音楽

2019年3月27日 (水)

ギターコンサート2題

3月23日(土)と24日(日)にギターコンサートへ行って来た。

23日は千葉市生涯学習センター2階ホールでギターサークル和弦の「春のコンサート」。
前日はそれに相応しい暖かさだったが、この日は冬に逆行したかのような寒さで、朝方は雨も降っていた。
和弦は一昨年から毎年聴いている。(→2017年1月10日 )毎回アンサンブルの選曲、そして編曲に主張があり、メンバーも力のある人が何人かいて、聴きがいがあるグループである。
今回はアストル・ピアソラ特集で、初期から晩年に至る6作品をリーダー鈴木勝氏のトークを交えて聴かせた。
研究振りを窺わせるトークだった。
ピアソラ作品のプログラムは以下のとおり。
・孤独(Soledad)
・メディタンゴ(Meditango)
・オブリビオン(Oblivion)
・ブエノスアイレスの冬(Invierno Porteño)
・タンティ・アンニ・プリマ(Tanti Anni Prima)
・ミケランジェロ70(Michelangelo70)
また二重奏で弾かれたH.ヴィラ=ロボスの「トリストローザ」(鈴木勝編)は、なかなか佳曲で初めて聴いた。ヴィラ=ロボス初期のピアノ曲のようである。

アンコールはバッハ「羊は安らかに草を食み」(鈴木勝編)。バッハの世俗カンタータ(BWV208)だ。
今回は千葉市の友人、妻と並んで聴いた。
毎回会場で顔を合わせる木更津市のY氏は今回も夫人と来ていた。
終演後楽屋へ行って鈴木氏外のメンバーと言葉を交わして帰途に就いた。

翌24日は木更津市のかずさアカデミアホール201A会議室で「ギターデュオコンサート」。

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ダヴィデ・ジョヴァンニ・トマシ(Davide Giovanni Tomasi、1991年生)、マルコ・ムッソ(Marco Musso、1992年生)の若いイタリア人チームで、2016年に結成している。
ネットで調べると二人とも数々のコンクールで入賞を重ねており、ソロ活動もしている。現在は、共にオーストリアのグラーツ音楽大学でPaolo Pegoraroに師事しているようだ。
ダヴィデは第59回東京国際ギターコンクール(2016年)で1位を取っている。

2016年11月にこの会場で聴いたザビエル・ジャラ(第58回東京国際1位)(→2016年12月4日 )も素晴らしかったが、この二人もすごい実力を備えている。

実は当初このコンサートは予定しておらず、チケットはY氏から譲り受けたもの。
前日千葉から帰って来て、夜Y氏から電話があり急用で行けなくなったのでどうか、と言われて一も二もなくいただくことにした。そして24日の朝にY氏と会ってチケットを手にしたのだった。

プログラムは以下のとおり。
前半
・2つの前奏曲とフーガ(平均律クラヴィーア曲集第1巻第1、2番)/J.S.バッハ
・3つの前奏曲とフーガ(平均律ギター曲集第4、5、24番)/M.C-テデスコ
後半
・ソナチネ/M.ラヴェル
(Ⅰ:Modéré、Ⅱ:Mouvement de Menuet、Ⅲ:Animé)
・マ・メール・ロア(Ma Mère l‘Oye(*))/M.ラヴェル
(Ⅰ:眠れる森の美女のパヴァーヌ、Ⅱ:親指小僧、Ⅲ:パゴダの女王のレドロネット、Ⅳ:美女と野獣の対話、Ⅴ:妖精の園)

(*)Ma=私の Mère=母 Oye=Oie=鵞鳥 英語だとMother Goose

アンコールは2曲でC.ドビッシーの前奏曲集から、
・ヒースの茂る荒れ地(第2巻NO.5)
・途絶えたセレナード(第1巻NO.9)
以上テデスコ以外は鍵盤作品からのトマシ・ムッソ・デュオのtranscription。
なお当日のプログラムにはバッハは「2」ではなく「3」となっていたが、彼等は2曲しか演奏しなかった。
終演後彼等にそれを質問してみると、3曲は我々の手に余るので云々、と煙に巻かれてしまった。
アンコールの曲目も直接聞いて、マルコの方が書いてくれた。
「途絶えたセレナード」は、ファリャの「三角帽子」からの引用と思われる奏句があり、聴いている時はファリャ作品かと思っていた。

全曲暗譜演奏だった!! 二人とも足台を使用。
トマシがファースト。
演奏の完成度が高い。音はピュアでいかなるポジションでもふくよかに鳴っていた。
指板上の左手の運動が美しい。

以上で彼等の演奏へ付け加える言葉がない。
暗譜だったことが鮮烈な印象で、コンサートのソリストでも時に楽譜使用は珍しくない。
辻井伸行のことが思い出されるが(千葉県少年少女オーケストラも)、譜面を出さないのはすごいことだ。

テデスコの第4番は、プレスティ&ラゴヤがレコーディングしている。帰ってから、それとデュオ・テデスコ(*2)で聴いてみたが、どうもトマシ・ムッソに軍配が上がるのではと思う。

(*2)プレスティ&ラゴヤ/PHILIPS YMCD-1001~3
    Duo Tedesco/KOCH 3-1224-2 Y7、1996

会場でダヴィデのCD(*3)が販売されていたので、Y氏へ贈ろうとの妻の提案で購入した。(Duoの方は昨年録音済みのようだが未発売)スペインのレーベルで、ホセ・トーマス国際ギターコンクール2017年第1位入賞により制作されたようだ。

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CDのジャケット。左に二人のサインをもらった。

(*3)「TO THE EDGE OF DREAM」(*4)
    Jsm Guitar Records JSM 6.011 2018
(*4)このタイトルは武満のギター協奏曲の作品名。アルバムのテーマである夢と沈黙、共に死の寓意を示唆しているとライナー・ノーツ冒頭にある。(*5)
(*5)ざっと目を通したが、ダヴィデ自身によるもののようだ。作品への深い理解、音楽全般への研究の程が窺える。

収録曲は、
・J.ケージ/Dream
・武満徹/エキノクス
     すべては薄明かりの中で
・B.ブリテン/ノクターナル
で時間はトータル42分11秒と短い。
非常に骨太で構築感のあるダイナミックな演奏が繰り広げられる。
またケージはピアノ作品の編曲で、偶然性の音楽でないので、ケージの作品としては保守的に聞こえる。
(了)

2019年1月19日 (土)

「ウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2019」番外編+α

新しい年がスタートして早や半月が過ぎた。
ニューイヤー・コンサートの番外編+αということで、手元にある過去のニューイヤー・コンサートの中で最も古い2005年の録画-第1部がなくて不完全なのが玉に瑕なのだが-についてと、その他のあれこれを思いつく儘に取り上げることにする。

2005年のニューイヤー・コンサートは見所がいくつかあり、大変興味深かった。
指揮はロリン・マゼール(1930~2014)。武満徹と生年が同じである。この時75才で、ニューイヤー・コンサートの指揮は何と11回目だった。
コンサートマスターはヴェルナー・ヒンク
マゼールの指揮はあまり見たことがなく、ティーレマンの今年との比較で云うと粗雑な感じがした。

ところで大晦日のEテレ「クラシックハイライト2018」は楽しめた。司会の宮本亜門が素晴らしく、アシスタント役は「ブラタモリ」の林田アナ、そして解説者が片山杜秀で、その博識振りに再た々々舌を巻いた。
2018年のハイライトだけでなく、過去の貴重映像の数々も流れて、取り分け「第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本」での武満徹「セレモニアル」(平成4年(1992)9月5日)は得難い映像体験だった。指揮は小澤征爾。演奏が終わり、客席から武満が舞台へ上がり小澤と握手、会場へ返礼する場面は文字通りのお宝映像だ。

年が明けて、1983年元旦にNHKFMで放送された「日本の管弦楽作品」(N響)というエアチェックテープが出て来た。山田耕筰、伊福部昭、小倉朗等7名の邦人作品中に早坂文雄「左方の舞と右方の舞」(1942年3月3日初演)があった。早坂は修業時代の武満の恩人(師)にあたる(立花隆「武満徹音楽創造の旅」および →2017年10月25日参照)。早坂と武満との関係を思いつつ、感慨深く聴いた。
36年も前の正月番組が正月に出て来たというのも新年早々縁起がよい。

また正月には「京都の漱石句碑」(→2018年12月27日)で取り上げた「谷崎潤一郎全集16巻」で気になった文章を読んだが、その3編中の2つが新年号への掲載だった。(*)

(*)「潺湲亭(せんかんてい)のことその他」(昭和22(1947)年1月号「中央公論」)
   「月と狂言師」(昭和24(1949)年1月号「中央公論」)
   「同窓の人々」(昭和21(1946)年12月号「新潮」)

どれも「磯田多佳女のこと」(昭和21(1946)年)と同時期の文章で、戦争が終わり、京都へ居を定めて間もない時期の文章である。当時は谷崎60代の前半で、「(先の)潺湲亭」に居を定め、近くの南禅寺、永観堂、若王子そして平安神宮といった名跡に囲まれ、上田秋成はじめ近縁のゆかりの先人達に思いを馳せ、能・狂言、仕舞、地唄等を趣味とする近隣の人達との交流を綴っている。
そうした満たされた日々を綴っているにしては、文中谷崎自身も記すとおり一所に長く留まらないのが谷崎たる所以で、昭和24年4月には同じ京都の「(後の)潺湲亭」へと転居している。

