ギター

2019年11月15日 (金)

映画「マチネの終わりに」

12日(火)に地元のUSシネマで「マチネの終わりに」を見た。
全編BGMでギターが流れる。冒頭の主人公のリサイタルでバリオスの「大聖堂」が奏でられるシーン。
クラシックギターを愛好する身からか、目頭が熱くなってしまう。
以降上映時間2時間強があっという間に過ぎていった。

思いつく儘に感想を記したい。
映画を思いながら、ざっと今回原作を拾い読みして感じたのは、映画と原作は似て非なる作品であるということ。
そして原作の緻密さが際立っている。
ただ映画では文章では絶対不可能なビジュアル化と音の提示ができる。
2時間強という時間は決して短くないが、原作の豊富なエピソード、微妙なニュアンス表現を10%も出せていない。

キャスティングは唯一石田ゆり子の演技に「ありかな・・・」と感じさせられた。
福山雅治は限りなく適役とは思うが、私の原作の蒔野のイメージとはズレている。
もう一人、蒔野のマネージャーでやがて彼と結婚する三谷早苗役の桜井ユキも熱演だがやはり私のイメージとは違う。
ストーリーは略ね原作に沿っているが、細かいところで大分改変されている。
例えば、早苗が小峰洋子に蒔野へなりすましのメールを送った件。
原作は聡明な洋子が言葉の流れから早苗の仕業であることを察するのだが、映画では早苗がスマホに件のメールを提示しながら告白している。
また原作は聖書のマルタとマリアのエピソードを絡めて二人の会話をより深いものにしている。

蒔野のギターの師である祖父江誠一は原作では死亡しない(はず)が、映画では死亡してしまう。
古谷一行が演じているのだが、面白いと思ったのは、原作にはない楽屋での腕の温水浴。
これは後の場面で蒔野もやっていた。
ギタリストがケアすべきは手指ではないかと思うのだが?
また祖父江の演奏シーン。オスカー・キレゾッティー編のイタリア・ルネサンス作品だが、古谷一行の演奏フォームは名人のそれだ。
古谷一行の妻君は、かつて故渡辺範彦、菊池真知子他へギターを指導した久坂晴夫(故人)という先生の娘さんであることを昔久坂先生ご本人から聞いたことを思い出した。古谷が祖父江を演じたのはギターとの数奇な縁であり、また古谷はギターへの若干の素養があるのかも知れない。

演奏フォームというと福山もかなりなものだ。
バリオスの「大聖堂」の運指はほぼごまかしなし!!
「大聖堂」は、かつて発表会で演奏したこともある個人的に思い出深い曲でもある。
そして原作との大きな違いの一つで作品全体へも大きく影響しているのが、この「大聖堂」を多用していることである。
冒頭の国内でのリサイタル、中間のマドリードでのコンサート、そして掉尾を飾るニューヨークでのリサイタルと都合3回出て来る。
原作はマドリードのフェスティバル後にパリのプライベートコンサートで演奏して途中で止まってしまうというショッキングな成り行きとなっている。原作はこの場面のみだ。
印象に残るのは、マドリードとニューヨークのホール、殊にステージから見た聴衆で埋まる美しいホールが素晴らしかった。

もう一つ祖父江誠一のトリビュート・アルバム、これも原作にはない。
面白いと思ったのは、演奏者の面々に蒔野等に混じって福田進一が実名で顔写真をCDジャケットに見せていることだ。細かいところで遊んでいるのがわかり、楽しい(^^。

リンク:→「マチネの終わりに」を読む

(了)

2019年3月27日 (水)

ギターコンサート2題

3月23日(土)と24日(日)にギターコンサートへ行って来た。

23日は千葉市生涯学習センター2階ホールでギターサークル和弦の「春のコンサート」。
前日はそれに相応しい暖かさだったが、この日は冬に逆行したかのような寒さで、朝方は雨も降っていた。
和弦は一昨年から毎年聴いている。(→2017年1月10日 )毎回アンサンブルの選曲、そして編曲に主張があり、メンバーも力のある人が何人かいて、聴きがいがあるグループである。
今回はアストル・ピアソラ特集で、初期から晩年に至る6作品をリーダー鈴木勝氏のトークを交えて聴かせた。
研究振りを窺わせるトークだった。
ピアソラ作品のプログラムは以下のとおり。
・孤独(Soledad)
・メディタンゴ(Meditango)
・オブリビオン(Oblivion)
・ブエノスアイレスの冬(Invierno Porteño)
・タンティ・アンニ・プリマ(Tanti Anni Prima)
・ミケランジェロ70(Michelangelo70)
また二重奏で弾かれたH.ヴィラ=ロボスの「トリストローザ」(鈴木勝編)は、なかなか佳曲で初めて聴いた。ヴィラ=ロボス初期のピアノ曲のようである。

