« 「京都・奈良の旅’19」-8(ホテルヴィスキオ京都) | トップページ | 「京都・奈良の旅’19」-10(志賀直哉旧居) »

2019年12月17日 (火)

「京都・奈良の旅’19」-9(春日大社)

奈良ホテルは、京都で言えば吉田山のような平地の中にそこだけ出っ張った丘の上に立地していて、旧大乗院庭園(リンク→2018年12月18日 )を右に見ながら坂を下りてR169の歩道を北上する。

Img_8870

途上荒池越しに見た興福寺五重塔。

Img_8871

そして春日大社一の鳥居へ到達。この鳥居は平安初期の創建とのこと。重要文化財である。
いつもは通過地点だが、この日は春日大社が目的地だ。

Img_8873

直線の広い参道。しばらく歩いて行き当たる案内板によれば本殿まで1.1km。結構な距離だ。

Img_8890

二之鳥居。

Img_8895

大宮の南門。

Img_8926

中央ひときわ高いのが中門、その脇の右が東御廊(おろう)、左が西御廊。
説明看板によると、御廊はかつて社僧の読経所だった。

神社で社僧とは妙な用語だが、中世の春日大社は興福寺と一体の存在だったそうで(*)、それを踏まえれば異和感も大分和らぐ。

(*)呉座勇一「応仁の乱」(中公新書)(A)
 因みにこの書によると、奈良ホテルの丘を鬼薗山(きおんやま)という(いっていた?)そうだ。(P.55)

左の大木は本社大杉(ほんしゃおおすぎ)。鎌倉後期(1309)の絵巻「春日権現験記」に描かれているようだ。(説明看板による)
中門から御祭神の武甕槌命(たけみかづちのもこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめかみ)の四神に参拝する。
鹿島神宮、香取神宮からそれぞれ一神、枚岡神社から二神(比売神は天児屋根命の配偶神)を祀った。
皆藤原氏の氏神である。
興福寺も藤原不比等が平城京遷都の際に建立した藤原氏の氏寺である。(A)

また(A)によれば、平安末期の興福寺は百を超える院坊(いんぼう:塔頭のようなもの)があって、その中で摂関家子弟が門主(もんす)となる一乗院、大乗院が門跡(もんぜき)でその頂点に立っていた。
大乗院の門主だった経覚(きょうがく)の「経覚私要鈔(きょうがくしようしょう)」、尋尊(じんそん)の「大乗院寺社雑事記(ぞうじき)」という同時代人の日記を通して応仁の乱へアプローチしたのが(A)である。

Img_8913

御蓋山(みかさやま)浮雲峰遙拝所。ここは3年前から一般に公開しているとのこと。浮雲峰、本殿、平城宮大極殿を結ぶ線上に位置している。

春日大社は四神を祀る「大宮」をはじめとして、15社を擁する「若宮」、9社から成る水谷九社で構成される、雑然としていて、活気と生命力に満ちたダイナミックなパワースポットだと思った。お詣りしている内にくよくよした気分はどこかへ吹っ飛んでしまうたくましさを感じた。

西側の慶賀門から出て、北側の階段を下りて国宝殿脇から二之鳥居前へ戻って、車舎(くるまや)脇の道へ折れた。

Img_8928_20191217205801

程なく右へ下る道に遭遇、「志賀直哉旧居」の道標があった。
(続く)

« 「京都・奈良の旅’19」-8(ホテルヴィスキオ京都) | トップページ | 「京都・奈良の旅’19」-10(志賀直哉旧居) »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「京都・奈良の旅’19」-8(ホテルヴィスキオ京都) | トップページ | 「京都・奈良の旅’19」-10(志賀直哉旧居) »