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2020年4月13日 (月)

大江健三郎「燃えあがる緑の木」-2

第4章 気象のフィードバック」関係

第2部は総領事K伯父さんが中心に進行していくため、ユニークかつ知的刺激に満ちていると共に、複雑を極めており、本章のみならず第2部全体が私の理解を超えていることを感じつつ読んだ。

総領事はイェーツを読み解くのに十分な時間が自分に残されていないことを悟り、K伯父さんのSF作品を自分が書き継ぐことでイェーツの苦行から免れ得ることを発見する。

面白いのは大江の現実のSF作品をそのまま引用している点。大江は「治療塔」、「治療塔惑星」の2作を発表している。ここにはK伯父さんによる3部作の完結編「治療塔の子ら」の構想覚え書きと出だしの部分の未定稿がかなりな分量で挿入されている。

ただ私には突飛なだけでこれが本章へ入ってくる必然性が分からない。

上のアンダーライン部分は第4章が始まってすぐ、総領事はイェーツの「最後の詩集」の中の「人と谺と」について、この詩によると人は肉体がある内は(生きている間は)精神の避難場所(=肉体)があるからよいが、死後は暗闇の中を休息を得ることなく魂は彷徨し続けなければならない。とすれば死後は魂も消滅してしまう方がよい。が、そうなると生きている時の魂の問題がむなしいものとなってしまう。(p.140~1)
とイェーツに取り組むと時間が足りないことを嘆くが、小児がんの14才の少年カジギー兄さんに対して述べる死への恐怖、-自分が死んでも世界は続いていく。しかも自分がいないということが怖い。(第1部p.146)-と対照的なのが興味深い。
カジの思いが、自分の存在が世界から消滅してしまうことへの不条理感で、それが死への恐怖となるのに対し、総領事は死後の永遠の苦役への忌避感で、死そのものへの恐怖ではないというのが対照的だ。
少年と還暦を控えた初老の大人との差だろうか?
ギー兄さんはカジに対して、「一瞬よりいくらか長く続く間」の至福の経験が永遠に近く生きることに等しいことを説く。
そして読書好きなカジへK伯父さんの蔵書の「ランボオ詩集」(「永遠」が収録されている)を送る。(*)

(*)本文には中原中也訳とあり、渡辺一夫の中也への指導があった旨が記され、K伯父さん(大江)は渡辺の形見として受贈したとある。

十月初旬、K伯父さんが来訪し、総領事、ギー兄さんと共にザッカリーによるテン窪周辺への教会の建設プランの現地説明が行われる。堰堤へ総領事とK伯父さんは腰を下ろしてSF作品のエンディングの話を始める。「気象」を重要なファクターと考えた総領事。
アリストテレスの「気象学」、ダンテ「神曲」、火山の噴火と気象、気象とフィードバックについてギー兄さんとザッカリーを交えてあれこれ語り合い、・・・

と総領事は唐突にK伯父さんへ「懐かしい年への手紙」の最後の部分の自作朗読を依頼する。
ここも大江の実作品のエンディング部分がそのまま引用されるユニークな箇所である。
第4章はこの引用の後、3ページを費やして終わるが、まず引用部分はテン窪一帯への礼拝堂をはじめとする教会の建設プランの理想イメージとして引用されているようだ。
その後の部分は、教会の行く末を「増殖的フィードバック(Regenetive Feedback)」の概念で制御不能に陥った末の教会の破滅を予感させると共に、総領事が湖の島の夕映えの大檜についてイェーツの詩との連関で語る、この小説の辿るであろうカタストロフを暗示しているように感じる。

なお「懐かしい年への手紙」で引用されているダンテ「神曲」は浄罪篇第2歌からで、2ヶ所(*2)。

(*2)第2歌73~5行と118~32行。(野上素一訳。筑摩書房世界文学全集第35巻。大江の引用は山川丙三郎訳(岩波文庫))ダンテ一行はカゼルラの恋歌にうっとりしていたが、カトーネに戒められ、追われるように浄罪山の麓へ向かう、というシーン。

Img_9123

大江健三郎が何故この部分を引用したのか、私の理解の及ばぬところである。
又第3章でフレッチェーロという学者の「神曲」文章表現の分析の紹介部分は参考になる。(*3)

(*3)地獄篇、浄罪篇、天堂篇のそれぞれの世界の属性の違いが文章で見事に書き分けられている、という指摘。
(続く)

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