アンコールはバッハ「羊は安らかに草を食み」(鈴木勝編)。バッハの世俗カンタータ(BWV208)だ。
今回は千葉市の友人、妻と並んで聴いた。
毎回会場で顔を合わせる木更津市のY氏は今回も夫人と来ていた。
終演後楽屋へ行って鈴木氏外のメンバーと言葉を交わして帰途に就いた。

翌24日は木更津市のかずさアカデミアホール201A会議室で「ギターデュオコンサート」。

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ダヴィデ・ジョヴァンニ・トマシ(Davide Giovanni Tomasi、1991年生)、マルコ・ムッソ(Marco Musso、1992年生)の若いイタリア人チームで、2016年に結成している。
ネットで調べると二人とも数々のコンクールで入賞を重ねており、ソロ活動もしている。現在は、共にオーストリアのグラーツ音楽大学でPaolo Pegoraroに師事しているようだ。
ダヴィデは第59回東京国際ギターコンクール(2016年)で1位を取っている。

2016年11月にこの会場で聴いたザビエル・ジャラ(第58回東京国際1位)(→2016年12月4日 )も素晴らしかったが、この二人もすごい実力を備えている。

実は当初このコンサートは予定しておらず、チケットはY氏から譲り受けたもの。
前日千葉から帰って来て、夜Y氏から電話があり急用で行けなくなったのでどうか、と言われて一も二もなくいただくことにした。そして24日の朝にY氏と会ってチケットを手にしたのだった。

プログラムは以下のとおり。
前半
・2つの前奏曲とフーガ(平均律クラヴィーア曲集第1巻第1、2番)/J.S.バッハ
・3つの前奏曲とフーガ(平均律ギター曲集第4、5、24番)/M.C-テデスコ
後半
・ソナチネ/M.ラヴェル
(Ⅰ:Modéré、Ⅱ:Mouvement de Menuet、Ⅲ:Animé)
・マ・メール・ロア(Ma Mère l‘Oye(*))/M.ラヴェル
(Ⅰ:眠れる森の美女のパヴァーヌ、Ⅱ:親指小僧、Ⅲ:パゴダの女王のレドロネット、Ⅳ:美女と野獣の対話、Ⅴ:妖精の園)

(*)Ma=私の Mère=母 Oye=Oie=鵞鳥 英語だとMother Goose

アンコールは2曲でC.ドビッシーの前奏曲集から、
・ヒースの茂る荒れ地(第2巻NO.5)
・途絶えたセレナード(第1巻NO.9)
以上テデスコ以外は鍵盤作品からのトマシ・ムッソ・デュオのtranscription。
なお当日のプログラムにはバッハは「2」ではなく「3」となっていたが、彼等は2曲しか演奏しなかった。
終演後彼等にそれを質問してみると、3曲は我々の手に余るので云々、と煙に巻かれてしまった。
アンコールの曲目も直接聞いて、マルコの方が書いてくれた。
「途絶えたセレナード」は、ファリャの「三角帽子」からの引用と思われる奏句があり、聴いている時はファリャ作品かと思っていた。

全曲暗譜演奏だった!! 二人とも足台を使用。
トマシがファースト。
演奏の完成度が高い。音はピュアでいかなるポジションでもふくよかに鳴っていた。
指板上の左手の運動が美しい。

以上で彼等の演奏へ付け加える言葉がない。
暗譜だったことが鮮烈な印象で、コンサートのソリストでも時に楽譜使用は珍しくない。
辻井伸行のことが思い出されるが(千葉県少年少女オーケストラも)、譜面を出さないのはすごいことだ。

テデスコの第4番は、プレスティ&ラゴヤがレコーディングしている。帰ってから、それとデュオ・テデスコ(*2)で聴いてみたが、どうもトマシ・ムッソに軍配が上がるのではと思う。

(*2)プレスティ&ラゴヤ/PHILIPS YMCD-1001~3
    Duo Tedesco/KOCH 3-1224-2 Y7、1996

会場でダヴィデのCD(*3)が販売されていたので、Y氏へ贈ろうとの妻の提案で購入した。(Duoの方は昨年録音済みのようだが未発売)スペインのレーベルで、ホセ・トーマス国際ギターコンクール2017年第1位入賞により制作されたようだ。

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CDのジャケット。左に二人のサインをもらった。

(*3)「TO THE EDGE OF DREAM」(*4)
    Jsm Guitar Records JSM 6.011 2018
(*4)このタイトルは武満のギター協奏曲の作品名。アルバムのテーマである夢と沈黙、共に死の寓意を示唆しているとライナー・ノーツ冒頭にある。(*5)
(*5)ざっと目を通したが、ダヴィデ自身によるもののようだ。作品への深い理解、音楽全般への研究の程が窺える。

収録曲は、
・J.ケージ/Dream
・武満徹/エキノクス
     すべては薄明かりの中で
・B.ブリテン/ノクターナル
で時間はトータル42分11秒と短い。
非常に骨太で構築感のあるダイナミックな演奏が繰り広げられる。
またケージはピアノ作品の編曲で、偶然性の音楽でないので、ケージの作品としては保守的に聞こえる。
(了)