福田進一のツイッターブログ1月3日に「正月三が日は、バッハのソナタBWV1001とパルティータ1004の編曲を浄書して過ごした」とあった。
これは、懸案のバッハチクルスのレコーディングを示唆しているようだ。(→2016年6月5日
実現すれば偉業達成となる。期待したい。

松の内が明けてから知ったことだが、「ぶらあぼ」2019年1月号にウイーン・フィル楽団長のダニエル・フロシャウアーへのインタビューが載っていた。
といっても「若林暢(のぶ)」という女性ヴァイオリニストのCDのPRが目的の記事だが、読んで面白いと思ったのは彼がジュリアードへ留学したという事実だ。
また彼の使用楽器はストラディバリウス「Ex Benvenuti、ex Halphen」(1727年)とのこと。
これも意外で、昨年のニューイヤー・コンサートでも書いたが、団員が使用しているのはウイーン製の楽器で、ストラディバリウスはコンサートマスターのみに付与されているものと思っていた。

さて2005年の番外編に入りたい。
「見所」が何だったかを先に記しておく。
1. マゼール関係
・「ピチカート・ポルカ」を団員のヴァイオリンを借りて弾き振り。
・「ウイーンの森の物語」では、通常ツィターが用いられる前奏、後奏の部分を見事な美音でヴァイオリンで弾いた。
・アンコールの「美しき青きドナウ」に入る前、通常指揮者の主導でウイーン・フィルのメンバーの新年の挨拶に代えて、マゼールが長目のメッセージを述べて、自身が日本語、中国語を含む数カ国語で新年の挨拶を述べた。
2. 2部の1曲目の後に楽団長(当時)のクレメンス・ヘルスベルクがWHO事務局長のイ・ジョンウクと共にステージ中央へ立ち、異例のスピーチをした。
前年暮れのアジアの自然災害(*2)への見舞いの言葉と、ウイーン・フィルからWHOを通じ被災地へ飲料水の寄付、恒例の「ラデツキー行進曲」をこの年は控える旨を表明した。
というように、この年は異例ずくめだったことがわかる。

(*2)2004年12月26日のスマトラ沖地震(津波発生 死者行方不明約22万7千余名)

NHKの司会は中川緑アナウンサー、ゲスト錦織健。1991-2年にウイーン留学中もTVでニューイヤー・コンサートを視聴したそうだ(指揮者はカルロス・クライバー)。

以下プログラムのメモを記す。

◎映像挿入
△バレエ映像

第2部
1. フランツ・フォン・スッペ : 喜歌劇「美しきガラテア」序曲

ここで楽団長のスピーチ

2.ヨハン・シュトラウス : クリップ・クラップ・ギャロップop.466
「クリップ・クラップ」は擬音語で「カタカタ」いう音のこと。
打楽器奏者がバチで拍子木のような木片を叩いて出していた。
3.ヨハン・シュトラウス : 北海の絵op.390
今年と唯一の同一曲。この曲を聴き較べてみると、ティーレマンが丁寧な曲造りをしているのに対して、マゼールはあっさり流してしまう演奏で、そう言っては何だが底の浅い感じだ。
ヨハン・シュトラウスが滞在したフェール島を地図で探してみた。デンマーク国境近くのシュレスウィヒ・ホルシュタイン地方の北海に浮かぶ北フリージア諸島の中心へ位置している。従ってウイーンからは可成り離れた処だ。
また今年は「北海の風景」とされていた。
4.ヨハン・シュトラウス : いなかのポルカ
「Bauern Polka」 ウイーン・フィルメンバー、歌いながら演奏。
5.ヨハン・シュトラウス :  ポルカ・マズルカ「蜃気楼」op.330△
6.ヨハン・シュトラウス :  ポルカ「観光列車」op.281 2016(ヤンソンス)
7.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : ポルカ「ウイーン風に」◎
2005年はヘルメスベルガー生誕150年だった。
映像はウイーン風アップルパイ(ウイーン名物?)を主婦が作る過程を流す。
8.ヨハン・シュトラウス : ロシア風マーチ・ファンタジー
9.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・マズルカ「心と魂」op.323△ 2010(プレートル)
バレエ映像:コーブルグ宮殿。
10.ヨハン、ヨーゼフ・シュトラウス : ピチカート・ポルカ
allピチカートの曲。マゼールの弾き振り。
11.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「ウイーンの森の物語」op.325◎
映像:ウイーン近郊の森
またしてもマゼールのヴァイオリン、今度は弓を使う。なかなかの美音。
2016(ヤンソンス)、2018(ムーティ) この作品も採用率が高い。
12.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ「電撃」
ここでマゼールに花束。

アンコール
1.ヨハン・シュトラウス:ポルカ「狩」 2010(プレートル)、2016(ヤンソンス)
2.ヨハン・シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314△
演奏の前にマゼールの長目のメッセージと新年の挨拶。
バレエ映像:ベルベデーレ宮殿

2019年1月12日 (土)

「ウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2019」

2019年の元旦の夕べにウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを視聴した喜びを噛みしめている。
今年は60代最後の年にあたり、この1年を無事過ごすことが出来て来年もまたニューイヤー・コンサートを聴くことができるよう祈念しつつ視聴した。

指揮はクリスティアン・ティーレマン。1959年生まれで今年60歳となるドイツ人。ティーレマンの指揮を見るのは今回のニューイヤー・コンサートが初めてである。ポランスキーの「戦場のピアニスト」で主人公シュピルマンの潜む廃墟へ食料を運ぶドイツ軍将校役の俳優を彷彿とさせる端正な顔立ち。
ウイーン・フィルとの共演は実に120回を数えるそうで、ティーレマンへ寄せる信頼は厚く、満を持してのニューイヤー・コンサート初登場のようだ。
楽団長のダニエル・フロシャウアーによると、昨夏1ヶ月をかけてティーレマンとプログラムを検討した由。ティーレマンには「マジック・モーメント」、マエストロ・カラヤンやクライバーのような至高の指揮を期待すると言っていた。

コンサートマスターはライナー・ホーネック、次席にはアルベナ・ダナイローヴァ、総勢70名の陣容。
ウイーン・フィルは年間30~40回の公演、年50~70回の海外ツアー、そしてウイーン国立歌劇場での演奏(オペラ)が年320回!!だという。コンサートマスターはたしか4人いて、オーケストラも2~3グループはあるのだろうが、相当過密なスケジュールだ。

今回初登場は2作品のようだが、ヨハン・シュトラウス2世だけでも作品数は500を超えているようで、正倉院展もそうだが当分の間初登場作品が出尽くす事はないだろう。

休憩時間に紹介していたが、王室礼拝堂の日曜日のミサへウイーン宮廷楽団という名称で演奏しているそうだ。これはウイーン・フィルのルーツと云えるもので、15世紀末に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)によって創設されたという。
楽友協会の資料館の映像に18世紀ギターが陳列されていた。サウンドホールは大きめ、14フレット以上の指板は斜めにカットされ高音部のみとなっている。製作者は誰か?(アントン・シュタウフェル?)
あと楽友協会音楽院(現ウイーン国立音楽大学)初の日本人留学生幸田延(こうだのぶ、1870-1946)を紹介していた。東京音楽学校教授として滝廉太郎、山田耕筰を指導したそうだ。

NHKは楽友協会前に特設スタジオを構えて、森田洋平アナ、ゲストに女優の中谷(なかたに)美紀、ウイーン・フィルメンバーのミハエル・ブラデラー(Cバス、事務局長)、へーデンボルグ和樹(第1Vn)、ダニエル・フロシャウアー(同、以上3名は今回のコンサートへ出演)そして元コンサートマスターのライナー・キュッヒル夫妻と大変に豪華な顔ぶれだった。
キュッヒルは16、17年にもゲスト出演していて常連みたいな存在だが、真知子夫人は恐らく初めての登場だと思う。夫人が日本人だということは有名で、私も以前から知っていたが、お顔を拝見したのは初めて。キュッヒルがドイツ語で話していたので夫人が通訳していたが、話しぶりからその内助の功の程が窺え、かつ大変な賢夫人である事がわかった。
へーデンボルグ和樹は2001年にウイーン・フィル入団後2002年の初のニューイヤー・コンサートでの小澤征爾との共演、ウイーン・フィル入団前の初仕事がティーレマンだった事を感慨深げに話していた。

来年の指揮者はアンドリス・ネルソンスという人。1978年ラトヴィア生まれの40才。ボストン響音楽監督、ライプツィヒ・ゲバントハウス管のカペルマイスターという要職に就いている由。
ドゥダメル世代が音楽界の中核を占めつつある事が伝わって来るようで、彼等からするとティーレマンはもう立派な巨匠ということなのだろう。

以下プログラムのメモを記す。
2019年はヨハン・シュトラウスの没後120年、日墺修好通商航海条約締結150年の年。不平等条約ではあったが、以来両国の国交が始まって節目の年を迎えたわけである。

