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2020年4月

2020年4月26日 (日)

「クラシックの迷宮」

久し振りに「クラシックの迷宮」を聴いた(4月25日(土)21:00~、NHKFM)。新聞の番組表に「1964年のN響演奏会」とあり、「三善晃の世界初演ほか」とあったので興味を持った。
先ず演奏曲目を示すと、

1. 入野義朗「交響曲第2番」(指揮)若杉弘、NHK交響楽団、1964年10月15日 東京文化会館
2. 三善晃「管弦楽のための協奏曲」(指揮)外山雄三、NHK交響楽団、1964年11月2日放送
3. 武満徹「テクスチュアズ」(指揮)岩城宏之、NHK交響楽団、1964年10月19日 東京文化会館
4. 武満徹「弦楽のためのレクイエム」(指揮)パーヴォ・ヤルヴィ、NHK交響楽団 2017年2月22日 横浜みなとみらいホール

MCの片山杜秀のコメントを記すと、1は若杉がまだ20代で、当時はN響の指揮研究員だったそうだ。この演奏は多分初演と思われる。
2は1933年生まれの三善は当時31才、ピアノ協奏曲の延長上の作品と位置付けられる。初演は10月23日、東京文化会館、やはり外山の指揮だった。今回使用したのは放送のためのスタジオ録音だった。
3は正真正銘の初演!! クセナキス、リゲティ、ペンデレツキ等のトーン・クラスターの技法が十分咀嚼されて使われており、中間部にメロディアスな唄が入る。
そして4は時間に余裕があったので特別付録で、2017年のパーヴォ・ヤルヴィ、N響による演奏。片山は、パーヴォは武満をペルト(パーヴォ同様エストニア出身の作曲家)みたいに演奏する、と言っていた。ペルトは1,2度オケで聴いた記憶があるが、よく知らないので片山の言っていることは分からない(*)。

(*)福田進一のギター協奏曲のCDに「フラトレス」というペルトの作品が入っている。特異な名前なので記憶している。(DENON、COGQ-25)

今回使用された1~3は大変貴重な音源である。
4は最近リリースされたCD「武満徹:管弦楽曲集」に収められている。

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朝日新聞夕刊(2020年3月19日)の月例推奨盤のコラム。武満のCD収録の5作品はすべてライブで、「レクイエム」以外はN響定期(1841、1881回)のもの。片山も選者の一人だが、武満のCDの推薦文の筆者は諸石幸生。

放送が終ってみればエア・チェックしなかったのが惜しい気持ちだ。
どれも力作で聴き応えがあった。N響も力演で、また楽章の合間などでは客席の聴衆の気息を整える様子とかが録音から窺うことも出来て、ライブだった1,3は迫力があった。
3のピアノは高橋悠治である。ピアノパートは打楽器的な書法で書かれている。また「アステリズム」を思わず連想してしまうセミロングではあるがクレシェンドも出て来る。

私が最も印象深かったのは最後の「弦楽のためのレクイエム」だ。宇宙的というか、雄大なスケール感、ダイナミックな演奏である。またテンポはゆったり目で、悠久感をも覚えて、音群が胸に浸み込んでくるようだ。
「武満徹全集」の岩城宏之、オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏とは別物のように聞こえる。全集版は神秘的、宇宙の暗黒空間を漂うような幽玄な演奏で、こちらも名演である。

新型コロナウィルスの世界的流行(パンデミック)が収まる気配を見せない。人的接触を避けることが欠かせないため、イヴェント開催中止が相継いでいる。N響も4,5月の定期公演の中止を決めている。
19(日)のEテレ「クラシック音楽館」はオーケストラ、独奏者等の窮状を伝え、団体の存続が危機的状況にある現状を強く認識させてくれた。
一日も早い感染流行の終息を祈るばかりである。

2020年4月22日 (水)

大江健三郎「燃えあがる緑の木」-4(最終回)

ギー兄さんの説教」に関して

次にこの小説の主人公であるギー兄さんの説教について概観してみたい。
ギー兄さんは素朴で、飾らない、世間ズレしていない人物で、小野正嗣は「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャを想起している。(*)