2016年12月 4日 (日)

11月の2つのコンサート

前項で触れた11月27、29日に聴いた2つのコンサートについて報告したい。

 

27日(日)は、君津市民文化ホール中ホールでミューズマンドリンアンサンブルの第20回定期演奏会を聴いた。地元の愛好団体で、演奏レベルはなかなか高い。
年1回のペースでこのホールで定演をやっており、私は第1回('97)から毎回ではないが何回か聴いている。今回は久し振りだ。
メンバーは結構入れ替わっているようで、第1回からの人は2人のみとの事。その内の一人は多分指揮者だ。センスが良くいつも感心させられる。
プログラムは前半マンボno.5、エル・チョクロ、花祭りetc.のラテン・レパートリーとNHK朝ドラと大河ドラマのテーマ曲、後半スパニッシュ・レパートリーでS.F.ジャングレコ「組曲「スペイン」」、「カルメン」から「ハバネラ」、「ジプシーの歌」、そして「アランフェス協奏曲」第2楽章だった。

 

マンドリンという楽器は明るい音を出すので良い、と言ったのはNHKFM「きらクラ」司会のふかわりょうだが、マンドリンアンサンブルの音響はイタリア南部の明るい陽光を思わせるもので、心をさわやかにする。
この日私が注目していたのは最後の「アランフェス」第2楽章だ。バックをマンドリンアンサンブルで、ギターは原譜通りで演奏された。ソロはギターパートのメンバーの一人が担当したが、この人は「アランフェス」のみで他の曲目の時はステージに出て来なかった。理由は演奏の負担のためか?
指回りはよい人で好演だった。気になったところもあまりなく、出だしの和音の刻みが走っていたこと、カデンツァで暗譜のほころびが出たこと、カデンツァからテュッティへ移行するところのラスゲアードでぐらついたこと位だった。
ただ音はやや雑な感じがした。またアンコール1曲目の「アストリアス」もギターソロとマンドリンアンサンブルだったが、この時のソロは足を組んで演奏したが、そのようにするものなのか?
アンコール2曲目はマンドリンアンサンブルで「エスパニア・カーニ」。懐かしい曲で締めとなった。

 

29日(火)は木更津市矢那の、かずさアカデミアホール201会議室で「ザビエル・ジャラギターリサイタル」を聴いた。

 

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上はチラシの一部。昨年の第58回東京国際ギターコンクール優勝者。アメリカミネソタ州出身で、パリの国立音楽、舞踏専門学校で学位取得。リュートも学んでいる!
当日受付でもらったプログラムは(公社)日本ギター連盟の「新進芸術家ギタリストの饗宴2,016」。
コンクール優勝者へ副賞として与えられる国内コンサートの一環としての企画だった。
11月19日の静岡を皮切りに、12月3日の白寿ホールまで、全国8か所で同一プログラムでのコンサートを行うもの。

 

プログラムは以下のとおり。

 

第1部
1.J.ダウランド「3つのファンタジア(P5、P71、P7)」 (P5、P71は予定通り弾かれ、P7はクープランの「神秘の障壁」へ変更となった。)
2.M.C=テデスコ「ゴヤの絵画による24のカプリースNO.18」
3.A.ロースソーン「エレジー」
第2部
4.M.リョベート編「3つのカタロニア民謡」 盗賊の歌~アメリアの遺言~聖母の御子
5.M.C=テデスコ「世紀をわたる変奏曲」op.71
6.J.コリンズ「エレジー」

 

クラシックギターの生演奏を聴くのは久し振りだ。
そして技術的にも音楽的にも大変にハイレベルな奏者に巡り合えたことは幸運だった。
まず音が明るく、非常に清澄で、かつ音量がある。
演奏の姿が大変に美しい。
右手、左手の動きは無駄がなく、特に指板上から和音を紡いで行く左指には惚れ々れさせられた。
どんなに急速な音形でも淀みなく音は奏され、どんなに複雑かつ急速な指板上の移動へもしっかり左指は対応していた。
ピアニシモでも音は会場の隅々へ行き渡り、あいまいな音は一音もなかった。

 

音色は清潔感があり、今回演奏された作品に向いていると感じた。
特にはじめに演奏されたダウランドに。
2部はじめに魅かれた3つのカタロニア民謡は巷間親しまれている名曲だが、それを格調高く、純粋な精神性を感じさせる演奏で展開させたのは特筆に値する。
特に3曲目の「聖母の御子」の精神を浄化させてくれるような演奏は、奏者の崇高な人間性を感じた。

 

1部、2部のそれぞれの中間へ配置されたテデスコ作品の演奏も素晴らしいものだった。

 

そして1部、2部の最後は共に「エレジー」で締めくくると云うプログラム・センスの良さも好感が持てた。
1部のロースソーンの「エレジー」は大変な難曲と思うが、ギターという演奏がむつかしい楽器でありながら技術をまったく感じさせず、好きなギターの音色でダイレクトに音楽を享受するという、稀な体験をすることができた。