○初登場
◎映像挿入
△バレエ映像

第1部
1. カール・ミヒャエル・ツィーラー : シェーンフェルト行進曲op.422○
シェーンフェルトはツィーラーが所属していた歩兵連隊の上官。
2.ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ「トランスアクツィオン」op.184◎
映像:ウイーンの日本庭園2箇所。19(ドゥブリンク)区にある「世田谷公園」。1992年に作られ、19区の姉妹都市である世田谷区に因んで命名された。それとシェーンブルン宮殿内のもの。
作曲者は「トランスアクツィオン」へ愛する2人の関係を描写する意図を込めたそうだが、日墺の150年に亘る文化交流(トランスアクツィオン)を記念する意味で選曲された由。
3.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : 妖精の踊り
ヨーゼフ・ヘルメスベルガーは、ウイーン・フィルのコンサートマスターを経て1900年から2年間指揮者を務めた人。過去にも度々作品が採り上げられている。
本作はDisneyアニメのBGMのようなファンタジックな曲だ。
4.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル「急行列車」op.311
5.ヨハン・シュトラウス : 北海の風景op.390
1878、9年夏を北海のフェール島に過ごし、その印象を曲にした。
短い序奏、後奏に挟まれ、典雅な旋律が繰り返される。今回最も魅せられた曲だ。
6.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ・シュネル「速達郵便で」op.259
ドイツ語のテロップでは「Galopp」とあった。ポルカ・シュネルとギャロップは別物だと思うが・・・邦訳にあたっての監修者の見識が他にも表われている箇所がある。5の「北海の「風景」」と9の「芸術家の「生活」」だ。それぞれ「Nord-see-bilder」、「Künstler-leben」で「北海の絵」、「芸術家の生涯」と訳されることもある。

第2部
7.ヨハン・シュトラウス: 喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
8.ヨーゼフ・シュトラウス : ポルカ・フランセーズ「踊り子」op.227○
ポルカはチェコ西部ボヘミア地方発祥の2拍子の民族舞踊が基になっている。
9.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「芸術家の生活」op.316△
バレエ映像:ウイーン国立歌劇場。5組のペア。豪華な歌劇場内各所で踊り、ラストは漆黒の奈落から上昇してステージから壮麗な観客席を見る趣向。ダンサー達は客席へ下りて振り返ると豪華な緞帳が下りてきて文字通り幕となった。
日本人ペアがいて、橋本清香(はしもときよか、ウイーン国立バレエ団第1ソリスト)、きもとまさゆの2名。橋本さんは昨年の休憩時間のゲストだったので、すぐ分かった。
2006年(ヤンソンス)の時も 「芸術家の生活」だった。
10.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル 「インドの舞姫」op.351
「インディゴと40人の盗賊」のメロディーをモチーフとしている。
11.エドゥアルト・シュトラウス : ポルカ・フランセーズ「オペラの夕べ」op.162
12.ヨハン・シュトラウス : 歌劇「騎士パスマン」から「エーファ・ワルツ」op.441
13.ヨハン・シュトラウス : 歌劇「騎士パスマン」から「チャールダッシュ」op.441△
Csárdás
バレエ映像:グラフェネック城。ウイーン北西60kmに位置して毎夏音楽祭が開催されている由。
14.ヨハン・シュトラウス : エジプト行進曲op.335
団員の歌声が入った。2014年(バレンボイム)
15.ヨーゼフ・ヘルメスベルガー : 幕間のワルツ
バレエの幕間用に作曲された。
16.ヨハン・シュトラウス : ポルカ「女性賛美」op.315
ドイツ語のテロップは「Polka mazur」。1867年のパリ万博で女性の聴衆に献げられた。
2006年(ヤンソンス)
17.ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ「天体の音楽」op.235◎
雪化粧の山林、山並みの映像。
2009(バレンボイム)、2013(ヴェルザーメスト)、2016(ヤンソンス)と採用率が高い。

アンコール
1.ヨハン・シュトラウス:突進ポルカop.348
本曲も「インディゴと40人の盗賊」のメロディーをモチーフとしている。フレンチカンカンをポルカ風に味付けしている。
2.ヨハン・シュトラウス:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314◎
例年の如く指揮者の主導でウイーン・フィルが
「新年あけましておめでとうございます」
とテロップが出るが、「Prosit  Neu-jahr!」と聞こえた。
「新年に乾杯!」といった感じか?
映像:ドナウ川ヴァッハウ渓谷へ点在する城の数々と優美なドナウの風景。
(参考)2015年ニューイヤー「美しく青きドナウ」を参照(→2015.1/12
3.ヨハン・シュトラウス(父):「ラデツキー行進曲」op.228

2018年9月28日 (金)

「モルゴーア・カルテット」

9月23日日曜日、地元の木更津市民会館中ホールでモルゴーア・カルテットを聴いた。

カルテットのコンサートは、実に38年前に千葉市で聴いたスメタナ・カルテット以来!
モルゴーア・カルテットは、「題名のない音楽会」などへのTV出演で知っていた。

会場は音楽専用ホールではないが、楽器の音は明瞭に聴き分けることができ、生演奏の醍醐味を味わうことができた。マチネというのか、午後3時から2時間弱のコンサートだった。

前半はモーツァルトの17番「狩」K.458とラベル、後半は大変異色で、ロックのアレンジでキース・エマーソンとジェネシスのレパートリーが披露された。

アレンジは第1ヴァイオリンの荒井英治によるもので、プログラム解説も荒井が書いている。
大変な力の入れようだったが、余り感動しなかった。
モーツァルトも演奏はよかったが、作品自体が面白いと思わなかった。
唯一興味深く聴くことができたのはラベルだった。ラベルのカルテットは今回初めて聴いたが、出だしでラベルの作品だと分かる。各楽章の対比も際立った作品で、印象的な佳演だった。

ドビッシーの「カルテットop.10」に勝るとも劣らない傑作だ。
これは8月5日NHKEテレ「クラシック音楽館」で放送された(アキロン・カルテット(パリ・コンセルバトワール出身のフランス人の若い女性のグループ)、’17.6/4第一生命H)。

モルゴーアがショスタコーヴィチのカルテット全曲演奏を目的として結成され、これまで4回完奏を遂げているとのことなので、今回のプログラムへもショスタコーヴィチを是非入れて欲しかった。
あと武満作品を愛する身としては、武満の「ランドスケープ」(1960)という単一楽章のカルテット作品も聴きたかった。

前半が終わり、休憩時間にプログラム解説を見ていて、今まで見過ごして来た事に気付く。
それはカルテットの楽章構成の第2,3楽章だ。
モーツァルトK.458 第2楽章メヌエット、第3楽章Adagio
ラベル 第2楽章スケルツォ、第3楽章非常にゆっくりと(Tres Lent)
と、いずれも急-緩である。

これまで漠然と4楽章形式の曲は2楽章-緩、3楽章-急という風に思い込んでいた。
交響曲はそれが一般的で、例えばブラームスの全4曲、モーツァルトの4楽章構成のものはすべて2楽章Andante、3楽章Menuet、ベートーヴェンについては1~5番は2楽章AndanteもしくはAdagio、3楽章1番がMenuet、その他はScherzo、ブルックナーは2楽章AndanteもしくはAdagio、3楽章Scherzo(8,9番は逆)等々という感じである。
例外はあり、例えばショスタコーヴィチの5番は2楽章Allegro、3楽章Largo、マーラーの6番は2楽章Scherzo、3楽章Andanteとなっている。

マーラーの6番は9月9日NHK「クラシック音楽館」で放送されたラトルのベルリン・フィル・フェアウェル・コンサート(2018年6月19、20日)で演奏された。柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)によると、6番は2楽章がScherzo(イ短調)、3楽章はAndante(変ホ長調)だが、マーラーは一時期2,3を入れ替えていたそうだ。この時のラトルの演奏は調性から推して2楽章Andante、3楽章Scherzoだったか?どなたかご教示下されば幸いである。それにしても柴田も言っているが、短調のScherzoというのもパラドキシカルだ。

さて、カルテットを見てみる。
手元にあるものでは、ベートーヴェンの後期のものは13、15番が2楽章Scherzo、16番は2楽章Vivaceで3楽章が緩、12番のみ2楽章Adagio、3楽章がScherzoである。
ショスタコーヴィチの全15曲は楽章構成自体が様々で、少数派であるが4楽章のもので見ると急-緩もあり、緩-急もあって法則性はない。
またH.ヴィラ=ロボスの全17曲では、大多数が4楽章で、スケルツォ楽章が置かれているのが特徴的で、3楽章がそうであるものが大半だが、2楽章であるのもあり一定していない。

ショスタコーヴィチのカルテットといえば、かつて(20年位前)NHKFM日曜夕方の「芸術ジャーナル」のオープニングで3番の第1楽章の出だし部分が使われていたのが思い出される。

今回のブログを書くにあたって、金子建志が解説しているブルックナーの「交響曲9番」のエアチェックテープ(1997年9月21日(日)「海外クラシックコンサート」ジュリーニ、シュトゥットガルト放響1996年9月19日)を聴いたら、テープの余りに当日の「芸術ジャーナル」(この時は池辺晋一郎の「作曲家の目」でブラームス没後100年に因む話だった。)が入っていた。
ブルックナーの9番は未完の作品で4楽章で構想されたが残されたのは3楽章までで、ブルックナーとしては例外的に2楽章Scherzo、3楽章Adagioとなっている。