(*)小野正嗣「100分de名著 燃えあがる緑の木」(2019年9月)p.104

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1.ギー兄さんサッチャンが始めた「燃えあがる緑の木」の教会は会員も増え、徐々に発展して行く。
そして小説でギー兄さんの説教が最初に出て来るのが、完成した礼拝堂での総領事の葬儀である。(第2部第6章)
ここでギー兄さんは「死者と共に生きよ」というスローガンを掲げる。
そして四国の山間の土地の先人達を振り返る。
いわく総領事、いわくカジオーバー、そして土地の神話の「壊す人」、創建者たちそれからさきのギー兄さん
オーバーから土地の神話と歴史を受け継いで、神話の「壊す人」と創建者たちが築いた「死人の道」を死んだ人たちが行ったり来たりして、死者と共に生きる共同体として現在に至っている。さきのギー兄さんは森へ入る道と谷間に降りる道について、つねに浄化の方向へとめぐる、通るべき道筋の規則を作った。

死者と共に生きよ」、味わい深い言葉である。私は「100分de名著」で中島岳志が書いていることを思い出した。(*2)。オルテガというスペインの哲学者の「大衆の反逆」を取り上げ、テキストの第3回で「死者の民主主義」について示唆に富んだ解説をしている。

(*2)中島岳志「100分de名著 大衆の反逆」(2019年2月)

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無理矢理それを圧縮すると、「オルテガの言う「生きている死者」と共に歩むというのは、過去の教訓を尊重することであり、過去や死者を忘れると、未来と繋がることができなくなる。」「生きている死者」から過去の経験、「歴史を知る」ことで、文明の進歩、未来の発展へ繋げることが出来る」となると思う。
2011年の東日本大震災の際、中島は地方紙へ「死者と共に生きる」(*3)という文章を書いたという。この時彼はオルテガを思いながら書いたそうだ。

(*3)未見。是非読んでみたいと思っている。
 
過去の経験知をリスペクトして、謙虚さを忘れず、傲慢な横暴を厳に戒める、そういう姿勢を中島は繰り返しここで説いている。

2.12月最初の週末、11月第1日曜の総領事の葬儀へK伯父さんの友人泉さんが招んだ世界的黒人歌手のアイリーンから届いたマーラーの「交響曲第3番」の録音テープを礼拝堂で聴いている際に、合唱が入る第5楽章の途中でギー兄さんは外に出てしまう。この頃のギー兄さんは不可解な挙動が多くなっていた。
そして「森の会」から今後の教会の展望について話すよう要望され、当日説教台に向かう途中、ギー兄さんは突然頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
不意の出来事に静まり返る中で、亀井さんが立ち上がり、ルカ伝終わりの部分の「我らの心、内に燃えしならずや」とつぶやく。
無様なギー兄さんを目の当たりにし、「Rejoice!」の合唱の中サッチャンは礼拝堂を飛び出し教会を去る。
そしてK伯父さんの伊豆の別荘で退廃的な日々を送る中で、ギー兄さんが襲撃されたことを知る。
ギー兄さんは松山市の医療センターの駐車場で学生時代の過激派グループのメンバーに襲われ、両膝を叩き潰されて車椅子を使うようになっていた。またその時の頭部への打撃により、てんかんの症状も出るようになっていた。
サッチャンは教会へ帰り、ギー兄さんの車椅子の介助をすることになる。

3.やがて不識寺の松男さんをリーダーとする巡礼団が伝道の旅に出て、その第1報を会員へ披露した後、ギー兄さんは礼拝堂で説教する。
ギー兄さんは先ず、車椅子を使うようになった代償に、それなしには乗り越えられなかったものを乗り越えたことを語り、襲撃を受けながら過去のこと―テン窪での糾弾のこと―と、未来にもう一度同じ経験をするという予感を同時に感じていたことを語る。
つぎに「繋ぐ」ことで「救い主」へ至る一筋のタテの流れについて・・・さきのギー兄さんは殺されてしまうが、それに続く者として現在は自分=ギー兄さんがいて、その次に来る者、さらにその次、と続いて遂には「救い主」に至る、という考えを述べる。
説教を終えてしばらくしてギー兄さんは軽いてんかん発作を起こす。