 

実はコンサートに先立ち手持ちの音源で予習をして臨んだ。
ダウランドは、Jakob Lindbergのリュート作品全集(4枚組、'94,'95)、テデスコは山下のCD(CROWN:CRCC-6,'91、CRCC-32,'01)を聴いたが、2曲の「エレジー」は心当たりがなく未知の作品と思っていた。

 

ロースソーン「エレジー」は、演奏前に奏者が解説していたが、英語だったので充分聴き取れず、休憩中に随行の方へ聞いてみると、J.ブリームの委嘱作品だが完成前に作曲者が死亡してしまったので、終結部をブリームが補筆して完成させた作品だとのこと。
ロースソーンという表記でわからなかったが、ローソンという人の作品はブリームのdiscにあった事を思い出し、帰宅後確認して見ると現代作品を集めたLPに入っていた。
見ると「ローソーン」とあった。「Rawsthorn」が原語だが、英語として発音すると、”Raws - thorn”と云う感じになって、「ロースソーン」なのだろうが、それを聴くと「ローソーン」と聴こえるので、日本語として表記するのは「ローソーン」とした方が良いと思う。

 

下は「現代ギター名曲集」J.ブリーム(RVC:RCL8358,'83)

 

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J.コリンズ(Jeremy Collins)「エレジー」は、「エレジー」と言いながら何か明るさを感じる作品だった。
これも演奏前に奏者が解説して、変則調弦の作品で調弦に1分頂きます、と云って調弦に入ったのが印象的だった。
プログラムの解説を見ると、コリンズは1,986年生まれで今年30才のアメリカ人のギタリスト、作曲家。変則調弦の作品を好んで書く人のようで、この作品も①=E、②=C、③=G#、④=E、⑤=A#、⑥=C#と通常の音は①弦のみ。

 

多分C.ドメニコー二の「コユンババ」のように調弦前の楽譜を併記し、そちらで運指を取るような記譜なのではないか?この曲は、①、②、③、⑥弦が変則調弦となる。

 

下は「コユンババ」の楽譜

 

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クープランの「神秘の障壁」はD.ラッセルのCDにあった。("Air on a G String"TERARC:CD80693,'08)
ちなみにオリジナルはチェンバロ作品で「クラブサン曲集第2巻第6組曲」の第5曲にあたる。
同じくラッセルのCD”Renaissance Favorites for Guitar"(TERARC:CD80659,'06)にはダウランドのファンタジア(P5)が納められている。

2016年10月15日 (土)

題名のない音楽会「武満徹特集」の補足など

先般報告した表題について、その後確認した事などを追加したい。

 

1.鈴木大介が「ヘイ・ジュード」を演奏中に画面下へテロップで流れた武満のコメントについて
その後、鈴木の武満作品集のCDを聴き、ブックレットの解説を見てみた。

 

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他の収録曲についても同じだが、映画音楽のように他者による編曲の手が入ったもの以外、すべて武満自身のコメントで構成されている。
読んでみると放送のテロップは、ここにある武満のコメントを元に要約、というか部分引用したものであることがわかる。
序でに、といっては何だが、福田進一の武満作品のアルバムも久し振りに聴いてみた。福田は武満のメモリアルアルバムを2枚出しており、武満のギター作品は勿論、例えばブローウェルによる追悼曲をはじめ、武満にちなむ作品をも収めた意欲作だ。

 

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解説は福田自身によるもので、「ギターのための12の歌」を見ると武満のコメントも全文が引用されていて、その出典が「初版の楽譜」であることを明示している。
全音楽譜出版社の全音ギターピースがそれで(下写真)、裏側に「編曲ノオト」として掲載されている。

 

 

 

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「クラシック・ギター(特に日本で)の世界が、・・・閉ざされた状況にあるのは、限られたレパートリーを・・・上手に演奏するだけの趣味に陥ったからだろうと思います。・・・その地点に停まるものであれば、音楽はけっして生きたものとはなりえません。」と1,977年に書いた武満に対し、武満が逝った1,996年に録音されたアルバムの「12の歌」のライナーノーツにおいて福田は「私たちギタリストは武満さんの希望どおり“生きた音楽”をするように進歩しただろうか?」と述懐している。
少なくも私には現在の日本のギター界は、世界レベルのトップギタリストを擁し、世界のギター界をけん引する一端を担うまでに成長して来ていると思える。充分に武満を満足させるに足る“生きた音楽”を奏でているのではないだろうか。

 

2.「らららクラシック」で紹介されたスナップショットについて
前回ブログを書いた時点では八ヶ岳か軽井沢かのいずれかわからなかったが、これもその後、辻井伸行のカーネギーホールデビューを控えた時期のドキュメント('11.12/30放送のNHKスペシャル「旋律よ’殿堂’に響け~ピアニスト辻井伸行 自作曲に挑む~」)の中に出て来て、八ヶ岳高原音楽堂であることがわかった。ここでは辻井の自作品のみによるコンサート('11.8/5)の模様が紹介されていた。