2018年1月 9日 (火)

ウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサート2018

2018年が明けた。
今年もウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを視聴することが出来た幸福を噛みしめている。
指揮はリッカルド・ムーティ。1941年生まれ()なので今年は77歳となるわけだが、やや太目気味ながらムーティの指揮ぶりは年齢を感じさせないスタイリッシュで優雅でかつエネルギッシュで、このブログへ記録するようになってから今回が最も魅了された。
例年ご愛敬でどこかにジョークが入るのだが、選曲にもよるのか今年のムーティはひたすら格調高く指揮をした。
なおムーティは1993年の初登場以来、今回が5回目のニュー・イヤー・コンサートとなり、前回の2004年から14年振りと久々の登場である。

)クラシカルギターのジョン・ウイリアムスと同年になるわけだ。

手元に2005年のウイーン・フィル来日公演の録画DVDがあるが、指揮はムーティ。この時は64歳だったが、やはり華麗かつダイナミックな指揮ぶりでサントリーホールの聴衆を魅了していた。なおコンサートマスターは2016年に退団したライナー・キュッヒル、次席はライナー・ホーネックだった。二人のファースト・ネームが同じなのが面白い。またヴァイオリン・パートに今年のNHKにゲスト出演したウイーン・フィルのチェロ奏者へーデンボルク直樹の兄、和樹の姿もあった。

キュッヒルは昨年ギタリストの福田進一とデュオCDをリリースした。福田がライナー・ノートへ寄せたコメントで、「再スタートの共演者として選ばれたことに驚き」以外言葉がない、と正直に述べているが、福田の高いポテンシャルを改めて認識させる快挙であったと共に、どういうコネクションでこのセッションが実現に至ったのか大変興味を覚えたことが記憶に新しい。

今年のコンサートマスターはフォルクハルト・シュトイデ。次席はホセ・マリア・ブルーメンシャイン、2016年に退団したライナー・キュッヒルの後にコンサートマスターとして入団した人だ。(→2017.1/10

ニュー・イヤー・コンサートの前に放送された特集番組で印象深かったのは、ウイーン・フィルが使用している楽器(ヴァイオリン)についての紹介の部分。団員が使用するのは楽団所有のもので、ウイーン製。概ね1800~1940年頃の製作のものを使用している由。そしてコンサートマスターはいわゆる名器を弾いているらしい。
ライナー・ホーネックはストラディバリウス「シャコンヌ」、1725年製とのこと。ちなみに所有者はオーストリア銀行らしい。

来年の指揮者はクリスティアン・ティーレマン

以下プログラムのメモを記す。
2018年はウイーンの建築家オットー・ワグナー没後100年、そして1918年第1次世界大戦終結と共にハプスブルク帝国が崩壊して100年となり、それに因む映像が挿入されている(○印)。
下の記号は凡例だが、今年は初登場の曲が紹介されなかった。あったのにマークしなかったのか、実際になかったのかわからない。
選曲は基本的にウイーン・フィルが行っているようだが、ムーティに相応しい、優雅かつ格調高いプログラムだった。

◎映像挿入
○2018年のアニバーサリー
△バレエ映像
(伊):イタリア(ムーティ)に因む曲
第1部
1.ヨハン・シュトラウス : 喜歌劇「ジプシー男爵」から「入場行進曲」
2.ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ「ウィーンのフレスコ画」op.249◎
映像:オーストリア国立図書館の天井のフレスコ画。王宮の一角にあり、書物がうず高く納められた書架が並ぶ広大な空間の高い天井へ豪華絢爛たるフレスコ画が描かれている。
文学博物館の興味深い資料映像、アウグスティーナ閲覧室も紹介されている。
3.ヨハン・シュトラウス : フランス風ポルカ「花嫁探し」op.417
「ジプシー男爵」のアリアを用いている。
4.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル「浮き立つ心」op.319
5.ヨハン・シュトラウス(父) : マリアのワルツop.212
6.ヨハン・シュトラウス(父) : ウィリアム・テル・ギャロップop.29b(伊)
ロッシーニの序曲のマーチから入る。今年はロッシーニ没後150年。

第2部
7.フランツ・フォン・スッペ : 喜歌劇「ボッカッチョ」序曲 (伊)
ウイーン風の優雅な序奏とロッシーニを思わせる軽快かつ明るいアレグロから成る。
8.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「ミルテの花」op.395◎
ミルテは祝いの花。生誕160年のオーストリア皇太子ルドルフとベルギー王女ステファニーの結婚式で演奏された。
映像:今年創設300年のウイーンの磁器工房。装飾に花をあしらった白磁器をはじめ、カラフルで、華やかな、見事な磁器の数々が画面に繰り広げられる。
9.アルフォンス・チブルカ : ステファニー・ガヴォットop.312○△
皇帝一家専用の駅舎「ホーフ・パビリオン」。設計はオットー・ワグナー。
ドーム付きの白壁のシックな建築で、開口部の枠の緑が目に鮮やかだ。また駅舎内は皇帝が使用しただけに、ホールの壁面の装飾、大きな壁画、床は総絨毯と、絢爛豪華。ドーム天井には円形の明かり取りを幾何学的に配置し、中心部からシャンデリア風の照明を吊り下げている。
10.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・シュネル 「百発百中」op.326
150年前ウイーンで開催された射撃の国際大会の舞踏会のために作曲された。射撃の音は大太鼓、ティンパニで。
11.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「ウィーンの森の物語」op.325◎
チター奏者(バルバラ・ライスター・エブナー(女性))が入る。
作曲されて150年になる。この作品は2014年にも演奏されている(バレンボイム)。このブログへニュー・イヤー・コンサートを綴り始めた年だが、それ以来で重複するのはこの曲だけである。
映像:ウイーン郊外からの市街遠望。ブドウ畑。エリーザベトの礼拝堂。マウエルバッハ修道院。ハイリゲンクロイツ修道院。
導入部分に長目の、そして最後の2箇所にチター独奏が入る。アップで映し出された楽器を見ると、張られている弦は多いが、ギターのようにフレットが打たれているのは奏者側の5本のみでほとんどその部分で演奏している。その他の弦は開放弦のみを時に弾弦しているようで、あとは倍音を響かせて音を豊かにしているのかも知れない。音量的に会場にどの程度響いていたか?
12.ヨハン・シュトラウス : 祝典行進曲op.452
ヨハンと交流のあったフェルディナント1世とイタリア公女の結婚にあたり作曲された。
1893年6月初演。
13.ヨハン・シュトラウス : ポルカ・マズルカ「都会と田舎」op.322
ウイーン園芸協会開催の演奏会のために作曲された。
前半は都会、中間部は田舎の生活を鮮やかに対比的に描写。とテロップにあったが、それほど明確な対比には聞こえなかった。3部形式というには前半の再現が短かすぎて、最後はコーダというのか、短いが華麗な終結部で終わる。
14.ヨハン・シュトラウス : 「仮面舞踏会」のカドリーユop.272(伊)
「仮面舞踏会」はヴェルディのオペラ(1858年ローマで初演)。ヨハン・シュトラウスとヴェルディはお互いを尊敬し合っていたそうだ。
恐らくは原曲の旋律を組曲のように緩急交えて構成している。
昨年のブログに書いた「カドリーユ」の注(→2017.1/10の注を参照)を念頭に聴き直してみると、確かに6曲から成っている。
1急速2軽快かつ伸びやか。ABAの3部形式。3ロンド形式(ABA‘CABA’)4軽快かつ洒脱5諧謔的、そして6フィナーレABA(2回目のAはアッチェレランド)という風に聴いた。
15.ヨハン・シュトラウス : ワルツ「南国のばら」op.388○△(伊)
南国はイタリアを指す。
演奏前に映し出された花々の中で、黄色の薔薇の花びらにテントウ虫のようなものが付いていた。
どのような意味合いなのか?
映像:エッカルツァウ城(ハプスブルク帝国終焉の場所)。ここでカール1世が退位を宣言し、600年以上の帝国の歴史が終わった。ウイーン・フィルはパトロンを失い存続の危機に陥るが、団員の内外での積極的な活動と聴衆の支持により、以来自主運営で今日に至る基盤を築いてきたのだそうだ。
豪華な宮殿で繰り広げられるダンサー達の踊りは、みずみずしく、しなやかで、生命力に溢れており、若さの素晴らしさを感じた。
16.ヨーゼフ・シュトラウス : ポルカ・シュネル「短い言づて」op.240
「短い言づて」とは新聞の投書欄の名前の由。
ウイーン・ジャーナリスト協会の舞踏会のために作曲された。業界ごとの舞踏会がウイーンの伝統で、現在に至っているそうだ。
アンコール
1.ヨハン・シュトラウス:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」op.324
本曲も作曲されて150年。芸術家協会の舞踏会のために作曲された。
ムーティとウイーン・フィルの演奏は大変に洗練された上質なもの。
2.ヨハン・シュトラウス:「美しく青きドナウ」op.314◎
ムーティの合図でウイーン・フィルの新年の挨拶。
映像:ドナウ川とその流域の美しい景観。
参考:’15年ニューイヤー「美しく青きドナウ」を参照(→2015.1/12その(2)
3.ヨハン・シュトラウス(父):「ラデツキー行進曲」op.228