4.巡礼団は紀州、名古屋、福井県若狭湾を巡り、その公式報告が礼拝堂とその隣に建てたテントの両方を使った集会(拡大集会)で行われ、それに続いてギー兄さんの説教があった。
未来への責任」ともいうべき内容で、ジョージ・ケナンの言葉を引用する。「文明は我々の世代のみの所有ではなく、後の世代へと慈しみ、発展・改良させて引き継いで行くべきものであり、それを毀損することは神を侮蔑することである。
これもまた1で触れた中島岳志が説くオルテガの「生きている死者」に通ずるものがある。

5.そしてギー兄さんが襲撃された松山市の病院の駐車場での一般向けの集会での説教。
ギー兄さんの発心、「人間を傷つけることをしないで生きよう。
襲撃を受けながらギー兄さんは「人間は他の人間を傷つけるものだ」と考えていた。ダンテ「神曲」地獄篇(*4)から「思えば」、それは「人間は人間を傷つける」と一般化できる。それを踏まえての決意。

(*4)「残忍なる魂己を身よりひき放ちて去ることあれば」第13歌94~5行。96行には「ミノスがそれを第7圏へ送ります。」(野上素一訳)とある。第7圏第2環は自分に対する暴力者、すなわち自殺者がいる。

そしてギー兄さんは、以下の語の語原について述べる。
イノセンス(無垢) ← noceo(傷つける)という意味のラテン語 + in(否定の接頭辞)
アヒンサ(サンスクリットの教えの根源) ← 傷つけるという語 + 否定の接頭辞
  
以上に見たことからも察することは可能だと思うが、ギー兄さんの生き方はガンジーの非暴力主義とかキリストの贖罪にも似て、その方向性は私には理解が困難なものがある。
が、はじめに述べたようにディテールに興趣尽きないところが多く、読んでいて大変面白い小説だった。

Tさんのオペラ」について

エピローグに入って、K伯父さんがサッチャンへオペラの話をする部分がある。
音楽家のT さん」の誘いでオペラのシナリオを作る話である。「Tさん」は武満徹で、オペラの創作プランは大江健三郎との間で実際にあった話である。
オペラは武満の死によって完成に至ることはなかったが、作曲へ着手はしていたようなので大江健三郎との間でシナリオの合意はできていたものと思われる。

武満には「雨」のシリーズというのがあって、それらすべては大江健三郎の短編「頭のいい「雨の木(レインツリー)」」の同じ一節にインスパイアされて作曲された。すなわち

1.「雨の樹」3人の打楽器(またはキーボード)奏者のための 1981年作曲
2.「雨の樹 素描」ピアノのための 1982年作曲
3.「雨の樹素描Ⅱ―オリヴィエ・メシアンの追憶に」ピアノのための 1992年作曲

第1曲は大江健三郎他1名へ献呈されている。大江の原作が「木」なのに、武満の方は「樹」としているところが面白い。
二人の交友は長く、ある対談で大江は、二人の出会いが「安保闘争のころ」(1960年)からだと言っている(*5)。二人は互いに相手をリスペクトしており、それは相手のことを書いている文章を読めばよくわかる。

(*5)集英社「武満徹の世界」p.222

一例として1994年に大江がノーベル賞を受賞した年に武満が当時毎日新聞へ月1回掲載していたエッセイ「時間の園丁(ときのえんてい)」の1994年11月18日付けの文章を挙げておく。ここでは受賞への祝福の念と、作家としての大江への全幅の敬意の念とが文章の隅々まで満ちている。

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武満徹の最後のエッセイ集が「時間の園丁」と命名されているが、その最後に収められている「海へ!」という短文の最後に出て来る「西も東もない海を泳ぐ鯨」というのが、武満が構想していたオペラのイメージだったのだそうだ。(立花隆「武満徹音楽創造の旅」P.590)