 

3.付け足し-「森の中で」をめぐって
鈴木大介の武満作品集は、「森の中で」を冒頭に据え、ソロ全作品を収録する意欲作だ。

 

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福田進一は武満メモリアルアルバムvol.1を'97年にリリースして実に11年後の'08年にvol.2を発表したが、やはり「森の中で」を冒頭に据え、この作品を録音するのに満を持した理由を深い思い入れと含蓄に富んだ解説に記している。

 

「森の中で」は3曲から構成されるギター独奏曲で、その第1曲「ウェインスコット・ポンド」には唯一副題が付せられていて、曰く、「コーネリア・フォスの絵画から」とある。
「(アメリカの)友人から送られて来た絵葉書に印刷された美しい風景画の下に、小さな活字で、Wainscot Pondとあった。」と武満自身が解説している。

 

これについて、興味深い情報を以下に記したい(*)。
「友人」は、アメリカのルーカス・フォスというベルリン生まれの作曲家、ピアニスト、指揮者だった人で、コーネリアはその夫人でやはりベルリン生まれの画家だった。
夫妻はロス・アンジェルス在住時の1,956年にグレン・グールドと知り合い、親交を重ねて行ったが、やがてグールドとコーネリアは恋愛関係に陥り、1,967年から二人はトロントで実質的な婚姻関係の生活に入った。1,972年にコーネリアは関係にピリオドを打ってルーカスの許へ戻る、というもの。

 

(*)「グレン・グールドの秘密の生活」(「音楽の友」'07年10、11月号)から

 

本記事(*)の訳注に「ウェインスコット・ポンド」の由来が記されているが、「森の中で」をピアノ作品と誤記している。
また武満の'96年のグレン・グールド賞受賞へも触れ、武満~「森の中で」~コーネリア・フォス~グールドという円環に感慨を覚えている。
武満が受賞した'96年のグレン・グールド賞は第4回にあたり、創設されたグールドの死の翌'83年の第1回から13年目になる。武満は当時4人目の受賞者となったが、発表の2月6日の丁度2週間後の2月20日に他界したのだった。
そしてこの年9月25日トロント・カナダ放送センターのグレン・グールド・スタジオで授賞記念コンサートが催されている(*2)。

 

(*2)翌'97年8月31日にNHKFMで「グレン・グールド国際音楽賞の武満徹」としてオンエア。90分カセットテープ2本にエア・チェックした。

 

コンサート会場となった放送センターのグレン・グールド・スタジオという施設名に奇異な感を受けるが、演奏後の聴衆の拍手の響きからして通常の大ホールのようだ。グールドは'64年4月10日のロスでのコンサートを最後に以降録音、放送のみで演奏活動した人だが、授賞記念コンサートは通常の形態で行っている。
ギター作品も入っており、「12の歌」から「サマータイム」、「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」の2曲を地元カナダの女流レイチェル・ゴークが演奏している。

 

今年は武満が没して20年の記念の年。光陰矢の如し。

2016年10月 4日 (火)

題名のない音楽会「武満徹特集」他

10月2日(日)題名のない音楽会「武満徹の魅力を語る音楽家たち」を見た。
クラシックギターの鈴木大介、ジャズ・ギター(と言ってよいのだったか?)の渡辺香津美、詩人の谷川俊太郎他が出演。
武満徹はギターを大変愛していたようで、ギターにとって貴重なレパートリーを遺したが、ここではメロディアスな作品を取り上げている。
まずは渡辺香津美(1st)、鈴木大介(2nd)で、
1.「小さな空」
子供向け連続ラジオドラマ「ガン・キング」の主題歌を渡辺、鈴木共編のギター・デュオで。
渡辺はアクースティック・ギターというのか(?)弦はスチール、左手はピック主体で低音へは親指をも使用するクラシックでない奏法だが、インプロヴィゼーションは流石な冴え。
クラシカルギターとの合わせもあまり違和感なく聴けた。

 

次は鈴木のソロ。
2.「ヘイ・ジュード」
云わずと知れたビートルズ・ナンバー。演奏前に鈴木が武満のアレンジの味、演奏至難な事についてコメント。
よく見るとデュオの時と楽器を替えている。その理由だが、楽譜(下参照)を見ると⑤、⑥弦が変則調弦なので、調弦を変えることで弦の音程が狂うことへの対策だと思う。とはいっても、最後の辺ではバスが狂って来ていたようだ。また若干のミスタッチも散見された。
鈴木の演奏は雑音が少ないというか、殆んどない。足台でなくギターレストを使用。

 

演奏中のテロップで本作の武満のアレンジの動機は「'70年代当時の日本のクラシックギター界の限られたレパートリーしかない閉塞状況を憂えた点にあって、「ギターのための12の歌」が生れた由。「「12の歌」は高度な技巧を要するが、何より柔軟な精神へのエチュードです。」(武満のコメント)
とはいえ当時の日本のギター界を振り返ると、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウイリアムス、オスカー・ギリアといった世界のトップギタリストが来日し、直接その演奏に接し、また渡辺範彦のパリ国際ギターコンクール優勝、荘村清志がスペイン留学から帰国し活発な演奏活動をスタートさせるなど、'70年代は新時代への移行が着実に始まっていた時代だったと思う。

 

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そして再び渡辺、鈴木共編のギター・デュオで、
3.「どですかでん」
'70年の黒澤明監督作品の主題曲。
パートは入れ替わり鈴木が1st。ここでも見事な渡辺のインプロヴィゼーション。
鈴木との楽器の対話もgood!