(完)

2017年10月29日 (日)

「武満徹・音楽創造への旅」-8最終回(武満のギター作品)

武満全集Vol.2書籍の作品ガイドには、「現代ギター」からの引用が3件ある。それを認識したのは、「ラスト・ワルツ」の鈴木一郎の文章からだ。
「現代ギター」を見てみると、追悼特集「武満徹のギター音楽」がグラビアに続く本文の冒頭を飾っている。1996年7月号で、6月下旬発行なので、タイミングとしては遅い感があるが、内容は大変充実している。

まず座談会で、武満と縁の深いギタリストの荘村清志と佐藤紀雄、そして司会もギタリストの黃敬、読むと黃も武満作品全般をよく研究しており、興味深い内容である。
そして武満のギター全作品リスト。ギター独奏作品、協奏曲、室内楽作品はおろか、ギターが入っている管弦楽作品がリストアップされている大変貴重なもの。
管弦楽作品を聴いていて、はっきりギターの音が認識できたのは、私は「クロッシング」だけだった。(^^;
それが、「樹の曲」、「カシオペア」、「カトレーン」、「ジェモー」etc.でもギターが入っていたとは!!
あとは、ギター作品のディスコグラフィー。
最後はギター界ゆかりの人達の追悼文。
この中に鈴木一郎の文章がある。同じく全集へ引用されている伊部晴美の談話他、主として内外のギタリストが文章を寄せている。その最初がジュリアン・ブリームのもので、他の4倍はあろうかという長文である。

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社交辞令的な追悼文ではなく、武満音楽についての小論文のような内容というべきか、翻訳ではあるが原文の格調高さがうかがえ、武満の音楽への尊敬の念に満ち、かつ作品への深いアプローチ(ギター作品にとどまらず)をして来ていることがわかる。驚くべきは、音楽全般に亘る学識の広さ、深さである。
読んでブリームへ畏敬の念を覚えると共に、これだけ熱意に満ちた文章を寄せたブリームの武満への思いの大きさを感じた。

そのブリームだが、武満全集では、ギター協奏曲「夢の縁へ」(Vol.1)、「すべては薄明かりの中で」(Vol.2)の2作品の奏者として登場する。
CDは「夢の縁へ」の次が「虹へ向かって、パルマ」で、当初図書館は書籍を貸し出してくれなかったので、奏者がわからなかった。「虹へ向かって、パルマ」の方は、J.ウイリアムスであることはすぐわかったが・・・。
いずれにしても次のジョンと比べて遜色のない演奏を繰り広げる奏者が誰なのか、興味を持ったことを覚えている。

「すべては薄明かりの中で」は周知のようにブリームの委嘱により作曲され、ブリームへ献呈された作品であり、ニューヨークで彼が世界初演している。
私は武満をブリームで聴くのは、この全集が初めてである。

「すべては薄明かりの中で」のCDへ耳を傾けると、和音を余韻豊かに、美しく響かせていることにまず心を奪われた。演奏が全般的にふくよかで、何より音の美しさへ心が奪われる。

「すべては薄明かりの中で」の全集の作品ガイドに「現代ギター」のブリームと武満の対談の長い引用が載っている。
1988年に「ジュリアン・ブリーム・コンソート」(古楽アンサンブル。ブリームはリュートで参加。)として来日(*)した際に実現したものだ。

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「現代ギター」への掲載は1989年1月号。作品ガイド欄外に1989年11月7日に対談、とあるのは1988年の誤りだ。

*:11月5日のサントリーホールのコンサートでブリームのギター独奏で「すべては薄明かりの中で」が日本初演された。

作品ガイド欄外には、ニューヨークの世界初演時のプログラムが載っているので、以下に掲げる。
これでわかるように日本初演は、世界初演のわずか1ヶ月後だったわけだ。

Sunday  Afternoon  October  9 . 1988  at 3 : 00
Alice Tully Hall at  Lincoln  Center

DE VISEE  Suite in A major
    Allemande
    Courante
    Sarabande
    Gigue
BACH   Sonata No.1 , BWV1001
    Adagio
    Fuga
    Siciliano
    Presto
REGONDI  Introduction et Caprice , op.23
  Intermission
LUTOSLAWSKI Melodie Ludowe (Polish Folk Melodies)
TAKEMITU  All in Twilight , Four Pieces for Guitar
   (World Premiere)
RODRIGO  Tres Piesas Espanoras
    Fandango
    Passacaglia
    Zapateado

また武満には、ブリーム60歳を祝って彼に献呈した「群島S. 21人の奏者のための」という小管弦楽作品があることをこの全集により知った。
ブリームへの献呈作品ではあるが、ギターは入っていない。

「現代ギター」から作品ガイドへの引用の最後は「リング」で、「ラスト・ワルツ」の鈴木一郎と同じ1996年7月号の武満追悼特集へ寄せた伊部晴美の談話である。全体の半分ほどが引用されている。
全集によると、伊部は1933年生まれで、武満と同じ1996年に没している。ある意味この談話は彼の遺言でもあるわけだ。談話へ、病気で武満の葬儀へ出席できなかった無念を語っている。
談話に拠れば、昭和32(1957)年頃に、オーケストラの現代音楽へエレキギターで参加したという。武満が「弦楽のためのレクイエム」を作曲した年だ。
武満との出会いは、鎌倉の佐助に武満が住んでいた頃というから武満の新婚時代の1955(昭和30)~60(昭和35)年頃だろうか。1961年の「リング」誕生、その後の系列化の作品が作曲された背景に、伊部の存在があったことがわかる。’60年代から’70年代はじめ頃に小澤、若杉、岩城、渡辺暁雄等と協演(!!!)して、「バレリアⅠ」(Ⅰは入らない?)、「樹の曲」、「クロッシング」を弾いている!!!!
「リング」で協演している濱田三彦(リュートを担当)は、「現代ギター」の追悼文で伊部から図形楽譜の読み方、呼吸の取り方を学んだ、と述懐している。

(付記)
●古い本を整理していて偶然派生した事を最後に記しておきたい。
河出書房新社の世界文学全集のロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」の3巻目の月報を見たら、武満が一文を寄せていた。

Img_7051001

「ロマン・ロラン 芸術家と社会の問題」という表題で、社会を形成する個人と歴史の機能、それに芸術はどう関係しているか、という大問題を取り上げている。
武満は、ベン・シャーンという画家の言を借りて一つの社会(ある時代)の性格は、代表的な芸術によって象徴される、という考え方を紹介する。
またジャン・クリストフはべートーヴァンをモデルとしていることは認めつつ、ドイツの音楽評論家の著作によってロマン・ロランとエドガー・ヴァレーズの交流と、ヴァレーズがジャン・クリストフのモデルの一人とされている記述に遭遇して興奮を覚えたことを述べ、ロランへの共感を示している。
短い文章だが、扱っている内容は気宇壮大であり、かつ大変難しい。
この文章が何時書かれたものなのか興味がある。
私のものは昭和47年1月の第31版で、初版は昭和35年6月と奥付けにある。これは、安保闘争の時である。
1960年から1971年と幅があるが、ヴァレーズへ言及している部分から、その没年である1965年以前のような気がするので、あるいは初版が出た1960年頃の文章なのかも知れない。とすれば、まさに「リング」を作曲している頃になる。
第3回で触れた「美術手帖」’59年1月号の座談会の出席者駒井哲郎(版画家)からヴァレーズのレコードを聴く誘いを受けたりしていた(立花P.136)時期なので、可能性は高い。(→第3回
30歳前後のことになるわけで、瀧口修造の影響の下で書かれたのかも知れない。 
新潮社「武満著作集」へこの文章は収録されているだろうか?