1996年2月20日に武満徹は死去し、大江は葬儀の弔辞でオペラのプランに触れ、「奮い立って、「治療塔」「治療塔惑星」を書いたが、あなたのめがねにかないませんでした」と述べている。
SF作品「治療塔」「治療塔惑星」は、武満のオペラのために書かれたのだった! 大江健三郎のSF小説というのがどうにもピンと来なかったが、これで納得が行った。武満は幻想文学、推理小説、SF小説といったジャンルが好きだったようだ(立花隆「同上書」p.191)。
また大江は弔辞の最後で「私はもう本だけを読んで、生を終りたいとねがっていたのですが、・・・長編小説を書いて、あなたに捧げようと思いたっています。」と極めて重要な決意を述べている。

燃えあがる緑の木」第2部「揺れ動く(ヴァしレーション)」の単行本が刊行された1994年8月の翌9月17日付け「朝日新聞」で、「以後小説は書かない」旨の大江の記事が掲載されて(*6)、翌1995年に第3部「大いなる日に」の刊行により「燃えあがる緑の木」が完結して、本作が大江の最後の作品と目されていた中での翻意だった。

(*6)尾崎真理子「世紀末に集中した「魂のこと」」p.614

終わりに
大江健三郎は難解だが、作品は独特で不思議な魅力を湛えている。読み終えて充実感を覚えている。これで大江健三郎を終わりにするのではなく、今後の読書プランへ入れたいと思っている。
ただ大江の膨大な作品群を相手にするのは私には荷が重い。当面これまで読んだ「同時代ゲーム」、「万延元年のフットボール」、「ヒロシマ・ノート」は必ず読み直そうと思っている。
また、ダンテ「神曲」は是非再びチャレンジしてみたい。今回「燃えあがる緑の木」に関してネットで種々参照していて偶々、元大学教員だという方のブログに出会った。その詳細を極める「神曲」解説に敬服している。それを座右に読み進めるのもいいかなと考えている。
(了)

2020年4月19日 (日)

大江健三郎「燃えあがる緑の木」-3

第5章 死に至る手続きの数学的記述」関係

この作品、特に第2部は章名がユニークなところが魅力の一つで、本章はその最たるものと言ってよいだろう。それが暗示するように総領事は徐々に健康状態を悪化させていき、遂には死に至るが、一方で教会の建設プランは着々と進行して行く。

設計の現地調査で注目されたのがテン窪の南側斜面、人造湖の水際から一段奥まった高みにある東西50mに渡る石垣だった。
谷間の北側斜面の上の森の高みにやはり東西に敷石道の遺蹟があり、死人の道と呼ばれている。
これには壊す人が海辺から移って来た創建者たちに造らせたという伝承がある。
死んだ人達が行ったり来たりするので「死人の道」といい、石垣はそれを支えるためのものだった。
戦争末期にアポ爺ペリ爺による測量で、敷石道は盆地を囲む森の下辺を水平に切る楕円の周を示していることが分かった。

教会の全体プランでは石垣に沿う敷石道が中庭に位置し、それを囲むように各施設が配置される。そして礼拝堂が先行して設計施工され、技術的問題、特に音響設計について詳述される。

「壊す人」、アポ爺、ペリ爺等は、「同時代ゲーム」へ登場してくる。

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「同時代ゲーム」新潮社(昭和54(1979)年11月25日、昭和55(1980)年2月5日5刷)

過去の作品と同じ舞台、人物が出て来ることで作品間の有機的つながり、作品個々が立体感を持ち、作品のスケールが大きくなるように思う。私が思うのはウイリアム・フォークナーのヨクナパトーファ・サガだ。
本文中でも触れられているが、アポ爺は、アポジー=apogee、ペリ爺は、ペリジー=perigeeでそれぞれ地球に対する月軌道の最遠点、最近点をもじっているのも面白く、彼等が測定した敷石道が描く軌跡が楕円というのも、谷間の空間の天文学的悠久さを象徴しているかのようだ。