 

最後はカウンターテナーの藤木大地と鈴木のギターで、
4.「死んだ男の残したものは」
ゲストの谷川俊太郎の作詞。谷川自身はこの旋律をあまり好んでいないニュアンスのコメントをしていたが、聴いていて「不良少年」の旋律を連想した。

 

約1か月前は「らららクラシック」でも「武満徹のギター名曲集」が放送された。(9月1日(再放送))
こちらもスタジオゲストは鈴木大介。
「オーバー・ザ・レインボー」、「イエスタデイ」が演奏された。こちらでも武満の秀逸なアレンジについて加羽沢美濃がレクチャー。
また武満がギター作品を遺すこととなったそもそもの功績者である荘村清志がインタビューでその経緯について、小室等が井上陽水を交えた交友の中で、武満とビートルズについてコメントする貴重な部分もある。

 

八ヶ岳だか軽井沢での音楽祭の'90年前後頃のスナップショットだろう、武満を中央に右からマヌエル・バルエコ、佐藤紀雄、デイヴィッド・タネンバウム、武満、井上陽水、小室等、荘村清志という錚々たるメンバーが揃っている写真が画面に出た。その当時の「現代ギター」あたりで見たことがある気がする。当然の事ながら皆若い。

 

荘村のコメントの中で、荘村自身が武満夫人から武満の没後に聴いた言葉、「クラシックの枠に捕われ過ぎず、音楽へより自由にアプローチするよう」アンコールピースとして「オーバー・ザ・レインボー」が荘村へプレゼントされたというエピソードが披露された。上の「12の歌」の作曲意図の原点となった作品だ。

 

さて鈴木大介はここでも技巧の冴えを遺憾なく発揮、やはり雑音のない秀演を展開している。
使用楽器は「題名」のデュオで使用しているフレタ・エ・イーホス。演奏の出来は「題名」より良い。

 

この日(10月2日)はEテレ「クラシック音楽館」でも武満作品が登場。
N響1,841回定期('16.9/14サントリーホール)での2作品だ、
1.「ア・ウェイ・ア・ローンⅡ」
2.「ハウ・スロー・ザ・ウインド」
1は弦楽合奏、2は管も加わり、鍵盤も入っていた。
また1,2の間に指揮のパーヴォ・ヤルヴィと武満の長女眞樹との対談が入った。

2016年9月 5日 (月)

「マチネの終わりに」を読む

平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読んだ。

 

面白く、読み応えがあり、充実した読書をすることができた。
恋愛小説である。作者がその年代ということから40代の恋愛が描かれている。

 

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「マチネの終わりに」は「現代ギター」誌で知って、クラシカル・ギタリストが主人公ということで読んだわけだが(*)、それは作品の一要素に過ぎず、作品世界の広さに瞠目させられた。「現代ギター」では作中に出て来るギター作品をリストアップしていて、確かにそれは少なからぬ数ではあるが、ギター曲もしくはギターにちなむエピソードが出て来る頁は相対的にはむしろ余り多くないと言ってよいかもしれない。

 

*(福田進一のバッハチクルスの事など('16.6/5)

 

それにしても何という展開であることか!
そして何という魅力的な登場人物を創造し得たことか!

 

この作品で一番衝撃的だったのは第6章後半の主人公同士の無体な別離の顛末だ。恩師の不測の病を発端に、様々な要素が積み上げられ、決別するに至ってしまう不条理!
ただ作者も共感を持って書いているように別離の触媒(?)役をすることになる女性は、道義的に許し難い事をしているにも関わらず、そのひた向きさ故に、作品中にその存在の場をしっかり確保している。その説得力に作者の力量を感じた。

 

「マチネの終わりに」はエピソードを丁寧に展開して行き、その成り行きが読者によっては納得できない方向へ行ったとしても、説明も尽くされており、一つのストーリーとして受け止め得るものとなっている。また恋愛当事者の女性が、これほどの才色兼備であるのも類を見ないのでは。

 