●全集Vol.2書籍の巻末エッセイはいずれも武満の人柄に魅せられ、心からの敬慕と哀悼の念に満ちた胸に沁みるものばかりだが、立花隆と鈴木大介のものが印象に残った。立花は、自著「音楽創造への旅」を通しての武満との交流過程での様々な回想と興味深いエピソードに触れ、特に戦争後半武満が埼玉山中での学徒動員の際の見習士官が密かに聴かせてくれたシャンソンのレコードの話(*)、武満自身エッセイのいくつかでこのエピソードを取り上げ、ジョゼフィン・ベーカーだったと述べているのが誤りで、リュシエンヌ・ボアイエだったことを突き止める話は、納得するまで取材の手を抜かない立花の姿勢をよく示す話だと思った。

*:このシャンソン(パルレ・モア・ダムール)を聴いて武満は音楽をやりたいと決意した、いわば作曲家武満徹誕生の原点というべきエピソードである。

鈴木のエッセイは、武満のギター作品集のアルバム製作を巡り、完成半ばで武満が逝去してしまったため、武満から十分なアドヴァイスを受ける機会を永遠に失うという事態になりながら、内心の葛藤を克服しつつアルバムを完成させたこと等を綴り、彼の真摯な姿勢、何より心優しさが行間ににじみ、読み終えて心が和む思いをした。
(終わり)

「武満徹・音楽創造への旅」-7

前回まで武満徹の初期の軌跡を見てきたが、今回はまとめとして武満の音楽観、武満作品の一断面を見て、次回にギターに関連することを書いてみたい。

立花隆「音楽創造への旅」第13章に、武満が立花のインタビューへ答えて、「無数の具体音で充満された音の河が、・・・滔々と流れている。・・・音の河の中から、聞くべき音をつかみ出してくることが作曲するということだ」、と述べる件がある(P.219)。
同じページの下段には、武満の第1エッセイ集「音、沈黙と測りあえるほどに」から「自然と音楽」で「音の河」へ言及する箇所が引用されている。
「音の河」は、武満の音楽創造の根底を成す重要な概念だと思う。

第6回でも引用した吉田秀和「武満徹と静謐の美学について」の中で吉田は、
「彼には<音>は自然の中にすでに存在しているものであり、私には、彼の創作は、もっぱら、そこから不要のものを削りとることに集約されているかのように見える」。
と書き、あくまでも「リング」系列の作品(‘58~61年)に対して述べた見解であるが、上の武満の考え方と符合していることに驚かされる。

やはり今夏、福岡伸一の「新版動的平衡」(小学館新書)を読んでいて、武満の「音の河」を思い出した。
「そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私達の身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。」(P.261)
生命体としての個体には、目に見えるほどの早い変化はないが、分子レベルでは外界からやって来る物質とひたすら置き換わり、再び外界へ流れていくプロセスの中に生命が位置付けられている。福岡は流れの中で一定の状態を保つ動的平衡が生命の本質だという。

また武満は、「死の巡り」(「音楽の余白から」)という’70年代の文章で、死に対する考察を行っている。
「私たちは身近な死の汀(みぎわ)から想像を絶する遙かな死の涯までを満たしているものの、滴り(したたり)のひとつに過ぎないのだと謂うことを知るとき、はじめて生の意味を把握できるにちがいない。」
武満40代の文章だが、幼少期、青年期から死を切実なものとして受け止めて来たからこそ抱くことができる死生観であり、またそれは、あくまで謙虚というか、淡々としたものだということが伝わってくる。どこか「音の河」に通じる捉え方であり、これも武満の音楽観の基礎を成していると思う。

「遠い呼び声の彼方へ」(武満の第五エッセイ集)に、「普遍的な卵(ユニヴァーサル・エッグ)」という講演録が収められている。
また、その前(エッセイ集冒頭)の「東の音・西の音」の中では、「宇宙的卵(コスミック・エッグ)」という言葉が出て来る。
「卵」という語が象徴するように、未形成ではあるが音楽はやがて東西の区別が取り払われ、グローバルな形で孵化していくべき方向性があるという考え方だ。

どこか空想的で、理想主義的な印象があるが、第3回で触れた「美術手帳」座談会での瀧口修造の発言に見られるような瀧口から受けた薫陶、邦楽器を含む自作品の作曲経験、’72-3年のインドネシア、バリ島でのガムラン音楽体験、’80年8月のオーストラリア北端のグルート島でのアボリジニ音楽の体験等を通して武満の中で徐々に醸成されていったのだろう。

この考え方は以前このブログでも触れた池澤夏樹の「現代文学」のグローバル化、文学は或る特定の言語で書かれているが、翻訳によっても充分享受できるという考え方、また入江昭のグローバル史観、’90年代以降の歴史研究がグローバル・ヒストリー(NOT=世界史(World History))という観点が主流となっているという指摘が思い出された。(→'15.2/17

また武満は、西洋古典派音楽で完成を見たソナタ形式に否定的で、起承転結がはっきりした構成へ異和感を唱える一方で、邦楽の一音に込められている奥深さに魅かれ、独自の境地から作曲をしてきた。

武満作品を聴いて、気付いたことを箇条書きすると、
・長い作品がない。
・作品名にユニークなものが多い。作品名と作品の中身は深い関係性がある。
「地平線のドーリア」、「鳥は星形の庭に降りる」、「遠い呼び声の彼方へ!」etc.枚挙に暇がない。
・起承転結が曖昧。終わりらしい終わりがない。
・追悼作品を多数書いている。
・シリーズでグループ化出来る作品が多い。

最後のシリーズ化について、武満は「音とことばの多層性」(「音楽を呼びさますもの」(‘85年12月))で、「・・・作曲する時、「夢(ドリーム)」、「数(ナンバー)」、「水(ウオーター)」に強く影響されている。」と述べ、不定形である「夢」と定形の「数」を対立するものと捉え、それを統合するものとして「水」を位置付けているという。
そして「夢」と「数」シリーズ、「水」シリーズの系列作品を例示している。
また、二つのシリーズが合流する作品として、「遠い呼び声の彼方へ」を挙げている。

以下シリーズ毎の系列作品を示すと、
1.水シリーズ
「波」(’76)
「ウオーターウエイズ」(’77-8)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80) 弦楽カルテット作品 以上室内楽作品
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)
「I hear the Water Dreaming」(’87)
2.夢と数シリーズ
「カトレーン」(’75)
「鳥は星形の庭に降りる」(’77)
「ドリームタイム」(’81)  オーストリア原住民アボリジニの神話から想を得た。
「夢の縁へ」(’83) ギター協奏曲。「虹へ向かって、パルマ」(’84) (やはりギター(とオーボエ・ダモーレ)協奏曲)と対を成す作品(武満)。
「夢の引用」(’91) 以上管弦楽作品
3.星座シリーズ(武満自身による)
「アステリズム」(’68)
「カシオペア」(’71)
「ジェモー」(’71-86)
「オリオンとプレアデス」(’84)  以上管弦楽作品
4.E.ディキンソンの詩に触発された作品
「夢の引用」(’91) 上の夢と数シリーズへ位置付けられる作品。副題(Say sea , take me!)はディキンソンの詩の一節。(武満自身による)
「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」(’91) 作品名はディキンソンの詩の一節。(武満自身による)
「そして、それが風であることを知った」(’92) 同上
「スペクトラル・カンティクル」(‘’95) 同上。ヴァイオリン、ギターと管弦楽の協奏曲。管弦楽は日本の回遊式庭園から着想した一種の変奏曲で、ソロ(ヴァイオリン、ギター)は、庭園の鑑賞者という位置付けとのこと。(これも武満自身による) 以上管弦楽作品
5.J.ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」からから想を得た作品 
「遠い呼び声の彼方へ!」(‘80)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80)  本作品のみ室内楽作品
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)  以上二作品は水シリーズに入る。(武満自身による)
「riverrun」(’84)  「フィネガン」出だしの言葉だ。柳瀬尚紀が「川走(せんそう)」と訳した部分。
6.「海」の音列(E♭=ES=S、E、A すなわちSea)が用いられている作品
「遠い呼び声の彼方へ!」(‘80)
「ア・ウエイ・アローン」(‘80
「海へ」(‘81) アルト・フルートとギター
「ア・ウエイ・アローンⅡ」(‘81)
「海へⅡ」(‘81) アルト・フルート、ハープと弦楽オーケストラ
「海へⅢ」(‘88) アルト・フルートとハープ
7.絵画からインスピレーションを得た作品
「マージナリア」(’76)  クレーの作品から。(→第3回)。
「閉じた眼」(’79) ルドンの同名作品からの印象による。本作は瀧口修造への追悼曲。
「閉じた眼Ⅱ」(’88) 同上
「すべては薄明かりの中で」(’87) クレーの同名作品から。ギター独奏作品。
「エキノクス」(’93) ミロの同名作品から。ギター独奏作品。
「森の中で」(’95) 第一曲「ウエインスコットポンド」は、知人である画家コーネリア・フォスの絵画の印象から。ギター独奏作品。(→'16.10/15
以下は管弦楽作品
「夢の縁へ」(’83) ベルギーの画家ポール・デルヴォーへのオマージュ
「虹へ向かって、パルマ」(’84) ミロへのオマージュ
「I hear the Water Dreaming」(’87) オーストリア原住民アボリジニ絵画に触発される。
「ヴィジョンズ」(’90) ルドンの絵画作品名を各楽章名としている。

以上のように複数の要素を併せ持つ作品も多く、文学・美術的モチーフから音楽を着想する傾向があることが分かる。
第4エッセイ集「音楽を呼びさますもの」(’85年12月)の後記で武満は以下のように記す。
「・・・身裡にある曖昧な感情を見きわめ、明確にするために、どうしてもことばに頼らざるを得ない。そうして見えてきたものを、さらに、ことばが撹拌し波立たせる。その繰り返しの中で、音楽への機は熟す。・・・ことばは、ことばを超えて、音楽を呼びさますものの実質に私を近づける。」
音楽のイメージを言語で鮮明にして行く武満の方法が語られている。
(続く)

「武満徹・音楽創造への旅」-6「リング(環)」続き

前回触れた「リング」および武満にとっての「第4回現代音楽祭」の意義、また「リング」の武満作品全体における位置付けについて書いてみたい。

吉田秀和は「武満徹と静謐の美学について」(吉田秀和全集第3巻)で述べているように、「リング」の底流に漂う「静謐の美と、浄福(Seligkeit)とでも呼びたい静かで浄らかな光」を感じ取った。