一方で総領事は「治療塔の子ら」へかかりきりで、テン窪北側斜面の家にこもる日々を送る。
そして6月にギー兄さんとヨーロッパ旅行に出るが、ここは必然性がよく分からない部分である。
帰国後総領事は東京のK伯父さんへ様々な書籍探しを依頼する。そのやり取りに係る数ページは実に味わい深い。

時代を感じるのは、「ワードプロセッサはもとより・・・ファックスが・・・公衆電話で・・・」(p.202~3)90年代初め頃の作品なのを今更ながら思う。
それに続く箇所では、「外交関係の評論で、私がレイモン・アロンの新刊を送ると、サルトルの信奉者が・・・居間の書棚にジョージ・ケナンと並べておくような新発意(しんぼち)の態度もずっとある」という、高級すぎて理解不可な文も出て来る。

そして「尊敬している同世代の小説家の近作に、ドイツ文学者でもあるその人自身の訳でエックハルト(*)が引用され・・」とあって、その一節、「六千年前も六七日前も、今日にとっては同じ近さである。それは時が今の中にあるから。ただひとつの今の中に、魂の日は生じる。」(*2)に対して、ギー兄さんの「一瞬よりはいくらか長く続く間」という説教と結び付け、病床を見舞うギー兄さんへ総領事は「ただひとつの今の中に、魂の日は生じる。」とつぶやく。

(*)中世の神秘家。「説教集」という著作がある。
(*2)これが古井由吉「魂の日」からの引用であることを尾崎真理子に教えられた(*3)。未確認だがこの文の中に引用部分があると思われる。
(*3)尾崎真理子「世紀末に集中した「魂のこと」」(「大江健三郎全小説」第12巻解説(講談社))

ミツという教会関係者の高校時代の師が乳がんとなり、死を見据えた心境を述べた手紙で、「今が夢のように思われたり、名残り惜しい気持ちが込み上げてくる」という箇所が総領事の心に響くくだり。
読んでいて他人事ではなく前段の「魂の日」の箇所と併せ、時々の時間の貴重さを思う。

ダンテ「神曲」の「結びの、原語ではそこだけ四行詩となっている分を・・・山川訳で」とあって山川訳の引用をしている箇所。(p.208)
ここも意図がよくわからない。「神曲」天堂篇全篇の最終歌である第33歌の最後の部分を何故ここで引用するのか?
筑摩全集版の訳者野上素一の解説によると、ダンテは「神曲」を「地獄篇」、「煉獄篇」、「天堂篇」の3篇とし、「地獄篇」が総序である第1歌を含むため34歌だが、他の2篇はそれぞれ33歌という風に、「3」を三位一体に基づく神秘数と捉えて「3」を基本とする構成とした。そして全編を3行詩で統一した。(しかし各歌の最後の部分は4行である。)それを引用部分の山川訳は3行へ組み直しているのだ。
因みに野上解説によれば、ダンテはこの三界巡りを1300年4月7日(復活祭前の聖木曜日)(*4)-ダンテ35才-にスタートして、地獄巡りは24時間かけ、浄罪山の麓へ到達したのが4月10日午前5時、浄罪界は3日3晩かけて4日目の正午に浄罪山頂上へ到達、天堂界第6天(木星天)へはその翌日4月14日木曜日に達した。そして至高天に達した後その日に地上に戻って一週間の遍歴を終える、とある。

(*4)本文第1歌第1行の注には「復活祭の聖金曜日(3月25日か4月5日)の前夜と推定される」とあり、おそらく「4月5日」は「4月8日」のミスプリントと思われる。

・・・とこうして日々が過ぎ、総領事の衰弱が誰の目にも明らかとなり、総領事自身からすれば残された時間の逼迫からK伯父さんから届く本を日夜読みふける一方、小説執筆の方は中断の憂き目を見ることとなる。