小峰洋子というヒロインは、クロアチア人の映画監督の父、被爆体験をした長崎出身の母を持ち、パリを拠点に内紛のバグダッドを取材するジャーナリスト(結果PTSDを病んで、第6章の破局を主導することとなる)、小説後半ではニューヨークでの結婚生活、離婚後は国際人権監視NGOのジュネーヴ支部とニューヨーク本部を行き来する生活、と世界を股に架ける才媛だ。
そして父であるイェルコ・ソリッチ監督の「幸福の硬貨」というパルチザン映画の主題曲がギターを用いており、この曲が小説の印象的なシーンで奏でられ、重要な役割を果たすという心憎い演出。それに留まらず、「幸福の硬貨」という題名の由来にまで話は及び、リルケの「ドゥイノの悲歌」から採られたものだというくだりに来て、またも作者に瞠目させられた。

 

3月に行った神奈川近代文学館の「富士川英郎展」(「富士川英郎展」(3/29))でリルケに「ドゥイノの悲歌」という重要作品があることを初めて知り、一度読んでみようと記憶に留めていた矢先だっただけに、本作でこの名を目にした驚きは大きかった。巻末には小説に引用される第5の悲歌の部分を平野自らが訳したとある。
小説ではめずらしいと思うが、ここには参考文献が列記されていて、現代史へも目配りが行き届き、彼の勉強家ぶりを窺わせる。4月に行った鴎外記念館で見た彼の鴎外文学への鋭い指摘を思い出す。(鴎外記念館行(4/21)

 

スペインの盲目の作曲家ホアキン・ロドリーゴに「トッカータ」というギター作品があることもこの小説で知った。ロドリーゴのギター曲は大体頭に入っていた筈が、「トッカータ」は記憶になく、調べてみると最近発見された曲とのこと。最近ギターから縁遠くなっていて、引っかかってしまった次第。

 

またキューバの作家アレッホ・カルペンティエールの「失われた足跡」も作品名が出て来る。かつてFMファン誌上に載った辻邦生のエッセイで知って読んだことがあり、印象深い作品である。蒔野の「難儀な本」というのは当たらないと思うが・・・

 

エピローグの最後、多分ミスプリントだと思う箇所があり、それはP.401の後ろから5行目文末の「・・・そこいる」の部分だが、脱字で「そこ<に>いる」が正しいのでは。

 

それにしても、ロドリーゴ以外にもソル、ヴィラ=ロボス、タンスマン、ブローウェル、バリオスといった作曲家達の名前が当たり前のように出て来て、「練習曲集」、「ガヴォット・ショーロ」、「カヴァティーナ組曲」、「黒いデカメロン」、「大聖堂」他々といった曲名が随処に出て来る小説に巡り合えるとは思いもしなかった。
取り分けギター音楽においても格別の地位を占めているバッハ作品(本作では無伴奏チェロ作品)が本作においても重要な役割を与えられていることも印象的だった。

2016年6月 5日 (日)

福田進一のバッハチクルスの事など

ギターに関係する話題をほとんど取り上げていないのでふさわしくないブログ名になりつつあるが、ここにクラシックギターの話題を記しておきたい。

 

遅まきながらネットで福田進一のバッハチクルスの新譜が出た事を知り、早速ネット注文したのは2週間前の日曜だった。某マンモスネット通販会社としては珍しい事に注文から届くまで5日かかった。それまでほぼ1年のペースでリリースされていた福田のシリーズだったが、今回なかなか出ない事にどうしたのか心配していたが(*)、こうして第5集を手にして紙に作品リストを書き出してみたが(**)、まだ未完とはいえ福田が成し遂げつつある偉業に対し畏敬の念を禁じ得なかった。
無伴奏ヴァイオリンソナタ、パルティータ、無伴奏チェロ組曲、リュート作品それぞれの全曲プラスαという途方もないプロジェクトが、残すところヴァイオリンソナタ第1番、パルティータ第2番だけになっている。

 

なのだが、かねて私が疑問に思っていた事はパルティータ第2番の終曲であるシャコンヌを何故第1集で単独で収録したのかという事である。また今回の第5集に収録されたフーガBWV1000はソナタ第1番のフーガと同一曲である。こちらはたしかリュート用の方が数小節多く、全く同じではないので改めてソナタ第1番として別個に入れても違和感はないが、シャコンヌの取り扱いをどうするのか今に至っても疑問が氷解していない。
とまれシリーズ完結は真近である事を実感させてくれる新譜だ。

 

(*)第4集がリリースされた('14.3.25)と第5集の('16.4.25)の間にブリテン「ノクターナル」他のイギリス音楽集を('15.4.25)にリリースしていた。このアルバムも福田ならではの選曲、名演が展開された魅力的なdiscだ。ライナー・ノーツを見るとブリームが「ノクターナル」の初録音(1,967)で用いたホセ・ルビオと同タイプの楽器を入手したのが録音の動機だったそうだが、彼は同じルビオを今度の第5集でも使用している。また今回、A=415Hzと低いチューニングをしていることも興味深い。
(**)福田の偉業を実感するには作品リストを見る必要があるので、以下に記す。作品名、BWV番号、ローマ数字は作品集通番、()内リリース年月日、その次は録音日、そのまた次が使用楽器で、最後に2曲のみギリア編、ラッセル編とある以外はすべて福田自身の版。

 

・無伴奏ヴァイオリン作品
ソナタ第2番      1003 Ⅲ ('13.11.25)   Feb.1,Sept.27.'13 H.ハウザー1世('47) 
    第3番       1005 Ⅴ ('16.4.25)   Feb.3~5.'16     ホセ・ルビオ('66)
パルティータ第1番 1002 Ⅱ('12.6.25) Jan.23~25.'12     H.ハウザー1世('47)
         第3番 1006 Ⅲ                        〃
シャコンヌ     1004 Ⅰ('11.9.24)     Feb.1~3.'11       データに明記がないがジャケット写真からして桜井正樹か?

