点へたどり着いた。

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川縁両岸に柳が植えられ、川側に背の低い照明が風情を作っている。車が時々通行するので油断できないが、丁度この頃に照明が灯って、洒落たお店が開店の準備をしているのが歩きながら窺うことが出来、趣のあるルートだ。
この白川は琵琶湖疎水から分岐し、東大路通りを横切り、鴨川に注いでいる。
鴨川寄りに磯田多佳女の「大友(だいとも)」がかつてあり、漱石が胃痛に見舞われ思わぬ長い滞在をし、谷崎潤一郎もしばしば訪れた祇園のお茶屋である。(リンク:「京都の漱石句碑について」
やがて三条通に入って、東へ向かい、美濃吉本店を目指した。
(続く)

2019年11月 9日 (土)

「京都・奈良の旅’19」-1

10月29日から11月1日まで今年も京都・奈良へ行って来た。

9月8日の台風15号、10月12日の台風19号、そして上陸時は温帯低気圧となったものの甚大な被害をもたらした10月25日の台風21号と、千葉県では過去にない規模の災害が広域に発生した。
被災し日常に戻れていない方達を思うと心が痛み、後ろめたい気持ちが心をよぎるのも否めないが、旅行中は天候に恵まれ、体調を崩すこともなく、大過なく予定を消化して無事戻ってくることができた。

69才となり、60代最後の1年に入っての旅となったわけだが、大変有意義で充実したものとすることができた。

東京発9時50分のぞみ105号6号車10番D、E席。ESCでホームに出た所が丁度6号車の出入口である。
毎年車窓から富士を見ていたが、今年は曇りで叶わなかった。

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名古屋を出てから東京駅でGETした弁当「男飯(おとこめし)」を開ける。おかずが多く、食材が良く、味付けも良い。昨年と同じになるが、とりわけ鮭の切り身が良かった。
妻は「百日草」という弁当。やはりおかずが10種類と豊富で、ご飯も美味しく、価格からはリーズナブルすぎるという妻の感想である。

12時8分京都着。京都駅南北自由通路(2F)沿いの京都総合観光案内所で「京都観光まっぷ」(公財京都市観光協会)GET。もう一つ「京都駅+発時刻表」が欲しかったが、発行されなくなった由。

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上の時刻表の方は昨年のもの。ただ、正直今回利用したルートは本数が多く、ダイヤを意識する必要はなかった。
またバス一日券は知っていたが、「地下鉄・バス一日券(二日券もあり)」の存在を「京都観光まっぷ」で知った。これも複数箇所を意欲的に廻る場合でないと、個別延べ料金を上回らない。ので、結果的に我々の場合は利用しないで正解だった。

それからホテルグランヴィア京都へ直行してフロントで受け付けを済ませ荷物を預かってもらい、コンシェルジェで今日と明日の予定にかかる確認をして、地下鉄烏丸線で御池まで行き頂法寺会館の如哉庵へ義姉の参拝をした。

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再び烏丸御池まで戻って、東西線で東山下車、三条通を東へ向かう。程なく白川に差し掛かる。流れる水は清冽だ。

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また橋の東南端に石碑があり、写真に見るとおり昭和62年に「三条白川橋道標」として京都市が史跡登録した。道標東面に「是よりひだり ちおんゐんぎおんきよ水みち」とある。南面に建立趣旨、施主のほか建立年が記されていて、それによると「延宝6年(1678)」で霊元天皇、4代将軍家綱の時代だ。

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白川からすぐ、今度は「坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡」という石碑があった。

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右隣に歴史地理史学者の解説が刻印された銘板があり、定説とは異なりお龍の証言を根拠にこの地とした旨が記されている。今は知恩院に隣り合う青蓮院(しょうれんいん)は当時こちらに境内があり、その塔頭金蔵寺(こんぞうじ)があった。
お龍の父は青蓮院お付きの医師、仲人は金蔵寺住職だったとある。

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三条神宮道を南へ下り、知恩院を目指す。
法然が開いた浄土宗の総本山。

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三門(国宝)から入る。高さ24m、幅50m(!!!)で日本最大の木造二重門だそうだ。
11月1~10日の秋期公開だったら三門内部の参観が許され、狩野派の天井画「迦陵頻伽(かりょうびんが)」を見ることが出来たのだが・・・

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三門に続く男坂。

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御影堂(国宝)。現在工事中で内部は見られない。
それに隣接する集会堂から入り、有料参観した。

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左が大方丈、奥が小方丈、右側が方丈庭園。

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「二十五菩薩の庭」。「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」(知恩院、国宝)に基づき作庭。左隅の門は「権現堂」(家康、秀忠、家光を祀る)への入口。

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方丈庭園から石畳の坂道を登ると山亭庭園に至る。上はその入口。

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山亭庭園から臨む京都市街。手前は知恩院の堂宇。中央右の長方形が京都ホテルオークラと思われる。
裏出口を出ると墓地である。歴代座主(ざす)を始め、由緒ある墓標が多い。
奥まったところに千姫の墓があった。

墓地を出ると勢至堂(せいしどう)で、その先は法然の廟堂の入口で脇に法然の「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」の看板がある。

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御影堂から御廟への石段登り口にある法然像。
(続く)

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