八月半ばとなり、サッチャンザッカリーは北軽井沢のK伯父さんの別荘で一週間の休暇を取る。向かう飛行機の中でザッカリーはK伯父さんの小説を数式で分析する。


歴史事象Γ1、Γ2・・Γn-1ΓnΓn+1・・とあって、それらの事象が起こった結果として谷間の状態が

Γ1Γ2・・Γn-1ΓnΓn+1・・Γ1φ

とすると、事象の発生順がΓ1、Γ2・・Γn+1ΓnΓn-1・・という風に入れ替わっても

Γ1Γ2・・Γn-1ΓnΓn+1・・Γ1φ =  Γ1、Γ2・・Γn+1ΓnΓn-1・・Γ1φ

同じ結果となる時、両者は「可換である」という。
K(伯父さん)の小説においては、この可換性は主人公の死を意味している。よって以下の公式が導かれる。

<時間を操るもの = 死>

さらにザッカリーはサッチャンへ礼拝堂の設計者である荒さんの理論を紹介する。
「谷間に生れた人々は、谷間の外へ出て行くが再び帰ってくる。K(伯父さん」の小説は

流出 = 生  帰還 = 死

という「世界モデル=場の空間」を構築している。谷間の場はすべて「死」に向かっているので、

「死に至る手続き=ルーフ(屋根)」

と表記したい。」
ちんぷんかんぷんで理解不能な部分だが、直接的には総領事へこの公式があてはまると思うし、この作品の主人公であるギー兄さんの運命をここで暗示しているのだろう。

北軽井沢でサッチャンとザッカリーはギー兄さんから総領事の死を知る。
(続く)

2020年4月13日 (月)

大江健三郎「燃えあがる緑の木」-2

第4章 気象のフィードバック」関係

第2部は総領事K伯父さんが中心に進行していくため、ユニークかつ知的刺激に満ちていると共に、複雑を極めており、本章のみならず第2部全体が私の理解を超えていることを感じつつ読んだ。

総領事はイェーツを読み解くのに十分な時間が自分に残されていないことを悟り、K伯父さんのSF作品を自分が書き継ぐことでイェーツの苦行から免れ得ることを発見する。

面白いのは大江の現実のSF作品をそのまま引用している点。大江は「治療塔」、「治療塔惑星」の2作を発表している。ここにはK伯父さんによる3部作の完結編「治療塔の子ら」の構想覚え書きと出だしの部分の未定稿がかなりな分量で挿入されている。

ただ私には突飛なだけでこれが本章へ入ってくる必然性が分からない。

上のアンダーライン部分は第4章が始まってすぐ、総領事はイェーツの「最後の詩集」の中の「人と谺と」について、この詩によると人は肉体がある内は(生きている間は)精神の避難場所(=肉体)があるからよいが、死後は暗闇の中を休息を得ることなく魂は彷徨し続けなければならない。とすれば死後は魂も消滅してしまう方がよい。が、そうなると生きている時の魂の問題がむなしいものとなってしまう。(p.140~1)
とイェーツに取り組むと時間が足りないことを嘆くが、小児がんの14才の少年カジギー兄さんに対して述べる死への恐怖、-自分が死んでも世界は続いていく。しかも自分がいないということが怖い。(第1部p.146)-と対照的なのが興味深い。
カジの思いが、自分の存在が世界から消滅してしまうことへの不条理感で、それが死への恐怖となるのに対し、総領事は死後の永遠の苦役への忌避感で、死そのものへの恐怖ではないというのが対照的だ。
少年と還暦を控えた初老の大人との差だろうか?
ギー兄さんはカジに対して、「一瞬よりいくらか長く続く間」の至福の経験が永遠に近く生きることに等しいことを説く。
そして読書好きなカジへK伯父さんの蔵書の「ランボオ詩集」(「永遠」が収録されている)を送る。(*)

(*)本文には中原中也訳とあり、渡辺一夫の中也への指導があった旨が記され、K伯父さん(大江)は渡辺の形見として受贈したとある。

十月初旬、K伯父さんが来訪し、総領事、ギー兄さんと共にザッカリーによるテン窪周辺への教会の建設プランの現地説明が行われる。堰堤へ総領事とK伯父さんは腰を下ろしてSF作品のエンディングの話を始める。「気象」を重要なファクターと考えた総領事。
アリストテレスの「気象学」、ダンテ「神曲」、火山の噴火と気象、気象とフィードバックについてギー兄さんとザッカリーを交えてあれこれ語り合い、・・・