上の吉田の見解は、私には理解しうるものではないが、「リング」の間奏部分で採用している不確定性の音楽は、奏者の演奏の自由度が大きいため、究極的には演奏毎に異なる演奏が出現することとなって、聴き手にとっても据わりが悪いことになりかねないように思う。
また、この種の音楽をCD等の媒体で固定してしまうことが無意味になってしまう様にも考えられる。

以上の私の感想に対して吉田は、
「いわゆる抽象楽譜による書法は演奏家のイニシアティヴを尊重し自発的な即興を刺激することを通じて、音楽家の創造の自由を拡大してゆく点で大きな意味をもつ。・・・けれども人間には、くり返しを求めるという、本然の要求がある。・・・そのくり返しが、芸術を惰性化し形骸化する危険をもっていることは事実だし、一度しか味わえないものの魅力も貴重なものだというのも本当である。しかし、一度きかれ、そうして消えていったものは二度ときかれることはないということには、私は不満―というよりも、音楽の中からかけがえのないものが欠けてしまうのではないか。」(「能と現代音楽」(吉田秀和全集第3巻))
と述べ、また、
「これまできいた限りでは、私の共感は、ケージ流に全面的にこれ(「偶然性の技法」)によった作品よりも、それを部分的に適用した武満の方にある。」(「武満徹「フリュート、ギター、リュートのための環」」(吉田秀和全集第3巻))
とも言い、上の私の感想があながち見当違いではないことを裏付けてくれている。
それにしても、吉田の感覚の鋭さと一貫性、曖昧模糊とした対象への分析力の高さ、更には読む者へ的確にそれを伝える文章表現力には驚かされる。
この吉田の叙述は、下に述べるように武満の音楽の方向性と一致している。

「第4回現代音楽祭」が武満にとり大きな意義を持つのは、この時彼がジョン・ケージの音楽を初めて耳にしたという事実である。
しかもこの時武満が聴いたケージの作品は、「ピアノとオーケストラのためのコンサート」(*)で、ピアノを一柳慧が務め、指揮は黛敏郎だった(立花P.413)。一柳は米国留学から帰国したばかりで、留学当初の’58年にケージと出会い、その頃作曲されたばかりのこの作品を知って、ケージへ傾倒するようになった当の作品を紹介したわけだ。

*:脂がのりきった壮年期に書かれたケージの最高傑作だと一柳は言っている。不確定性音楽で、ピアノパートは84種類のグラフィック・スコアとなっている由(第2回で触れたNHKFM「ケージとメシアンの音楽」での一柳慧の発言(→第2回)。

全集Vol.2書籍巻末の船山隆「武満徹の音楽詩学」は、武満作品へ船山が長年傾注してきたことを実感させるものだが、あれれ、と思う部分があったのでここに記しておく。
それは、「(3)武満の「歌」」というセクションで(P.291)、
「1965年、谷川俊太郎の詩「死んだ男の残したものは」を歌詞に作曲・・・同年、武満は磁気テープのための<水の曲>、不確定性を持つ<環>を作曲している。彼は実際、一柳慧を通じて、ジョン・ケージの音楽について正確に知ったのである。」
と記しているが、<水の曲>は’60年、<環>は’61年の誤りだ。
また「彼は実際、一柳慧を通じて・・・」という箇所も、文脈上<環>があたかもその過程で作曲されたように受け取れる書き方だが、一柳は帰国したばかりなので、<環>は「一柳慧を通じて」ではなく、不確定性の技法を武満が独自に取り入れて作曲したものと考えるべきだろう。

ケージとの出会いは、以降の武満の作曲活動へ深い影響を与えることになる。(立花P.376)。
立花隆のインタヴューで、武満はケージから受けた影響について率直に語っている。(29、31章)
それは、以下のように2点へ要約することができる。
1. 既存の音楽を破壊し、作曲する上ではすべてが許されるという、絶対的肯定者の立場を取ったケージの音楽観へ共感した。
2. 日本の音楽へ目を開かれた。
ケージの自由な音楽観への共感が、以後の武満の作曲の指標となった。
ケージとは生涯にわたり親しく交友するようになるが、二人はあらゆる束縛から音楽は自由であるという基本的姿勢において一致するも、作品の具体的内容においては全く方向性が違っていた。
またケージにより日本の音楽を再認識したことが、「ノヴェンバー・ステップス」の誕生の遠因となった意義は大きい(直接的には小澤征爾の貢献も無視できない)。
武満は、演奏者の自由に委ねる不確定性音楽よりも、作曲家の意図を厳密に書き込む記譜法へ回帰し、やがて不確定性音楽から離れて行く。
そして終生作品を構築する論理の探求を続けて行くこととなる。
(続く)

2017年10月26日 (木)

「武満徹・音楽創造への旅」-5「リング(環)」

小学館版「武満徹全集」Vol.1(管弦楽作品集)、Vol.2(器楽曲、合唱曲)とVol.5のテープ音楽(ミュージック・コンクレート)(*)により、武満作品の芸術音楽(?)の全貌に触れることが出来たのは貴重な体験だった。
最初期から晩年へ至る作風の変化は感じ取れるものの、短期集中的だったので明確な理解を得るまでは至っていないが。

*:雑誌の対談で武満は、「ミュージック・コンクレートはデッサンに過ぎず、作品とは言わない。」と述べている。(立花隆「音楽創造への旅」P.427~8)

今回の武満体験により、自分が音楽を何もわかっていないことを思い知らされた。
音楽の奥深さ、厳しさを武満作品、著作により痛切に感じている。

「弦楽のためのレクイエム」発表の翌1,958年武満は「ソン・カリグラフィ(Le Son Calligraphie)」を作曲した。この作品はこの年8月の二十世紀音楽研究所第2回現代音楽祭第2日の作曲コンクールへ応募するために作曲され、一位を獲得している。松下真一という人と分け合う形で、予選通過者6名には実験工房時代の仲間である福島和夫も残っていた。

「ソン・カリグラフィ」(’Son’は「音」、’Calligraphie’は「習字」もしくは「書」の意。)は、「レクイエム」のアンチテーゼとして構想され、以降この時期の武満作品は「叙情の拒否、ストイシズム、沈黙といった要素」(立花P.326)を帯びていく。

翌1,959年の第3回現代音楽祭では「マスク」というフルート2本のための作品を発表した。

二十世紀音楽研究所は吉田秀和を所長として、柴田南雄、入野義朗、黛敏郎、諸井誠等により1,957年に組織され、現代音楽祭の開催を行っていた。
長木誠司は、二十世紀音楽研究所を「’50年代の日本音楽界最大の事件」と言っている。
吉田秀和は、二十世紀音楽研究所が発足した’57年に「二十世紀音楽研究所にふれながら」(吉田秀和全集第3巻)で、’53~4年にかけての米・欧行でのドナウエッシンゲン音楽祭(現代音楽の祭典)の体験に触れたあと、大都市のコンサートの聴衆が孤独な個人の集合体となっていることの分析と、二十世紀(当時の現代)音楽の意義についての示唆に富む考察をしている。
吉田をはじめ、黛、諸井等も海外の現代音楽祭を目の当たりにして、現代音楽祭の開催により、最先端の作品を紹介すると共に、新しい才能の発掘を通して日本の音楽界の発展を期していた。

また1,958年に設立され、当時の前衛芸術の拠点だった草月アートセンターと連携した「作曲家集団」が1,960年に発足した。芥川也寸志、黛敏郎、三善晃、諸井誠他で、武満も同人として名を連ねている。
この年4月の「作曲家集団」の発表会で武満は「個展」で新作4曲を含む5作品を発表した。(「武満徹の世界」(集英社、1,997年)の年譜(秋山邦晴編)から)
新作の4曲は「ランドスケープ」(弦楽四重奏曲)、「ソン・カリグラフィⅢ」(4Vn,2Vla,2Cello 第2回現代音楽祭受賞曲はⅠで、同年更にⅡが作曲されている。楽器編成はすべて同じ。)、「水の曲」(テープ音楽)、「マスクⅢ」(第3回現代音楽祭で発表されたのはⅠ、Ⅱ)。

翌1,961年4月「作曲家集団 group exhibition 1」で、武満の「ピアノ・ディスタンス」が高橋悠治によって初演される(全集作品ガイドによる)。「音楽創造への旅」で立花が「六十一年四月、草月ホールで開かれた高橋悠治のはじめてのリサイタルのために書かれた」(P.18)とあるのは誤りだろう(演奏場所は正しく、また献呈されたのは高橋だが)。

そしてこの年8月、第4回現代音楽祭で「リング(環)」が初演された。
吉田秀和「武満徹と静謐の美学について」(吉田秀和全集第3巻)によると、武満の「リング」は二日目で、一日目は黛敏郎と一柳慧の構成による「アメリカ前衛の夕べ」だった。

「リング」はフルート、テルツ・ギターとリュートのために書かれ、指揮者を入れている。
初演者は、野口龍(フルート)、伊部晴美(テルツ・ギター)、大橋敏成(リュート)、そして指揮が小澤征爾。