 

・無伴奏チェロ作品
組曲第1番        1007 Ⅳ('14.3.25)     Jan.20,30,31.'14   桜井正樹(2,010)
   第2番        1008 Ⅳ                          〃 
   第3番        1009 Ⅰ                          〃?
   第4番        1010 Ⅲ                        イグナシオ・フレタ・エ・イーホス('98) 
   第5番        1011 Ⅱ                       H.ハウザー1世('47) 
   第6番        1012 Ⅰ                      桜井正樹(2,010)?

 

・リュート作品
組曲第3番          995 Ⅱ(チェロ5番と同録音)             H.ハウザー1世('47)
   第1番          996 Ⅳ                                          桜井正樹(2,010)
パルティータ(組曲第2番)        997 Ⅴ                         ホセ・ルビオ('66)
プレリュード、フーガ、アレグロ 998 Ⅱ                         H.ハウザー1世('47) O.ギリア編
小プレリュード    999   Ⅴ                                          ホセ・ルビオ('66)
フーガ               1000  Ⅴ                                                  〃
組曲第4番        1006a Ⅲ(Vnパルティータ3番と同録音)  H.ハウザー1世('47)

 

・アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖から6つの小品 Anh.114,115,124,132,122,126 Ⅳ 桜井正樹(2,010)

 

・アルバム・アンコールピース
主よ人の望みの喜びよ 147 Ⅱ                  H.ハウザー1世('47) D.ラッセル編
エア(G線上のアリア)  1068 Ⅲ                                              〃
シンフォニア         156 Ⅳ                  桜井正樹(2,010)
コラール・プレリュード「目覚めよと呼ぶ声あり」 645 Ⅴ    ホセ・ルビオ('66)
   

 

もう一つは、久し振りに現代ギターを、しかも地元でGET(6月号。NO.631)!
福田進一・平野啓一郎の対談、そしてジョン・ウィリアムズのロング・インタビューが載っていたので。

 

平野啓一郎が毎日新聞へ連載していた小説「マチネの終わりに」完結を記念し、渋谷のイヴェント・スペースでの福田との公開トークを記事にしたものだ。
平野の小説は芥川賞受賞以来関心を持ち「葬送」あたりまではフォローしていたが、「氷解」を雑誌連載はじめの数回で見切りを付けてから、彼とは離れていた。

 

旅行先のホテルの客室へ朝届けられた新聞で、たしか「マチネの終わりに」を見た事はあったが、その回ではクラシックギタリストが主人公の小説であることがわからなかった(と記憶している)。「マチネの終わりに」は福田のアドヴァイスが反映された小説とのことなので読んでみたいと思っている。GGの記事を見ると、小説中に折り込まれたギター曲(それだけではないが)、それもマニア向けの作品名が全編あまねくこれでもかという位出て来るようで、どのように小説が構成されているのか、それも好奇心を刺激される。

 

ジョン・ウィリアムズのインタビューの方も、記事の趣旨はジョンの生誕75年を記念して発売されたCDボックスセットの話題につきるが、リストが載っていてCD57枚、DVD1枚という規模だが、私はLP、CD、ヴィデオで所有していて、今回の形に換算するとCD29枚、DVD1枚分になり、ほぼ半分である。

 

また最初期のジョンの他レーベルへの録音は今回には当然ながら入っておらず、私が持っているのはLPでスペイン物(トローバ「ソナチネ」、ポンセ「主題、変奏と終曲」他)とソルのいわゆるセゴヴィア編「20のエチュード」の2枚(現物が今手元に出て来ないので自信がないが、元レーベルはウエストミンスター?)とDECCAの「Recital de Guitare Vol.2」で、デュアルテ編のバッハ「チェロ組曲1番」、ソル「魔笛」、グラナドス「ゴヤの美女」他が入ったアルバム(1,972年のフランス発売版)である。
それと2,008年リリースの「FROM A BIRD」というアルバム、これもソニークラシカルではないので今回のセットには入っていない。

 

現代ギターを置いている書店は少なく、最近までは東京駅丸の内北口の丸善とかへ行った際に目にする程度だったが、昨年地元書店の雑誌棚で目にした時はうれしかった。今回は真鍋理一郎氏の追悼記事が載った2,015年5月号(NO.617)以来の購入になる。