と総領事は唐突にK伯父さんへ「懐かしい年への手紙」の最後の部分の自作朗読を依頼する。
ここも大江の実作品のエンディング部分がそのまま引用されるユニークな箇所である。
第4章はこの引用の後、3ページを費やして終わるが、まず引用部分はテン窪一帯への礼拝堂をはじめとする教会の建設プランの理想イメージとして引用されているようだ。
その後の部分は、教会の行く末を「増殖的フィードバック(Regenetive Feedback)」の概念で制御不能に陥った末の教会の破滅を予感させると共に、総領事が湖の島の夕映えの大檜についてイェーツの詩との連関で語る、この小説の辿るであろうカタストロフを暗示しているように感じる。

なお「懐かしい年への手紙」で引用されているダンテ「神曲」は浄罪篇第2歌からで、2ヶ所(*2)。

(*2)第2歌73~5行と118~32行。(野上素一訳。筑摩書房世界文学全集第35巻。大江の引用は山川丙三郎訳(岩波文庫))ダンテ一行はカゼルラの恋歌にうっとりしていたが、カトーネに戒められ、追われるように浄罪山の麓へ向かう、というシーン。

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大江健三郎が何故この部分を引用したのか、私の理解の及ばぬところである。
又第3章でフレッチェーロという学者の「神曲」文章表現の分析の紹介部分は参考になる。(*3)

(*3)地獄篇、浄罪篇、天堂篇のそれぞれの世界の属性の違いが文章で見事に書き分けられている、という指摘。
(続く)

2020年4月12日 (日)

大江健三郎「燃えあがる緑の木」-1

最近の私にとって大江健三郎は気になる存在ではあるが、作品には手を出すことはしないと決めていた作家である。

その気が変わったのは小野正嗣による。
彼が朝日新聞へ文芸時評を書き始めて、毎回興味深く読んでいるが、昨年7月に大江の「燃えあがる緑の木」を取り上げたのである。冒頭で9月のEテレ「100分de名著」でも講師として本作について講じることを告げている。
小野がやはりEテレの「日曜美術館」MCをするようになって当初は彼が芥川賞作家であることに気が付かず、その内フランス文学者であることも知って、彼を見る目が変わった。

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朝日新聞「文芸時評」2019年7月31日

そもそも25年以上前の作品を敢えて文芸時評に取り上げたのは、本作が今日色あせるどころかますます重要性を増しているとの認識からであろうし、又小野が大江以外の作家を取り上げていたら私も気を変えることはなかったかも知れない。

大江健三郎に初めて触れたのは「ヒロシマ・ノート」だった。高校時代に倫理社会の夏休みの宿題としてこの本の感想文を書かされたのだった。そしてやはり高校で友人から借りて読んだのが「万延元年のフットボール」、その次が80年代に「同時代ゲーム」。この本は神保町のパチンコ屋の景品で手に入れた。(^^;
その次が「燃えあがる緑の木」だった。大江はこの作品の刊行中にノーベル文学賞を受賞し、メディアでも大きく取り上げられ、私がこの作品を読んだ動機は受賞のニュースからだった。

そしてたしか大江はこの作品を最後の小説にすると宣言して、しかしその後も作品を発表し続け、「さようなら私の本よ!」を読むも、その後も新作の発表はとどまらず、深く内実を理解することなく大江作品からの決別をしたのだった(*)。ただし朝日新聞へ一時掲載されたエッセイ「定義集」-これも難解だったが-を興味深く読んではいた。