全集のCDを聴くと、左から右へリュート、ギター、フルートの並びであることがわかり、各楽器の音がはっきり分離して立体的な音像がスピーカーから出て来る。
抒情性、ロマンティシズムとは無縁で、無機質で即物的、言うなればシュールリアリスティックな音楽だ。
緊張感のある音が紡ぎ出されていくが、聴いていて私の能力では楽曲の構造を全く把握することが出来ない。
何度か聴き直してみて、ようやく朧気ながら楽章(といって良いのか?)の区切りが分かってきた。

またここまで見てきたとおり、ギターとリュートを主役とした作品を武満が書いたのは「リング」が最初である。
全集の書籍だったと思うが、後年武満は最も好きな楽器はギターであると述べているように、ギターを愛していた。

以前本ブログで記した時はわからなかったが、演奏者も上のように判明した。(→参照)その時はステージの演奏風景を紹介する写真で、右端の人間を打楽器奏者と決めつけてしまったが、これは指揮をした小澤征爾だった。(^^; 他の奏者の位置はCDと同じだ。
武満と小澤は「リング」の初演を通して初めて顔を合わせたそうで、小澤は「リング」のスコアを見て武満の才能の大きさを知り、武満の方もリハーサルから本番までの小澤の振る舞いをつぶさにして、その才能に感嘆を覚えたという(立花P.450~1)。

なお全集CDの演奏者は、フルートとテルツ・ギター:初演者、リュート:濱田三彦、指揮:若杉弘。

「リング」の構造はR(Retrograde=逆行)、I(Inversion=反行)、N(Noise=ノイズ)、G(General Theme=主題)の4部分から成り、それぞれを演奏する順は任意で、各パート間に間奏があって円形の図形楽譜で表現されている。図形楽譜のスタート点、終点、回転方向、テンポはすべて奏者の自由、と不確定性音楽の要素が採用されていた。
全集のCDはR、I、N、Gの順で演奏されている由。

Img_7040

上は{リング}の「R」冒頭部。見ながら聴いていると、確かに「R」から入っていることが分かる。

下は間奏部分の図形楽譜。

Img_7041

武満は以後、ギターもしくはリュートを使用した作品を以下のように書いている。
「サクリファイス」(’62)アルト・フルート、リュート他
「ヴァレリア」(’69)ヴァイオリン、チェロ、ギター他
この作品は当初「ソナント」として、第6回現代音楽祭(’65)で上の楽器以外の編成が違う形で発表されているが、レコーディングにあたり「ヴァレリア」と改作された。
以上が「リング」3部作といわれる。
「スタンザⅠ」(’69)ギター、ピアノ、ハープ、女声(ソプラノ)他。ギターの伊部晴美に献呈されている。全集作品ガイドには、女声のテキストはヴィットゲンスタイン「論理哲学論考」からの引用である旨の記載がある。
「サクリファイス」にギターは入っていないが、その他はすべて初演、全集版の録音で伊部晴美がギターを担当している点が注目される。このギタリストについては別項で改めて触れてみたい。
以上の作品は通常の五線譜で書かれているようだが、「リング」で部分的に採用された図形楽譜による作品は以下のようである(立花P.431)
・全面的に図形楽譜による作品
「ピアニストのためのコロナ」(’62)
「弦楽のためのコロナ」(’62)
「クロッシング」(’62) 立花が挙げているこのピアノ作品は、全集CDには収録されていない。周到な編集によるこの全集から洩れている理由は分からないが、先に引用した秋山邦晴編の作品表へは記載があり、一柳慧が初演している。
ちなみに同名の「クロッシング」(’70)は、管弦楽曲でギターパートがある。この作品の第一部の独奏パートへは、「スタンザⅠ」が使われている由。
・部分的に図形楽譜である作品
「環礁」(’62)
「ピアノと管弦楽のためのアーク第一部」(’63)
以降も若干書かれているようだが、図形楽譜による作品は、’61 - 3年に集中していることが分かる。

(続く)

2017年10月25日 (水)

「武満徹・音楽創造への旅」-4「二つのレント」

「武満徹・音楽創造への旅」を読んでいて感じるのは武満徹の人間的魅力である。大変親しみやすい人柄を彷彿とさせる。
生前から武満は世界各所から遍く作曲委嘱があり、音楽祭、記念コンサート等で頻繁にその作品が演奏されてきた大変幸福な作曲家だった。

「二つのレント」は武満20歳の作品だが、その頃の武満の生活は、親から自立し経済的苦境の中で音楽修行をするのだが、前回も見たとおりその時々で重要な人物と出会い、その薫陶を受けつつ、一歩一歩成長していった点でも大変幸福な人だった。

すごいと思うのは、一日3本とか半端でない量の映画を毎日のように見つつ、どうやって時間を作ったのか不思議な限りだが、専門の音楽教育を受けることなくほぼ独学で作曲の技術を習得したことだ。驚くのは音楽のみならず美術の教養をも深く蓄積していることである。

「二つのレント」へ至る過程での武満は、十代後半に鈴木博義、福島和夫といった作曲仲間、清瀬保二(1,900~81)、早坂文雄(1,914~55)という師と出会い、1,949年には一柳慧と知り合い、彼を通してメシアン(*)を知る、というのも出来過ぎのシナリオのようだ。

*:一柳の父親は音楽家で洋譜をしばしば購入していて、武満はその中からメシアンのピアノ曲「プレリュード」を借りたのがメシアンとの初めての出会いだったという。(「音楽創造への旅」P.92)

1,950年12月7日新作曲派協会第7回発表会でピアノ作品「二つのレント」は初演された。

「二つのレント」という奇妙な作品名にまず戸惑う。ドビッシーの「レントよりおそく」という作品を連想させる名称だ。1曲目はAdagioとあり、Lentであるのに妙な感じ。随分苦労して完成させたらしいが、2曲目のLento misteriosamenteは一気呵成に書き上げたそうだ。
聴いた感じは、1曲目は印象的な不協和音が出て来て面白いが、どこか座りが悪く、屈折した音楽であるのに対し、2曲目の方は洒脱で仏印象派風で、中間部は軽快な16分音符(?)のパッセージを持ち、流れもスムースで、というように対照的な作品だ。

初演会場の読売ホールの楽屋の武満を、終演後秋山邦晴と湯浅讓二が感動の余韻覚めやらぬ状態で訪問した。これが彼等の初対面だったようだが、武満のキャリアの出発点で彼等は知り合い、やがて実験工房同人として、その後も終生の交友を結ぶこととなる。
特に秋山邦晴は武満の最大の理解者として、後年ディスクのライナー・ノート執筆、武満の著作集のために年譜、ディスコグラフィーを作成したりしている。また武満が没した半年後の同じ1,996年8月に逝去している。これも、偶然とはいえ出来過ぎのシナリオのようだ。

小学館版「武満徹全集」Vol.2書籍の作品ガイドを見ると興味深い記事がある。
「ロマンス」には、清瀬、早坂等と共に写る武満と鈴木博義の1,950年の写真がある。
「二つのレント」には、立花「音楽創造への旅」第5章P.89~91(「文學界」’92年10月号)の引用、「東京新聞」の山根銀二の批評、武満の「ピアノ・トリステ」(‘61)、吉田秀和のライナー・ノートとか面白い記事が満載されている。

山根銀二の批評-といっても「武満徹の「二つのレント」は音楽以前である。」だけだったようだがーは、武満には後々までトラウマとなったようだ。
山根銀二は当時のベートーヴェン研究の第一人者だったようで、岩波新書に「音楽美入門」という著書があり、かつて読んだことがある。
また「現代ギター」の1,967年7月号から1年間、巻頭随筆「音楽を考える」を連載している。
私は手元の第1~3回に目を通してみたが、文章が読みづらく、言いたいことが明確に伝わってこないもどかしい印象を受けた。

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吉田秀和のライナー・ノートは立花も取り上げている。第6章冒頭で、全集の前後の部分も含めて引用している。この文章は実に初演から16年後のもので、文章を草するにあたって当時の記憶のみを頼りに書き上げたという途方もないもので、立花を唸らせている。
「奇妙な曲」といい、「レント」を二つ連ねる処へ違和感を覚えながらも、ひたすら内部へ沈潜して行く音楽が記憶へ刻み込まれたといった趣旨のことが綴られている。

立花「音楽創造への旅」では、「二つのレント」の一曲目(Adagio)が何十回となく書き直しをした末に完成された事、初演の楽譜は残っておらず、福島和夫宅のピアノの裏で見つかったスケッチが唯一残されたものであることが武満から語られる部分がある。

この全集のCDに収められた「二つのレント」はそれを元に武満自身が清書したものだそうだから、初演時に演奏されたものではない。ただ聴いてみると大体吉田が書いているのと同じなのは感じ取れる。

武満は後年この作品を元に「リタニ」(’89)を作曲した。全集に収録されているこの二つを比較すると、「リタニ」の方に、音の洗練、滑らかさを感じるが、「人を寄せ付けない孤独狷介」(吉田秀和)な人の魂へ直接訴えかける強度はむしろ「二つのレント」の方が勝っているかも知れないと思った。
(続く)

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