(*)そう記しつつ還暦を過ぎてからすぐ「芽むしり仔撃ち」を読んだことを思い出した。この初期作品には上記作品群への萌芽があると思う

以上のとおり余り真面目な読者ではなかったが、人生の物心が付き始めてから折々に数少ないながらもほぼリアルタイムで大江作品に親しんで来た思いはある。
そんなささやかな大江体験の蓄積が、今度小野正嗣に触発されて「燃えあがる緑の木」を再読しようと思い立った根にあると思う。

読み終えた感想は、読んでよかったとつくづく思う。
大江の作家としての力量が並大抵のものでないことが今度の読書で分かったような気がする。
作品のバックボーンにある大江の文学の造詣の深さ、読書量の膨大さには瞠目するばかりである。

燃えあがる緑の木」は3部作で、以下のとおり。
第一部 「救い主が殴られるまで」 1993(平成5)年11月(私のは1994年10月の第2刷。ノーベル賞受賞で増刷となったもの?)
第二部 「揺れ動く<ヴァシレーション>」 1994(平成6)年8月(以上新潮社版単行本)
第三部 「大いなる日に」 1995(平成7)年「新潮」3月号

以上のように私は1994年10月時点で第2部まで出ていた単行本でスタートして、第3部は一挙掲載された「新潮」3月号で読んだ。奥付の出版年を見ていると25年もの時間が経過していることに改めて驚くと共に、自分に残された時間が残り少なくなったことに淋しさと胸が詰まるような感じがしている。

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「新潮」1995年3月号

「燃えあがる緑の木」は、アイルランドの詩人イエーツ(Yeats)の詩「揺れ動く<ヴァシレーション>」に出て来る暗喩(メタファー)で(第1部p.319)、「一本の木の片側は燃えているが、片側は露に濡れた緑・・・」(第2部p.75)というもので、それぞれ全体の作品名、第2部の作品名となっている。
そしてサッチャンは桜の板で「燃えあがる緑の木」のレリーフを作り、ギー兄さんの教会の「しるし(象徴)」とした。

以下に所感を思いつく儘に綴ってみたいが、私が最も感銘を受けた第2部を中心に考えてみたい。

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「揺れ動く<ヴァシレーション>」

第2部の主役はさながら、ギー兄さんの父である「総領事」。そしてその幼馴染みの作家である「K伯父さん」が重要な関係性を誇示する。この作家は作者の大江健三郎そのものという人物。
第2部が興趣尽きないのはこの2人によって織り成される様々なエピソードが小説のプロット以上に深く、尽きない魅力を湛えている点にある。

第1章 イェーツに導かれて」関係

・「総領事」は病を得て外務省を辞め郷里である四国の山間の土地へ戻り、さきのギー兄さんの蔵書のイェーツ関係の読書を始める。「エブリマンズ・ライブラリー」のイェーツ全詩集を評伝により伝記主義的に読むのが総領事の方法だった。K伯父さんは1冊を最後までつぶさに読んでいくのに対して、総領事は必要なページのみ読むのが二人の違い。ただ総領事の語学力は並大抵でなくCOD(Concise Oxford English Dictionary)を座右にしていた。(p.9~11)

・ドロシー・ウェルズリーという女流詩人宛ての書簡の一節をK伯父さんの境遇への比喩として引用し、イェーツの彼女宛て書簡集の存在へ言及する。(p.12) かなりマニアックだ。この部分を読んでいて、大江宛ての少なからぬ武満徹の書簡をテーマに回想文を請われたというエピソードを思った。(*2))

(*2)「宇宙にとどまる花 武満徹さんの手紙のことなど」(1998(平成10)年4月15日毎日新聞夕刊)

・総領事によるイェーツの詩の引用で、オーバーの葬儀でギー兄さんへ急降下した鷹のエピソードの元がイェーツであることが明かされている。(p.17~18)

・総領事がブリュッセルの公使時代の公邸中庭の木<orme pleureur>をK伯父さんが見て、四国の谷間をめぐる森の中によく似た木(ハルニレ)の存在を総領事に告げ、それを機に四国の地を「終の住処」と決意するに至る、という味わい深いエピソード。(p.33~36)
<orme pleureur>は総領事の死後、K伯父さんの回想として後出する。(p.227~8)
(続く)

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